3-17:歓声
溺愛夫婦、しかも一方通行とは如何に。
星南はジトっとフェルナンを見上げた。それは誰にも取られまいと、どこかに閉じ込めれば良いのだろうか。常に愛を囁くには、語彙が足りない。
「具体的には…………」
「止めておけ、星南には無理だ」
「でも、する価値って、あるんでしょ?」
フェルナンにマイナスな事かと考える。けれど彼は、最善が最良ではないと言ったのだ。無理だからやめろと。だったら気を使われている、と思った方が正解だろう。
「私やる!これはフェルナンの為に、いい事なんだね?」
「…………星南の演技に、期待できない」
どうせ顔に出やすいですよ。そのおかげで、二番目に思った事は伝わりにくい。マイナスばかりではないのだ。
「ひとまず、フェルナンを閉じ込めればいい?」
「何で監禁から始めるんだ」
「じゃあ、縄で縛る方?」
「それは拘束って、ちょっと待て!」
「溺れるほど愛せば良いんでしょ?それってヤバイやつだよ。普通にしてても伝わらない!」
「…………なに言って」
フェルナンはげんなりして、壁にもたれ掛かった。そのまま溜息混じりに襟元を乱す。はだけて見えるのは均整の取れた胸板と、緑色の祝福痕だ。そんなに投げやりな態度をしなくても…………
「星南」
呼ばれて首を傾げれば、何故か手首を掴まれ、グイっと引き寄せられる。
逆の手には、彼の腰帯から引き抜いた布端を持たされた。まさか着替えを手伝えと?うっすら笑う不吉なフェルナンは、星南を静かに見おろした。
深窓の令嬢のように、半裸で叫ばれないのは都合がいい。
「何をしているんだい、星南!?」
「え?」
フランソワの声に入り口を見て、星南は慌ててフェルナンを見上げた。彼は片手で口元を隠し、ぎゅっと眉を寄せている。どうにも悩ましい雰囲気だ。目のやり場に困り、またフランソワを見ると…………こちらも困った表情だった。
「手を離しなさい、困っているだろう?まったく積極的だな…………誰に似たんだ?」
「っ!!」
やっと状況が飲み込めた。まるでフェルナンを襲っている図、ではないか!
「っあの!違うんです!!」
パッと手を離して距離を取る。その隙にフランソワに頭を下げた仮の夫が、脱兎の如く逃げ出した。なんてヤツなの!
「や、やだっ!待って!!」
こんな羞恥プレイをさせて、ひとり放置とかあり得ない!溺愛じゃなくて変態だ。
「ひとりにしないでっ!待ってフェルナン!!」
「…………星南」
呆然としたフランソワの声に、余計焦った。この状態で話しをするなど、恥ずかしすぎる。
「フランソワさん、詳しくは後で!」
「詳しくって…………いや、それは」
廊下の端を曲がった後姿を捉え、星南は一目散に駆け出した。溺愛の定義に問題がある。しっかり話しをつけないと、このままでは痴女だ。夫婦ですらない。
突き当りを曲がり更に走ると、ふわりと薄布が舞った入口があった。迷わずそこへ飛び込む。
「フェルナン!!」
「…………案外、悪くなかった」
「そうじゃなくって!」
「静かにしろ」
「くっ…………!!」
悔しい。そっちは受け身だからって!
「私達の夫婦像には、深い溝があるよ!」
精一杯睨んで言うと、乱れた衣装を整えながら溜息を吐かれた。嫌なら、しなければ良いのに!
「溝だらけなのは、お前だ。初めから監禁と拘束を思い付くあたり、おかしいだろう」
「だって溺愛って…………っ!」
「さっきので、相応の効果はあった、違うか?」
夫を襲う妻なんて。夫を襲う妻なんて、あり得ないっ!!納得など出来るものか!
しかし結果の出てしまった現実に、星南は泣きたくなった。これからもフェルナンを襲えって?しかもフランソワの前で。脱がしている場面を見られては、それ以上が目的だと言っているようなものだ。
「いくら夫婦でも、あれは!」
「…………妻は夫を溺愛してる」
「分かってるけどッ」
「お前が迫って来れないなら、俺がするしか無いだろう?」
フェルナンはそう言って、窓の方に歩いて行った。日差しはあるけれど、北側なのか薄暗い部屋だ。もっと明るくて、健全な空間に移動しないと…………嫌な予感しか、してこない。
星南はフェルナンの、謎のやる気が不安になった。こちらは受け身なのに加害者だ。いいところがない。そもそも攻め役という時点で破綻している。
「なんでそんなに、真面目にやろうとするの?」
「手を抜けるか。演技とバレたら、ニヤニヤ見られるのがオチだぞ」
確かにそれは恥ずかしい。既に夫婦だ、退路もなかった。そう思うと不用意に近付く事が怖くなる。男性の経験どころか恋人を持った事もない。変な事をさせられて、立ち直れなくなったらどうしよう。
「ね、ねぇ、バレない程度にやろう?最低限で!」
「当然だ。下手な演技に勘付かれるのは困る」
「さっき以上の事は、しないからね!?」
鼻で笑ったフェルナンを見て、腕がぷるぷる震えてしまう。笑うなんてあんまりだ。彼を好きとか嫌い以前に、秘めやかにすべき事を見られた羞恥で、軽く死ねそう!
けれど引けない。
出来ないと言ったら、敗けを認めるようなもの。その手には断固として乗れなかった。
「…………いいか星南、夜を共に過ごしたら夫婦、なんて都合の良い演技は出来ないぞ。相応の態度を取らないと、一方通行に重い愛は表現できない」
重い愛。全ての原因はそこなのだ。
「なんで、そういう方向性なの?」
「第三種族なんて、神人にしたら殺せば終わる生き物だ」
「…………え?」
なんて事のないように、その瞳がこちらに向いた。演技には意味がある。最善となる大きな意味が。
「私が、どうしてもフェルナンが良いって、そういう態度でいないと…………命が危ない?」
「そういう事」
フッと笑みさえ浮かべる涼しげな顔を、一度、殴ってやりたい。
何が、最善が最良じゃないだ。自分の安全がかかってるのに、協力してと言えないなんて!
星南はフェルナンを睨んだ。言っても馬鹿にされると、そんな評価をされているなら、断固抗議しなくては。フェルナンに限って、どうでもいいプライドだとは思えない。何故、詳しく話してくれないのだろう。
「私、死んで欲しくないんだよ!?」
自殺願望はきっとない。でも勝算があれば、フェルナンは容易く命を懸けてしまう。そんな一面も知っている。
変な思い切りの良さは、エルネスさんに似てしまったのだろうか。それとも、謎の自信に基づくダヴィドさんを、真似してる?
「みんな無事でいなきゃ、こんなところまで来て貰った…………立つ瀬がないよ!」
「…………欠けはしない」
フェルナンは窓から離れて、星南の傍に跪いた。胸を押さえて頭を深く下げるのは、神人に対する正式な礼の取り方だ。
白を基調とした神装は、民族衣装みたいに独特なもの。床に広がる生地や帯は、とても優雅で神聖だ。
「ダヴィドさんは、取れるだけの褒美を自分で掴む人だ。星南の気にする事じゃない。エルネスさんも、タダでは引かないだろう」
「…………じゃあ、フェルナンはどうなの?」
「殺せないように、手を打たれてる」
「だから演技はしたくない?」
顔色を窺おうとしゃがんで、星南は手を伸ばした。その手は、彼の頬を包むように誘導される。
そして、何故か手首を掴まれた。
「…………上手くいかないな星南。場を整えてやるから、せめて中腰になれ」
言われて、表情筋が死滅した。フランソワの呼び声が近付いている。だからこの部屋、怪しいと思ったのに!
「来るぞ」
ゆっくり話す時間もないらしい。どうして探しに来るのだろう。あの人、本当に暇人だな!!星南は心を無にして、フェルナンを覗き込んだ。入口に逸れていた二色の瞳が、ピタリと見上げてくる。
綺麗な顔だと、余計な事を考えた。
あっという間に熱が上がって、頬がポカポカ熱くなる。視線をどこかに逃がそうとして、既にフェルナンしか見えない距離だと気が付いた。このままじゃ――――背筋に震えが走る。もう目を開けている事は出来なかった。
ちなみに、キスをねだる妻という構図は刺激的だったらしく、フランソワは一瞬でどこかへ行ったようだ。これは心が死ぬかどうかの、命がけの作戦らしい。もう詳しく聞きたくないと、床にへなへな座り込む。
「星南」
ムスッとフェルナンを見上げれば、一瞬だけ窺うような眼差しをする。けれど次の瞬間には、見慣れた不機嫌顔になった。
ちゃんと心配、してくれてるんだ。
でも言葉にしてくれないのは、残念だけど彼らしい。むしろ励まされても複雑だ。
「…………泣くなよ。長引かせても不利なんだ。今日中に決着付けて、後は監禁されてやる」
「か、監禁…………?」
「喜べ。その方が負担は少ない。いいな?」
一体、誰の負担だろう。
星南は黙って頷いた。
その後もフェルナンは、手を弛めなかった。椅子に座った彼に乗り上げてしまったのは、取り上げられたペンを奪おうとしたからだ。文字の練習で、気を紛れさせようとした。
決して、襲った訳じゃない。
彼の髪を引っ張ったのは、先に引っ張られた報復だ。キスなどねだってないし、本当に際どい位置に口付けられて、星南の思考は凍った。面白そうに笑った、あの意地悪な顔を忘れるものか。それ以上をしたハズなのに、慣れの「な」の字もないなんて!
むしろ、キスって慣れて良いのだろうか。
両親がしてた場面など、見た事がない。夫婦ってする必要あるの!?
挙動不審に陥った星南は、とうとう服の裾を踏んずけた。
仮の夫はすかさず身を呈して守ってくれるも、世間から見れば押し倒しの現行犯だ。見えない位置でふくらはぎを固定され、硬い男の腹の上に乗ってしまった星南は半泣きになる。
「もう無理だよ!!」
「何してるんだい星南!?」
フランソワは相変わらず、一番見て欲しくない場面で現れた。
「見たら分かるでしょ!取り込み中です!!」
「えっ!?もうやめておくれ…………部屋は一緒でいいから!」
「…………紫菫の君、もう俺は」
掠れているフェルナンの声に、星南はぎょっと見おろした。今の声は、どこから出たの!?
「ひとまず下りようか、ほら」
近付いてきた神人を見て、フェルナンの手が弛む。それで腰を浮かした星南は、うっかり自分の腰帯を踏み、最悪の事態を招いた。着崩れていく衣装に、頭の中が白くなる。
「っ馬鹿」
「動いちゃダメっ!!」
起きかけたフェルナンを押し戻し、星南は帯を締め直そうとした。けれど焦っていて、指先まで震えている。仮の夫は無抵抗とばかりに目を閉じてしまい、完全降伏の状態だ。見かねたフランソワに抱き上げられるも、そこで暴れたから、寝ていたフェルナンの上に落っこちた。
「やるから、じっとしてろ!」
やはり静観は不利と見たのか、彼は星南を抱き起こした。部屋に下がりたいという申し出は、遂に受理される事となる。
「もうやだ!こんなところでなんて、ヤダッ!!」
「…………分かったから」
「フランソワさんが、見に来るんだよ!?」
「…………僕も、部屋から出ないから」
「っ!」
フェルナンは咄嗟に抱き寄せた。自身の肩で星南の口を封じる。欲しい状況になったのだ。好きに話しをさせて、墓穴を掘られては困る。会話の方向が非常に危うい。調整は必要ないだろう。
「俺達は、また晩餐に伺います」
「…………無理にとは言わないよ。新婚なのだし、僕も忠実に職務をこなさなくとも、罰せられはしないだろう…………やはり星南は、あの方の血筋だな」
フランソワは疲れた様子で背中を向けた。上手くいったのかもしれないけれど、こちらもかなりの痛手を負った。
意地を張るんじゃなかった。こんなの無理だ。
しかも一緒の部屋とか、末期すぎる。
「ダヴィドさん、いつ戻って来るんだろう」
「話すくらいなら手はある、部屋に下がるぞ」
「…………うん」
侮っていた。異世界夫婦のレベルは、高すぎだ。
寝室は、ちゃんと扉のある部屋だった。すっかり忘れていたけれど、この離宮は空間祝福に覆われている。見ようと思えば、第三者が覗き見る事も可能なのだ。
「ここは大丈夫なの?」
「そうだと思いたいな」
誰も居なくても演技が必要なんて、寝室では考えられない。する事が決まっているからだ。無理無理、いくら何でもそれは無理だ。
「フランソワの様子からして、ベッドのある部屋は監視外だと思ってる。何なら星南、お前が空間祝福を張るか?」
「え?」
「何の為に、祝福印を隠して着せたと思ってんだ」
左の胸を押さえる。空間祝福の祝福印は完全な形だと、オレアが話していた。血が薄まった神人は、少しずつ正しい祝福から離れていくと。
そして星南の空間祝福も、エヴァと同じ球体だ。
「ここの下ってどうなってると思う?」
「…………建物はあるみたいだが、人は居ないな」
「よし!」
オレアの言葉を思い出す。彼女の教え方は、とても分かりやすかった。だから星南は、苦労せずに祝福の扱いに慣れたのだ。
…………祝福ってね、喜ばせる事なの。
神や神人が使う力をそう呼ぶのは、喜ばれるからだ。大神に創造された意思なき要素に、仮初めの心を与える事。その心の形を示したものが祝福印であるらしい。
「水の皆さん、力を貸して下さい」
目で心で、そして伸ばした手で。心を持つ喜びを祝ってあげる。何かが起こる事なんて副産物だ。星南は左胸にある刻印に意識を向けた。丸くて繊細で、そして楽譜の記号を思わせる。それは厚い空気の層を作って、中のものを守り閉じ込める性質を持っていた。
「これくらいの広さで、お願いします!」
パッと両腕を広げる。耳に一瞬、わっと歓声が聞こえた気がした。




