3-20:王家統括
――――まわりと違う。
フェルナンが三歳の時、それは雷みたいに降ってきた。いつか自分の耳も毛に包まれて、尾っぽも生えてくるだろう。そうしたら…………母さまに抱きしめて貰えるかもしれない。
疑う事を知らなかった、幼く愚かな頃だ。
「天人族がイヤだった?」
星南の声に瞬いて、フェルナンは苦い溜息を吐いた。なんて事を聞くのだろう。彼女は空気を読めるのに、感情的になりやすい。だから失敗するのだ。
「さぁな」
「…………あまり、聞いて欲しくない?」
「だったら、どうする?」
覗き込んでくる灰色の瞳は、みるみる丸くなった。自分で驚いたのかと、フェルナンはいよいよ額を押さえる。感情とは探るもの。こんな風に垂れ流しされても困るのだ。
――――なのにコイツは。
話しの続きを聞きたいと思っているし、口を閉ざしたら何も追及してこない。希望だけは何故か隠してしまう。
いっそ、どちらかなら良かった。
選択の自由はあるようでいて、ない。溜息を溢すと困った様子の彼女は、何か言わねばという顔をする。頼むから、大人しくしていて欲しい。
フェルナンは頭を振った。魔人か竜人か、もしもどちらかならば、少しの幸せが許された。子どもの頃など余り覚えていない。大体そんなものだろう。乳母ですら話しかけねば話さない。身分に孤独は付きものなのだ。
――――忘れたい。
なのに何度も思い出す。だから嫌いだ。
「…………いいか。天人族っていうのは、容姿が誰にも似ないんだ。強いて言えば、育ての親に似るらしい」
星南を窺うと、ほっとした様子で灰色の瞳がゆれる。神人の瞳は移ろうものだ。それを不思議に思った頃は、自分の瞳や髪の色、耳の形。どれも親と違うのに、育てば顔まで似ていない。そんな種族だなんて知るよしもなかった。だから不義の子などと言われる。
「魔人族と竜人が結ばれると、天人族は産まれやすい。母は魔人だったし…………父は筋金入りの竜人だ」
どちらも神に近しい濃い血筋。特に魔人族家系は、聖国では珍しかった。そう思って星南を見上げると、彼女はパッと笑顔になる。本当に顔に出やすいヤツだ。しかも笑うところじゃない。
「じゃあフェルナンのお母さんは、凄い人だね!」
「…………何でそうなる」
「種族違いって、勇気いりそう。住む国が違うだけでも、結婚って大変なのに」
「…………母は独身だ」
「えっ!?」
冷や水を浴びたようだった。失言だ。星南は咄嗟に口を押えた。好奇心がついつい先走って、酷い失敗をしてしまう。彼を知りたい、でも地雷付き。過去に何もない方が稀なのだ。
「ご、ごめんなさい!」
「すぐ謝るな」
「だって…………!」
「話してもいいと思ったから、話すんだ。何で謝られなきゃならない」
フェルナンは、顔を顰めた。ダヴィドのように上手く話せない事に、小さく苛立ちが募る。前髪を掻き上げると、また溜息を吐きかけた。どうして俺が、気を使わなきゃならない。
「いいか…………天人族で良かったなんて、誰からも聞かない話だ。それだけは覚えておけ!」
「…………はい」
「産まれた時から、この目だし、この耳なんだ。親の心境は流石に分かる」
フェルナンは、続きを話してくれるらしい。星南は少し驚いた。きっと良い話じゃないだろう。聞いて良いのだろうか?聞いてみたい。性懲りもなくそう思う。
これは単なる、時間稼ぎだ。
ぬか喜びをしてはいけない。それでもやっぱり嬉しくて、頬が緩みそうになる。実際、緩んだ。
「…………ニヤニヤしてんじゃねぇよ、もうこっちに座れ!」
「はっ、はいぃ!!」
フェルナンは自身の横を示した。まさか視界に入れたくないと?星南がそそくさ移動すると、ギロリと何故か睨まれる。
「そんな動きだから、裾を踏むんだ」
「えっ!で、でも!!」
「横を少し摘まめ。下手くそ…………もういい。早く来い!」
やっぱり怒られた。しゅんと横に座り込む。もちろん正座だ。
「…………あの」
「今度は何だ…………」
「エヴァがね、第三種族は本来、百二種類いるって。その内、天人族が生まれる確率は二分って言ってた。五十人にひとりって、意外と生まれやすいんだよね?」
「…………何処から出た数だ?百二じゃ少ない。第一種族だけでも二百近くいるぞ?」
「えっ!?」
「神人がどうして、第三初期姓を使うと思ってるんだ?始まりの十人から遠ざかれば、能力は薄れていく。理由は分かるな?」
「じゃ、じゃあ、第一種族の神人からして一種類って計算しないの!?」
「始まりの十人から十世代で、五十五になる」
エヴァのバカ!!
星南はやっと、自分が良いように丸め込まれたと気付いた。十世代で五十五もあったら、三つの種族で三倍だ。それが第二、第三と増えては、もう計算すらしたくない。天人族は稀少なのだ。エヴァの情報を鵜呑みにしてはいけなかった。
…………確率はやめよう!
人間諦めも肝心だ。そういう事は頭の良い人に任せて、違う切り口を探さなければ。星南が唸って考えだすと、フェルナンの機嫌が悪くなる。世の中は分からない事が多すぎた。
「…………ねぇフェルナン、優性の天人は全体の半分って、本当のこと?」
ともかくエヴァの発言から疑ってみると、頬をつままれた。地味に痛いから止めて欲しい。
「本当だ。俺の話した事、ちゃんと覚えてるだろうな?」
「…………いたい、です」
訝しげな視線を向けられた。覚えていると思う、多分。星南はフェルナンの手から逃れて、再び考え込んだ。エヴァは隠したかったのだ。珍しい種族だから?
――――なぜ、エヴァは隠すの?
「私、黒色病を無くしたい」
「それは聞いた」
「大神はどうして、こんな事をしたんだろう」
「水の女神のせいだろう?」
神様だって結婚の自由は欲しいだろう。当たり前のように未来が決められるなんて、横暴だ。でも、もしも女神様が結婚していたら…………こんな苦労はしなかったハズ。そう思うとやるせない。
「ね、水の女神様って、どんな人かな?」
「エヴァなら、知ってるんじゃないか?」
そう言ったフェルナンに、ピンときた。エヴァは最初の神人だ。最初の神である水の女神様と同様に、知っていてもおかしくはない。
「どうして水の女神は、風の神様みたいに夫婦神にならなかったんだろう?エヴァを作ったから、カタチを保てなくなったんだよね?」
「大神を好きだった神だぞ。どうして自分と婚姻しなきゃならない」
「神様の結婚って、特別な事なの?」
ギロリと無言で睨むのは、心臓に悪いから止めて欲しい。星南は首を竦めて、またひとつ気が付いた。結婚は途中経過だ。目的はその先にある。別に睨むほどの事でもないだろう。
「風の神様に、子どもって居たっけ?」
「神代の下りを、もう忘れたのか」
「お、覚えてます!」
水の女神様が欠けてから、新しいものを創れなくなったのだ。最期の神々は五柱で一人。大神の力が揃わなければ、新しいものは生み出せない。
けれど、何かが引っかかった。
神様が居なくても、新しく生まれたものがあったような?
「なにか浮かびそうなのに!」
「お前の頭じゃ無理だ。それより、外の神人は大丈夫なんだろうな?」
フェルナンは、まだ人の頭をパン屑だと思っているらしい。冷静に、冷静にと言い聞かせていても、瞬時に沸点を上回る。星南は思わず手を伸ばした。掴みかかってガクガク揺さぶるくらいは良いだろう。そう思った時、ゾクリと悪寒に震える。ガラスにフォークを突き立てられたような感覚がした。
「あっ!」
今のなに。無意識に自分を抱きしめる。
「…………ッ」
ぞわっと嫌なものが駆け抜けた。どうしたらいいのか、分からない。傾いだ星南を、フェルナンはすぐに支えてくれる。でも眉間に渓谷があった。怒ってる!
「だから聞いたんだ。紫菫の君は父姓にバルテを持つんだぞ。エヴァの直系が、力を持たない筈がない」
空間祝福に干渉されたら、こんな感じがするのだろうか。触られたというより、毒に侵されるような感覚だ。自分のものが異物に塗り替えられていく。
「ど、どうしよう!?」
「決まってるだろう、ヤツの血を抜きに行く」
「えっ!」
フランソワが襲われる。しっかりしなければ。気を引き締めると、嫌な感覚は少しだけ遠のいた。友好的な方法は無いのだろうか。いっその事、彼が味方なら良かったのに。
「フランソワさんって、仲間に出来ないかな?」
「寝言は寝て言え!」
「だって…………ッ!」
――――ダメだ。
ドンっと大きな波がきた。祝福がもたないと、初心者にも分かる。壊されてしまう。彼は、こんな乱暴をするのだろうか。フッと広がった薄闇に、青い双眸が見えた。見知った童顔は、困った様子で微笑んでいる。
「エヴァだっ!」
「祝福を閉じろ!今すぐ!!」
言われるまでもなく、空間祝福は崩壊した。相手が悪すぎる。ふらついた星南を抱き止め、フェルナンは思考を巡らせた。こんなに早く戻ってくるとは。流石に、伝達回線は見逃せなかったとみえる。
「どうして君達は、おとなしく出来ないんだろうね?」
何時もの笑顔を貼り付け、エヴァはふらりと部屋に入ってきた。自分の娘が心配では無いのだろうか。祝福に干渉した挙句、崩壊までさせたのだ。星南の意識はあるものの、顔は心なしか青かった。フェルナンもにこりと笑顔を向ける。
「大人しいかっただろう?地形はそのままだ」
「暴れるというんだよ、それは」
歩み寄るエヴァは、笑顔を湛えたままだ。なのに何時もの気安さがない。
「ルーク=ドラフェルーン帝国がね、青石の国に宣戦布告して来たんだ」
「知っている」
「フランソワを仲裁に発たせたけれど、彼は来るだろう」
「来るだろうな」
「…………エヴァ」
すぐそこに屈んだ神人は、更に笑みを深めた。多分怒っている。それでも、こっちに退路の二文字はないのだ。
「エヴァが悪いんだよ!ダヴィドさんに意地悪するから!!」
「君の為には、仕方のない事だよ」
都合の良い事を言って、また誤魔化されたら堪らない。星南は勢いのまま、叫んだ。
「だったら、どうして怒ってるの!?」
青石の国の水神は、虚を突かれた様子でぽかんと表情を落とした。気の抜ける笑顔の下は、整って冷たい顔だ。彼の童顔は笑顔がないと、人形のように不気味で不穏。そんな姿を望んだ人は、誰なんだろう。
「…………怒る、か。そうだね、少しだけイライラしていたかもしれない」
「怒りを人にぶつけるのは、年長者として失格ですよ!」
自分を大きく棚上げして叱ると、フェルナンも余裕がなさ過ぎる、と苦言を呈して賛同してくれた。どうにか何時もの雰囲気にしなくては。仲間としてのエヴァでなければ、対等に話しが出来ない。
「どうして星南は、僕を叱るんだろう」
「後輩だからです!」
「…………後輩?」
いい感じに丸め込めそうだ。ぐぐっと拳を握って、星南は笑顔になった。女は度胸というものだ。
「パーティー金糸雀の後輩です!エヴァは最後の加入者だもん!」
「もう除籍されてると思うけど」
「えっ!?」
「ダヴィドさんが、そんな小さい事を気にするかよ。除籍はない!」
「…………君までそんな事を言うんだ。じゃあ賭けようか?」
「何を賭けても、構わないなら」
「えっ、えぇ!?」
「――――この国ってどう?」
今、なんて言った!?
ぎょっと星南が見上げると、フェルナンはイイ笑顔になっていた。何でこっちも怒ってるの!?
「ふふふ。僕は別に、フェルにあげても良いんだよ?」
「え!?」
エヴァもサラッと凄い事を言っている。二人をきょろきょろ見比べて、星南は頭にピンときた。エヴァに権力はマズイ。でも彼は、それがいらないと言う。なんて理想的なんだろう!
「じゃあ、今すぐ青石の国貰えば良いんじゃない!?」
そうしたら、ダヴィドさんは攻めて来ないハズだ。良く分からない水の国ルールを廃して、一部民主化している帝国の体制を組み込む。なんだか素敵な事に思えた。
「エヴァは面倒なのイヤなんだよね?」
「そうなんだよ星南。僕はね、のんびりと余生を過ごしたいんだ」
「ご隠居さまになりたいんだね?」
「ちょっと待て星南!このままだと…………!」
「任せて、エヴァ!民主的ないい国にしてあげる!!」
「うん」
嬉しそうに微笑んで、エヴァはサッと星南とフェルナンの腕を掴んだ。
「やめろっ!星南を巻き込むな!!」
「夫婦で丁度良かったよ。これで君達は僕の元から逃げられない」
「えっ!?」
掴まれた腕が、氷ったように冷たくなった。それも瞬きの間で、左腕にいつの間にか腕輪が増えていた。
「僕、クリザンテーム・パンセ・ミシェルは、ルノンキュール・セレスト・オレリア・セーナ・ラ・バルト・バルテに青石の国、全土の統治権を移譲する。これを以て夫、ヴェール・クレール・フェルナン・ヴィレール・アルタを王配と認めよう――――この国はもう君のものだ。好きにすると良い」
なんか、マズイ流れに…………!
星南は慌てて手を引っ込めた。けれど、見覚えのない腕輪は消えてくれない。
「風の祝福は雑だからね。夫婦の葉に名前が刻み込まれている事なんて、初めから分かっていたよ。後は星南に花冠を戴くだけだ。今度こそ水都の守護石に、名前を刻んであげよう」
どうしよう、大変な事になってしまった!!
恐るおそるフェルナンを見上げると、緑と黄色の瞳はすこしだけ憂いを帯びる。けれど、見入る間もなく鋭くなった。
「良かったな星南。お前、この国の王家統括――――女王になったぞ」




