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金色の花を探して  作者: 秀月
聖ネルベンレート王国
8/93

1-8:沈む森

 ガタガタ音を立てるトラクター。

 それに父と乗ったのは、小学生の頃だった。


 星南は、小さいままで良いんだよ。


 成長の遅れていた私に、両親はよくそう言った。けれど、頑張る事を止めてはいけない、とも言われた気がする。どっちなのだろう。そう思っていると、雪の中で受験票を握り締めていた。


 高校受験だ。


「ん…………」


 気が付くと夢だと分かって、意識が浮上する。ここは雪の中でも、茶色い土に囲まれた田舎でもない。青緑の葉が頭上に広がる森の中だった。残る郷愁きょうしゅうに落胆し、星南は再び目を閉じる。頬に触れるシーツが、ひんやりとしていて、氷みたいに冷たい。


 そう思ってうっすら瞼を開くと、濃紺の柔らかな生地が見えた…………地面に何かが敷かれている。


「っ!」


 ダヴィドのローブの色だった。慌てて起きると、肩から血のように赤い布が滑り落ちる。無意識に触れた首には、傷も痛みも無かった。それにようやくほっとする。安堵と共に視線を下げれば、ボタンが全て外されたジャケットが見えた。


 ブカブカの手袋でそれを左右に広げてみると、ゼッケンみたいな革を固定する帯の本数が少ない。


 やっぱり、この帯の話だった。


 一晩を無事に過ごした星南の頭には、今更襲われる、という心配が枯渇気味だ。


「お、起きたの、かっ!?」


 振り返ると、随分離れた場所にウスタージュが立っていた。


「悪気は無かったんだ!そんな目で見ないでくれ!!」

「え?」


 彼は距離(ゆえ)に大声で弁明を始めた。


「ちょっと、脅かそうとしただけなんだ!まさか、倒れるなんて思って無かったんだよ!!」


 星南は目を瞬いた。


「無抵抗な女の子を襲う男だなんて、思わないでくれーっ!」

「うるさい!!」

「って!」


 ウスタージュの背中を、横から現れたフェルナンが蹴り飛ばした。ガシャンと鎧が音を立てて、彼は見事に根の溝に落ちたようだ。姿が消えてしまった。呆気に取られて見ていると、星南の方を一瞥いちべつしたフェルナンが明かに嫌そうな顔をする。


「何か食べる気があるなら、こっちに来い」


 彼は要件だけ言うと、きびすを返してしまった。星南は何気なく辺りを見回す。巨木が壁のように並ぶ森は薄暗く、辺りに人の気配は一切ない。顔を向けると、ウスタージュの背中が見えた。銀色の鎧の背中。それはこちらに振り返る事無く、奥へと行ってしまいそうだ。


 一人にされる!


そう思った瞬間、身体が動いていた。二色のローブを胸に抱えて、立ち上がる。


「ウスタージュ、待って!」

「お?」


 慌てて駆け寄ると、溝に落ちたままの青年は降参するように両手を上げた。


「俺は何もしてないぞ。指一本触れてないからな?」

「…………うん」


 何でこんなに、気にするの?


 星南は首を傾げた。命に別状はなく、服装も変わっていない。間違いなく襲われてはいなかった。それとも、寝ている間に何かされたのだろうか…………


 いや、流石に起きるだろう。


 ぶるぶるかぶりを振る。しっかり鍛えられたダヴィドに首を絞められたら、雨の日のトラウマのような姿になると想像してしまったのだ。私がこの世界で死ぬ時は、きっとあんなカブみたいな姿になるのだろうと。それだけで吐き気が込み上げて、目の前が真っ暗になった。


 人前で服を脱がせてきたフェルナンには一言いたいが、彼に無断で脱がされるのは二回目だ。寝ていて何も無かったのだから、起きている時に何かあるとは思えない。


 どうしてあのタイミングだったのかは謎だけれど…………結果として、不調は殆ど回復していた。苦しくて辛い事に比べれば、上着を脱がされたくらいで文句は言えない。


 星南は短く息をつく。溝に落ちたままのウスタージュは、依然として、降参ポーズのまま項垂れていた。その頭は固そうな茶色の短髪がツンツン生えていて、針ネズミみたい見える。


「怒ってないよ。帯、ゆるくしてくれたんだね」

「殴っていいんだぞ。俺は、罪を犯したんだ」


 やっぱり全然通じない。言葉の壁は高過ぎた。


「ウスタージュ…………」

「ほら、何時でもこい!」


 そんな事言われても。


 星南は肩を落とした。彼を殴る理由は何処にも無い。フェルナンだったら、一発殴ってもいい気がするけれど。そんな事をして倍返しがきたら、ひとたまりもない。だから仕方なく、ウスタージュの頭を撫でてみた。みた目通りに固い髪の毛は、刈りたての芝生みたいな手触りがする。自分との違いに少し驚いた。


「セナ…………」


 顔を上げた鎧の青年が、琥珀色の瞳で見上げてくる。


「…………もしかして、許してくれるのか?もっと怒っていいんだぞ?」

「えーと」


 首を傾げてみせると、大きな溜息をつかれた。カシャンと音をたてて溝の縁に腕を乗せ、ウスタージュはそこに突っ伏してしまう。そしてまた、溜息だ。何かマズイ事でも言ってしまったのだろうか。思わず辺りを見回したが、誰も居なければ、鳥の声さえ聞こえて来ない。


「セーナはどう考えても女名だし、少年にしたって線が細すぎる。男に見える要素なんて、殆ど無いんだぞ」

「う、うん…………」

「いいか。見間違える才能があるのは、ダヴィドさんみたいな大人の女専門の男か、女を知らない坊やくらいだ」

「は、はぁ…………」

「真面目に聞いて無いだろう?」


 ウスタージュが疲れたような表情で顔を上げた。星南は返事に困ったまま、頬を掻いた。ぶかぶかの手袋の第一関節が、へにょりと折れ曲がる。


「言っても仕方ない気がしてきた…………」

「えーと、何だかすみません」

「お前、今、見当違いな言葉を言っただろう?何となく分かってきたぞ」

「全然分かってないよ?」

「もういいや。セナは俺を、許してくれるんだろう?」


 首を縦に動かすと、彼はどうやら納得したらしい。カラッと明るく笑って、鎧の重さを感じさせない跳躍で溝から飛び上がって来た。


「まぁ…………セナは見る目があるぞ。俺はダヴィドさんみたいな鬼畜じゃ無いからな!」

「えっ?」

「加減とか出来ない人なんだ。頼ると、事がややこしくなる」


 それを早く言って欲しかった。真面目な熱血漢ではないと、もう分かってはいるけれど。更に言うなら、少し怖い人だ。正直言って、もうどう接したら良いのか分からない。


「そう心配するなって。ダヴィドさんは、子どもを抱く趣味は無いからな」

「…………う、うん」


 ウスタージュの話を聞いていると、更に良く分からない人になりそうだ。内心で困惑していると、セナ、と低い声で呼び掛けられる。片手に木のお玉を持った、フェルナンだった。


「お前ら、何をごちゃごちゃ言っているんだ…………こっちは時間がないんだよ。食うのか?」

「いらないっス!」

「お前じゃねぇ!」


 ぷっと星南は吹き出した。


「フェルさんって、ママみたいだと思うだろ?」


 ウスタージュの言葉に、星南はくすくす笑い続ける。フェルナンは不機嫌そうに顔を歪めた。


「誰が、何だって?」

「おぉ恐い~!」

「セナ!お前も、何笑ってんだ!!」


 私、この人達に付いて来て良かった。

 唐突に思う。


「怒鳴ってるほど、怒ってないんっスよ?そこが、何ともママっぽい」


 ウスタージュが小声で教えてくれる。見上げると、琥珀色の瞳が笑みに細くなっていた。それでも堪え切れない笑いで身体が揺れて、カチカチ鎧が鳴っている。


「…………二人とも、こっちへ来い」


 一段と低い声でフェルナンが言った。


「おっ、俺は小便!!」


 ウスタージュはビクッと背筋を伸ばして、星南の背中を軽く二度叩く。


「あれが怒った時のサインな。後は任せたぜ、新人!!」

「えぇっ!?」


 脱兎のごとく森の中に走って行ったウスタージュに、星南は唖然とした。恐る恐るフェルナンの方を向くと、お玉を片手に腕を組んでいる。ちょっと間抜けだ。


「ウチのママは、ヒステリーなんて無かったけど」


 言いながら足を踏み出した。


 私はこのよく分からない世界で、カナリというパーティーに拾われた。それがやっと、幸運だったと思えてきた。


「弟とお兄ちゃんと、ママかぁ」


 どれも自分には居ない。けれど、彼らがちゃんと迎え入れてくれる。そうしようと、本当に思ってくれていると気が付いた。そうでなかったら、今も、あの青い草原を彷徨っていたかもしれない。


 成せばなる。


 私はこの世界で、どうにか生きていこう。頼っても良さそうな人に、ちゃんと出会えたのだから。


「何をごちゃごちゃ言っているんだ?」

「でも、フェルナンがママなのは、ちょっとなぁ」

「…………俺が、何だって?」

「えっ!?」


 星南はギクリとした。


「な、に、を、驚いてるんだ?俺がママだと言ったんだろう?」

「に、日本語分かるの!?」


 思わず仰け反ると、フェルナンはお玉を星南に突きつけた。


「分かる言葉で話せ!」

「悪口言われたのだけ、分かるんだ」


 なんか変だ。それが今は面白い。星南がまたくすくす笑い出すと、フェルナンは盛大な溜息をついた。


「…………ひとまず飯だ。夜には火を落とすから、早く食え」


 ウスタージュはきっと知らないんだ。この人は口が悪いだけで、怖い人じゃないって。やっぱり少し、お母さんみたいだ。ちゃんと世話を焼いてくれる。


「聞いているのなら、返事くらいしろ!」

「はーい!」


 不思議と機嫌の良い星南に、フェルナンは一瞬訝しげな顔をした。けれどそれだけで、背中を向けて歩き出す。その歩調は、随分ゆっくりとしていた。




 暗い森の中に、更に暗い夜が訪れたのは間もなくだった。随分眠っていた事に気付いたけれど、その事をフェルナンは指摘してこない。役に立たない自分が何をしていようと、関係無いのだろう。それに少しの申し訳なさが生まれた。手に持つ根菜のスープは、塩味でとろみがあり、食べた事のない肉と紫のシメジが浮いている。


「無理に食べろとは、言っていないからな」


 一口食べて硬直した星南に、フェルナンが言った。蓋をした鍋を火から下ろして、食事の片付けをしながら、ちゃんとこちらを見ていたらしい。首を横に振って否定しながら、もう一口スープを口に運ぶ。


 塩味だが、とても苦い。


 そこはかとなく渋いし、後味がよろしくない。はっきり言ってしまうと、不味い以外の何物でもなかった。けれどお腹は空いていて、温かいスープの椀は何時までも持っていたいような気がする。香りはローズマリーに似た良い匂いだ。


 パチッと焚火が跳ねた。


 ウスタージュはまだ帰って来ないし、ダヴィドとエルネスも不在だ。二頭の馬まで居ないとなると、あの二人が連れて行ったのかもしれない。


「セナ、口に合わないのなら残せ」

「…………」


 慌てて紫シメジを口に入れた。とんでもなく苦い。


「…………もう止めておけ」


 遂にお椀を取り上げられたが、口の中には苦いキノコが残っている。噛めば噛むほど苦い強敵の処理で、頭は既にいっぱいだ。星南は口を押えて俯いた。多分これは、吐くしかない。


「ったく、手間かけさせんな。拭き紙やるから、その辺で小便してこい!」


 てい良く星南を追い出す事に成功したフェルナンは、鼻を鳴らした。世話が掛かり過ぎる。それでもエルネスに、男とは違うんですよ、加減を忘れないで下さい、と言われてしまったのだから注意せざるを得なかった。どうやら、人目の無い場所では女扱いをするらしい。


 絶対に、何時かボロが出る。


 草陰からよろよろ出て来た星南に、フェルナンは疲れた視線を向けた。


「何処で転んで来たんだ…………」

「…………あまりに暗くて」

「泥くらい、自分で払って来いっ!!」

「はいぃっ!」


 こいつを甘やかすなんて無理だ。フェルナンは足で焚火を崩す。その上に星南の残した汁物と、袋の砂をひっくり返した。広がる闇に、背後で悲鳴が聞こえる。けれど彼女は、その場を動いていない。見かけほど幼くは無いのだ。


 もし、セナが黒色こくしき病であったなら。


 何時発症してもおかしくない年齢だ。男であれば生き長らえる事も出来ただろう。黒色病の始まりは、黒点こくてんである子どもが血液を流す事と、深い関係がある。だからエルネスは真っ先に手を打ったのだ――――少女の発病は、初経でほぼ全員が死に至る。


 そうなる前に。


 人である内に殺してやるのが、せめてもの情けだ。


 もしセナを手に掛ける役目が回って来るとしたら、きっと自分なのだろう。闇に沈む森の中で、僅かに胸が痛んだ。

 

 

 

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