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side:公爵の事情6



 2度目の訪問を、サイラスは渋面を露わにしながらもなんとか受け入れてくれた。

 しかし、招き入れられた応接室に、あの元女騎士の姿はなかった。聞くと、彼女は1年半ほど前に亡くなったのだという。


 元女騎士不在の部屋には、以前ほどの張り詰めた空気はなかった。



 やはり彼女を妻として迎えたい。しかし、長い婚約期間を置いても、そのあいだ彼女を卑しい連中の悪意に晒すだけだ。だから、婚姻は可能な限り早くしたい——そうクリュセルドが伝えると、サイラスは困惑を露わにした。


「閣下がどうして娘にそれほどこだわるのかわかりません。親としては可愛いが、貴族の妻には向かない気性の子です。……いや、いつまでもそう言っていられないのは分かっていますが」

「前にも申し上げましたが、私は、彼女の明るさが何より好ましい。彼女と出会う度に、私は——自分の悩みであるとか、後ろ向きな気持ちを全て忘れてしまう。それは、長年彼女と共に過ごして来た、サイラス殿にもよくわかるはず」


 多少の気恥ずかしさを感じながらも、クリュセルドは正直に答えた。なりふり構っていられる状況ではなかった。


「こちらの事情に巻き込もうとして、申し訳ない。亡くなったご母堂の懸念もお考えももっともだと思います。……だが、それでも。あなた方のお怒りを買うとしても、私は彼女を妻として迎えたい」


 嘘偽りのない熱心な言葉に、サイラスは多少表情を緩める。それでも、彼がはっきりとした返事を寄越すことはなかった。


 せめて砕けるくらいはするつもりでこの場に来た。サイラスの了承が得られないなら、本人と直接話そう。

 そう思いクリュセルドは応接室の扉に目を向けた。


「……彼女は、今日はこちらに?」

「いえ、おりません」


 その返答にクリュセルドが訝しさを感じると、それを察したらしきサイラスは慌てて首を振った。


「会わせまいとしているわけではありません。私の妹の所に用があって出掛けておりまして。5日ほどすれば、戻ってくると思いますが」

「……」


 数日は余裕を持ってバルト領を訪れたが、5日というのは流石に無理のある日数だった。

 クリュセルドは決して暇ではない。今日も多忙のなか、無理やり都合をつけてこの辺境の地に赴いた。

 5日ここでカトレアを待つことも、彼女のために城とバルト家の屋敷を往復することも現実的とは言えなかった。


 どうして決意した矢先に、こうもタイミング悪く彼女とすれ違うのか。

時間はない。何か、手を考えねば——


 そう考えたところで、サイラスが唐突に言葉を発した。


「……あの子は、裏表のないいい子です。正義感があって、他者を思いやる優しさもある。あと、丈夫で基本的に病気をしません。

 だが、とにかく手に負えない。考えるより先に体が動く性質たちのせいで、しょっちゅう騒ぎを起こしますし、捕まえようとしても、妙にすばしっこくてすぐに逃げ出します。屋敷の中を走り回って、ひどくお騒がせするかも」


 はじめ、急に飼っている犬の話でも始めたのかと思い、首を捻りそうだったクリュセルドは慌てて背筋を伸ばした。よくよく聞くと、サイラスの娘のことだった。


「かつて両親が健在だった頃は、我が城館も常に大勢の人で溢れていて、とても賑やかなものでした。彼女が城に、少しでも当時のような活気をもたらしてくれるなら、私も嬉しい」


 口下手なりに、必死で言葉を返す。

 セレニアは家族に反対されても攫ってしまえ、と過激なことを主張していたが、クリュセルドとしては、バルト家の人々に祝福された上でカトレアを迎えたかった。

 それに、これほど家族や領民に愛されている彼女が、強引な連れ去りを喜ぶはずがない。


「私には、彼女のあの溌剌さが必要です。だからこそ、恥を捨てて再度お願いに参りました。……サイラス殿。どうか、彼女との婚姻をお許し頂きたい」

「……」

 

 しばらく、クリュセルドとサイラスの視線が混じり、お互い息すらできない時間が続いた。

 ちりちりと緊迫した空気が肌を焼く。



 ……が、やがてサイラスの方が広い肩をすっと落とし、1つ深呼吸した。

 緊迫していたはずの空気が、その瞬間緩まった。


「閣下もご多忙でしょう。娘を待つ必要はありません。どうぞお帰り下さい」

「サイラス殿、私は」

「娘には私から話します。それでもし、カトレアが閣下の下に嫁ぎたいと言うのなら……話せばどうなるか、結果は見えているのですが……。

 ……どうぞ、宜しくお願いします」


 そう言って、サイラスは巨躯を窮屈そうに折り曲げ、頭を下げた。


 彼がどうして2年前から心変わりしたのか、クリュセルドには理由がわからなかった。

 しかしサイラスの言葉は、カトレアに婚姻の意思さえあれば、それを認めるというもので。


 感極まってクリュセルドが口を開こうとすると、「ただし」と、釘をさすような低い声が響いた。


「娘が嫌だと言うなら話は別です。その場合は、この話もこれで最後にして頂きたい」

「……もちろん、承知しております」


 浮かれかけた気持ちを押さえつけ、頷く。まだ彼女の了承が得られたわけではないのだ。調子に乗るべきではない。

 それでも、久方ぶりにクリュセルドが口角を上げていると、彼を見つめるサイラスが、ぼそりと呟いた。



「あの世へ行く日が憂鬱だ」



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