3-21:黒色病
星南は口を押えた。
今更だ。そんな事をしても、きっと元通りにはならない。一瞬で人妻になれる、この世界。王様も同じ原理だと、思い至れば良かった。
顔を歪めたフェルナンの、緑と黄色の眼差しは鋭い。それがエヴァから逸れて、こちらに向いた。俯く前髪が陰になり、いっそう暗い顔になる。けれど何かが違って見えた。
悔しそう…………?
ふてくされた雰囲気なのは、何故だろう。もしかしてこれは、ダヴィドさんの作戦だったり、するのだろうか?彼は思惑を知っている。駒になるのはイヤかもしれない。
星南はピンと閃いた。だから抵抗しなかった。
安堵と共に自信が湧いた。リーダーは采配が上手いのだ。見えないその手が導くその先に、悲しい未来はないだろう。
「花冠って、私が決めてもいいの?」
気を取り直して尋ねると、エヴァはにこりと微笑んだ。童顔腹黒、しかも神様みたいな神人だ。彼がいる限り勝ち目はない。
「うん、勿論だよ。何なら僕のをあげようか?」
「何でそうなる、お前のだけは要らねぇよ!」
「エヴァの花冠、長いじゃん!」
「えー?」
この人、本当にマイペースだ。それに釣られると痛い目を見る。ぎゅっと拳を握ると、短い爪が手のひらに食い込んだ。命を脅かされた訳じゃない。恐い事はもっとある。
作戦の事を話してくれなかったのは、聞けば演技になるからだ。そういう事は苦手だって、きっと知られてる。
星南はフェルナンを窺った。
「どんな花冠がいいの?」
「…………お前が決めろ」
「まるなげ…………」
やる気のない態度でも、彼はしっかり星南を抱えたままだった。守られている。連れて行かれないように、してくれている。これ以上のヒントもないだろう。
――――でも、どうしたら?
花冠は神代古語で決めるもの。思念語の耳にも、音で聞こえる難解な言語だった気がする。レパートリーは皆無に近い。
「好きな花って、あるの?」
「…………カスミソウ」
「霞草だね」
「…………いいにくいから、次のやつ!」
「次って何だ、次って!」
「誕生花は!?」
「そんなものは、ない」
うーんと星南が悩み出すと、エヴァは急かすように花の名前を幾つかあげた。見上げた仏頂面は、演技かどうか分からない。けれど彼は、急いでいなかった。時間を稼ぐべきなの?
「…………星南お前、花冠を理解してるんだろうな?」
「ええと…………」
「ダヴィドさんに何を習った?花冠は、神人が名前に持つ冠だ」
「…………かんむり」
すでに初耳ですよ、フェルナン先生。曖昧な笑みを浮かべて誤魔化してみる。リーダーがテキトウだったせいで、夫が悟った目になった。
「第一種族の証だ。だから冠って呼ばれてる」
「あの、それがどうして、フェルナンに要るの?」
「…………妻の身分が高すぎるんだ」
私か、と星南は閉口した。ルノンキュール・セレスト・オレリアって勝手に命名されたけれど、本来ルノンキュールは空色の君クレール・バルトの花冠だ。都合よく前王の花を継いでいる辺りからして、計画が透けて見えるというもの。
「ねぇフェルナン、私のセレストって色冠?」
個人的な問題として、夫から貰えるはずの色が決定している方が大きい。それは、彼がくれるものだったのに。
「気付いてなかったのか?」
「だから、オレリアの方を愛称にしたの?」
「オレリアは黄金という意味がある。セレストは天上の青…………空の色って覚えとけ」
「つまり、青ってことだね?」
「…………感想はそれだけか」
気が重くなった。随分と名前負けしている。天上に黄金なんて、教会の壁画ではないか。花冠は金鳳花だったハズだけど、どんな花か分からない。それまで派手だと速攻で改名が必要だ。
「キンポウゲって、どんな花?」
時間を稼ごうと聞けば、エヴァが可憐な小花だと教えてくれた。
「群生していると、黄色く霞んで、とても綺麗なんだよ」
黄色い花畑。きっと素敵な光景だろう。ふとフェルナンを見上げると、彼も星南を見ていた。もしかして、会話を引き延ばさなくて良いの?水中に縛られるのはイヤだけど、もたもたしているとダヴィドさんに進軍される。
――――黄色い小花かぁ。
フェルナンの片目は黄色い。日本人は似た色彩を持つから、贈り物に目や髪の色を選ばない。でもここは、そんな祖国ではなかった。キンポウゲが、もしもカスミソウに似ていたら。彼の好きな花だし、花冠は名前の最初に名乗るもの。今日の私は冴えている!星南の瞳は輝いた。
「あのねフェルナン!」
この世界では、結婚しても苗字が一切変わらない。大切な血統を示すものだからだ。そんな中で希望を見つけた。
「金鳳花ってどうかな?エヴァと同じで良いなら、私と同じでも良いんだよね?日本人はね、一番始めに姓を名乗るの。だからお揃いの花冠って、凄く夫婦みたいでしょ?」
緑と黄色、二色の瞳が見開いた。却下されたら大変だ。星南はずいっと身を乗り出した。
「嫌なら家族一号でもいいよ!」
「一号!?」
「一人目って事!!」
「…………人を、馬と同じ数え方にするな!」
フェルナンは星南を押し戻した。不覚にも感動したというのに、浸らせてくれない辺りが彼女らしい。
「決めて良いと言っただろう…………好きにしろ」
「うん、金鳳花にする!」
灰色の瞳はほころんだ。その顔をみて、重い溜息がこぼれる。喜ぶのは彼女じゃない。冠を贈られた方なのだ。フェルナンがエヴァを窺うと、青い瞳は微笑んだままだった。それに少し嫌悪が増える。
親とは所詮この程度。
この期に及んで、まだ何かを期待していた自分に嫌気がさした。彼は今の関係を崩してまで、名乗りはしない。そうまでして、好かれたいと言うのだろうか。
それとも、彼女の家族になる気が無いと?
「星南」
「長いから却下とか、そんなの受け付けません!」
フェルナンは眉間に谷を作った。人の気も知らないで。
「自分の長い名前は、言えるんだろうな?」
「えっ!?」
もう忘れたのか。そう思ったら溜息が出た。星南は降って湧いた身分や名前を、自分のものだと思っていない。元の名前が恋しいと?そう思うと妙にイラ付く。なのに悔しい。渋面でそっぽを向くと、腕の中身は何故か気配を和ませた。
それを星南は、チャンスと見たのだ。話題を変えるべくエヴァに向く。
「ええと、ともかく、ダヴィドさんを止めないと!」
「具体的には?」
「ん?」
最強の神人が頼りない。嫌な予感がする。
「青石の国には結界があるんでしょう?そもそも入って来られない、よね?」
「…………今は普通の空間祝福なんだよ、多分入ってくるかな」
「エヴァの祝福を壊せるって事!?」
楽勝かと思っていたのに雲行きが怪しい。ふと、太刀を持ったダヴィドの姿を想像する。凛々しいけれど、敵であったら相当怖い。ああいう人は、容赦なく知り合いも切りそうだ。
―――――しかも、王様って私じゃん!
星南は震え上がった。処刑とかになったら、どうしよう!?民主化以前に、首が危ない。やっと危機感が芽生えた。それで王位を譲られた?ダヴィドさんを引かせる為の、駒にされたのかもしれない。エヴァの顔にはいつもの笑顔。怪しい、絶対に怪しい!
「国境はね、三人がかりで維持しているけれど…………そこまで堅牢じゃないんだよ。結界と祝福は別物なんだ」
「そこを何とか出来ないの!?」
「無理かなぁー?」
無理って何!?
大概だ。やる気が感じられない!サッとフェルナンに視線を向けると、二百年前に侵略戦争があっただろうと、嫌な事例を聞かされる。もっといい情報はないの!
不安に揺れる灰色に、フェルナンは諦めて口を開いた。
「聖国は攻めて来ないんだろう?」
「大丈夫だと思うなぁ~、あの国の神人はエリゼ一人だし。流石に太刀打ちできないよね。心配なら、そっち側は僕が作っても良いんだよ?」
――――作っても、いい?
ダヴィドさんの進軍を、エヴァは歓迎してるように聞こえた。どうして?困った時のフェルナンだ。ぐいぐい服を引っ張ると、思いっきり睨まれる。
「口で言え!垂れ流すばかりのそれを、マトモに使ったらどうなんだ!?」
「ご、ごめんなさい!」
首を竦めると、くすくす笑うエヴァの声。星南は悔し紛れに、むすっと睨んだ。
「引っ張ると脱げちゃうよ?」
「えっ!?」
神装は布を巻くだけの不思議衣装だ。脱げたら困る。いや、そこは役得と見ておくべきか。
「こっちにおいで星南。君には、色々と見せる物があるんだ」
グッとフェルナンの腕に力が入る。大丈夫、ひとりにはならない。それに夫を溺愛中だ。両腕をフェルナンの首に絡めると、やっぱり役得だとほくそ笑む。
「星南…………」
「俺が運ぶから、それで良いだろう?」
「本当に懐いているんだね。フランソワの愚痴も、あながち嘘では無かったのかな」
愚痴って、何を聞いたんだろう?
フェルナンを脱がした事か、それとも襲った事か。どっちもアウトだ。あの人、本当に碌な事しか話さない。
「今のうちに、青石の祝福石に名前を記しに行こうか。水に入れないと、この国では不自由をするよ」
「分かった」
すんなり返したフェルナンに、見えないシナリオを読むようだ。名前は把握されている。逃げたければ偽名を考えればいい。星南は口をへの字に曲げた。それよりも、夫を溺愛する方が難しそうだ。
抱き上げられたまま離宮の一階におりると、先を歩くエヴァは頓着なく泉に入っていく。国が攻められるというのに、優先順位は登録の方が重いらしい。何か得策でもあるのだろうか。
戦争よりも重要なこと。
黒色病?でも戦争でだって、多くの命が奪われる。しないに越した事はないのに。
「…………これで良いの?」
そっとフェルナンに囁いた。尖った長い耳に、銀のカフスが冷たく光る。水中は色使いにとって不利な場所。彼を連れて行っても、良いのだろうか。守れるくらいに力があれば――――私がもしも強ければ。
「離れるなよ」
きつく身体を抱き締められる。フェルナンを守らなければ。星南もぎゅっと抱き付いた。
「…………うん」
今度こそ大切な家族を、事故で失う訳にはいかない。
「…………無茶はダメだよ?」
「お前が言うか?」
「わ、私…………?」
「森に捨ててきた、慎重さを思い出せ。あんまり暴れると、ダヴィドさんの手から落ちる」
「っ!」
頭にカチンときた。何も知らないんだから、フォローは必須事項だ。しかも捨てたってなんなの!?どこの森だか教えて欲しい!
「私はいつだって、慎重ですよ!」
「嘘を言え!」
「嘘じゃないもんっ!!」
「そこで騒ぐな!!」
「二人とも、何やってるの…………?」
呆れた様子のエヴァが、泉の中で振り返った。しまった、溺愛夫婦が台無しだ。
「私、怒ってるんです!夫が冷たいんですよ!!」
「…………まぁフェルだし、ねぇ?」
苦笑されて、星南は窮地に立たされた。ここは新婚をおちょくる場面では…………そうだったのね、が出来ない。どうしよう!?
「俺は優しくしている」
「それじゃあ足りないって、事でしょう?星南は子どもなんだから、まだまだ甘えたいんだよ。分かるだろう?」
「…………これでも甘やかしてる」
「足りてないから、そうなるんだ」
エヴァの笑顔に悪意はない。星南は顔がひきつった。このままでは、もっと甘やかしてと言わない限り、場が収まらない。そんな恥ずかしい事、絶対にイヤだ。
「ふぇ、フェルナン…………」
「どうして欲しいんだ。言ってみろ」
意地悪な夫がいた。
ぶんぶん首を横に振って、抵抗を試みる。そこで判断を誤った。
「フェルの聞き方が悪いんだよ。もっと優しく」
刺客は別に居たようだ。振り向きかけた星南の顔に、影が射す。夫は頬に、慣れた口付けを落とした。しかも憂い顔のレアコラボ。
「…………!」
そのまましっかり抱き直されて、吐息のような声が言う。
「話すな」
分かってますよ、それくらい!
ともかく口は滑りっぱなし。開けば状況が悪くなる。けれどフェルナンに任せておくと、何をさせられるのか分からない。だったら先制攻撃だ。
「私はフェルナンが好きなんです。フェルナンじゃなきゃダメなんです!フェルナンがいいの!!」
「…………星南!」
更に抱き締めてきた夫に、星南は声が出なくなる。何も言いません。もう何も言わないから!圧死はやめて!!
「ふふふ、若いっていいねぇ」
ぱしゃんと水音が聞こえた。エヴァは歩みを進めたようだ。バカップルなんて見たくないよね。こんなハズじゃなかったのに。
「黙ってろ」
「…………はい」
めそっとフェルナンに頭を寄せる。彼はひょいと、抱えなおして歩き出した。怒っているのに、決して下にはおろさない。こんなに気を使わせてるのに、墓穴ばかり掘ってしまう。そんな自分が悲しくなった。
「潜るぞ」
冷たい水の感覚に、星南はぎゅっと目を閉じた。思い通りだと楽しいかは、経験が無いから分からない。逆境を面白がる実力もなかった。出来る事は、前を向くこと。確実に一歩を進むこと。
失敗は覆せない。後悔は積み上がるばかりだ。
「星南」
呼ばれて薄っすら目を開けた。そこは暗い水中で、どうやら泡の中に居るらしい。慌てて腕の力を抜くと、フェルナンは僅かに身を離した。彼は安定してお怒りだ。
「ご、ごめんなさい」
一瞥されて視線が逸れる。それに少し傷付いた。謝る癖は、なかなか鳴りを潜めない。ふと辺りを見渡せば、暗いばかりだった周辺が、巨大な建物の中だと分かる。離宮は一部に過ぎなかったのだ。
水中の何が良いんだろう。星南はぼんやり考えた。日の光を嫌うように、どこまでも下には闇がある。
「…………暗い」
「目が慣れてないだけだ」
「ねぇ、ミヨゾティスしてって言ったら、怒る?」
何となく言ってみると、彼はすぐ耳のカフスに触れた。その指をパチンと鳴らす。
『女神の慈悲を受けし月 瞬く星は意味を持ち 忘れえぬ日に 焦がれるだろう 青き忘却の火を灯せ――――勿忘草の青』
ボッと青白い火が灯る。光の女神と言われる、昼を司る神様のもの。どうして水中でも点くんだろう。
「祝福に境界は無いのかな?」
「…………今度は、一体何を思い付いたんだ?」
「水の中でも使えるって、不思議だなって」
「対価を払ってるんだ、使えなきゃ困る」
「エヴァも、水中で使えると思う?」
「勿忘草の青を?色術式みたいにするしかないと、言っていただろう。対価に効果は付随する」
「それじゃあ…………」
水中は縄墨が動かない。ある意味こちらにも、都合は良いのだ。エヴァに振り回されて終わったら、きっと後悔するだろう。ぐぐっと拳を握る。神人は灰になっても死なないらしい。
だったら、私が動かなければ!
「黒色病の対価って、水中にないのかも?」




