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金色の花を探して  作者: 秀月
聖ネルベンレート王国
9/93

1-9:笑いのツボ

「フェルナン?」


 星南の細い声がした。呼ばれて意識を戻したフェルナンは、手袋を外した左手で耳のカフスに触れる。その指をパチンと鳴らすと、慣れた痛みを感じた。


『女神の慈悲を受けし月 またたく星は意味を持ち 忘れえぬ日に 焦がれるだろう 青き忘却の火を灯せ――――勿忘草の青(ミヨゾティス)


 ボッと音をたてて、指先に水色の火が灯る。それを直ぐに星南の方に向けてやると、腰を抜かしてドン引きされた。


「…………」


 フェルナンにギロリと睨まれた星南は、慌てて首を横に振る。違うんです、人魂が怖いなんて歳じゃありませんから、という意味だ。しかし、唯一の光を手にした青年の目は、完全に座ってしまった。


「ご、ごめんなさいっ!実はちょっと怖かった、というか…………でも無いと困るというか!あぁっ!!消さないでーっ!」


 どうやら弁明しているらしい。流石にフェルナンにも分かった。俺は既に、溜息が止まらないやまいを患ったに違いない。街に戻ったら、本物の薬草師に頭痛薬の処方を頼んだ方が良いだろう。額を押さえた青年は、遂に無知の恐ろしさにくっした。


「…………頼むから、もう黙っていてくれ」

「はい…………」


 星南は仕方なく諦めた。何を言っても、通じる事は無いのだ。弁明しても、魔法なのかと尋ねても、凄いねと誉めても。私は馬としか話せない。この配線ミスをやらかした神様を、やっぱり恨まずにはいられなかった。


 フェルナンは暫く無言で額を押さえていたが、何度目になるか分からない溜息をついて、人魂を頭上に放り投げた。それはふわり空中に静止して、より広い範囲を青白く染め上げる。


「お前、留守番くらいは出来るんだろうな?」

「はいっ!」


 威勢良く返事をして、星南はサーッと青くなった。留守番という事は、人魂と一緒において行かれるのだ。真っ暗で、音も風も無い、巨木の森の中に。


「…………出来ないのか」


 その声には、やっぱり、という何かが滲んでいる。気不味いながらも、おずおず見上げて様子を窺うと、彼は腰に下げていた剣をひとふり外して差し出してきた。


「護身用に持たせてやる。怖きゃ、目でも瞑ってろ…………もうじきダヴィドさん達が戻って来るから」


 やっぱりおいて行く事は決定らしい。見た目以上に重さのある剣を抱え、星南は青白い光を見上げた。


「…………あれは、光の女神の加護だ。お前を追いかけ回したりしないから、安心しろ。ちゃんと戻って来るから、此処に居てくれ」


 彼にしては、随分と優しい口調だった。星南は長い剣を抱えて、渋々頷く。足手まといにしかならないのに、一緒に行きたいなどと主張出来るはずがない。それでも、武器を持たせて貰えただけで、気持ちが不思議と落ち着いた。


 もう一度星南を見下ろしたフェルナンは、長い溜息をついて巨木の陰に消えて行く。ちゃんと見えているのだろうか。心配になる程、辺りは暗い。


 地面に座り込んだまま、星南はずっとフェルナンの消えた闇に目を凝らしていた。何もする事がない。それは本来幸せな事だったのに、今はとても惨めに思える。役に立たないなんて、努力が足りない証拠ではないか。そんな風に、会社の上司は怒っていたっけ。そう思い出すと、余計に何かしなくてはいけない気分になってきた。


「魔法、なのかな?」


 見上げた先にある、青白い光。フェルナンは詩のような言葉を呟いていた。


「見よぞ、ティす?」


 耳に残った最後の部分だけ真似してみたが、当然何も起こらない。思わず剣を抱き締めると、カチャッと小さな音をたてた。ウスタージュは何時帰って来るのだろう。ちょっと怖いダヴィドさんより、彼がいい。話しやすいし、人当たりも良いし。何より、裏表の無さそうな性格が安心出来た。


「今日は土曜日の夜、かぁ」


 電話すると約束した友は、怒っているだろうか。心配して家に来るという事は無い筈だけれど。あの後、玄関はどうなってしまったのだろう。きっと鍵は閉まっていない。


 私が持っているからだ。


 左の手袋の中に隠していた、何の変哲もない家の鍵。唯一持つ事が出来た、自分の物。右手でそれの輪郭をなぞる。すっかり体温に馴染んでいて、体の一部みたいだ。もしも明日中に戻る事が出来れば、何事も無かったかのように出来るだろうに。


「そんなに都合よく行くんなら、こんなところに居ない、か」


 星南は自嘲気味に呟いた。運が悪かったのだ。昨年、両親を交通事故で亡くして以来、悪い事ばかりが続いてきた。このまま失踪扱いになっても、誰も不思議に思わない気さえする。父親の親戚は遺産だ何だと大揉めだし、母方の親戚は医者の家系だけれど、昔から私を毛嫌いしていた。


「トドメとばかりに職場がブラックじゃぁ…………失踪待ったなし、だよねぇ」


 何処で普通の人生を踏み外してしまったのだろう。星南は抱えた膝に頭を伏せた。


 帰りたいのは、田舎の実家だ。


 もう戻る事の出来ない、楽しい思い出の詰まった古い家。進学さえしなければ、大学に行こうとしなければ、仲良く両親と天国に行けたかもしれないのに。


 パキンッと近くで音がした。


 びっくりして剣を抱きしめる。キョロキョロ辺りを見回すと、松明たいまつの明かりが森の奥に見えた。暖色の光が照らすのは、二人の影と二頭の馬だ。


 本当に、すぐ帰って来たんだ。


 いつの間にか零れていた涙を袖で拭き、星南は立ち上がった。早く天国に行きたいなんて思っちゃ駄目だ。二人の分まで頑張らないと。死んだ後に母さんにこっぴどいく叱られるなんて、御免だ。


「寂しい思いを、させたようですね」


 近くに来たエルネスが、星南の頭を撫でた。フードを被っていない彼は、サラサラの黒髪に縁取られた麗しい顔に、にこりと優しげな笑みを浮かべる。目線を合わせるように屈んだその肩に手を置いたのは、ウェーブするオレンジの髪のダヴィドだ。


「泣くこと無いだろう?故郷に近くて恋しくなったのか?」


 もう故郷ネタはやめて欲しい。星南は自分の胸に空いてしまった穴が何かを、悟った。歳と共に煙たい事が多くなった両親の死が、こんなにも癒えていない。


「貴女がどんな理由で、結界を越えたかは分かりませんが…………あの壁を再び抜けるには、十年待たねばなりません」

「しかも、完全に消失する訳じゃない。確実に戻れるとは期待するなよ?」

「…………はい」


 そんなところに、帰りたい場所は無い。


 泣かせにこないで。泣き虫な自分とは、もう別れたのだ。


「セーナ、泣かないでください。青石の国(アジュール)に辿り着けないのは、我々も同じです」

「辿り着けたとしても、墓の前で祈るくらいしか用は無いがな」


 お墓?


 その単語に、星南の肩が僅かに跳ねた。エルネスはすかさず、尊い女性の永眠の土地なんですよ、と言葉をかける。


「クレールという神人しんじんの女性だ。知っているか?」


 星南は袖に涙を押し付けた。泣いている場合じゃない。自分の祖国だと思われている国の話を、二人は今しているのだ。


 アジュールという国の蛇使い。結界という何か。亡くなったというクレールさん――――お墓参り。


 どれも分からない。


 開き直って知らないと言ったら、どうするだろう。ウスタージュは気にしないような気がする。なんだかんだ言って、フェルナンも見捨てたりしないだろう。でも、この二人は分からない。


「…………無理に答えなくても、良いんですよ」


 エルネスがそっと髪を梳く。ゆるゆる顔を上げると、すぐに頬に手を添えられた。


「街に戻ったら、ハンカチを探さなければ。硬い袖で目を擦ると、腫れてしまいます」

「…………はい」

青石の国(アジュール)は二百年余り鎖国状態だ。アングラードの市場は、楽しめるかもしれんな」


 そう言って、ダヴィドが星南の手から剣を取り上げる。


「こんなものを持たせるなんて、フェルナンは何を考えてるんだ?」

「あのっ!」

「駄目だぞ。子どもが持つ物じゃない」

「セーナは、此方にいらっしゃい」

「オイデ」


 エルネスに手綱を引かれていたナディーヌ号も、星南を呼んだ。もう蛇人族の話はお終いなのだろうか。どうにか情報を引き出さないと、いつボロが出るか分からない。頭上で音無く燃える青白い炎。それを見上げていると、みよぞてぃす、と耳に残った言葉が口から滑り出ていた。


勿忘草の青(ミヨゾティス)ですよ」


 すぐにエルネスが反応する。彼は左の手袋を外すと少し目を伏せ、スッと髪に差し入れ指を顔の横でパチンと鳴らした。


大樹たいじゅに添いしつたの葉よ 艶やかなりし影の葉よ この手に寄りて悪しきを祓え――――木蔦の緑(リエール)


 地面から急成長した蔦が、ドーム状に頭上を覆う。口を開けて見上げる星南を、エルネスはくすくす笑った。


色使いろつかいが珍しいですか」

「えっ、えぇと…………」


 もしかしてこの世界の人は、標準的に魔法が使えてしまうのだろうか。星南はじわりと焦りを覚えた。肯定したら、何故知らないと思われそうだ。けれど否定したら、やってみせろと言われそう。ならば断然、後者の方が困る!


 星南は頷いた。色使いなんて知りません。こうなったら、世間知らずを全面に出していこう。服さえまともに着られなかったのだ。変に頭を使っても、それでボロが出たらきっとおしまいになる。


「そんなに必死にならなくても」


 エルネスはまだ笑っていた。ダヴィドが、ぽんと頭に手を乗せてくる。


「気を付けろよ。色使いは力を行使し過ぎると、欲求不満になるんだ」

「ダヴィド――――」


 笑いを苦笑に変えたエルネスがたしなめる。


「事実だろうが。金糸雀カナリには二人も居るんだぞ」


 ぽん、とダヴィドはもう一度星南の頭を撫でた。


「いいか、夜に二人っきりになるんじゃないぞ。色使いの男は全員、初心者向けじゃないからな」

「なんて事を教えているんですか、貴方は」

「無知な子どもに真実を教えて、何が悪い」


 星南はそそくさと、ナディーヌ号の方に逃げ出した。思いっきり下ネタを聞かされてしまったようだ。知りたいのは夜の事情ではなく、蛇人族の事だったのに。何処の世界でも男の人ってこうなのだろうか。そんな事も知りたくは無かった。


「ほら、セーナが引いていますよ」

「いいぞセナ。エルネスに近寄るんじゃない」

「…………ダヴィド、貴方それでも知識者フィロゾフですか」

「そうだぞ、これでも知識者フィロゾフだ」

「ふぃろぞふ?」


 おうむ返しに星南は言った。世間知らずで開き直ったら、知らない名詞が気になったのだ。


「そういえば、最近の言葉でしたね」


 都合の良い事に、エルネスはそう言って意味を教えてくれた。


知識者フィロゾフとは、百歳を超えた若者を指す言葉です。知識ある者、という言い方が、何時の間にか短くなったんですよ。元は、寿命の短い獣人族達が言い始めたんですけど、すっかり定着してしまいましたね」

「百歳の若者?」

「セーナは知識者フィロゾフですか?」

「まさか」


 思わず首を振って否定した。百歳の若者ってなんだろう。明らかに若者って歳じゃない。


「私が知識者フィロゾフに見えないって、顔をしていますね」

「もしかして、からかってます?」


 嘘だよね、という気持ちを込めて尋ねてみると、エルネスはもう堪え切れない、と言うように笑い出した。


「お前、どれだけ大人げない事をやらかしたんだ?」

「ねぇセーナ、ダヴィドも知識者フィロゾフに見えませんよね?」

「はい!」

「なにっ!?」


 琥珀色の瞳をぎょっと見開いたダヴィドが、大きな手でパシッと額を押さえた。


「セーナ、私は幾つくらいの歳に見えますか?」


 エルネスが笑いを堪えて聞いてくる。


三十歳付近アラサーかなぁ、と」

「あぁ、そうでした。特異言語セリュレオムは、数字も発音が違うんでしたっけ」

「えーと」


 そう言われた星南は、スリーピースをして見せた。


「実に良いですよ、セーナ。ダヴィドはどうです?」


 同じく三本の指を立てて見せると、見る目が無いぞ、とダヴィドは腰に手を当てて抗議した。


「俺は今年で二百九十歳だ。一番年長なんだぞ?」

「えーと、二十九の事でしょう?百円を百万円って言う感じなんだ?」

「無駄ですよダヴィド」

「お前なぁ…………」

「そうだ、フェルナンはどうです?」

「うーん、二十くらい?」

「ウスタージュはどうなんだ?」

「二十五!」


 二人はどっと笑った。


「フェルが最年少ですか!」

「これはいいネタになるぞ。怒り狂うだろうな、あいつ。いいか、絶対に本人に言うなよ?」

「は、はい…………?」


 どうやら、笑いのツボが違うらしい。

 

 

 

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