上
──今年の夏休みに起きた事を、僕は一生忘れないだろう。
それは、夏休み直前、友人達で集まって夏休みの計画を話し合っていたことから始まった。
皆一人暮らしの為、金銭的に遠くに行くことは困難だった。せいぜい近くの川でキャンプとか安いホテルを取って観光とかそんな感じ。いかにも大学生っぽい……と思ったのは僕だけだろうか。
そうこうしているうちに一人のオカルトマニアが手を挙げた。
皆口を揃えて「心霊スポット以外で」と言うが、彼女は構うことなく心霊スポットに行こうと言った。
健吾「勘弁してくれ」
かんな「ホントマジで嫌なんだけど!」
竜介「せめてパワースポットとかにしてや〜」
玲子「ええ〜いいじゃん〜、夏休みに心霊スポットとかまさに大学生っぽいじゃん!」
僕「いや、川とか観光とかも充分大学生っぽいから」
オカルトマニアの子、名は『東堂玲子』
偏見かもしれないが、いかにもオカルトマニアっぽい名だ。
そして、イケイケギャル……を装っている真面目な子『阿藤かんな』
真面目なキャラ……を装っている元ヤンの『高須健吾』
バリバリ関西人……を装っている純関東人の『御岳竜介』
そして僕『矢神いつき』
計五人は夏休み、心霊スポットに行くことに……なってしまった。
玲子の勢いに負け、渋々了承してしまった感じになっていたが、どうもそれが原因ではないらしい。と言うのも皆拒みながらもワクワクした表情を抑えられていなかったからだ。
皆、興味があったのだ。
怖いのに心霊番組を観たくなるアレとよく似ている。
新幹線で三時間。一日二本しか来ないバスに乗り換えて二時間。そこから一時間ほど山中を歩いた先にある古ぼけた建物。
金銭的に遠くに行くのは無理だと言っていたことは、皆既に忘れてしまっていた。
玲子「昔は総合病院だったんだって」
かんな「こんな山奥に!?」
玲子「何でも昔はここも民家が建ち並んで栄えてたらしいよ」
今でも取り壊されずに建っている病院の廃墟。
玲子曰く、ここはネットにも載っていない場所で噂というものは何もないそうだ。
玲子が働いているメイド喫茶の常連のフリーライターから聞いたらしく、この病院の廃墟に人が住んでいるという。
玲子は多分それが生きている人ではないと思い、今回の旅行を提案したのだろう。
実際、こんな山奥の廃墟に人が住んでいるとは到底思えない。
健吾「俺……先行っていいか?」
突然健吾が病院の入り口に着くなり奥の暗闇を睨みつけてそう言った。
健吾はどちらかというと自ら先頭に立つような人間ではない。そんな彼が先に中に入りたがることに皆違和感を感じていた。
かんな「……なんで?」
かんなは何でもはっきりと言う子だった。
皆が躊躇していたことも平気で言える。
健吾はそれには答えず、僕らから目を逸らして中に入ろうとする。
竜介「ちょい待てや〜」
竜介の声にも反応せず彼は颯爽と入っていく……とその直前で玲子が健吾の手を掴みそれを制止した。
玲子「待ってよ! 一人で行くのは危険だって!」
オカルト好きだからこそ、玲子が恐らくこの中で一番冷静な判断ができる。
しかし、健吾は勢いよく振り返ると玲子の手を振りほどいた。その時の健吾の表情は何かに怯えるような、酷く焦っている様子だった。
そして健吾は叫びあげた。
健吾「もう漏れそうなんだよ!」
……。
…………。
健吾はそのまま病院奥へと走り去っていった。
かんな「……え、なに。トイレ行きたかっただけ?」
玲子「そこの茂みですれば良くない? 廃墟のトイレに入るとか……」
僕「いや、大の方なら茂みでは不可能だ」
全員「……なるほど」
僕らは健吾に続き、病院に入った。
病院内は真っ暗で中に入る途端に皆の姿も見えなくなった。
竜介「誰か懐中電灯持って来とらんの?」
僕「確か玲子持って来てたよな、懐中電灯」
玲子「あ、うん。ちょっと待って」
隣でガサゴソとリュックを弄る音がした。玲子が懐中電灯を探しているのだろう。
そして、カチッという音が病院内に響く。しかし……。
玲子「……あれ?」
僕「どうした?」
玲子「……点かない」
カチカチカチカチ……。
何度も何度もスイッチ音が響いているのに、一向に辺りが明るくならない。
玲子「え、何で! 何で点かないの!?」
僕「玲子、落ち着け!」
かんな「どういう事……。電気点かないの?」
竜介「……なんか寒くないかここ?」
どういうわけか懐中電灯の電気が点かなくなっていた。
僕「電池切れとかじゃないのか?」
玲子「ううん、だって昨日ちゃんと新しい電池用意してたもん……、あれ?」
僕「どうした?」
玲子「懐中電灯の中、電池……入ってない」
僕「……ん?」
玲子「……昨日、中に入ってた古い電池を抜いて、それで新しい電池用意して……」
僕「それで?」
玲子「……机に置いたまま来ちゃった」
僕には見えた。
暗闇の中、玲子が舌を出してテヘペロをしていることが。
その舌を引っこ抜いてやりたい。
仕方なくそれぞれスマホのライトを使うことにした。途中で充電が切れないように、順番を決めて一人ずつライトを使用する。
最初は僕のスマホのライトで前に進む。
辺りを一通り見回してみる。
……何かで裂いたような痕がくっきりと刻まれた無数の青いソファ。
……壁には、もう既に亡くなっている女優が写っている当時のポスターや、薄くて見えづらいが微かに『献血』の文字が書かれた広告ポスターなどが貼られている。
……床には埃や硝子が散乱しており、歩く度にジャリジャリと音が鳴る。
少し先には受付の窓口があった。
僕「ここって、いつの病院?」
玲子「……分かんない。けど、多分私らが生まれるずっと前には廃墟になってたと思う」
かんな「ねえ、こういう廃墟って大体落書きないっけ?」
かんなのその言葉にハッとした。
たしかに、こういった廃墟や心霊スポットには大抵スプレーで描かれたような落書きがある。それがこの廃墟にはない。
必ずしもそうとは限らないのだろうが、それがあるのとないのとではこの場所の安全性が大きく変わる。
ここには人が寄り付かない何かがある。山奥だからというだけが理由ではない。
僕にはそれが分かる。
受付を抜けると細い通路が続く。
所々赤黒く変色した箇所があった。恐らくカビだろう。
カツーンカツーンと、無数の足音が廊下に響く。
左右に設けられた数個の扉は全て固く閉ざされて入ることはできない。
玲子「全部閉まってる……」
僕「入り口は開いてたのに、中の扉は閉まってるのか、しかも全部」
かんな「おかしくない? 入り口こそ鍵かけるもんじゃないの」
竜介「何か重要なものが隠されてたり?」
僕「とりあえず、奥に進もう」
僕らがこの廃墟に来たのは確かに思い出づくりとか夏休みを満喫する為だとかそういった理由だ。けど、それだけでここに来たわけでもなかった。
玲子「いつき、何か感じる?」
僕「今の所は特に」
玲子は僕のことを知っている。
高校の時から周りに隠してきたそれを、大学入学式の時に人に見られてしまったのだ。その人というのが玲子だった。
玲子『ねえ、今……誰と話してたの?』
僕『あ……いや、何でもないよ!」
玲子『待って! 逃げないで!』
僕『違うんだ、今のは、その……』
玲子『君、もしかして幽霊が見えるの?』
僕『……そんなわけない』
玲子『うそ、見えるんでしょ?』
僕『……うん、見える』
そう答えると、玲子はまるで子供のようにはしゃいだ。玲子は……玲子だけは、僕の力を気味悪がらなかった。
玲子はオカルトマニアで、幽霊や妖怪などに興味を抱いていた。きっかけは父親が亡くなったこと。玲子は父親ともう一度逢う為にオカルトについて調べ始めたそうだ。
それ以降、玲子と一緒にいることが多くなり、気がつけば彼女と付き合っていた。といっても、付き合ったからといって何かが変わったわけでもなく。
けれど、玲子は僕に一度も父親を見つけてほしいとは言わなかった。玲子と初めて逢った時……僕がおじさんと話をしていたそれを見た時、真っ先に思ったはずなのに。幽霊が見えるなら父を探すこともできるのでは、と。
けれど彼女はそれを言わなかった。
ただ一度だけ、玲子は僕にお願いをした。
そのお願いというのは、『今も現世を彷徨っている幽霊を成仏させてほしい』というものだった。自分のことではなく、他人のことを考えている玲子を、僕は……哀れに思ってしまった。どうして自分のことを頼まないのか。死んだ父を見つけてほしいと言わないのか。
玲子『これは私のわがままだよ。これも歴とした私の頼みなんだから』
僕『お前はお父さんを見つけてほしいんじゃないのか』
玲子『ううん。いいのそれは。お父さんは、きっともう向こうに逝っちゃったから』
僕『……』
僕は何も言えなかった。ただ彼女は、幽霊のことを調べたから言っているのだ。
『幽霊は死んだ時の苦しみを永遠に感じ続ける』
そんな言葉が書かれた本を彼女が読んでいたのを見たから。
僕は幽霊を成仏させる方法を知っている。
それは、自分がもう死んでいるという事に気付かせる事。
その為には幽霊と干渉できることが必須となる。
だから、僕がいるのだ。
この旅行の目的は夏休みの思い出づくりだ。
けど、僕と玲子だけは違う。
この廃墟でずっと苦しみ続けている幽霊を成仏させる事……。
──その為にここに来た。