3-5:海の都
とは言っても、年齢イコール金槌だ。そう簡単に泳げるようにはならない。
「なんでこんなに沈むんだ!?」
「知らないよ!」
川底を歩いた方が早いくらいだ。泳ぐ必要性すら感じない。
「水の神人は鋼鉄製か?あり得ねぇ…………もう少し浮いても良いんじゃないか?」
現実見てよフェルナン、沈んでるから。両足床についてるからね?飛び跳ねると、少し滞空時間が長い程度だ。宇宙の方が絶対に浮く。
「…………まさか、痩せすぎって事か」
「関係無いです!」
「浮くには肉も必要なんだ。お前は余分がねぇんだよ」
「急に太る筈無いでしょう!?泳ぎ方を何とかしてよー!」
「浮かびもしないのに、どうすんだ」
「いいもん、カエル泳ぎするから!」
「馬鹿っ!やめろ!!」
「うぐっ!」
また抱きしめられた。身体が硬い。肉が無いのはお互い様だ。
「いいか、俺が背負って泳いでやるから、まずは浮く事を覚えろ。沈む内は泳げねぇよ」
そう言って拘束を解かれ、背中を向けられる。おんぶですか、それとも貴方にまたがれと?
フェルナンが浮き輪みたいに浮く筈がない。
頭には浦島太郎の図が浮かぶ。竜宮城にドナドナだ。ともかく掴まっておけば良いのだろう。遠慮なく背中にくっつき、視線を上げる。高い肩、そして漂う白い髪。銀白色という色は、銀も白もイヤだと泣いた幼い彼に、エルネスが贈った色名らしい。
「フェルナン、髪が邪魔」
「…………文句の多いヤツだな」
三つ編みにしてみたい。そう思った指の先を、髪はスルリと逃げていく。原因を探すと、無造作に束ねる手が見えた。
「もったいないよ、せっかく綺麗な髪なのに」
「俺は別に、残念でも惜しくもねぇよ」
根に持たれているようだ。残念だよ適当で。良い要素がいっぱいあるのに、生かせないのは惜しと思う。
「私が三つ編みしてあげる!」
「自分で出来る」
「えっ!?」
紐がほどかれ、髪が流れる。綺麗な指が慣れた手つきで、おさげを編んだ。
「なんで出来るの?」
「男の嗜み」
「ダヴィドさんも出来るの?エルネスさんは?これって普通の事なの?」
「だから一度に聞くなって…………」
「じゃあ、フェルナンは?」
こちらに向いた彼は、少しげんなりしている。そんなの慣れっこだ。不機嫌じゃないだけ望みは高い。
「フェルナンは、三つ編みが好きなの?」
「好きじゃない…………いいから肩に掴まれ。泳げるようになるんだろ?」
再び向けられる背中はしなやかなで、思いのほか幅もある。筋ばった首。細めた瞳と目が合った。
笑ってる?
緑と黄色が弧を描く。息が出来ない。優しそうで儚げで、彼は綺麗な人なのだ。慌てて下を見るけれど、バカみたいに首から上が熱くなる。
不意討ち反対!!
フェルナンに見とれるなんて、私の頭はどうかしている。絶対に!それでも意識してしまうと、気安く飛び付く事が出来なくなった。
「シャツを掴むな。肩を持てって」
「…………無理」
「もういい、好きにしろ」
床を蹴ると水の圧力感じて、フェルナンは目を細めた。後ろに引かれるシャツが苦しい。予想通りの結果である。肩越しに見えた星南は、眉間にシワを寄せて目を閉じていた。水中で動きを止めれば、軽い彼女はふわりと浮いて――――瞳が光を映したとたんに、沈み始める。
手に負えない、かもしれない。しかし何とかしてやりたい。この水嫌いが泳ぎたいと言ったのだ。何もせずに投げ出す事は、自分の矜持が許さない。
「ちょっと目を閉じてろ、その方が浮く」
「ホント!?」
パッと喜色の広がる顔は、目を閉じた途端に深いシワ。そんなに力んで、目を閉じなくても良いんじゃないか…………ああこれが、フェルナンは苦く笑みを浮かべた。
「眉間にシワが出来てるぞ?」
「だって!!」
「可愛い顔が“もったいない”」
星南の時が止まった。やっと誤魔化せそうだった熱が、一気にぶり返す。誰がなんだって…………?
「バカっ!フェルナンのばかぁっ!!」
恥ずかしい。可愛いって何!?欠片も思って無い癖に!それより、もったいないの使い方が問題だ。
「ふーん、成る程な」
ニヤニヤしているフェルナンが、足元に見える。
「これで浮くのか」
ああ最悪。
ともかくエヴァに相談だ。このままでは、フェルナンに苛められる。
「悲しい事、悲しい事思い出さなきゃ…………!」
けれど浮いた理由が強烈で、みるみる水面が近づいた。とても沈めそうにない。フェルナンのばか。何で笑顔と優しさセットにしたの!?普段欠片も誉めてくれない癖に!
「何処まで浮いてくんだよ、危ないだろ」
「あっ!」
突然、水底へ落ち始めた。ぎょっとしたフェルナンが、慌てて泳いで来る。けれど犯人はすぐに姿を現した。
「水都の外に出ては駄目だよ」
「エヴァ!!」
「誰かに釣られたかと思ったぞ」
端から見ると、そう見えたようだ。今度はダヴィドに抱えられる。その太い首に腕を回して頭を寄せた。顔色を隠したかった。見られたくない。
今の私を、見ないで欲しい。
「いいかセナ。浮けば良い、と言うものではないからな?」
「…………はい」
ダヴィドがぽんぽんと、背中をあやす。怖かったと勘違いさせる訳にはいかない。ゆるゆる顔を上げると、エヴァの手が頬を包んだ。距離がとても近いんですが…………
「フェルに何を言われたの?」
「秘密!!」
星南は黙秘を決め込んだ。
どうして、気分で浮くのだろう。
寝ます宣言でエヴァとダヴィドの追及から逃れ、晴れて自由の身、なんて事はなかった。また泡の中に入れられたのだ。しかも自力で出られない。泳げないし流される。挙げ句、突然浮くのだから反論の余地など有りはしない。
沈んでいる時だって、別に悲しくなんてなかった。
恥ずかしいと浮くとは思いたくない。だったらエヴァは、常に川底でもいい筈だ。
「窮屈だったかな?」
起きてる事がバレる。急いで目を閉じたけれど、エヴァには見えてしまったらしい。
「…………眠れない?」
「…………少しだけ」
「底が平らになれば良いんだけれど」
泡だから球体だ。そればっかりは仕方ない。
「慣れないだけ、大丈夫だよ」
「無理させてゴメンね?」
必要ならば意見なんてお構いなしの、有言実行。言わなくても突然やるのが彼である。悪いなんて欠片も思って無いかもしれない。そんな彼と一緒に居るには、諦めも肝心だ。
「エヴァは自由だなぁ」
彼は一瞬言葉に詰まり、溜息混じりに肩を竦めた。
「君には、どうしてそう見えてしまうのかな」
「日頃の行い?」
「…………ひどいものだね」
エヴァって本当に、年寄りなのだろうか。見た目の貫禄どころか、中身の落ち着きも無いような。その前に全体的に、胡散臭い。まだ何か隠してるのかな?
「早く寝ないと、フェルを連れて来るよ?」
「フェルナンは私の味方ですから!」
浮かせるのは俺の特権、などと言い捨てて、彼も黙秘の同志となった。理由を隠してくれた事には感謝している。けれどレパートリーを増やされないか心配だ。
早く寝よう。
起きているだけで不利な気がする。
「じゃあ何か、眠くなる話をしようか」
エヴァは戻る気が無いようで、星南の周りをくるくる泳ぐ。寝かせたいのか起こしたいのか、よく分からない行動だ。
「じゃあ、大神の話を聞かせて」
遠慮なくリクエストしてみた。だったら、秘密の話を聞き出そう。フェルナンが言うには、神人だけが持つ情報があるらしい。それは神人にしか語られないと言っていた。
「大神の作ったものとか、そういう話が良いなぁなんて…………」
「作ったもの?この世の全てだよ?」
知ってますよ、それくらい。エヴァは始まりの十人で、水の最初のひとりでもある。水の女神の姿を、唯一知る神人だ。もしかしたら、話した事があるかもしれない。
「大神は色を作ったでしょう?それが自然って事だよね?」
「そうだね。この世の元となる色という解釈は、それで合っているよ」
「じゃあ、心は?」
大神に唯一創れなかったもの。それが心だ。
「心は生まれるもの、なんじゃないかな」
エヴァは困った様子で微笑んだ。大神は何処からか来て、この世界を作ったという。そして自身の身体を壊して、五人の神々を創った。
「…………大神にはね、心が無かったんだよ。だから創れなかったんだ」
「そうなの?」
「水の女神は恋をした。けれど相手は、それを理解出来ない存在だった」
理解されない恋。そもそも親子だ。辛い以前に問題がある。
「女神様は大神の、何が良かったのかな?」
「愛する条件ってね、案外曖昧なものなんだよ」
エヴァの声が沈んだ。習った通りならば、彼は数千年をひとりの妻と生きてきた。喪失の辛さは、理解の範囲を越えるもの。だから今でも寡夫なのだ。捧げられ続ける夫婦の誓い。素直に羨ましいと思う。
「私は、心があるって、良いことだと思うよ」
ひどく痛む感覚がある。軽いと重さを意識する。自分の一部なのに、時々制御が利かなくなって、アップダウンに疲れてしまう。それでもあって良かったと、思えるくらいは幸せだ。
人々の始祖である大神には、本当に心が無かったのだろうか?
「あのね、心ってさ、身体の何処にあるか分からないでしょ?でもどっかにあって、だから色々な事を感じられるって思ってる。これは自然に生まれるものなのかな?作られたモノだとは、思いたくないけれど…………身体は、大神に繋がるものなんだよね?」
少しエヴァは思案して、見方を変えても良いのかもしれないね、と微笑んだ。
「心のありか、か。そうだね、確かに何処にあるのか知らないな。僕は長く生き過ぎたから、君の話しがとても新鮮だ」
エヴァは、大気に還りたいのかもしれない。
なんとなく思った。何時になく淋しそうに見えたから。きっとそのせいだ。
「これからも長生きしてくれないと!みんな路頭に迷っちゃう!!」
「大丈夫、そのつもりだよ…………それでも星南?」
彼は腕を組むと、ニコリと意地悪そうに口角を吊り上げた。
「眠いんじゃなかったの?」
すっかり忘れてた。ひとまず笑って誤魔化そう。
次の日も、その次の日も川の中を移動する。星南はダヴィドと泡の中だったので、色々な話を聞かせてもらいながら、文字の練習に薬草師、ともかく勉強に精を出していた。海宮フォルジュという都まで、この川は流れているという。そこに一人、祝福耐性を後付け出来る女性が居るそうだ。
祝福が使えれば、きっと色々役に立つ。
守られてばかりじゃなくて、誰かを守る事だって出来る筈。それなのに気分が重くなっていく。今は帝国に戻らない方が良いと、さっきダヴィドが話したからだ。
二百年前に結ばれた婚姻の契約がある。
帝国と聖国に、青石の国の姫が嫁ぐというものだ。幸い聖王黄水仙の君は、それを辞退してくれた。しかし王家は猛反対。更に、若い水の神人女性の存在を、うっかり洩らしてしまったらしい。それで収拾は困難、情報を得た帝国は議会がメンツを気にしてに首を縦に振らないという。
まだそんなに経っていないのに。
薬草図鑑を眺めながら、星南は重い溜息をついた。ダヴィドが反対と言うのなら、絶対に連れ帰っては貰えない。ここに残されたら、どうなるのだろう。手紙を書く相手は、エヴァであって彼じゃない。
「セーナ」
落ち込んだのを分かっていて、優しく呼ぶのはひどいと思う。余計に泣きたくなる。泣いたってどうにもならないし、縋るしかない自分が惨めなだけだ。なにもやっていないから、頼らないと生きていけない。
これじゃダメ。
これじゃずっと、ダメなまま。
「セナ、あれを見てみろ」
「え?」
示された方を見てみると、大きな石のアーチがあった。もちろんココは水中だ。辺りが急に明るくなって、陸かと錯覚するような緑の草原が見えてきた。
「海宮フォルジュの入口だな。海王神の管轄する都だというが、俺も来たのは初めてだ」
ダヴィドの目線を追って顔を上げると、そこには波打つ水面がある。
「ここって…………」
川にしては広すぎる。だから流石に思い至った。
水都ではなく、わざわざ海宮と言うのだ。フォルジュは海王神が管轄する、海の都の事だった。




