2-23:聖王
神人は気まぐれ。そして気ままで大らかという。数千年を生きている化石、なんて陰口もあるが。
ダヴィドはふと、そんな事を思い出した。
目の前ではエヴァが、聖王を遅い夕食に誘っている。それを放置する訳にも行かず、一緒に向かった先は居酒屋だった。このメンバーで大衆居酒屋など、何が起こるか分からない。二人を攫うように抱えて、隣のバーへ連れ込んだ。
「――――少しは立場を考えてくれ」
「フードあるし大丈夫だよ?」
呑気なエヴァに嫌な予感がする。案の定、次は聖王が公衆浴場へ行きたいと言い出した。それを宥めすかして、宿の風呂場を貸し切る事態。これは新手の嫌がらせか。どうしてこの三人で、風呂に入らねばならん。流石のダヴィドも頭が痛い。
帝国でも神人を崇拝する輩は多かった。
しかもエヴァは水の神人。人通りを歩けば、顔が見えなくとも視線を集める。本能で求めるという事を知らない筈がない。
「星南は?」
やっと思い出したようなエヴァに、寝た、と冷たく言い放つ。彼は胡散臭い笑顔のまま、困ったなぁ、と頬を掻いた。
「あの子暑さに弱いから。祝福も使えないし、バテちゃったかな」
「本当に神人なのですか?」
聖王黄水仙の君は、千歳未満の若い神人だという。確かに若そうではあるが、そもそも本当に聖王なのか。
「女性の寝室に、今から行くと?」
警戒を込めて問うと、青とも灰色ともつかない瞳を細めて、エヴァは頷いた。
「目が覚めるなら好都合だよ」
淡く微笑む表情は、少年のような見た目に沿わない影がある。やはり裏がありそうだ。
「本人を見ずとも構いませんが」
聖王も大概おかしな人物だ。火の神人が水の血に興味を示さないなど、有り得ない。更にエヴァの様子に気付かないとは、仮にも王を名乗る身では失格だ。こんなのを本気で会わせる心算なのか。星南は間違いなく嫌がるだろう。
「僕が会って欲しいんだよ。あの子は恐らく時空の歪みが癒えきっていない。それをエリゼに見て欲しい」
「分かるでしょうか?」
「分かる筈だよ…………君だって彼女に刃を向けた事、帳消しにして欲しいよね?」
「――――は、はいっ!」
エヴァの考えが分からない。時空の歪みが癒えていないとは、どういう事か。月桂樹の君が中途半端に手を抜いた?それこそ考えられない。
――――僕は女神のご機嫌を。
そう言って昼頃出掛けたエヴァは、聖王を連れ戻る気など無かった。先程の愚行はわざとだ。それに釣られる聖王が異質、と考えるべきだろう。
「ねえダヴィド、先触れに行ってくれないかな?」
エヴァがふわりと微笑んだ。
「彼女を起こして構わないと?」
「うん、頼むよ。あの子は寝起きが悪いだろう?支度は急がなくて良いよ」
「お任せを」
ダヴィドはそう言って目を細めた。聖王はエヴァにべったりだ。それを星南でさせる訳にはいかない。
フェルナンとエルネスがソファーについて、部屋に一同が会する。起こされた星南は、ベッドで待機を命じられていた。聖ネルベンレート王国の最高権力者…………そんな人が、わざわざ宿屋に来たらしい。
怪しいと言った、ダヴィドに同感だ。
「フー・ダヴィド、聖王としてまず貴方に、詫びねばなりません」
落ち着いた男の声がする。偉い人って、そんなに簡単に謝るのかな。ベッドの天蓋は透けていても、その向こうには衝立がある。誰の姿も見えない。
「間者の事なら、見抜けなかった此方の落ち度。詫びなど要りませんよ」
ダヴィドの声は低くてよく通る。改めて聞くと、聖王サマより余程威厳があった。
「今後も容認して頂けませんか?私達はどうしても、生きた蛇人を国内に入れる訳にはいかないのです」
「前聖王が禁姻の可能性に気付いたそうだよ」
エヴァの補足に、あれっと思う。それはギルドの機密と聞いた。知っているなら、蛇人族を薬に欲しがったりしないだろう。
「獣人達と蛇人を、関わらせたくありません。彼らの身体は薬になどならないし、生きていれば黒色病の火種を生みます――――狐は蛇に触れてはいけない、蛇は大神の罠と、かつて父は国王に忠告いたしました。なのに!」
「落ち着かれませ」
ダヴィドの声と食器の音がした。きっとお茶でも勧めたのだろう。今の聖王のお父さんが、前聖王になるのだろうか。フェルナンから聖王と習った名前は、スーシ・ジャスマン・ブリス。両親を始まりの十人に持つエリート神人だ。
「黄水仙の君、お尋ねしても?」
ダヴィドが呼ぶ名は、ジョンキーユ。高位の神人は花冠を呼び名にしない。つまり今居る聖王サマは、習ったジャスマンでは無い。どういう事だろう。
何時代替わりした?つい最近?
星南は首を傾げた。だから王様っぽくないと、感じるのだろうか。最高権力者の威厳は無いし、どちらかというとオドオドしていて心配になる。
「前聖王は何故、禁姻の可能性にお気付きに?」
「それは、獣人族を愛していたからです!」
星南は耳を欹てた。
「聖国は、あぶれ者の国と呼ばれています。隣は水神の守護する水の国と、竜人と魔人の広大な帝国です。両国に並び立つ由緒が、どうしても必要だったのですよ。そこで父は…………第五種族の誕生に力を入れました」
「掛け合わせの研究を?」
エルネスが口を挟む。どこか嫌悪のある声音だ。
「蛇人と獣人族の間には、黒点の子しか生まれません。しかも見た目は、黒髪でない神人の様になるとか」
「まさか…………」
「なのに前聖王の言葉で、国王はより蛇人に執着してしまいました。彼らに大神の特別な加護があると、そう思ってしまったのです!私は、蛇人族を全てを殺してでも黒色病を防ぎたい…………フー・ダヴィドお願いです、討伐ギルドの持つ情報を全て開示して下さい!このままでは…………!!」
聖王の焦りが伝わってくる。黒色病はそんなに蔓延しているのだろうか。年々減少していると聞いたばかりだ。
「それは常々している筈ですが?」
落ち着きを払ったダヴィドの声。聖王に乗せられて、一緒に焦ってはダメだなのだ。星南がそっと力を抜くと、我々に犬人の刺客を放った覚えは、と彼の反撃が始まった。
「…………そ、その節はご迷惑を」
「あれは如何なものかと。ご注意下さらないと、国際問題になりかねません」
「申し訳ありませんっ!聖都の森で大気に還して頂き、私も安堵しました。加減を知らぬばかりに、嫌な役目を…………」
「加減?」
神人の持つ、人を人だったモノに変える力。傷口から吹き出す赤い炎。ココに居る聖王サマは、あれをやった人なのだ。星南はぶるりと震えた。
「私は過剰祝福を知らなかったのです」
「聖国の他の神人は?」
エヴァの声が冷たく響く。
知らなかったと言って、人をあんな風にする。しかも安堵したって何なんだ。命の扱いが軽過ぎる。あのまま私達が殺されていても、手違いとか言いそうだ。
大体、嫌な役目と言うのもおかしい。
あの獣人を切ったのは、何も出来ない私を守る為。嫌な事をさせたと謝るべきは、聖王じゃない。
――――私だったのだ。
怖かった。命を狙われるのも奪うのも。なのに聖王は、口先で言えば許されると思ってる。間者の話だって、詫びると言ってそれっきり。結局謝ってもいないのだ。
責任の取れない子ども。
それが私の扱いで、今、聖王がしている事だ。なんてカッコが悪いんだろう。ココで待てと甘やかされて、話し合いには足手まといと残された。
「事態は分かりましたが、黄水仙の君。聖国の王家は竜人族の筈。この事態に一体何を?」
「何と言われても、王家が特別する事などありますか?」
「もういいよエリゼ。色々話したい事はあるけれど、先に星南を見てくれるかな?」
「――――勿論ですとも」
「少々お待ちを、私が連れて参ります」
席を立とうとする神人に、エルネスがストップをかけた。ダヴィドが赤い缶の茶葉を進めて、フェルナンは湯を取りに行く。あれは蒸らしに、時間のかかる茶葉だ。そして湯が沸くのにも時間がかかる。ダヴィドが頼むと、片手を振った。
「お任せ下さい」
エルネスは優雅にローブを翻す。衝立を避けて歩くと、透ける天蓋の向こうに小柄な少女が見えた。
「大丈夫ですか、セーナ?」
「…………はい」
少し震えた声が出る。この状況で出て行っても、きっと足手まといのままだ。
「行かなきゃ、駄目なんですね?」
「そうですね」
エルネスがふわりと天蓋を開いた。彼はそのまま跪き、低い位置から星南を見上げる。
「貴女が嫌なら、ぐっすり寝かせてあげましょう」
上目遣いに問われて言葉に詰まる。それはまさか、昏倒させる、という意味だろうか。
「…………私、行かないと」
引き攣った顔で言うと、くすくす笑われた。こういう時はフェルナン的に急かして欲しい。星南はのろのろシーツを這って、ベッドサイドに移動した。見上げるエルネスを覗き込み、他に聞こえないよう声を潜める。
「本当は、行かない方が良いんですか?」
「そういう訳ではありませんが…………セーナ」
エルネスは手袋のままの左手を、自身の胸元に当てる。そして綺麗に微笑んだ。
「見えてます」
「え?」
「見えてますよ、下着」
「えっ!?」
バネのように身を引いた。夜着の襟ぐりは大きくて、油断すると肩が出てしまう。前屈みになってはいけなかったのだ。
その様子をまた笑われる。ストールはどうしました、と問う彼はまだ跪いたままだ。なんとも抗議しにくい。
「ストールも室内履きも、ダヴィドさんがどっかに持ってきました!」
小声で叫ぶと、またですか、と少し呆れた顔を向けられる。
「ベッドでじゃれては駄目だと、教えた筈ですが」
「違います!」
「それにしては、シーツが乱れて…………」
「違いますって!!」
視界を遮ろうと腕を広げる。無防備になった胴体に、エルネスの腕が回った。一瞬で引き寄せられて姿勢が崩れ、手を突いたのは彼の肩。
「悲鳴がなかなか出ませんね」
「エルネスさん何しに来たんです!?」
「…………時間稼ぎに」
エルネスの口が弧を描く。しかし瞳は、余計な事を言うなと真剣だ。
「貴女の周りには、沈黙の陣が施してあります」
いいですかセーナ、とエルネスが問いかける。カクカク首で肯定すると、あの聖王はスーシの花冠を継いでいます、と囁かれた。前聖王と同じ花冠。それが意味するところは『最後の子ども』という事だ。
「本当に聖王サマ、なんですね?」
「それについては分かりませんが、スーシ・ジョンキーユ・エリゼと名乗った彼が、アルベール・アルタの姓を持つ事は分かります」
「ええと…………」
言葉に詰まると、アルベールは火の第三初期姓です、と補足された。
「エヴァの方が力は上、と言いたいんですか?」
「――――いいえ、分かりませんか。ではセーナ、貴女は交渉術に馴染みがありませんね?」
「ありません」
即答すると、エルネスはやっと表情を緩めた。なんで良かった、みたいな顔をするのだろう。ちょっと悔しい。
「私達は聖王に、交渉を持ち掛けたいと思っています。青石の国は鎖国前、聖国と帝国にある条約を結びました。それが今も有効の場合――――セーナの許婚の片方は、あの男です」
「えっ!?」
「そんなのイヤですよね?」
星南は一も二もなく頷いた。
対面した聖王サマは、黒髪を三つ編みにして垂らし、何故か夜着を着ていた。オレンジ色の瞳はパッチリ二重。第一印象は優しそうな青年だ。
「初めまして、水の姫君」
微笑む彼を、星南はエルネスの背後に隠れて窺った。普通に挨拶してしまうと、短い髪先に口付けられてしまう。だから臆病な子どもという設定通り、名乗り返しは行わない。躾のなってない子ですみませんと、心の中で謝っておく。
「ええと、さて、どうしましょうか…………?」
「近付かなければ分からない?」
エヴァが問うと、服を脱いで頂きませんと、と聖王サマはとんでもない事を言い出した。
「…………服」
それにはエヴァも困ったらしい。
「彼女はまだ子どもでしょう?何故、服を着ているんです?」
不思議そうな聖王に、服は無理かな、とエヴァが苦笑した。脱がされてしまうと、一つも祝福印の無い事が知られてしまう。それが一番問題だ。
「この子はね、神人として育っていないんだ。肌を見せる事に、一般的な抵抗がある」
「では…………」
「――――ひとつ、提案をよろしいですか?」
エルネスが口を開いた。
星南は半ば自棄くそで、エルネスの身体にしがみ付く。怖がって甘えるように、なんて指示をされたけれど無理だ。二十三歳が十歳のマネとか、やる意味無いと思うんですが。みんなの視線が痛くて死にそうです。
「彼女は、聖王閣下に向けられた刺客が、心の傷に…………可哀想に」
「…………それは」
「大丈夫だぞセナ。黄水仙の君はそれを詫びて下さった」
いやいやと首を振る。大根役者に見えぬよに、言葉は話さない約束だ。
「この様子では、エヴァの望みは果たせますまい。どうです黄水仙の君、先に帝国と契約を交わしてみませんか?」
ダヴィドが人の良さそうな笑顔を聖王に向けた。