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校門を抜け、杉原と並んで下校しました。十分ほど歩くと、小さい煙草屋があってすぐ正面に交差点がありました。
私は右に、杉原は左に、手を振って別れました。
家に帰ると、母親に持って帰ってきた絵を驚かれました。そこで私は、美術部に入ることを打ち明けたのです。怪訝な表情を浮かべられこそしましたが、反対されはしませんでした。
中学校の美術部なんて女子が入る部活だと母は思っていたようで、それが古い価値観なのか時代のせいなのかは分かりませんが、私が絵を描いてもらって女子に惚れ込んだのだと勘違いしていました。
それでもまあ、惚れ込んだことに間違いはないでしょう。しかし私は恥ずかしかったので、部員は美しい男性が一人だと、一応の弁明をしました。
「その部長さんのお名前は?」言われ、お互いに自己紹介をしていないことに気がつきました。名前も名乗らなかった自分に頭を抱えました。そんな中母は続けざまに「貴方は副部長になるのかしら?」と言うのです。
気が重くなる一言でした。肩に重石を載せられたような、私は背中が丸まってしまいました。まだ決まったわけではありませんが、その肩書は余りにも分不相応に感じられました。
私は目眩でクラクラしてしまいましたが、描いてもらった絵を自室へ飾りました。その絵を見ていると、本当に時間はあっという間に過ぎ、宵は三日月が浮かんでいたことを思い出します。私は初めて、月を見たような気がしたのです。
朝、私は交差点で杉原を待ちました。煙草屋の婆さんと他愛のない話をしていると、「わざわざ待っていなくてもいいのに」呆れたように両手を軽く上げて言いました。
私はグラウンドの横を通り抜ける時、左を歩きました。昨日ボールに当たり蹲っている姿を思い出すと、どうしても不安になるのです。
ゴールキーパーのように飛んできたボールを弾き、杉原に被害が出ないよう努めました。
放課後になると、私は美術室に走りました。
杉原よりも早く来てしまい、大人しく背筋を伸ばして座って待ちました。ドアが音を立てて響きました。
「今日は課外活動をしよう」開口一番に言い、悪い笑みを浮かべました。
顧問の先生には許可を得たらしく、私を連れて学校の外に出ました。学校の裏には工場が密集していて、濁った川が流れていました。
土手を越えると、腰まで伸びた草が生い茂っているのですが、一箇所だけミステリーサークルのように禿げた地面がありました。
二三メートルの円形でした。岩に近い石がいくつか置いてあり、杉原はそこへ座りました。隣の石をポンポンと叩くので、私は隣に腰を下ろしました。
濁った川は、腐臭を放っていましたがそこまで気になりませんでした。
「綺麗じゃないからいいのさ」杉原は何処を見ているのか、気障な台詞を吐いてスケッチブックを取り出しました。
そこで私はようやく自己を紹介し、杉原の名前を知りました。杉原。頭と心で反芻し、とてもしっくりとくる名前だと思いました。
話を続けていると「僕が部長で、君が副部長だよ。当たり前じゃないか」私のプレッシャーに押しつぶされそうな姿を見て、杉原は呵呵と笑いました。笑い過ぎて眼尻に浮かんでくる涙を、人差し指の腹でピンと払いました。
その動作は杉原の癖のでした。静かそうな男でしたが、よく笑いました。少し俯きながら、ピンと弾くのです。私はその癖が好きでした。笑い者に生まれてよかったと、私は初めて思えたのです。
杉原はスケッチブックをしまうと、歩いて川へと近づきました。足下を見ながらフラフラと歩き、何かを見つけると蹲み込んでしまいました。
立ち上がった手には、丸くて薄い石が握られていたのです。杉原は石を、横投げで川に放り投げました。
ちょんちょんと石は何度も跳ね、水面に重なり合うような波紋が広がりました。
「一緒に水切りをしよう」杉原に言われ、私も石を探しました。
私の石のは全く跳ねず、吸い込まれるように消えていくのです。その度に杉原は笑い、私は不貞腐れ、それがより杉原を笑わせるのでした。
「自殺は神が人間に与えた、究極の自己の表現だと思うんだ。」
石に座り夕焼けを眺め、杉原は突如として言ったのです。その言葉は私の胸に、生涯淀んでいました。画家も、作家も、音楽家も、自己の表現を生業としている人間には、自殺のエピソードがついて回ります。
杉原も絵を描く人間だけあって、そんなことを考えていたのでしょう。その時の私は、小難しい話をするのだな、と、呑気な気持ちでポカンとしていました。
杉原はおもむろに私の髪をグチャグチャに掻き混ぜて「帰ろうか」石から立ち上がりました。差し伸べられた手を握ると、グイと引っ張られました。
私があと二年早く生まれていたら、杉原の艶のある髪に触れられたのでしょうか。年下の私は、眺めることが精一杯でした。
煙草屋の前。「さようなら。明日は待ってなくていいから」杉原は疲れたように言い、私たちは左右へ分かれました。
家に帰ってローファーを脱ぐと、土手の芝が入っていました。家の外に出て、ローファーの踵を叩いてひっくり返しました。風に乗せられて寂しげに流れいく芝生の切れ端を、私は見えなくなるまで見守っていました。
それから私たちは毎日、共に登校しました。いつも私が先に煙草屋の前で待っていたのですが、一度だけ、遅れてしまったことがありました。
杉原は、毎日待たなくていい、と言うのに、その日は私が来るまで待っていてくれたのです。
「先輩を待たせるとは、一体どういう了見だ?」ケラケラと笑っていました。
六月になりました。私はまだ、学校生活に慣れず、クラスにも馴染めずに、孤立していました。
私は美術室で、絵を描きませんでした。学校の授業についていけなかったので、部活動の時間は授業の復習をしていました。
杉原何も言わずに見守ってくれていましたが、私が英語の勉強をしているときに、遂に話しかけてきました。
「今から言う事は、全く悪気は無いし、傷ついたら申し訳ないのだけれど、聞いてくれるか?
君はもしかしたら発達障害を患っているかもしれない。話を聞いて、一緒に居て、そう思った。自分でも気になっていると言っていたし、本当に気になるのなら、一度病院で調べてみるといいかもしれない。
自分の持つ個性に名前がつく事は、嫌になるかもしれないが、楽になるかもしれない。どう転ぶかは分からないが、結局、一生付き合っていかなければならない問題には違いない。
よく考えてから、ご両親に相談してみてはどうだ? 僕で良ければ相談に乗るよ、唯一の可愛い後輩だ」
今までずっと、私の無能は怠惰なせいだと言われ続けてきました。それが違う可能性があると提示され、すぐにでも調べてみたく思いました。
物事の結果を否定されるのは納得できたのですが、過程を否定されることはどうしても辛く、呪いのように纏わり付くのです。
私は家に帰ってから、早速母に相談しました。自分で自分を障害者と呼ぶことと、私を障害者かもしれないとと言った杉原に激怒しました。果ては、杉原の人格まで否定する始末です。
いくら母でも、それだけは許せなかったのです。初めて、怒鳴り合うような口論をして、なんとか母を折れさせて、私は精神科を受診する運びとなりました。それからしばらく、母と口を聞かなくなりました。
結局私は、やはりと言うべきでしょうか、発達障害でした。その中でも、学習障害と呼ばれているもので、教科書を読めなかったり、九九を覚えることができなかったり、あまつさえ平仮名を書けなかったのもそのせいだったのです。他にも併発していたそうですが、私は大して気になりませんでした。
その事実だけが免罪符のように、私を救ってくれたのです。神が、冷たい沼の奥深くに沈んでいる私を、掬い上げてくれたようでした。
ただ、母は変わってしまいました。私にひたすら泣きながら謝り、それは縋っているようでした。私は自分のディスアドバンテージを、生涯どうでもいいと思っていました。
母は胡散臭い発達障害の本を、家で読むようになったのです。偉人の名前をつらつらと並べては、彼らは発達障害の疑いがあったと嬉しそうに言うのです。それは、私に対して、精神に対する傷害でした。その期待は、重過ぎたのです。
無理矢理、幼少期のエピソードなどの類似点を探しては、嬉々として一々私に報告してくるのです。母が元から阿呆だったのか、私が母を阿呆にしてしまったのか分かりませんが、どうやら前者だったと思います。
私の人生はその日を境に変わったようで、あまり変わってなかったと思います。
ただ、一番嬉しかったのは、教科書の読み方を教えてもらったことです。学校の先生にではありません、病院の先生にです。
読んでいる行の文字以外は、ほかの白紙で隠してしまうのです。一行だけに集中できて、随分と捗るようになりました。
しかしそんな読み方をしているのは、クラスで私しかいません。周りの連中にはよく、知恵遅れと揶揄されました。私はそれでも、強くなった気でいました。障害者という強力な鎧を纏ったような、いえ、違います、鎧を脱ぎ捨て障害者であることを曝け出し、自分の身を守ったのです。
杉原だけは唯一、私に全く態度を変えませんでした。どれだけ私の心の支えになったでしょうか、感謝してもしきれません。
「障害は決してアドバンテージになるものだとは限らないのにな」しみじみと、今思い出しても心が温かくなり、大粒の涙がポロポロと溢れてしまいます。
杉原は基本的に大人びているのですが、時折中学生らしい一面が顔を覗かせるのです。私はそんな杉原が好きでした。
美術室でルービックキューブを取り出し、ゆっくりガチャガチャと色をバラバラにしてから、私に渡してきました。
「一面でいいから揃えてみな」言われ私は色を揃えようとしました。
十分もかけて真っ白い一面を揃えました。杉原に渡すと机の上に置いて、ルービックキューブを描き始めました。色の揃ったルービックキューブを画用紙に描いた後、裏に、色の揃ってないルービックキューブの絵を描きました。
私は美術の美の字も知りませんでしたが、二面性を両面に描くことは面白いと思ったのです。色の揃っているように見える世界も、他の面から見れば実はしっちゃかめっちゃかなのではないかと。あえて曝け出そうとはせずに、隠すように裏面に描いているのですから。崇高な皮肉は、胸に突き刺さりました。
中学生が考えそうな下らないことだ。そんな評価をさせる余地さえも、わざと残しているのではないか。杉原はオゾンと同じくらい高い位置から、嘲り見下しているのでないかと思いました。