上中下の下
ひょっとして運転手付きの車で来たのかと思ったが、そんなことはなかった。駅まで歩く。道々女性たちが少年に振り返る。
駅に着き、私のぶんの切符も買ってくれた。ちょっと遠いところまで行くようだ。
歩いているときはお互い無言だったが、電車に乗ってしまえば手持ち無沙汰になり、少し話す。少年は高校一年生なんだそうだ。うーむと考え込むと、少年は少年で、ファーストコンタクトで私の反応が薄かったことに驚いていたそうだ。大抵の人は子供だとみて上から目線になるらしい。
お互いの食の好みを話していて、階級の違いを痛感させられる。高い物自慢はされないが、スーパーでも経営してるのかと思わされるほど冷凍食品や大量生産品に、好意的に詳しい。
俺よりもかなり多く食べているようなんだが、見た目ぜんぜん太る気配が見られない。代謝がいいのか?
ようやく駅に着き、高級住宅街を歩き、少年の家に到着する。
高級住宅地の中で、洋風か和風かといえばデザイナーズ系で落ち着いた現代和風なのだが、平屋だ。二階がない。門から玄関までが微妙に距離があり、玄関を開けると女性が拭き掃除をして「お帰りなさいませ」だ。
出されたスリッパに履き替え、少し歩かされ、庭の倉庫というか書庫に案内される。
俺が持っている蔵のイメージより広い。ここも平屋なんだが、中は本屋の倉庫か。
「何代も前から食にまつわる本を買い集めていましてね、本屋さんに新刊が出たら届けてもらうのですけど、さすがに個人宅ですので書籍だけです。雑誌は無理です」
「…いやー、たいしたもんだよ」
「人肉食は常食ではないぶん、発覚したら記録に載ることは確実ですから、集めればかなりの資料が見つかるんですよ。もちろん何冊も同じ事件を扱いますけどね。それを抜きにしても、結構見つかります」
「あぁ、なるほど、メジャーな宗教や法律が世界を席巻するまでは、禁忌にしてない地域も多かっただろうしね」
「けど味の感想や報告に信頼性が増すのは、やはり近代になってからですね。食文化が豊かになって語彙が豊富になって、それで読む方聞く方に想像が出来るようになります。それ以前の表現は直接過ぎて、幅が広すぎます。ざっと探して、この一角に集めておきましたが、取りこぼしはあるかもしれません、他の棚も見てみてください。別件でも参考になる話があるかもしれませんので」
了承すると、期限はだいたい一ヶ月程度、別に超しても構わないけど一応、予算はこれくらい、報酬も目安としてこれくらい、などとアバウトな約束をして、当座の交通費、電車賃だけもらった。それ以外は必要なときに書面で請求する。
ケチではない金持ちだろうとアバウトなまま了承するが、この子、一つ気がつかないのか黙っているのか言わないことがある。
私も別に善人ではないので、それを指摘しないで黙っておく。
書庫への通勤が始まる。
別に出社時間も退社時間も決めていないが、朝十時着、夕方五時帰宅のサイクルにする。
目的がある本の読み方なので、本の中に必要な情報がないかパラパラッとページをめくり、あったらノートにとったりノートパソコンに書いてネットで検索する毎日だ。書庫にwifiが繋がるのはさすがに今様である。
本屋から購入と言っていたとおり、もっとアンダーグラウンドで危険な世界から購入していたらレシピが書かれている本もあるんだろうけど、そのものずばりの記載は見つからない。危ない内容であっても健全な出版社から出ている本ばかりなので、感想から作り方を想像することになる。
味は、やはり鶏肉をベースにすべきであろう。他の肉は例え話に採り上げられていない。
しかし大昔の人や戦時中の人が、最近出回るようになった食材を知ってるわけがないんだから、そこは難しい。たとえば現代人でも熊の肉とかワニの肉を食べたことがある人は、少ないだろう。であれば極限状態に陥って食べざるを得なくなった人がそれらを食べたことがあるとは思えず、例に挙げることもないだろう。
また調理法も極限状況下では「焼く」一択である。「蒸す」なんて道具がなければ無理だし、「炒める」もなぁ。しかも最近は「低温調理法」が言われるようになり、密封して60℃くらいのお湯で長時間煮るなんて、発想すらないだろうし。食べた人が例に挙げない食材でも調理法によっては近づけるかもしれないが、こっちは実物を口にするわけにはいかないのだから、そこは挑戦しても意味がないだろう。
肉については想像にも限界があるが、血については現代の方が詳しい。医学はできれば代替血液を作りたいだろうから研究がディープで、非常に豊富なデータが揃っている。しかも口の中を切ったり傷口を舐めたりして味については解らないということはない。
お手伝いさんが作ってくれる昼食が美味しいので調査も試作もはかどる。
そういえばこの家にはお手伝いさんや執事の人はいるのだが、料理人はいないそうだ。食事はお手伝いさんが持ち回りで作るのだが、〝料理〟となると、お客を呼んだり一族が集まるときに作られる畏まったものを指すようで、そのときには外から料理人を呼ぶのだそうだ。庶民には解らないこだわりがあるのだろう。
そんなこんなで研究は順調に進み、あくまで俺が想像する「代替人肉料理」は(こんな感じかな)というところに落ち着いた。
実食会は、少年の他に父親と母親、そしてしわくちゃで小さな老人が三人。祖父二人と血縁者だそうだ。計六人が座ったのだが、この老人の異様さもあってか両親は最初の挨拶以外黙っている。俺のことを相手にしないのではなく、三人の老人が畏れ多いのだろう、とても緊張している。
その三人は三人で、ニヤニヤ笑っているのだか元からそういう表情なのか、若造の俺には全く見当がつかないが、楽しみじゃ楽しみじゃと話し合っている。そんな中で少年はマイペースである。
前置きも説明もなく、考え抜いた一皿を配る。何品かとかコース料理など無理だ。
鶏肉が基本で、マンガ肉みたいな形成もできなかった。焼き加減と味付けでいっぱいいっぱいである。
六人はナイフ、フォーク、箸それぞれ慣れたものを使っていて口にするのだが、三人の「ふぉっふぉっふぉ」という笑い以外は、反応がない。親子にしてみれば美味い(と思ってくれているのを願うが)鶏肉料理と代替人肉料理の違いが解らないので、(う…ん、これなのか)としか思えないのだろうが、老人三人の笑いは若造の俺にはどう解釈していいのかが解らない。
まぁ皿をひっくり返されなかったことで、口に合わないものだとしても「食えたもんじゃない」という最悪な結果ではないのだと思おう。
食べ終わってからお褒めの言葉をいただくのだが、依頼されたことが成功なのか失敗なのかの判断はとうとうつかなかった。
大人五人が退出し、少年から次の依頼をしていいか聞かれるが、疲れ果てたし結果どうだったんだとモヤモヤ感が拭えないので、とりあえず保留にしてもらった。あの書庫には魅力がたっぷりあるので、縁はつなげておきたいが、それだけにこちらも相応の腕前を磨かないといけない。
とにかく休みが欲しい。
そして…少年がとうとう言わなかった条件、〝この家の外でこの料理を作ること〟で結果を確かめたい。
俺に真っ当な友人しかいないわけではない、口が堅く、ダークサイドの住人ではないがこういうことに理解がある奴は、何人かいるのだ。そいつらに食べさせて、当たっているのか外れているのかを判断する情報を探してもらおう。
次の行動は、そこからだ。
YouTubeに創作朗読としてアップした話の原稿です。http://bit.ly/30MxZQh




