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前編

「お隣、よろしいでしょうか」


 近づいている人の気配にはすでに気づいていたが、控えめに声をかけられて、初めて私はスケッチブックから顔を上げた。上げると同時に公園内の景色をざっと一瞥し、誰もいないベンチがいくつもあるのを確認する。思わず怪訝や呆れが表が出そうになったが、相手が気弱そうな女子高生であったから、なるべくは引っ込めるよう努力した。


 相手が女子高生とわかったのは、彼女が冬用の制服を着ていたからだ。セーラー服の上にカーディガンを羽織り、三つ編みに眼鏡。型にはまったような委員長スタイルだ。思春期らしい純情に大人びた分別のエッセンスを加えたような佇まいの少女で、スケッチしている私に気を遣って正面に立つのを避けていたのは好感がもてる。もっとも、「最高の一作の邪魔をするな」と思えるほど私も必死に描いていたわけではなかったが。


 儚げな少女を拒絶するような大人げないマネをする気もなかったので、私は空いているベンチの隣に彼女をすすめた。


「……静かにしてくれるなら、別に構わないが」

「ありがとうございます……」


 少女は心からの謝意と喜びを大人しめな微笑に浮かべ、私のところにちょこんと腰を下ろした。カバンから文庫本を取り出し、ぱらぱらとページをめくり始める。その音を聞きながら、私も再びスケッチに取りかかった。色鉛筆を何本も使い分けて、紅葉に彩られた公園を紙面に描き出そうとしたが、すぐさま近くから視線があることに気づいた。ちらりと横に目をやると、メガネの少女が急いで視線を本に戻しているのが見える。少し悪戯心を起こして首ごと振り返ってみると、少女は完全にパニックを起こしたように慌てふためき、必死に取り繕おうとするも即座に観念したようすで肩を落とした。ほのかにウットリしたような声がこぼれる。


「……絵、お上手、なのですね」

「そんなことはないだろう」

「いいえ、とても素晴らしいです。……芸術家の方ですか?」


 私は苦笑したかもしれなかった。


「このていどの絵じゃ食っていけないさ。私は芸術関係どころか、まともな職にも就けてないフリーターなんだよ」

「……………………」


 少女が限りなく返答に困っていたので、私は話題を変えることにした。


「……その制服、なつかしいな」

「えっ……?」

「私も昔、その制服を着ていたものだ」

「そうなんですか。じゃあ、わたしにとって……先輩ということですね」

「センパイ、か……」


 心がくすぐられるのと同時に心苦しさが私の中にあった。少女の格好から感じられた懐かしさは、同時に私の現状に対する惨めさを浮き彫りにさせたからだ。芸術学科を卒業したものの、就職活動にけつまずき、バイトで食いつないでいる毎日。色鉛筆の素描は在学時の前からの趣味であるが、実力も喧伝能力も中途半端で飯のタネになる可能性はきわめて低い。


 そんな私からすれば、制服姿の彼女は無限大の未来を約束された、あまりにも眩しすぎる存在のように思えて、なんとも居心地が悪い。こんな私を先輩と見てくれることにかえって申し訳ない気分になっていた。


 無言でお互いそれぞれのことをしているうちに、バイトに行かなければならない時間が迫ってきていた。私はスケッチブックを閉じて立ち上がると、隣にいた少女は敬慕の意思もそのままに尋ねてきた。


「……あの、また、絵を見に来てもいいですか?」

「物好きな子なんだな。まあ好きにすればいい」

「この時間にうかがえば、会えますか……?」

「ああ、バイトに向かうまでの時間までなら問題ない」


 彼女を拒まなかったことを、私自身が不思議に思っている。彼女と同じ制服を着ていたころから他人と距離をおいていた私が、彼女が去ろうとすることにわずかながらの名残惜しさを感じてしまう。思えば、仕事以外での何気ない会話は随分と久しぶりであった。それが心温まるものであるということは、しばらく忘れていたのだが。


 別れる際、制服姿の少女は私に丁寧に会釈をしてくれた。ひときわ眩しく感じられた夕日が、紅葉より鮮やかに、私の脳裏を色づかせていた。


  ◇  ◆  ◇


 正直、私が外で素描に励むのは単なる気晴らしによるものが大きく、やめようと思えばいつでもやめることができるのだ。実際、気が乗らないときは頻繁にサボっていたものだが、何もかもがきらめいて映った小学生時代に似た気持ちで公園に向かえたのは新鮮だ。


 少女との三日目、三回目の出会いである。そこまで顔を合わせると多少彼女に騒がれても気にならなくなっていたが、少女のほうは相変わらず縮こまったようすのままだ。だが、私が描き終えたスケッチブックを貸し与えると、彼女はキレイなガラス玉を発見した童女のような目の輝きを示した。


「わあ……! 公園の四季全部描かれている……。他の景色もすごく丁寧に描き込まれていて、本当にステキです……」

「ま、重度の暇人とも言えなくもないかな。夏は麦わら帽を被り、汗だくになってまで描いてて、冬は雪を払ってわざわざ冷たいベンチに座ったものだから、かなりの物好きでもある」


 意地悪い笑みを浮かべて私は応じた。年の差と相手の謙虚さが私に精神的余裕を与えてくれたようである。少女は「そんなことありません……」と控えめながら確固とした口調で言い返したが、せっかくの意気込みも自身の腹の虫で台無しにしてしまった。


「あうぅぅう~……」


 赤面とともに、そのまま消えてしまいそうな勢いで少女は小さくなっていた。私はおやおやと苦笑すると、カバンの中から包み布を取り出して、その結び目をほどいてみせた。透明なラップに包まれた白いいびつな球体が三つ、布の上で鎮座されている。


 私はその一つを取り出して、少女に差し出した。


「食べるかい?」

「えっ、このおにぎり……ですか?」

「ああ、私がにぎったからこんな形になってしまった。一種の芸術品だな」


 私の冗談に構う余裕もなく、少女は差し出されたおむすびに萎縮しきっていた。


「そんな、悪いですよ。先輩のお夜食ですのに……」


 私が夜勤のバイトに通っていることは、昨日、彼女に話したのだ。


「一個抜いたところで倒れやしないさ。育ち盛りがやせ我慢するんじゃない」


 私の説得に彼女はあっさり折れ曲がり、何やら仰々しい手つきで白米の塊を取り上げた。


「すいません……。実は今朝、寝坊してお弁当が準備できず、お昼は購買のパン一個で済ませたんです」

「君は、自分で弁当を作っているのか?」

「はい……。両親が共働きで、私の料理を作る暇もないんです。お金は置いてってくれるんですが、一人になってから料理にはまりましたので」


 言いながら、少女はラップをまくり、おにぎりにかじりつく。

 私は固唾を呑んで彼女のようすを見た。形はともかく、味は料理が得意でない私が食べても問題ないレベルにはなっているはずなのだが。


 一口食した彼女は、熱い吐息まじりの声を漏らした。


「おいしい……」

「そうでもないだろう。普通に握ったんだから」

「それでも、おいしいんです……とても」


 涙ぐむほどでもないと思うが、お弁当を自作するというくらいだ。親の手料理を滅多に食べられなかったのかもしれない。自分の親がこのていどの料理の腕なら、私はイヤだなあ。


「そういえば、中身のほうは大丈夫だったか? 嫌いな具だったらすまない」

「いえ、好きですから……おかか」


 それはよかった。私の関心はもはや公園の景色よりも制服姿の少女にとらわれてしまったようだ。私は彼女のことを『育ち盛り』と言ってしまったが、世代の違いか個人の違いか、カーディガンを押し出しているそれは私よりも恵まれていた。私が勝っているところなど背しかないようであり、それものっぽであることを裏付けられているようで自慢にもならない。


 少女はハムハムという擬音が似合いそうな動きでいびつなおにぎりを平らげ、それから子供っぽい仕草で口元に付いていた米粒を払って口に入れた。そのようすを私に見られたものだから、気づいた少女の恥じらいぶりは実に見事なものだった。思わず私が止めに入り、彼女はようやく落ち着きを取り戻すことができたが、これ以上の醜態を見せないためにも撤退の方針をとったようだ。


「わっ、わたし、そろそろ帰らないと……! あのっ、おにぎり、ごちそうさまでした……」


 君の料理もいずれ食べてみたいものだ。


 むろん、そのようなことを口にできる状況ではなく、私はほのかに甘酸っぱい気持ちを抱きながら彼女の慌ただしい背中を見送った。


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