3-11:優しくて
それでも、すぐには浮かばない。
好きな事を考える程、失恋確定の片道切符は鋭さを増す。当たって砕ける道しかないのに。
「ばかやろ~っ!」
この悔しさを、どうしろっていうの。背が低いうえに童顔だ。恋愛対象にされた事すらない。
なのに燃えだしてしまった。
いっその事、燃え尽きてしまえばいい。それで無くなったら、辛さからも解放される。
――――すき。
恋が苦しいものなんて、知らなければ良かった。知らなければ臆したりしないのに。甘いなんて大きな嘘だ。目を背けたいほど胸がざわめく。制御できない気持ちは、天災みたいに思えた。
過ぎるのを待つ。
そして、ひどい爪痕に涙する。遠い天井を見上げて、星南は口をへの字に曲げた。心が燃える。顔が熱って切なくなった。フェルナンは見た目がいいし、気配りできるいい奴だ。ずっと考えないようにしていた。思い出したくなかった。恋なんて、惨めな思いを何よりもする。
身体がふわりと浮かぶ。
ゆらゆらと煙みたいに昇りだす。掴みどころが無いのにハッキリ見えて、時々しみる。恋する気持ちはまるで火遊び。すきって薪に火をつけて、ひとりでバカみたいに熱くなる。どうせなら芋でも焼ければいいのに。
焼き芋食べたいな、なんて現実逃避。
すぐに本人と対面だ。会ったら真っ先に言ってしまおう。それで早く終わらせて、悲しい気持ちも忘れたい。
あなたが、すき。
睨まれるに違いない。頬をつねられるかも。
「…………フェルナン」
言う前から、迷惑がられるって分かってる。ウジウジ考えても有利にはならない。バカだ。どうしてもっと、優しそうな相手を選ばなかったんだろう。
「あーもうっ!本当に!!」
フラれる自分を励ましながら、やっと天井近くに浮いてきた。気分は絶賛下降中。世の中上手く回らない。泳げないから適当に柱を蹴って、来た道の方へと進路を取った。曲がっているけれど一本道だ。迷いようがない。
覚えた道を引き返す。気分は憂鬱だ、とても憂鬱。
「セーナ」
知っている声が聞こえた。顔を上げると、もう一度名前を呼ばれる。セーナと呼ぶのはエルネスさんだ。どうしたのだろう。辺りを探すと、横道から泳いで来る美貌の青年が見えた。迎えに来たのだろうか。そんな子ども扱いが、いつも以上に痛く思えた。
黒い髪に白いシャツ。意外と肩幅のある彼は、薄着になると男性らしさが際立った。伸ばされる腕。長い指先が星南の手を取り、踊るように腕の中へとさらわれる。
「フェルが色不足になりました。危ないので戻ってはいけません」
「色、不足?」
まじまじとエルネスの顔を見てしまう。ビックリするほど真剣だった。何故?どうしてフェルナンが…………そう思ってエヴァがよぎった。さっき何かしてたじゃないか!
「私、行きます!!」
「いけません」
即答されて、星南はカチンときた。
「なんでです!?」
「フェルは貴女を噛めません」
「エルネスさん!!」
諦めろというように、サラサラと髪が横に揺れる。彼は視線を合わせなかった。色使いは力を使い過ぎると、色不足になる。魔人族は、寝ても食べても色が回復しないのだ。他者からの提供、それ一択しかない。
「私は金糸雀の赤ですよ!?適任者のハズ!」
「セーナは駄目です。貴女が思う以上に、その身体は未成熟。物理的な色の提供すら、本来は望ましくありません」
じゃあフェルナンはどうなるの?
娼館に行く?
断固却下だ!!
「頑張っても死にませんよ、神人なんですから!」
「神人でも子どもです」
この石頭!!
容赦なく噛んだのは、今のところ彼ひとり。ぜんぜん納得出来ない。あれほど怖い事を、フェルナンはしないと確信できる。
「放して下さい!私、行きます!!」
「…………まずい、此方に来ましたね」
エルネスは片腕で水を薙いだ。無詠唱の色術式が水流を起こす。彼は血筋が濃いせいで、非常に術式制御に長けていた。その連続行使は、まるで神人に襲われた時のよう。なんだか嫌な予感がする。
「来たって、なにがです!?」
「ダヴィドです」
話しが見えない。どうして二人で鬼ごっこ?必死に逃げる必要があるのだろうか。背後を見ようにも、エルネスに頭を抱え込まれる。
「じっとしてなさい」
「ダヴィドさんどこ?」
「右」
パッと振り向くと、オレンジ色の弾丸が見えた。ではなく人だ。
「早っ!」
「あの速さで泳がれたら、首が取れますよ」
「逃げましょう!!」
高い音を立てて指が鳴る。エルネスは樅の緑を展開し、容赦なくダヴィドに向けて放った。
「だ、大丈夫なんですか!?」
「あれくらいでは死にません」
基準そこなの?どう見ても直撃だ。もしかして、味方になる方を間違えた?早くフェルナンに会いたい。星南はエルネスのシャツを引っ張った。
「どうして逃げるんです?」
「子どもからの色提供には、規則があります」
「え?」
つまりダヴィドさんは、フェルナンの為に追いかけて来ている。そういう事だ。味方になる方、違ってる!
フェルナンに法を犯す真似はさせたくない、とエルネスは一点張りだ。気持ちは分かる。けれど今は緊急事態。
「時と場合によりけり、だ」
ダヴィドと非難するエルネスの声に、星南は増えた腕の主を見上げた。にっこり笑った、爽やかすぎるダヴィドだ。エルネスと星南を抱えて、彼は水流に乗っている。
「エヴァの加護がある。逃げられると思ったか」
「手を組むとは、どういう事です!!」
「フェルナン大丈夫ですか!?」
「不味いが、ある意味丁度いい」
色不足が良い?訳が分からない。
「セナ、エルの耳から銀管飾を外せ」
「えっ!?」
むちゃぶりだ。今もしっかり抱えられている。けれどどうにか片腕を伸ばすと、ギロッとエルネスに睨まれた。目つきが誰かにそっくりだ。
「何をして、いるんです?」
こ、こわっ!
しかし、めげてる場合じゃない。きつく目を閉じて、しっかりエルネスを睨み返した。怖い顔には耐性あります!あいつのせいで!!
「私はフェルナンが好きなんです!だから助けます!!」
「本人に言え」
ダヴィドの即答。そして視界が白くなる。エヴァの祝福だ。バカ!気を失ったら色の提供出来ないじゃん!!
高い耳鳴りと共に、星南の意識は消し飛んだ。ダヴィドの優先事項は、時空の歪みの完治である。神人にしか出来ない事。それを減らすことで星南の自由が広がるのだ。エルネスはフェルナンが指名されている事に、危機感を覚えた。天人族は希少種、そして彼は特別なのだ。
色使いの祝福痕。
エルネスでさえ、他と変わらぬ痕でしかない。けれどフェルナンは違った。彼は完全な祝福痕を持っている。神人が祝福印と呼ぶもの、神の名残りだ。エヴァは祝福をフェルナンに施して、それを知ってしまった。目を離した隙に試されたのだ。
「…………フェル」
従弟であり息子。兄弟でもあるフェルナンは、唯一の身内といっていい存在。エルネスの肩をたたいて、ダヴィドは目を細めた。
「エヴァに任せろ」
まだな、と囁く言葉は底冷えている。ダヴィドがセーナの何処を気に入ったのか、正直言えば分からない。しかし自分も、とエルネスは眉をひそめた。心配だ。あの子は時々とんでもない事をする。
「フェルが憐れです」
「何の事だ?」
「頑丈だと言いたいんですか?」
「やわだと思った事なら無いが」
「…………それは、ありがとうございます!」
拗ねた様子で、彼は海藻の森に消えていく。エヴァとの静かな戦いに、ダヴィドは口角を吊り上げた。
「俺の姫君に、乱暴が過ぎるぞ」
「誰が君のだって?僕、耳は良い方だと思うけど」
「思っているだけだ」
星南が居なければ、嫌味の応酬はやり放題。優しい猫を飼うのも、なかなかに疲れる。
ぽたん、ぽたんと水の音が響いた。甘い香りに目を開くと、白く煙る天井が見える。お風呂だろうか。ふらふらする頭を押さえ、星南は半身を起こした。久しぶりに重力を感じる。水の外だ。
「どこ?」
見覚えのあるドーム状の屋根。丸い部屋。噎せるような甘い空気に、淡い照明。床は薄く浸水していて、隣にフェルナンが倒れていた。ぎょっとして、血の気のない顔に手を伸ばす。
冷たい。
「フェルナン!フェルナンしっかり!!」
「うるさい」
重そうに瞼が開いた。二色の瞳はどことなく陰っている。調子が悪そうだ。
「静かにしてろ、どうせ出られない」
「ここどこ?」
軽い溜息を吐いて、フェルナンが身を起こした。肌に張り付くシャツの下、神への願いが白く透けて見える。星南は視線を逸らせて、自分の姿にぎょっとした。大して変わらない。
「エヴァの花蜜祝福内だ」
「フェルナン、あの…………色は」
「提供はいい。術者自身は、子どもから補給しない決まりだ」
だたし緊急時を除き、という注釈がつく。子どもの色は純粋で、得るには不確定すぎた。曖昧で刹那的、欲望に近い色の方が扱いやすい。星南には期待出来ない色だ。
「そ、そうじゃなくって!」
「だったら寝てろ」
フェルナンは仰向けに寝転んだ。ぱしゃん、と水音が立つ。もう全てが面倒に思えた。動くのもキツい。前回と違って、祝福の効果対象にされていないのだ。それを人は、嫌がらせと呼ぶ。
微睡む意識と、じわりと戻る色の熱。
何度、星南を噛もうとしたか。エヴァに見透かされている。それだけが理性を支えていた。
「フェルナン聞いて。私…………」
なんだと言うように、緑と黄色がこちらを向いた。ごくりと喉が鳴る。きっとタイミングとか、そういう事を気にするべきだ。本当は言いたくない。それでも――――星南は無理やり笑ってみせた。
「フェルナンが、すき」
「…………知ってる」
「えっ!?」
ぽーんと頭が白くなる。なんで知ってるの!?
「俺は…………星南を娶れる身分にないぞ。何でダヴィドさんにしなかった」
「め、娶れるって」
告白イコール結婚なのか。そういえば、そこのところを全く知らない。異世界ルールがあるのかも。星南はだらだらと焦りだした。
「あ、あのね、結婚したいほど好きなのかは、まだ、ちょっと分からない、と、申しますか」
しどろもどろになった。まるでナンパではないか。好きなのは本当でも、そこから先を考えていなかった。だってフラれる予定だし。そもそも知ってるって何なの!?
「ともかく気が付いちゃって。だからフッて!」
「ばか」
何故か頭を撫でられる。今の返事をどう取れば良いのだろう。まさか脈あり?それはそれで困る…………困る、よね?
「あ、あの」
「黙っとけ。色を提供しようとして、星南は考え過ぎたんだ」
「そうじゃないよ!本当に…………!!」
「泣くな」
「泣いてない!」
ムッとして顔を覗き込むと、フェルナンは瞳を閉じてしまった。どうして良いのか分からない。彼の顔は青褪めている。とても元気そうには見えなかった。治癒に必要なものは、この身ひとつだ。
「色、足りないんでしょ?」
エヴァに何をされたのだろう。色不足って、そんなにすぐなるのだろうか?
「ね、エル」
はぁー、と溜息のお返事をいただいた。いいじゃないか、せっかく付けた偽名なんだし。
「フェル」
「聞こえてる」
「噛んでもいいよ?」
「自推するな」
「調子は」
「良いようにみえるか?ちょっと黙ってろ」
「も、もう!勇気ないの!?く、くっ悔しかったら、かかか噛んでみなさいよ!!」
ギロッと鋭く睨まれた。思わず身を引く。本家はやっぱりキレが違うね!
「俺の努力を何だと思ってるんだ」
「え、えーと。うーん?」
何か努力をしてたのか、という感想しか星南にはなかった。少し怖いと思うけれど、話していないと場が持たない。無言はムリだ。左の袖をさっさと捲ってフェルナンに振ってみせる。
「遠慮せずに、さぁどうぞ!」
「…………」
重い溜息。そして額を押さえた片腕が、星南の腕を引き寄せた。お互い顔が近くなる。視線が交わりそして離れた。ぱんっと大きく水が跳ね、逆光になるフェルナンの顔。
「負担はしないからな。色を提供するって苦痛を、ちょっとは学べ」
「えっ?」
笑顔が氷る。あっという間に組み敷かれて、星南は血の気が引いてきた。なんだかすごく怒ってる。優しくなでる指先が、つぅっと頬から首に落ちていく。
「ま、まま待って!腕じゃダメなの!?」
「何処を噛もうが、俺の自由だ」
「そんな!!」
バタバタ暴れて身をひねる。その隙に背中のボタンを幾つか外され、慌てて仰向けに戻った。
「なんで脱がすの!」
「汚れる場所を減らすんだ。じっとしてろ」
「よ、よご…………っ!?」
エルネスが逃がそうと駆け付けたのだ。献血程度で済むハズがない。色の提供は命に関わる、子どもは出来ないと規則がある程。
「フェルっ!」
怖くて縋る。彼は味方で優しくて…………抱き起こされて安堵した時、焼けつく痛みが肩から星南を貫いた。




