1-7:青い死神
馬が止まったのは、涙が恐怖に変わる頃だった。
太い根が蔓延りデコボコになった地面を、ナディーヌ号は躓く事無く駆け抜けた。荷馬というのは健脚で、二人乗りに少量の荷物では、さして苦にもならないらしい。
「どうして、そうなるんだ」
「だだだだって」
しかし星南の足は違った。完全に膝が笑って、ガクガクになっている。何だか違う意味で泣けてきそうだ。結局、馬から引きずり降ろされて、フェルナンの肩に担がれる。役に立たない度合いでは、荷物以下に間違いない。しかも現在、絶不調で森の中。
私は生きて帰れるのだろうか。
本格的に不安になってくる。力無く濃紺のローブを掴むけれど、彼は全くもって無反応だ。
「ウスタージュ、炉はどの辺に決めた?」
「そこの窪みっス」
フェルナンが言われた辺りに目を向けると、木の根の無い地面が見えている。
「合格だな」
「よっしゃ!」
ウスタージュは嬉しそうに片腕を上げた。フェルナンも空いている腕を上げて応えたが、逆の腕を占領している荷物はびくりともしない。ノリが悪いのか、パーティーに馴染むつもりが無いのか。本当に色々と頭の痛い奴だ。それでも一応、炉から遠い場所に降ろしてやると、くたりと力無く木の根に傾いた。
「そこで、じっとしていろ」
返事が無い。それも今更ではあるが、こんなに大人しかっただろうか。たかが馬酔いで…………そういえば。コイツはもともと、馬酔いだった。
気付いたフェルナンは、思わず額を押さえた。そんなのを乗せて、普通に走らせてしまったではないか。しかもダヴィドに泣かされていた。
恐らく、性別がバレたのだろう。
身内だったから良いものの、外部の奴らに知れようものなら、命はない。セナはその辺りに無頓着過ぎた。平和ボケも極まれば、自殺願望者と大差ない。
「フェルさーん、この枝落として良いっスか?」
「枝?」
ウスタージュは、今回初めてパーティーに参加する新人だった。当然、面倒を見るのが古参の務めとなる。フェルナンはもう一度赤いローブを見降ろしたが、眠ってしまったのか、ぴくりとも動かなかった。
星南はフェルナンの足音が遠ざかると、そっと瞳を開いた。話せない上に突っかかってくる青年の相手は、気分の悪い今、とても出来そうにない。沈黙は苦肉の策だった。
頭を預けた木の根の先は、先の見えない天へと一直線にのびている。そして葉色は青緑。それが余計に、森を暗く感じさせていた。そっと目線を下げると、木の根元を覆う苔が見える。その色は見慣れた緑色だ。そんな事にほっとして、思わず頬をくっ付けた。ひんやりしていて気持ちがいい。しかも意外とふかふかだ。
「コワカッタ?」
「ちょっとね」
サクサクと苔を踏んで、足の太い灰色の馬が近寄ってくる。青い瞳のナディーヌ号だ。彼女はあれだけ走ったというのに、びっくりな程変わっていない。息切れとか、何かあっても良いんじゃないかな、と乗っていただけの星南は思うのだ…………悔しいから。
「ミズ」
「え?」
「ミズ、ガ、チカイワ」
「あなた、喉が渇いたの?」
星南は身体を起こした。何だかこの不調にも慣れてきた。空気が冷たいせいか、頭が随分はっきりとする。
「水か、水…………水ねぇ」
しかし言葉は通じない。水のジェスチャーはかなり難易度が高そうだ。近くに寄ってきた灰色の毛並みを撫でると、その顔はポカポカとして温かい。現在唯一の理解者である彼女に、水すら差し入れ出来ないなんて、やっぱり少し忍びない。
「よいしょー!」
気合を入れて立ち上がると、ナディーヌ号が大きな顔を寄せてくる。
「かわいい…………」
猫や犬みたいに小さくは無いけれど、とても甘えられているような気がした。彼女が喜ぶ撫で方を、知らない事が悔やまれる。長い首をそっとさすってみると、肩に顔を乗せてきた。それが何だかくすぐったくて、星南は首を竦めて微笑んだ。
「異様に懐かれてないか?」
見ていたフェルナンが呟くと、隣に並んだウスタージュも首を傾げて腕を組む。
「実は本当にエルネスさんトコの親戚だったり?…………いや、腹黒さが欠片も無いっスね」
「…………知性の欠片も無いぞ」
そうなのだ。賢ければ、こんな所には居る筈が無い。フェルナンは古参として、この新人の面倒も見なければならなかった。ザクザク苔を踏んで星南の元に向かうと、小柄な赤いローブと荷馬が一緒になって振り向いてくる。やる事なす事、いちいちムカつく小娘だ。
「もう立てるんなら、薪集めを手伝え」
「あの…………」
「“アノ”?それは返事じゃないな。動けるんなら、仕事だ」
「あぁ違うよ、水を…………って聞いて無いし」
溜息をつく星南に、ナディーヌ号はブルルと鼻を鳴らした。青い目を見上げると、きっと簡単、と人間臭く励ましてくれる。一人と一頭は、仲良く寄り添って木の陰に消えて行った。
その後ろ姿をじっと見ていたフェルナンは、盛大な溜息をつく。
ふらつく赤いローブから、目が離せない。調子は悪いままで間違いないのに、ろくに反論もしなかった。しかも本気で、仕事をするつもりらしい。
「フェルさんの鬼…………弱ってる子を仕事に追い立てるなんて、クソババアも真っ青!」
「黙れウスタージュ、お前も薪拾いだ!」
フェルナンが睨むと、ウスタージュはガチャっと鎧を揺らせて、大げさに項垂れてみせた。
「ママが怒ってら…………」
「誰が何だって?剣の稽古がしたいのか。そうか分かった、そこに座れ」
「薪拾ったら!!」
すごすご逃げて行く青年は、人型になったばかりの若い坊やだ。まだ二十五歳というから、知識者までは半分にも満たない。
しかし、とフェルナンは溜息をついた。
「誰がママだ」
さして時間は掛からずに、エルネスとダヴィドは拠点に着いた。しっかり枯れ枝は集まりきっていて、丁度ウスタージュが鍋を抱えているところだ。
「お前、随分手慣れてきたな」
ダヴィドが褒めると、彼は茶色い短髪の頭をガシガシ掻いて俺じゃないんっスよ、と苦笑した。ツンツンとエルネスがローブの端を引っ張ってくる。ダヴィドが何だと目線を向けると、森の方を示された。
馬が、薪を拾っている。
「なんだあれは」
ナディーヌ号は星南が教えた通り、どんどん薪を拾ってくれた。そして今は、それを両手で受け取るだけの楽な仕事だ。
「ありがとう。凄く助かった」
「イイノ」
私の前世は馬だったのかな、それも悪くない。星南はそう思いながら、新たな枯れ枝を受け取り、もういいよ、と彼女に言った。そして炉の方へと足を向ける。するといつの間にか揃った四人が、じっと此方を見ていた。
「セナ」
エルネスに呼ばれたので、つつっと無警戒に歩み寄る。するとダヴィドが薪を受け取ってくれ、空いた両腕を掴まれた。星南はおやっと、エルネスを見上げる。
「貴女、誰と話しているんです?」
おっと。
馬と話せる事は秘密にしようと思っていたのに、全然隠していなかった。星南の動揺は、腕を捕えるエルネスには筒抜けだ。それに気付かず悪足掻きを考える。
でもでも、彼らは私の言葉が分からないではないか。馬相手に独り言だって、十分誤魔化せる筈!
星南は笑った。
照れ笑いに見えるよう頑張った。しかし彼らから見えるのは口元だけ。胡散臭さが一気に増した。
「貴女の事は、詳しく調べた方が良いようですね」
「このまま尋問だな」
「えっ!?」
思わずダヴィドを見上げると、彼はニヤリと口の端を吊り上げた。エルネスは笑顔の標準装備で、元からよく分からない。
「えっ、えーと?」
「もうフードも要らないだろう」
背後のフェルナンが、バサッと星南のフードを脱がせてしまう。
「そういえば、レジの帯が締まり過ぎでしたよ」
「…………なら、ローブも要らないな」
「えっ?あの!?」
フェルナンの腕が後ろから伸び、ローブの留め金を外していく。思わず身を捩って抵抗したが、成す術も無く剥ぎ取られた。
こんなところで、脱がせるつもり!?
星南は焦ったが、エルネスに掴まれた腕はびくともしない。
「楽しそうなコトしてますねー」
その呑気な声の方に振り向くと、ウスタージュがにこにこ笑って立っている。
「昼間の森でヤルんスか?」
「明るい方が良いでしょう」
「ええぇっ!?」
エルネスの笑顔はちっとも変わらない。救いを求めてダヴィドを見上げると、可愛そうだが仕方ない、と頷かれる。星南はおろおろ三人を見回した。その背後で、フェルナンだけが嫌な顔をしている。
この流れで、実行犯にされるのが自分であると気付いたのだ。
確かにやり始めたのは俺ではあるが。
ダヴィドは僅かに顎を上げて、やれ、と言ってくる。エルネスも止める気が無いようだ。
多分、泣くぞ――――
フェルナンは、当て付けの如くウスタージュを睨んだ。
「お、俺には刺激が強すぎる、か、なぁー!?」
バッと両手を上げて、ウスタージュは呆気なく逃げ出した。あの根性無し!
「…………仕方ないな。上着のボタンは十個だったか?」
「隠しを入れると十四ですよ」
「だっ、駄目ですって!!」
悲鳴交じりに抗議する。けれど腕は掴まれていて、背後からボタンを外していくフェルナンの手を阻止できない。何かの帯と言うからには、上着は脱がされてしまう筈だ。寒くはないけれど、二人がかりでして欲しい事では無かった。懇願するようにダヴィドを見上げていると、彼は持っていた薪を地面に置いた。
「何だ、意外と手ぬるいな」
頼みの綱のダヴィドが、恐ろしい事を言った。
「自分で脱ぎますから!」
「大丈夫、痛くありませんよ」
「俺達は優しいからな」
頼むから、これ以上煽らないでくれ。
フェルナンは渋面で上着のボタンを外し終えた。レジの帯を緩めるだけなら、襟のホックは外す必要が無い。これを外すとなると、確実に肌に触れてしまう。強姦紛いの脅しは、もう十分ではなかろうか。エルネスを見やると、流石にもういいだろうと、苦笑している。
しかし容赦を知らないダヴィドは、その細い首を絞めるように両手を襟のホックに掛けていた。
「ダヴィドっ!」
「だからやり過ぎだっつーの!!」
悲鳴すら上げずに、星南は気を失った。エルネスが咄嗟に抱き止める。
「俺のせいか?お前ら共犯だろうが」
「私は多少怖がって…………あわよくば、共通語で話すと良いかな、とは考えていましたが」
「どうでもいいが、何処に寝かせるんだ?」
丁寧に横抱きにして、フェルナンは蒼白な星南を見下ろした。後味が悪すぎる。しかも、目覚めてからのひと悶着は確実だ。容赦のないダヴィドの悪ふざけに、エルネスがここまで乗る事も珍しい。
本当に、水に連なる血筋なのだろう。
意思とは関係無く『求めるもの』だと聞いた事がある。この二人が落ち着くまでは、引き離しておいた方がいいかもしれない。
俺の仕事が増える一方だ。
「先生ー!知識者が子どもを苛めてまーす」
「お前も無実じゃないからな」
ダヴィドの答に、ウスタージュはぎょっとした。
「指一本触れてませんよ!?」
「大丈夫。嫌われるのは、ダヴィド一人です」
「なに?」
エルネスは星南の頬を、そっと撫でた。
「性的恐怖なら悲鳴を上げますよ。この子は多分、命の危険を感じたんでしょう…………まぁ、推測ですけどね。一緒に逃げた仲間を、全員、首切りにされてしまったんです。そこだけは、情けをかけるべきでした」
「これじゃあ本当に、ただ虐めただけじゃないか」
「ダヴィドが加減を知らないせいでしょう?いい加減、長くいたぶる術を覚えて下さい」
「…………」
沈黙したダヴィドの後ろで、フェルナンに星南を渡されたウスタージュが小さな声で呟いた。
「…………どっちも酷くないっスか?」
「知識者なんて、こんなのばっかだぞ」
フェルナンが小声で言ってやると、琥珀色の瞳を瞬いたウスタージュが嫌そうに呻く。
「俺、自信が無くなってきました」
「そう言うな。お前が金糸雀に入ったお陰で、俺の負担は半分になったんだ。片方はしっかり手綱を握れ」
「無理っス!」
即答したウスタージュは、ナディーヌ号の待つ木の根に向かって歩き出した。フェルナンが背後を窺うと、ダヴィドとエルネスは炉に向かって屈んだところだ。青と緑のローブが無造作に地面に広がっている。
「血の濃い二人に任せたら、セナは何時か逃げ出すぞ」
「って、言ってもなぁ」
「死なせたいのか」
ウスタージュは項垂れながら、星南とフェルナンを見下ろした。
「そんなつもりは無いっスよ…………ただ俺には、普通の子には見えないって言うか、ちょっと不気味って言うか」
フェルナンは自分のローブを外して、苔むす地面に敷いた。その上にウスタージュが星南を降ろす。
「よく聞けよ…………」
一層声を落としたフェルナンは、緑と黄色、二色の瞳をスッと細める。
「セナには恐らく、一般常識が無い。これが一時的な記憶喪失でないなら、そういう特殊な環境下で育てられた事になる」
「…………ちょっと待って下さいよ。それじゃあ、まるで監禁や隔離じゃ」
「推測だ」
フェルナンは腕に掛けていた赤いローブに視線を落とした。魔除けの赤。リュビと分類される、非戦闘員を示す色。最悪の予想から遠ざけるように、それを星南の上に大きく広げた。
ギルドが屠る、討伐対象。
それは、特異な環境下で生まれた子どもであり、それが黒点という病原に変化した後の感染者だった。被害を抑える為には殺すしか道は無く、薬の開発は進んでいない。
故に彼らは、黒点の誕生が多い獣人族から畏怖の目を向けられる。礼装の軍服に似た制服を纏うのは、殺めるのが人だからだ。
誰かが、やらねばならない。
例え、青い死神と忌諱されようとも。
誤字報告ありがとうございました