3-16:夫婦
離宮の敷地は丸いらしい。
星南がそう思ったのは、石柱の回廊が常に湾曲していたからだ。古代神殿のようなこれを、どうやって作るのだろう。
「…………聞いているかい、星南?」
ちなみに、フランソワさんの説教中だったりする。神人が簡単に結婚してはいけないとか、自分を大切にしろとか。大きなお世話だ。着替えが神装しかなかった事は仕方ない。けれど火が使えないなんて、あんまりだ。
いい加減、温かいものが恋しい。
考える事は山積みなのだ。人の話しを聞く余裕などないし、それが苦手な相手ともなれば子守歌にすらならない。何度目になるか分からない溜息を吐くと、彼はやっと諦めたようだ。
「星南、拗ねないで聞いておくれよ」
「…………拗ねてません」
「どうかな…………ともかく、身体を大切にするんだよ。分かったかい?」
ムスッとした顔で頷くと、溜息を返された。人生の自由を奪われるなんてイヤだ。国の為に生きるなんて、納得できない。それが青石の国ともなれば尚更だ。
「それでフランソワさんは、いつ帰るんです?」
星南が聞くと、彼はしょんぼりと肩を落とした。そう言えばこの人をイジメると、エヴァが愚痴を聞かされるのだ。気を付けなければならない。
「用が済めば、自分の部屋に戻ります」
「…………自分の部屋に?」
「君達を、二人だけにすると思った?」
つまり監視のようだ。嫌がらせを受けているのではと、星南は早速エヴァを疑った。仲良くしたいと思った側から、したくないと思わせる。どうして両極端を突くのだろう。
「…………そうですか、分かりました。私、フェルナンを探して来るので失礼します!」
「まだ話しは終わってないよ、星南っ!」
もう付き合いきれないと踵を返し、全速力で走り出す。足がマズイ辺りまで見えてしまうが、見られなければ問題ない。ペタペタと裸足の音が、磨き抜かれた床に響いた。
フランソワさんは天敵だ。まず、話がつまらない。しかもフェルナンは、彼を見た途端に何処かへ行った薄情者だ。
文句の一つでも言わなければ、コチラの気だって済みそうにない。
「生け贄にするなんて、ひどい!」
背後に追手の影はなく、あっさり逃げ出せた事に安堵した。前もそうだったけれど、彼は走ってまで追いかけて来ない。代わりに根に持つ性格だ。エンカウントは地獄をみそう!
フランソワに怯えながら一階を探し終えた星南は、広い螺旋階段を二階へと駆け上がった。廊下や回廊には吹き抜けが多く、うっかりしていると下に居る怖い神人に見つかりそうだ。壁に張り付き忍び足。
見つかったら、長い話に付き合わされる。
負けられない戦いなのだ。息を殺して先へ進むと、星南を呼ぶフランソワの声が遠くに聞こえる。一応探しているらしい。やはり迂闊な真似は出来ないようだ。
本当にフェルナンは、ドコへ行ったのだろう?
そっと溜息をこぼして、近くの部屋を覗き込む。この離宮には扉が無くて、替わりに入り口は薄布が垂らされている。どの部屋も大きな寝台とテーブルセット、棚は壁に彫り込まれている造りだ。絵画や壷、絨毯などの調度がないので質素であり、彫刻が見事なのでシンプルでもない。
そして、穴蔵に居るような閉塞感があった。
またハズレの部屋である。何度、無人の部屋を見ただろう。感知が出来るフェルナンに逃げようと思われていたら、勝ち目はない。それでも唯一の味方だ。作戦の詳細も聞かねばならない。
愚痴を言いそうになった口を押さえると、腕で鎖が小さく鳴った。夫婦の証。憧れた結婚は、きっとこういうものではなかった。
良い事を思い付いた。
そう思ったのに、それが今は失敗だったと暗い気分にさせる。子ども扱いのダヴィドさんだ。結婚という手段しか無いなんて、そんなハズもないだろう。絶対に余計な事を言ったのだ。誰も指摘しないくらい、美味しい結果をもたらす何かが。
星南は次の部屋に移動して、半透明の布を捲った。やっぱり誰も居ない。水の幕が落ちる窓から、明るい日差しがキラキラと射す。夜になったら真っ暗だろう。早く見つけなければ。肩を落として振り返ると、トンと何かにぶつかった。
「…………うろうろするな!」
それはこちらのセリフだ。安堵と共に睨むと、立ちはだかったフェルナンは怪訝な顔をした。
「なんだその着方は。お前は怪我人か?神人が神装を着れないなんて…………」
そこで黙って気付いたらしい。残念なものを見る目を向けてくる。別に不自由していない。どう着ようと個人の勝手だ。
悔し紛れに距離を取り、星南は改めてフェルナンに視線を戻した。呆れた顔にはモヤっとするも、胴の露出を品よく押さえ、青の飾り帯に飾り紐。足元まで落ちる布は、爪先さえ見せない着こなしだ。身体に布を巻き付けた風呂あがり的な星南は、反論すら出来ない。
「先に移動する。フランソワが来るぞ」
「えっ!?」
手を引かれた。そのまま無言で歩き出し、フェルナンは階段を下っていく。歩調は早くないけれど、彼は一度も振り返らない。迷子の手を引くような態度に、星南の怒りはみるみるしぼんでいった。
怒っているのだろうか。
怒らせたくないし、怒られたくもない。少しでも仲良くしたいと思ってしまう。なのにフェルナンを、ある種のとばっちりで既婚者にしてしまった。歩み寄る程、距離を取られる。こんなハズではなかったのに。
しかし後悔は、すぐ中断を余儀なくされた。
星南が連れ込まれたのは、見覚えのある衣装部屋。ここでする事など一つしかない。
「フェ、フェルナン!」
涼しげな顔を振り仰ぐ。緑と黄色。二色の瞳は半眼から一転、ニコリと笑みに細くなる。機嫌が悪い。よりによって、お怒りだ。
ポイっと手を放されて、星南は前にたたらを踏んだ。
「帯を二本、紐は三本持ってこい」
「…………えっ、えぇーと」
これはやっぱり、まさかのまさかな状況らしい。ヒヤリと背中に汗をかく。着せ直される…………素肌に布を巻くしかない衣装を。そんな事になったらまずい。法的に夫婦なのもマイナスだ。
ともかく後退る。こうやって距離を取っても、エルネスには締め上げられたし、ダヴィドには捕まって脱がされかけた。どうしよう、負のスパイラルしか思い出さない!
「早くしないと、フランソワが来るぞ」
「そんな…………!」
困ってフェルナンを見上げると、彼は盛大な溜息を吐いた。
「胸の形がハッキリ分かる姿で、うろうろするつもりか」
「えっ!?」
「締めすぎるから、そうなる」
「でも!」
締めなきゃ脱げる。幅広い一枚布だから、そもそも服ですらない。弛める余裕はないのだ。星南がおろおろしていると、フェルナンは一歩を踏み出した。その時でさえ足先は見えない。ちなみに今は、歩み寄って欲しくない場面だ。星南は三歩ほど後ろに飛びのいた。
「お前は、足を何処まで大盤振る舞いする気だ」
「そ、それは!」
「脇の結び目を解いたら、脱げるんじゃないか?」
「…………!!」
それ見ろと言わんばかりのフェルナンに、退路は壁と負けの色合いが強くなる。
「だからって!着せて貰うわけにはっ!!」
「…………誰が着せると言った?」
「ち、ちがうの?」
「着せられたいか!」
「違いますっ!!」
何という勘違いをしたのだろう。聞けば良かったと思った側から、聞きそびれる。学習能力がなくて、自分で自分にがっかりだ。よろりと、安堵に足の力が抜けていく。
星南が座り込むとフェルナンの手が伸びてきた。細い指先は迷う事なく、脇の結び目を引く。しゅるっと衣擦れの音がした。
「っ!」
「フランソワを着替え中って追い出せ」
「…………えっ!?」
あっという間に衣装は着崩れ、慌てて胸を隠した。背中は丸見えだろう。一歩も動けない着崩れ具合だったので、入り口から顔を覗かせた敵には、全力の悲鳴をお聞かせできた。
顔をしかめたフェルナンには、いい気味だと言っておこう。
そんなフェルナンが居る部屋で、言われるまま服を着直す、という苦行があった。途中からは痺れを切らせたのか、普通に着付けを手伝われ、星南も達観した。恋人じゃなくて夫婦だ。見られたくらいで、多分減らない。
「…………帯の結び目を、縦に作るな!」
「結べれば、それで良いと思う!」
「くっそ、何でこんなに不器用なんだ!」
折角縛った飾り紐を解かれる。渋面で傍らに膝を突き、フェルナンは器用に結び目を整えた。そのまま腰帯の位置を少しずらして、タッグの寄りを左右対称に直してくれる。彼は自分の面倒見の良さを知っているのだろうか。それを指摘したら怒るかな。
「――――フェルナン」
「今度は何だ」
「ありがとう…………でも、そんなに丁寧にしてくれなくても、多分脱げないよ」
「脱げてからじゃ、遅いだろうッ」
やっぱり怒っているようだ。余計な事は言うまい。星南は唇をきゅっと噛んで、やるせない気分になった。フレンドリーな雰囲気になる方法は、絶賛逃亡中だ。
「少なくとも祝福印は隠しておけ。それから、その髪はどうしたんだ」
「え?」
言われて後ろに振り向いた。そう言えば、左耳の後ろあたりだけ髪を伸ばされたのだ。腰に届く長さでも、視界には入らない。すっかり忘れていた。
「なんか、オレアが伸ばしちゃって」
「どうして微妙な位置にした…………」
「私に言われても…………切っちゃう?」
「切るな。髪留めを探してくる」
やっと立ち上がったフェルナンは、溜息を溢しながら衣裳部屋の捜索を始めた。神装の生地はストール幅の白いもの。飾り帯は鮮やかな織り模様と、光沢や厚みがあった。金糸の飾り紐の他に、着付け用の絹紐。宝飾品の各種。生活感のない離宮で唯一布に溢れる部屋は、どこか温かみがある。
「ねぇ、フェルナン」
呼ぶと無言で睨まれた。鋭い目元はやっぱり少し不機嫌だ。
「用がないなら呼ぶな」
「…………私、手伝っちゃダメ?」
「駄目だ。そこに立ってろ」
予想通りの返事があった。星南自身、髪を伸ばした事が無いので、髪留め的な形が分からない。ただ、一緒に何かしたいと思った。自分のものを探しているのだ。
「見てるだけなのも、申し訳ないと、言いますか」
「…………裾を踏まない練習でもしておけ」
「そうじゃなくって!」
「なら黙って見てろ」
「なんでダメなの?」
「俺の仕事が増えそうだから」
くるりと背中を向けられる。けれど口調が柔らかい。そうやって期待させるから、気になってしまうのだ。星南は頬に空気を溜めた。優しさを探してしまう。僅かな好意がとても嬉しい。
「ねぇ、フェルナン」
「今度は何だ」
「私、フェルナンが好きみたい…………」
「…………だったら、困らせるな」
今度は、振り向いてさえくれなかった。それでも今は、少し優しい方の彼だと思う。
「真面目に聞いてる?」
「お前と言葉遊びしてる暇は、ねぇんだよ!」
何時もの勢いで声を荒げたフェルナンは、ハッとして額を押さえた。どうしてか自分のペースを乱される。黙ってしまった後ろの気配を探ると、どうやら怯えてはいないらしい。けれど少し、しおれたか…………やっと静かになったというのに、イライラが消えない。だから星南の相手は疲れるのだ。そう思って渋々振り向くと、彼女はパッと笑顔になった。
その顔を見ると、どうしても冷静さを欠く。
「そんなに暇なら、フランソワを撒いて来い」
「えっ!?」
「え、じゃねぇよ。同族だろう?」
「フェルナンもしかして、めんどくさい方を、私にさせようとしてる?」
「だったら、何だ」
とうとう本音を隠さなくなった。苦手なのはお互い様だ。単騎突入は避けたい。
「撒くとか無理だよ!」
「そろそろこっちに来るぞ?」
「じゃぁ、髪留めなんでどうでもいいから、逃げないと!」
「どうでもいいって…………」
文句を言い出したフェルナンを、星南は出口の方にずんずん押した。未だに鏡に出会えていない。おかしな髪型でも、気にしようがなかった。
「フェルナンと逸れる方が問題だよ。それに今後の方針とか、作戦とか、聞かなきゃいけない事がたくさんあるし」
「今さら聞いてどうすんだ」
「…………今更?」
「もう万事動き出してんだ、俺達に止める事は出来ない」
見おろす瞳は真剣なもの。不機嫌じゃない表情は、どこか覚悟を滲ませる。
「私達って、どうするのが最善なの?」
「最善が最良じゃない。俺達はこのまま、此処に居れば良いんだ」
つまりフェルナンは、最善案の否定派らしい。星南は一度息を吸い込んで、なるべく落ち着こうと思った。どうも彼と話していると、ヒートアップしてしまう。
「最善の案を聞かせて?それが最良かどうかは、私達が決める事でしょ?」
こちらは二人だけなのだ。多数決にしても、満場一致以外に可決は起きない。
「夫婦の演技が必要になる」
「…………演技」
嫌な空気が漂った。しかし聞いたからには、安易に無理とは言い難い。
「ちなみに、どんな?」
「妻は夫を溺愛している、という夫婦だ」
どんな夫婦なのそれは!!




