3-1:青い森
帝国側の国境都市であるデュメリは、花都と呼ばれる美しい街と聞いていた。常夏のゴダンを少し南下しただけで、気候は春爛漫の穏やかさ。そのため、四季折々の花が咲き乱れる。
「残念だが、観光はできん」
ダヴィドの声に、星南は苦笑を浮かべた。花霞みの街に背中を向けて、一人前になったらまた来ます、と明るく返す。観光はしたい。けれど現状、街中を堂々と歩く事は出来ないのだ。なんでも凶悪な神人が放浪しているらしい。ゴダンの郊外は血の海だったとか。いくら暑かったとはいえ、リアルのスプラッタは御免である。
神人は殺しを好まない。
菩薩みたいな人種と星南は記憶している。けれど自分もその神人である訳で。作物に付く虫なら、大量虐殺だ。殺しを好まないのは常識的な範囲の事で、しない訳ではないのだろう。
「ダヴィドさん、危ない神人って…………珍しいんですか?」
「そうだな、神人は人前では虫すら殺さん」
「…………そう、ですか」
複雑な気分になった。蚊を潰したら、叱られたりするのだろうか。だからって黙って吸われるなど、無理な相談だ。
「変な顔をするな。セナが困る事ではないだろう」
「虫は日常的に殺してたので…………」
「農夫の娘なら、仕方あるまい」
笑顔のダヴィドは、ほら見えてきたぞ、と前を指差した。青石の国の国境は、依然として結界に閉ざされている。数百年間、それを一人で封じてきた水神は今、結界の外側だ。
「青石の国って、凄い神人だらけなの?」
何とはなしに聞くと、先頭を歩くエヴァがニコニコしながら振り向いた。
「僕の子ども達は優秀なんだ。でもまだまだだよ。その辺から穴を開けて通ろう」
「紫菫の君のですよ、セーナも知っているでしょう?」
エルネスのうんざりした声に、星南は神祝長補佐官というフランソワの身分を思い出した。それと彼の年齢も。確か、千を越える数だった。
「あのさ、エヴァって幾つなの?」
「僕?」
何故か不思議そうに首を傾げる。聞いてはいけなかったのだろうか。
「ふふふ、秘密」
彼は笑って背中を向けた。何時も楽しそうではあるけれど、今日はそれに磨きのかかった状態だ。神人の通常服である、白い神装に軽やかに揺れる房飾り。否応なく露出度の高い服を、いとも自然に着こなしている。右肩から腰帯にタスキ掛けの上半身。足元は前後に布を垂らすだけ。歩みに合わせてあらわになる太ももに、星南は神装なんて無理だと改めて思った。
現実逃避に視線を上げれば、白やピンク、紫色のリラの花。とても綺麗な森だ。うっかり観光気分になってしまう。
「結界って、どういうものなんですか?」
隣を歩くダヴィドに問うと、森の奥を示された。全体的に薄暗い。どんよりしている。その程度の差しかない。
「青き森の民と、俺達は青国民をそう呼ぶ。何故かと言えば…………」
「かの地の植物は、青みが異常に強いんです」
エルネスが頭上に手を伸ばした。房になって重そうに咲く、リラの花。その小さな花弁を摘んで、星南に差し出す。
「…………白いですけど」
「これはどうだ?」
今度はダヴィドが花を折る。やっぱり白だ。
「立ち止まるな」
つん、と後ろ頭をつつかれた。振り返っても濃紺の制服しか見えない訳で、顔を上げると二色の瞳。緑と黄色は、今日も安定の不機嫌だ。
「さっさと歩け」
立ち止まったのは私のせいじゃない。悔し紛れに睨み返すと、ふんと鼻で笑われた。最近、態度が悪い気がする。本当は面倒見がよくて、優しいのに。その反応は絶対に改善すべきだ。
「知ってるフェルナン?」
「…………なんだ」
「フェルナンみたいな人は、もったいないって言うんだよ!」
「もった?」
翻訳されなかったらしい。訝しげな瞳に、ギロリと鋭く睨まれた。
「もったいない、だよ。残念で惜しいって意味!」
「お前はケンカ売ってんのか」
「落ち着けセナ、ひとまず前進だ」
ダヴィドに背中を押された。
「私は落ち着いてます!」
「そうは見えん」
そうですか。
脹れそうになる頬を堪えて、足早に進む。どうせ結界を抜けたとたん、私がプツンと倒れるパターンなのだ。イライラしてくるのは仕方がない。それに及び腰なのも仕方ないと思う。
祝福耐性。
それが無いことを、エヴァは不幸な事故だと言っていた。産まれた赤子に、母親が一番初めに与えるもの。
それが出来ない状況だった。
まるで見ていたかのように言いきったから、実は彼が親戚なのかもしれない。でもエヴァは何も言わないし、聞いてみる勇気も少しなかった。欲しいのは、普通の親戚だ。
「止まって星南」
考え事をしている内に、結界の側まで来たらしい。うっすらとモヤのような空気の層が見える。そしてその向こう側は、鬱蒼とした青い森。リラの花まで水色で、手に持つ花弁が白く眩しく見えた。
「…………内通者が居るのかな」
エヴァは口角を吊り上げる。
「待ち伏せか?」
ダヴィドが問うと、五十は居るね、と深い笑み。エルネスが、どうしますかと言いながら、ローブの留め金を外した。
「どうもこうも無いよ。通るしかない」
「エヴァ、あの!」
慌てた星南の肩を、フェルナンが掴む。
「言っても無駄だ。エヴァが目立ち過ぎたせいで、帝国内だって俺達の所在はマークされてる」
「だからって進むの?こっちは五人だよ!?」
「こっちは四人だ」
星南はもとより戦力外。しかし不利と分かって、進む必要はない筈だ。
「エヴァ!」
「心配ないよ星南。中のは僕が、蹴散らしてくる」
「俺達の相手は、こちら側だ」
ダヴィドが言うなり、鞘から剣を引き抜いた。こちらって、こっちにも居るの!?
「フェルナン、結界側でセナを守れ」
「了解」
「エル、今日の始末書は無いぞ」
「では更地にしましょうか」
好戦的なのやめようよ!
ダヴィドとエルネスに、困惑の眼差しを向ける。エヴァは内側、私達は外側で戦う事に、なるのだろうか。そもそも、戦う以外の選択肢はないの?逃げるとか!!
「きょろきょろすんな」
「だって、どうしてこんなにっ!」
「エヴァのせいだ」
あいつ、ホントに何したの!?
結界を睨むけれど、エヴァの姿は既に見えない。ひとりで、五十人を相手にするのだろうか。何処まではちゃめちゃなのだろう。
「星南」
フェルナンに呼ばれる。振り向きざまにフードを引かれ、そのまま胸に抱き寄せられた。剣撃の音。エルネスの声が呪文を紡ぐ。
『神の羽のひと欠けよ 大地に根付きしその息吹 白く苦しめ眠りを誘え その身は痺れ霧の彼方へ――――艾の緑』
眠りと麻痺の色術式だ。呻き声がして、ドサドサと地面に落ちる鈍い音がする。穏便な方法って無いのだろうか。フェルナンのジャケットを握り締め、星南は目を閉じた。
気を使ってくれている。
それはちゃんと、分かってる。自分が助かるためには、誰かを犠牲にするしかなくて、それが嫌だとは…………もう言えない立場なのだ。
フェルナンは動かない。剣も鞘に入ったままで、だから相手は格下だろうと予想が付いた。
「依頼主が、死んだ事を知らんのか?」
ダヴィドの声に、蛇人のガキを渡せ、と叫ぶ男の声がする。不治の病、黒色病。一段と強ばる星南を、フェルナンはローブの内側に隠した。彼女は状況を理解しているのに、現実を見せては貰えない。
子どものままでいて欲しい。
かつて自分が言われた言葉を、フェルナンは星南に贈りたいとは思えなかった。
「星南」
「…………このままでいいよ。私が見てない方が、ダヴィドさん達だって、やり易いんでしょ?」
これの何処が子どもだ。眉をひそめる。女は見た目より、ずっと中身の育ちが早い。それなりに空気が読めるところからして、無垢なガキとは既に別の存在だ。
「お前、普段からそのペースで居ろよ」
「…………やだ」
聞き分けの良いフリ。星南の中ではビジネス対応だ。うわべだけの笑顔に、心のこもらない会話。相手に合わせて腹を探って、探られる事に慣れてしまえば、立派な社会人と呼ばれてしまう。
子どもで居たい。
まだ何処かでそう願う。その扱いには不服でも、正直言えば心地も良くて。甘やかされてはダメだと、分かっているのにその一歩が踏み出せない。
「フェルナンが知っていれば良いよ。私がネコ被りだって」
「そんな風には思ってねぇよ」
「…………私は、ネコ被ってる自覚あるのに」
「お前は、そいういうところがガキなんだ」
普通、自分で宣言するか?
良く見られたいから、違う自分を演じる。そんな事は誰だってしている事で、けれど人には知られたくない。
「冒険者ギルドは、やはり潰すべきか?」
ダヴィドの声が近くなる。
「別の組織が出来て終わりですよ。審査落ちは必ず出ます」
「頭の痛い事だ…………セナ」
振り向こうとすると、それが出来ない。フェルナンがまだ、しっかり星南を抱き締めていた。自分と彼の二枚のローブ。その上から、ぽんと頭を撫でられる。
「泣くんじゃないぞ」
「…………はい」
むしろ、その扱いに泣けて来そうだ。カッコ良く生きたいと思っているのに、気が付くと臆病で。相手に望まれる自分に、勝手になろうと努力している。けれど結局、不器用だから…………それも上手く出来なくて、最後にバレてガッカリされてしまうのだ。
「あれー、僕の方が遅かった?」
緊張感のないエヴァの声。
「我々は、手加減というものを知っています」
「死んだヤツに、恐怖心は芽生えんぞ」
「生かしておいても、いいコト無いと思うけど」
エヴァは、中の敵をどうしたのだろう。神人は虫さえ殺さない、その筈なのに、まるで皆殺しにしたような発言だ。
「まぁいいか、ともかく結界を越えよう」
周囲にふわりと風が吹く。ローブがはためき、フードが脱げた。本当に結界に穴を開けたらしい。一部分だけがクリアになって、リラの森がよく見える。
青い葉に、水色の花。
木漏れ日の色さえ青みを帯びて、どこか冷たい風景だ。
「青石の国へ、ようこそ」
エヴァが手招く。意識を失うだろう星南は、フェルナンにそのまま抱き上げられた。自然と首に腕を回すと、小さな声が耳元で問う。
「なにか、言い残す事はあるか?」
「…………私、死ぬんじゃ無いからね?」
「死にそうな顔してるから、聞きたくなった」
そんな顔してないよ。しかも今って、お互い顔が見えないし。
「私が、一人前の神人になったら…………」
ぎゅっとフェルナンのローブを掴む。きっと励ましなのだろう。何となく分かっているけれど、優しく言ってくれない彼には、反撃したっていい筈だ。
「その言葉、そのままフェルナンにお返しします!私の方が、ずーっと長生きなんだから!」
だって神人死なないし。まる焦げになっても死なないって、エヴァは笑って言っていた。何も言い返してこないフェルナンの顔色を窺うと、何故がジト目になっている。憎まれ口の一つも言えない彼女に、毒気を抜かれたのだ。煽った方を疲れさせるとか、一体どんな才能なのか。
「…………お前、本当に平和だな」
「大きなお世話ですよッ!!」
「うるさい、そこで叫ぶな」
二色の瞳がそっぽを向いた。星南がムッとしたところで、何してるんです、とエルネスの呆れた声がする。
「ケンカはしないで下さいと、何度も言っているでしょう?」
「してません!」
即座に言い返すのは、すっかり何時もの星南だ。
「歳上はどちらです?」
「フェルナンです!」
そして正直に毒を吐く当たり、質が悪い。
「騒ぐな星南。今すぐ、眠らせたって良いんだぞ?」
ギロリと睨み返された。脹れた頬に、意地悪な事言った、と書いてあるようだ。
「お前の声は頭に響く。静かにしてろ」
確かに恐怖心は薄れた。けれど、こんなの全然嬉しくない。欲しいのは優しさであって、スパルタから来るやる気ではない。
「もう良いだろう?早く来い」
境界を越えたダヴィドが呼んだ。どちらもまだまだ幼いですね、とエルネスが肩を落とす。
「早くおいでよ」
エヴァは相変わらずの笑顔で、こっちの事など微塵も心配してくれない。そう何回も気絶していたら、頭がバカになりそうだ。
「…………フェルナン、行って」
彼が一歩を踏み出すと、途端に肌が泡立った。強烈な祝福の気配がする。脳裏に見知らぬ神装の男が三人浮かび上がって、それで星南の意識は途絶えた。
糸の切れた操り人形のように、動かなくなる。
エヴァは問題ないと言うが、強力な麻酔薬でもこんな風にはならないだろう。フェルナンは目を細めた。任せて良いのだろうか。同族でも、大切にするとは限らない。特に、この童顔で残酷な水神は。
眉間に皺がよる。エルネスが代わりましょうか、と尋ねてきたのを断った。
「このままで良いと思うのか」
「…………どうでしょう?」
微笑む白皙の美貌は、明らかに不機嫌だ。それで少しホッとする。青い森の木漏れ日に、血の気の失せた星南の顔が照らされた。




