2-25:入隊式
フェルナンは軽く手を振って、そのまま天蓋から出て行った。
音無く燃える影の炎。そして何も聞こえない。けれど隣では話し合いをしている筈だ。叫ぶと絶対邪魔になる。
きっと、このまま寝ても問題は無いのだろう。
諦めて横になると、綺麗なオレンジ色の髪を掻き上げるダヴィドの姿が思い浮かんだ。
皇帝の弟って一体。
はっきり言って、どういう風に偉いのかすら分からない。なんでそれが仕返しなのか。
「私に?」
ごろんと寝返りをうつ。蜃気楼みたいに揺らめいて、炎は音なく燃えている。やっぱり嫌がらせなのかな、と星南は目を閉じた。
どうしたら仲良くなれるんだろう。フェルナンは何が嫌だったのかな…………
賑やかな声と黄色い悲鳴が頭に響く。あとはラッパのけたたましい音だ。うるさいなと思って、星南は目を開けた。
部屋はすっかり明るくて、お日様の位置も随分高い。昨夜はあっという間に眠ったようだ。色術式の炎は消えていて、天蓋を開けてみると珍しく誰も居なかった。
祝福内なのだろう。
神人の祝福には個人差があり、エヴァの祝福は球体らしい。だからこの部屋は最上階で、下の部屋も貸し切りだ。バリアみたいなものだと思っているけど、目に見えないので分からない。
依然としてこの世界は、分からないことだらけだ。
そして細かく気にしていると、埒が明かない。普段お世話になっている空間祝福くらいは、ちゃんと聞いた方が良いのかな。そう思うものの、いずれ出来るようになると言われて、終わる気がする。
しっかりしないと。
自分しか自分の事は分からない。パシンと頬を叩いて活をいれ、室内履きに足を入れる。
「はぁ…………」
朝から幸先が悪く、溜息が零れた。だからといって、何から学べば良いのやら。既に色々教わっているのに、知らない事が山とある。人間やる事が多いと、意外とやる気が出ないのだ。
そしてこの、真夏の気温。
季節はきっと冬なのに、カンカン照りのプール日和だ。ぐったりしている星南の耳に、一際大きな歓声がした。窓の外が憂鬱だ。
お祭りでもしているのだろうか。
そっと窓辺に近付くと、見えたのはパレードだった。隊列を組んで歩く白いローブの男性達。しかもガタイの良い人ばかり。そこにフラワーシャワーが降り注ぐ。
よくよく見ると、下の階からエヴァがバンバン花弁を投げていた。髪の色も目の色も、隠す気なんて皆無のようだ。自由でいいなと思うけれど、ああなってはいけない気もする。
それにしても、何のパレード?
こっそり観察していると、一人が大きく手を振った。捲れ上がるローブの下は、煌めく銀糸に濃紺の袖。
どう見ても、討伐ギルドの制服だ。
球根山地区ゴダンは神聖な土地。火山の女神に愛された、凍えを知らぬ豊かな地域。他に覚えた事はあっただろうか。ひとり唸っていると、部屋の扉がノックに鳴った。食事のトレーを持ったフェルナンだ。
「お、おはようございます!」
「おはよ、ホントよく寝てたな」
「…………誰かのお陰で、ぐっすりと!」
ムッとして言い返すと、トレーを置いた彼は振り返ってニコリと笑う。
「誰、が、履いたままだった室内履きを脱がせたと?だ、れ、が、お前に毛布を掛けたんだ?そう言えば何か寝言を」
「言わないでーっ!!」
フンッと鼻で笑われる。
悔しい。口でも勝てない!
「さっさと食え」
「…………はい」
くそう金糸雀のママめ。あっさり寝入った自分が恨めしい。確かに靴を脱いだ記憶がないし、何か掛けた覚えもない。
悶々としながら机に行くと、フェルナンは椅子を引いてくれる。髪くらいとかせと言われて、まだ顔も洗っていないと白状したら、怒られた。申し開きも出来ない。
彼は面倒見が良いのだ。
それが余計に悔しくてたまらない。ダメなところを指摘されると、ありがたいのに素直になれない。癇癪はダメだ。私は大人。大人の対応をしなくては。
「あの、ご飯、ありがとう」
ぎこちなくお礼を言うと、ぐしゃっと髪を混ぜられた。
「何時までも、やってもらおうなんて思うなよ」
見上げた表情は、やっぱり不機嫌そうだった。
何とか身支度を終えて扉を開く。廊下に居たのはフェルナンの他にエヴァだった。彼は例によって、怪しげな軟膏で頬の祝福印を隠している。
「おはよう、星南!パレードは見た?」
肯定すると、八十四人だったね、と楽しそうに言われた。出だしから数えていたらしい。暇人め。
「あれは今年の新人達だ。今日はその入隊式で、朝からこんなに騒がしい」
「ゴダンに分団ってあった?」
星南が問うとフェルナンは、無いな、と意外そうな顔をした。
「分団の場所を覚えてるのか?」
「大体は」
あまり自信は無いけれど、帝国内に五ヵ所、聖国内には四ヵ所だ。他に青国配備という分団が帝国内にある。でもローブが真っ白だった。そんな色は知らない。
「白ってなんのランクなの?」
聞くとフェルナンは腰に下げる剣に触れた。濃紺の美しい鞘は、小さいながらも宝石が付いている。それは二の剣という特別なもので、結構重い。
「単純にアイツらは新人で、これからランクの祝福を受けるから白いんだ」
ギルドのランクは前衛の剣士、後衛の色使い、支援の薬草師に色分けされる。それは事務職でも研究職でも同じだそうだ。
この世界の事務職は戦わねばならない。
ダヴィドのせいで、星南の認識はややズレた。
「青は二の剣、緑には銀管飾、赤は額冠を守護神人から戴く。その儀式は此処でしか出来ないし、その時、ローブの色もランク別に祝福で染められる。正規の道で入隊した者だけが、この栄誉に浴する事が出来るんだ」
「フェルは裏口だったの?でも、見世物にはなりたくないよねぇ」
エヴァはうんうんと一人納得して、あれっと首を傾げた。
「球根山に住まう神人って、色なんか扱えたっけ?ねえ星南、帝国の守護神人について、何処まで習ったの?」
まさかの指名に頬を掻く。守護神人は属する国を決めた神人の事で、国籍を持っている。他に何かあったっけ?
「帝国の神人長は、ローリエさん?」
思い付いた名前を口にすると、フェルナンに溜息を頂戴した。違ったらしい。
「月桂樹の君は風の神人長で、総代だけど守護神人じゃない」
「そっかぁー。昔と同じなら、帝国の守護神人は全員、火の血筋だね」
星南よりよほど詳しいエヴァは、守護神人は皇家に従順、と苦笑する。フェルナンがそれに頷いて、なんだ、とエヴァは興味を無くしたようだった。
「これも昔と変わらないんだ。帝国は上手く回していると思うけど、見事に変わらないんだね」
「寿命がありすぎて、変化がねぇんだよ」
政治の話は、なんとなくスルーしてきた自覚があった。だってつまらなそうだし。星南はフェルナンを見上げる。私には選挙権がない。その前に国籍もないのだけれど。永住予定の国の事くらい、知らないと困る。
「あの、皇帝と仲良しなのが守護神人で、そうじゃない神人がローリエさん?」
二色の瞳がこちらを向いた。幸い機嫌は悪くない。
「各王家の持つ土地に、守護神人って永住の神人がいる。そいつらは環境が保たれればそれでいいし、空気みたいに存在感もない。言ってみれば人畜無害で、生活を乱す輩には有害だ。逆に。自分の好きなところに住んでいる神人は、選挙権と一緒に課税対象。他の種族と一緒で、優遇措置はない」
世知辛い世の中だ。神の末裔といえども、働かざるもの食うべからずは同じらしい。けれど、一般人に混じって働く事も可能という事だ。なんだか少し希望が持てた。
「ねぇフェル、僕、入隊式を見てみたい!」
エヴァがフェルナンを見上げた。きゅっと片袖を掴まれた彼は、俺達は待機だろ、と青筋を浮かべる。エヴァのおもりって大変そうだ。好奇心の塊だし、一度言い始めたら聞かない。
「今日しか見れないんでしょ?じゃあ、此処で待機しなくてもいいよね?」
「どういう理屈だよ!?」
「あの白いローブを、ランク別に祝福で染めるんでしょう?水の神人にはそういう事出来ないから、見てみたい!星南も見たいよね?僕と一緒に見に行こうよ!」
ぐいぐい星南を引っ張り出したエヴァを放置するわけに行かず、フェルナンは命令違反にげんなりとした。
誰か、この神人を罰してくれ。
そして今日も頭が痛い。
ゴダンの街は浮きたっていた。
出店も多いし、露店も多い。道端で歌う人や踊る人。溢れる人々の間を縫って、エヴァはどんどん進んで行く。脱げないようにフードを押さえて、星南はエヴァを引っ張った。
「ねぇ、大丈夫なの?」
「目的地にはダヴィドも居るし、大丈夫だよ」
「全然、大丈夫じゃねぇよ!」
フェルナンにガシッと頭を掴まれる。
「なんで私!?」
「声出すな」
星南が不満顔で見上げると、ずいっと顔が近くなる。緑と黄色、二色の瞳は安定のお怒りモードだ。
「神人の女だったら、即騎士団に引き渡される。そのまま皇帝の後宮だ。蛇人の女だと丁度、この辺の娼館に高く売れるな」
「ボク男です!」
「喋るなって言ってんだろう!?」
「フェル、そんなに怒らなくても」
「誰のせいだと思ってんだ!」
エヴァはフードの奥で苦笑した。
「信用ないな。ちゃんと僕が守るから」
「言っておくけどな…………」
グイっとフェルナンに引き寄せられて、エヴァと一緒にたたらを踏んだ。道端でくっ付く青と赤。しかも二人は背が低い。
「後輩かい剣士様?」
「坊やたちは見習いだろう?仲いいねぇ」
「赤ってなるの難しいんだろう?小さいのに偉いな」
あっという間に輪が出来た。
この真夏日の下、ローブにフードは目立つのだ。しかも生地の良さでも一線を画す。帝国内でギルドと言えば、良いとこ育ち、という印象だ。勿論星南はそれを知らない。
だからフェルナンが接客スマイルなのを、不思議な顔で見上げた。彼のそれは、機嫌が悪い時の危ない顔だ。どうして誰も気付かないのだろう。だんだん青くなる星南の肩を抱き寄せて、彼は恐ろしい事を言い出した。
「小さくても優秀です。私も随分、助けられました」
その話し方に鳥肌が立つ。なんか丁寧語しゃべってる!爪の垢程も優秀なんて思ってないのに。しかも、助けた事だって無い。
「なかなか気も利いて――――」
ヤメテーッ!
内心で悲鳴を上げる。これ以上褒め殺しにされたら、本当に死んでしまいそうだ。心が。
「式典、始まっちゃうよ~?」
そしてエヴァはフリーダム。今は大人しく黙っていて。星南の肩は掴まれたままだ。逃げるに逃げられない。
「急いでおりますので、失礼いたしますね」
キラキラ微笑むフェルナンに、観衆から溜息が洩れる。それは見惚れるなんて以ての外の、黒い笑顔だ。もう悪い予感しかしてこない。
「またね、ご婦人方!」
エヴァの口を塞ぎたい。話してはいけないのって、私じゃなくてエヴァだと思う。これ以上不機嫌にさせたら大変だ。ぎゅっと肩に指が食い込む。
痛い、痛いよフェルナン!
私は全然、悪くないのに!!
数歩先に進んだエヴァに、フェルナンの腕が素早く伸びる。容赦無く頭を掴んだ彼は、地を這うような低音で言う。
「殺しても罪にならないのは、二の剣で切った時だけだ」
「分かった分かったー」
この三人って組み合わせ悪いんじゃ…………
今すぐ宿屋に戻りたい。
「入隊式楽しみだね!特等席って無いの?」
空気を読んでエヴァ!フェルナンが凄く怒ってるから。
「無さそうだね?じゃあ、早く行かないと!」
エヴァは星南の腕を引いた。悪戯っぽい笑顔で屈んだ姿が一瞬見えて、そのまま肩に担がれる。
「星南は貰った!」
「エヴァおろして!!」
「やめろ馬鹿!目立つだろ!?」
「悔しかったら、捕まえてごらん?」
追い討ちの如く煽って、エヴァは人混みを走り出す。あはは、と笑う声は楽しそうだけれど、追って来るフェルナンは鬼の形相だ。
「エヴァ急いで!エヴァ急いで!!」
「任せてー!」
「星南!お前どっちの味方だ!?」
つい本音が洩れてしまった。こうなったら捕まるとマズイ。
「裏道は!?追い付かれるよ!」
キュッと方向を転換し、細い裏道に滑り込む。エヴァは息切れしながら、まだ笑っていた。
「たっ、楽しっ、過ぎるっ!」
「ヤバイ!フェルナンなんか唱えてる!!」
『この手に寄りて 悪しきを祓え――――木蔦の緑!!』
光の筋が伸びて来て、それは瞬く間に蔦へと変わる。
「うわっ!フェル、ズルい!!」
締め上げられたエヴァが叫んだ。星南はサーッと青褪めて、頭を抱える。ママが魔王になってしまった!
「お前ら、覚悟は出来てんだろうな」
「えーっと、確かこの辺に」
エヴァは自由な片手で脇腹辺りを押さえ、あった、と明るい声を上げた。
「そう簡単には捕まらないよ?勿忘草の青!」
「なっ!?」
視界を青白い光が焼き尽くす。あっという間に色術式が分解し、エヴァは自由になった。そのまま重力を無視した跳躍で、軽く二階の屋根に飛び上がる。
「僕を捕まえようなんて、千年早いよ!」
「降りて来いエヴァ!!」
「さーて、入隊式はどっちかな?」
星南を肩に担ぎ上げ、彼は楽しくて堪らなそうな声音で言った。
味方に付く方間違えた。
こんな状態でダヴィドさんに会ったら、流石に怒られる。宿屋に帰りたい。入隊式なんて、もうどうでもいいよ!




