3-18:青国配備
青い光が煌めいて、足元から光のアーチが架かる。それを見たフェルナンが、明らかに渋い顔をした。
「…………作り直せ」
早速ダメ出しですか。座り込んだ彼は、ジトっとこちらを見上げてくる。別に失敗はしていない。
「何でこんなに、狭くした」
そう言われれば、星南はギクリとするしかなかった。一応初心者だ。注文がないのは、彼なりの配慮だろう。
「確かに狭いけど」
作り直す程なのか。祝福というものは喜びでもある。今は心なき要素に戻っていても、この場にそれらは残っているのだ。
「無意味に連発したくないと、神人は言う」
フェルナンは不意に視線を逸らせた。まるで言い難い事を話すような雰囲気だ。黙って先を促すと、やがてピタリと見上げてくる。窺うような、問うような眼差しだった。
「祝福で疲弊するのは、稀なんだ。なのに何故嫌がる?星南は神人である部分を取り戻すたびに…………いや、いい」
頭を振って額を押さえ、そのまま俯くのは失望からか。祝福の直径は、身長程度しかない。大きさを指定されなかったのだ。そう言い返そうと思って、結局なにも言えずに黙り込む。
ハッキリ言って欲しかった。
それと同時に聞きたくなくて、胸が急に痛くなる。譲歩はイヤで、否定も嫌だ。欲しいものは、自分にとって甘く優しい言葉だけ。
「ごめんなさい」
「…………謝るな」
彼の機嫌はとりにくい。気にしてどうするんだと、以前ならば諦められた。傷付くなんて、バカみたい。気になる相手の反応に、一喜一憂してしまう。しかも、悲しさだけは割り増しなのだ。
――――何を望んでいるんだろう。
祝福を使えば、フェルナンが喜ぶと思った?むしろどうして、喜ぶと思ったの?何も進展していなくて、なにも成していないのに。
「役に、立てない?」
言ってしまってから、他の言い方をすれば良かったと思う。せめて、この重い空気だけは変えたい。
「あの、ええと…………」
良い言葉が浮かばなかった。星南はわたわたして座り込み、フェルナンの顔色を窺ってみる。ジトっとした顔で、何だと一言返された。いつも通りの反応だ。この顔を見て安堵する日が来るなんて。それはそれで複雑だ。
世の中上手くいかないな。
「あのね、フェルナン。祝福は、喜びを与える事なんだって」
「…………知っている」
「えっ、ええと、喜ばせたばっかりで、じゃあ終わりますって言うのは、何だか忍びない、と申しますか…………」
「すでに心を無くした、無垢なる者達がか?」
「まだココに、居るんだよ?」
「…………星南は心を無くしても、記憶があると思っていると?」
心が無いと、記憶もないの?
そうだろかと振り返る。思い出は、確かに気持ちまでしっかりあって、それが無いものは曖昧だ。小学校の体育館には、校歌を彫った卒業記念の木製パネルがあった。そんなものでさえ、自分達も作るのかという不安や、ずっと残るという羨望。確かに気持ちが寄り添っている。
「心が記憶なの?」
「資料の暗記でもなければ、そうだろう?」
やっぱり今は、下手な意地を張るべきじゃない。星南は拳を握った。不本意だけど、意見を通したいなら見合った実力が必要だ。
「…………作り直します」
「せめて、この部屋いっぱいだ。効果の大きさで、難易度は変わらないと聞いた。祝福を使った事はバレるんだ。遠慮はするなよ?」
「うん!」
気持ちを引き締めた。ひとまずやってみて、それから考えたって遅くない。後悔も反省も、後にしか出来ないのだから!
瞳を閉じると、自分の中にピンと張られた細い線が見えた。プツリと断ち切れば、水音とともに空間祝福は崩れて落ちる。もっと大きくと言われても、初心者には難しい。部屋の隅から隅まで歩いてみて、洗面所も含めようと頭の中にメモをした。どうせ丸くなるのだ。どこか一辺を把握していれば良いだろう。
「水の皆さん、力を貸して!」
窓の外の水しぶき。
何もない床の上。
ここは水の気配で溢れてる。むせるような湿度は無くても、水中のように空気は重く冷たい場所だ。キラキラ光る青くて白い、意思なき要素。部屋が入って、厚くて硬く――――そして何より、喜ばせること。
「集まってくれて、ありがとう!そのまま丸く!」
腕を振り上げ、くるりと回る。気持ちがざわめき高揚してく。喜びのかたちを、しているらしい。祝福は、見えないものを確かに動かす能力だった。空気の流れが止まり、星南は天井を見上げる。
範囲が大き過ぎて、アーチは見えなかったようだ。
「…………何か言わないと、使えないのか?」
どうしてひと言、褒めてくれないのだろう。ムスッとフェルナンを見おろすと、彼は溜息を溢した。陸に戻ったとたんに溜息ばかり。幸せが枯渇しそうだ。
「だって、喜ばせてあげたいよ。無償労働させたら、気が引けちゃうし」
「気が引ける?」
ジロッと睨まれた星南は、いそいそと正面に移動した。ここが一番、睨まれても被害が少ない。長めの前髪が、鋭い視線を隠すのだ。
「フェルナンにもいずれは、相応のお礼をしたいのですが…………絶賛出世払い、となっております」
「褒美を渡せば、満足すると?」
「…………それは」
「拾ったからには責任を持つ。少し長引いているだけだ」
彼は立ち上がって、辺りを見回した。祝福の境界は第一種族にしか見えないものだ。でもフェルナンは油断ならない。粗が見付かる前に気を引かねば。
「拾ってくれて、ありがとう!フェルナン達が来なかったら、私はきっと死んでたよ。だから恩を返したい!」
「寝言を言うな」
本当に愛想ないな!星南はムッとして、言い返すのをギリギリ堪えた。白熱すると負けを見る。冷静にしなくては。大体彼は機嫌を取ろうにも、何を喜ぶのかすら曖昧だ。好きな食べ物も趣味も知らない。それでも惹かれた。
――――ダメだ、ものすごく悔しい!
「寝言じゃないよ!!」
「…………身の程を知れ」
静かな口調で言われ、それで次の言葉が出てこない。フェルナンの溜息が落ちた。無言で責められている気分になる。
後悔はしたくない。
思っただけで始まらないから、ずっと後悔のままなのだ。言い返さなくては。どうせ片思いで、彼は相手にしくれない。当たってみる前から、砕ける事はないハズだ。
「私、絶対に、恩を返すよ!」
フェルナンは怪しむような渋い顔をした。まだまだ先の事なのに、今から嫌がるなんてあんまりだ。頼られるのは悪くない。でも、頼ってくれないからこそ、頼って欲しい人もいる。
「フェルナンの力になれる人に、私、成れるようにするね!」
「…………少しは、俺から離れたらどうなんだ」
星南はドキッとした。うっかり口説きかけている。ああ、なんだか意識すると恥ずかしい!食い気味に叫んでいるし、甘く丸め込む技量がない事が悔やまれた。
「だ、だって。フェルナンの事、話してるんだよ?ほら、ええと、ダヴィドさんとエルネスさんは、自分で報酬を取っていくんでしょ?そうしたら、フェルナンだけになっちゃう。何か欲しいものはないの?」
「ない!」
「そこだけハッキリ!?」
はぁー、と重い溜息が部屋に広がった。星南は所在なく寝台の端に腰を下ろした。小さく息を吐く。病気の子どもを殺さなくていい世界。毒を飲んでまで、戦わなくてもいい環境。返そうとした恩の内容は、いまだに取っ掛かりも掴めない壮大さだ。
――――黒色病が無くなれば。
空気感染のような病。でも、生まれながらに発病する事は決まっているのだから、持病に近いのだろうか。遺伝的な?
「星南、もう少しこっちへ来い」
「え?」
思わず身構えると、仮の夫は呆れた顔でこちらを見ている。
「ダヴィドさんと話してみるか?どうする?」
「話します!」
慌てて駆け寄ると、フェルナンは耳に銀管飾を手早くはめた。風の神人の祝福加工品で、色使いの必需品となる装身具。どこかに隠していたらしい。
「通信回路は開けるか?」
テレビ電話な祝福だ。残念ながら未修得である。
「…………できないです」
「いい、想定内だ。俺が伝達回線を開く。星南には色の提供をして欲しい」
「えっ!?」
ぎょっとしてフェルナンを見ると、足りない色の提供よりは楽だろう、と彼は全く動じていなかった。まさかまた、噛まれる事になるなんて!
「一度やった事があるだろう?エルネスさんに、初めて噛まれた時のやつ」
「…………それは」
「傷も貧血も、治癒の祝福で治せる筈だ。そっちの祝福は使えるな?」
「…………うん」
使える祝福は、空間と除熱。治癒と解毒も一応出来る。凝固の用途が不明だけれど、連絡手段はいまだない。オレアのチョイスが謎なのだ。仕方なくフェルナンを見上げると、何故か不機嫌顔で睨まれた。
「俺の祖母パルム・オリーヴ・ヴェリエに繋ぐ。風の始まりの十人で、月桂樹の母君だ」
「月桂樹さんじゃ、ないんだね?」
「確実性を取りたい。ダヴィドさんも恐らく、此処しかないと思ってるだろう。風の神人は、力が弱い代わりに風の女神の加護を得る。距離のある祝福は有利なんだ」
とは言っても、と星南は唸った。この場には作ったばかりの空間祝福に離宮の祝福。更にその外側と、青石の国自体の固い結界が存在するハズだ。色術式で貫通するのは、困難に思えた。
「帝国まで届くの?」
「星南の頑張り次第だな。対価を取られ過ぎないように、常に治癒をかけておけよ?」
「分かった、けど…………」
二人の無事を確かめたい。フェルナンのやる気がなければ、会話は叶わないのだ。彼が出来ると考えているなら、勝算はあるのだろう。覚悟を決めても、やっぱり怖いものは怖いまま――――それでも嫌と言わない星南に、フェルナンは苦い思いを味わった。
あれだけの事をしたというのに、何故受け入れようとするのだろうか。確かめるような自分が愚かしくて、嫌になる。まるで、何処までなら踏み込ませてくれるのかと、慎重に測っているようだ。
――――どうして俺が!
そのイラつきを笑顔に変えた。フェルナンは跪いて片手を差し出す。
「お手をどうぞ、水の姫君?」
刷いたような笑みの唇が、いかにも意地悪な感じだ。星南は唇を引き結ぶ。そういうやる気の出させ方って、どうかと思う。黙って手を取ると引き上げられて、踊るように抱き寄せられる。以前のエルネスも、こんな風にしてたっけ。
マズイ、これって秒読みだ。
「フェルナン!こういう時はさ、素直に頑張れって、言って欲しい!」
「――――頑張れ、星南」
「…………」
余計複雑な気分になった。どうして上手くいかないんだろう。くすんと俯くと、容赦なく頬を抓まれる。
「いたい、です」
「お前はこっち系で浮上しないんだ、諦めろ」
「えっ!」
愕然としている間に、更に腕を伸ばされて、つま先立ちの状態だ。フェルナンが素肌に顔を寄せる。背中を支えられれば身体はピタリと密着して、自由はききそうにない。
「自分で知らなかったのか?喝を入れられた方が、前向きになるだろう?」
「うそ!?えっ、待って!まだ心の準備が!!」
「心は別に期待してない」
「そうなの!?」
手首に口付け、そして腕を少し回される。ダメだ、血管を探してる!
「どうして腕!?他の場所じゃダメなの!」
「出血の管理がしやすい。もう黙ってろ」
「フェルっ!」
口を開くのが見えた。鋭い牙は、注射の比ではなく痛いもの。容赦ないし優しくもない。どうしてこんな奴が良いのと、星南はぎゅっと目を閉じた。
『堅き葉の 命の緑を冠する者よ』
低く呪文が紡がれる。声に聞き入る暇もなく、痛みに涙が滲んだ。回復の祝福を、動かさないといけない。
『血脈を継し春の緑が 対価を持って音を届ける 熱持ち色を結べ――――棕櫚の君を探せ』
血の沸き立つような感覚は、どこか祝福の発動に似ていた。それでも、鳥肌を逆なでされるような不快感は、堪えようがない。
――――こんな状態で、祝福なんか。
めげそうになる。優しくしてくれるなら、泣いたまま縋ってしまいたい。けれどフェルナンは、その手の励まし方をしてくれないそうだ。
甘えたいんだ、本当は。
誰よりもフェルナンに、甘やかされていたいのだ。それが好きって事なのか、それとも違うものなのか。星南にはもう分からなかった。
『聞こえますか、フェル?』
「オリーヴ様」
雑音と共に、思ったよりも若い声がした。フェルナンのおばあちゃんは、神人だ。老いているハズがない。
『あなたって子は、水の君を対価にしましたね?風が騒いでいるわ』
「長くは持ちません――――フー・ダヴィドはそちらに?」
『ええ、随分とお待ちよ。ダヴィー、おいでなさい』
『遅いぞフェルナン、無事だな?』
ダヴィドは矢継ぎ早に状況を問いかけた。安心して、そのまま眠りそうになる。
「しっかりしろ、星南。回復はどうしたんだ!」
『無理をさせるな。神人でも、それはセナだぞ』
「…………ダヴィドさん」
星南は目を開けた。フェルナンに掴まれた二の腕は痛いくらいで、もう止血しているようだ。それでも細く流れるものは、水のような透明のもの。まだ、対価を取られているのだろうか。
『すぐに、住み良くしてやるからな』
労わるダヴィドの声音は、どこまでも優しい。でも違うんだ。それでやる気が出た。右足の治癒祝福に意識を向けて、失われた色を求める。普通の貧血じゃないせいか、急に良くはならないようだ。
『フェルに朗報だ。聖国王は急逝した。守護神人黄水仙の君は次期王を、ミエル・フェルディナン・ラ・アルタに指名している。まぁ、だからと言って、無茶はするなよ?お前の代わりを、探す気は無いからな』
「なっ!無茶をしたのは、ダヴィドさんだろ!?」
『無茶をするのは、これからなんだが』
ダヴィドは楽しそうに、くつくつ笑い声を響かせた。これだけ余裕なのだから、安心というものだ。星南はそう思っていたのに、彼はとんでもない事を言い出した。
『明日、暗青は新代表に切り替える。そのまま条約違反を前面に、一個旅団の青国配備は、青石の国新都マンディアーグに進軍を開始する』
ちなみに、本作での一個旅団は五千人くらいです。




