上中下の上
第03話「まな板」の前日談です。
数字話主人公とは別人物ですし、
この話の語り手はこの話で数字話主人公とは会っていません。
俺が料理を作るようになったのは、ただの気まぐれだ。本を見ていてへぇと思って作ってみたら出来た、それだけだ。
出会った奴らに話を聞いてみると、作り方の本を読んだりネットで調べたりしても、最初は大抵失敗する、それが選り分けになっているようで、嫌になって作るのを止める奴と、考えたり工夫したりして作れるようになる奴と分かれるようだ。
俺はそんなことはなかった。書いてあるとおりにやったら出来た。大抵の奴が「できねーよ!」と思うことも俺には起こらなかった。
たんに適性の問題だろうか、才能なんかではないと思う、説明をした奴が表現しきれなかった角度とかスピードとか、そういったものが偶然なぞらえることが出来たんだと思う。
だから作れても、それほど楽しくない。ただ組み立てている感覚だ。
味もよく解らない。
作りたてのバターは美味いと言われても、生クリームからバターを作ったって売られているものとの違いなぞ全く解らない。ご飯を炊くのも三十年前の電気炊飯器、現在の電気炊飯器、機会があって竈で炊いたものなど食べ比べてみても、そんなに味が違うとは思えない。というか自分で作って「うわ!美味い!」なんて思ったことは一度もない。
だから他人が食べてくれたのは、母親と当時付き合っていた女性の二人で、二人とも「美味しい」とは言ってくれたが、身贔屓ではないかと信じられない。
でもまぁ食べてもらって酷いことも言われないし、自分でも手持ちぶさた、手慰みという感じで、作ること自体は好きなようだ。
自分の舌に自信は持てないが、作っていて色、匂い、粘り、固さ、音などなど、そういう味以外のことに全神経を使う。結構疲れるが、ジャストなところで手を止められたときには、さすがに気分が高揚する。
その後、その付き合っていた女性のご両親にも食べてもらうことになり、そのお父さんから頼まれて、お父さんの仕事先の人との会食に作ることになったことはあった。
あまり責任が大きいことには関わり合いたくないのだが、付き合っている女性の父親の機嫌をとることは大切だ、昼食を作ることになり、嫌いな食べ物とか食べられない食べ物とかを聞き、メニューを考え、やってみた。
好評だったのは不評なことよりは嬉しいが、別に大して嬉しくもない。しかし社交の場でもあるので愛想笑いをしないといけない。
こんなことが続くのかなと思っていたら、女性と別れることになり、ご両親との縁も切れた。
人生何があるか解らない。