2-22:長い夜
「要件は何だ?」
ダヴィドは渋々、話を聞く事にした。エヴァで捌けない面会となると、自分だろうと嫌でも分かる。
「君が保護した蛇人に用があるって」
「セナはモテるな…………」
「聖国で不用意に、星南の姿を晒したからだろう?確かに獣人は、黒髪と見れば神人に近い火か風の者としか思わないけど」
「…………知っている」
そっぽを向いて答えると、エヴァに睨まれた。蛇人は獣人族より劣ると、聖ネルベンレートではすっかり浸透している。第二種族の証とも言うべき黒髪が居るなど、一般市民は思わないのだ。
「神人に見られたか?」
「今の星南は、神人にだって蛇人族に見えるよ。祝福の気配が無いからね」
「瞳の色の方か」
ダヴィドが肩を竦めると、君達が、とエヴァの声に怒気が乗る。
「ベルコで何人殺したの。その行動に火の神人は、逃げた黒髪の少年と星南を結び付けたんだ」
「かかる火の粉は、掃って然るべきだろう。戦力外で言葉も話せんセナに、血を見せず、効率的に守るには仕方あるまい」
「そのお陰で、聖国の神人は躍起になったのに?」
「…………迷惑な話ですね」
エルネスが溜息を吐く。小柄な神人は、収まらない怒りにぷるぷる震えていた。最善策ではなかった。無血で荒事を鎮めるなど、短時間では難しい。ダヴィドの選択した方法は、独立機関である討伐ギルドの権威を、最高に駆使した戦法だ。
餌に釣られた愚かな生贄。
黒色病専門の組織が侮られるのも、弱いと認識されるのもマイナスだ。ましてや、王国軍の手下などに見られては敵わない。
濃紺に銀糸の煌めく、死神の色。
その格の違いを荒くれ者に叩き込む。冒険者ギルドへの圧力は、治安維持の為にも過分にならざるを得なかった。
「先に手を出したのは彼方だ。痛い目見せて何が悪い?」
鼻で笑うダヴィドに、アングラード分団に間者を、とエルネスも眉を寄せる。エヴァは目を座らせた。過去の事を言っても仕方のない事だ。そんな事は分かるものの、血の気が多くて嫌になる。
「文句は本人に言うと良いよ。面会希望は、聖ネルベンレートの神殿長だ」
エヴァは吐き捨てるように言った。
広大なルーク=ドラフェルーン帝国の中で最も高い山が、球根山である。コルネイユ島より本土に戻り、馬車で五日の行程だ。エヴァのお陰か、危険な目に遭う事もなく順調に旅は進んだ。
「球根山地区ゴダン…………ここも暑いんですね」
「セナは暑さに弱いな」
制服のジャケットを着崩しているダヴィドに、そう言われるのは癪である。因みに星南は、ジャケットを早々に脱いでいた。
「どうして球根山なんですか。神殿長って、ネルベンレートで王様よりも偉いんですよね?」
神人は国籍を持たない。だから、帝国内にスイスイ入って来るのは分かる。
しかしだ。
星南は数日前からの懸念を見上げた。球根山は遠目には巨大なタマネギに見えて、少し可愛い。それはあくまで遠目であって、国一番の山が低い筈はなかった。
「この気温で登山なんて無理です」
「とは言っても、あれは神の山だ。移転回路が開けるかは分からん」
「うわぁーん、えばぁーっ!」
パタンと机に突っ伏した。宿の部屋は三階なのに、町の陽気な音楽と喧騒が聞こえてくる。現在ダヴィドと留守番中。夕暮れでも気温は高く、星南は手袋もローブも着ていられないとベッドに投げて、ブーツも脱いだ状態だ。人間クーラーのエヴァ不在では、動かなくても汗をかく。
「少しは水を飲め。神人でも脱水になるぞ」
「私、水は嫌いなんですよ」
「…………酒との二択なんだが」
「えっ?」
何故と聞こうとして、ゴダンの情報を記憶に探す。球根みたいな山。連想するカラフルなチューリップ畑。
「特産品は、カクテルでした…………?」
「その通り」
微笑むダヴィドを見て、再び机に突っ伏した。お友達の提案をしたせいか、三日連続で彼が護衛になっている。話が上手くて機転も利いて、一緒に居るのは楽しいけれど…………なんだか日に日に距離が近い。今も伏せた、後ろ頭を撫でられている。
「酒を飲むか?」
「…………いりません」
「眠いのか?」
「眠くありません」
「何を拗ねている」
ダヴィドが笑う。不機嫌な理由は、彼が一番知ってるのだ。だから星南は無視をした。
「聞いているか、セナ」
「…………」
「セーナ?」
「…………」
「星南」
「っ呼び分けないで下さい!!」
ダヴィドさんは、ズルい。セナと偽名ばかり呼ぶくせに、本当はちゃんとした発音も出来るのだ。思わず睨むと、瞳が笑みに細くなる。
「どれもお前の名だろうが」
クッと笑う低い声。彼は面白がってやっているのだ。しかもそれを見逃すまいと、刺さるように凝視されている。非常に居心地が悪かった。
そんなに見ないで下さい、とは既に言っている。
友をよく見て何が悪い、と言い負かされて拒めないのが今だ。ダヴィドさんと名前を呼んで非難すれば、ダヴィーと呼んでくれんのか、と切なそうな顔をした。それに思わず謝って、完敗を喫っする。
ダヴィーなんて呼べないよ。
彼の愛称は響きが甘い。呼ぶだけで恥ずかしいし、愛称の愛って一体なんの愛なのか。早く違う呼び名を考えないと、身も心も持ちそうにない。黒い影に変わっていく球根山を見上げて、友達作りってこんなに苦労したっけ、と星南は溜息を溢した。
「溜息ばかりつくと、フェルみたいに老け顔になるぞ。何かして遊んでみるか?」
すっかり楽しんでいるダヴィドの扱いに、お手上げ状態だ。想像していた関係と全然違う。むしろ、気安さからは遠退いた。
「遊ぶって、トランプでもあるんですか…………」
星南がぐったりして問うと、彼は意外そうな顔をする。
「カードが出来るのか?」
「神経衰弱とババ抜きなら」
「…………過激だな」
その言葉に、久方ぶりの誤訳と気付く。しかし星南は言葉を惜しんだ。
「私、けっこう上手いんですよ?」
「面白い」
二人はそれぞれの思惑のもと、ニヤリと笑う。現状打破が出来るなら、何でも来いの気分だ。
まもなく帰ったエルネスとフェルナンは、ダヴィドと星南がカードで遊ぶと聞くと顔色を変えた。
「エヴァに殺されますよ!?」
「言い出したのは、セナだが」
「チビ助!余計な事言うな!!」
「えぇー?」
フェルナンがビシッとダヴィドを指した。
「あの人、カードは滅茶苦茶強いんだぞ!身ぐるみ剥がされて、何されても良いんだな!?」
「えっ!?待って、賭け物するとは言ってない!私は、お友達の遊びとして!!」
「…………お友達?」
エルネスが首を傾げる。助けを求めてダヴィドを見ると、彼はしたり顔で頷いた。
「セナは、俺達と友達になりたいそうだ」
「…………まだそんな事言ってんのかよ」
「おや?それは初耳ですね」
星南の笑みが引き攣った。私は暴露してなんて思ってないよ!ダヴィドさんはやっぱり、幼馴染の味方だ。
「エルネスさん、あの…………」
こうなったら、仲間外れには出来ない。
「私、お友達を募集中なんです」
最後の足掻きと、否定の余地を残して言った。しかし案の定、彼は嬉しそうに微笑む。笑顔が眩しい。灰になりそうだ。
美形のお友達って、ちょっと前なら自慢した。でもエルネスさんは眉目秀麗のスパルタ教師。加えて深刻な研究好きで、若干変態。慈愛に満ちた天使のような見た目に反し、その性格は過激である。
こういう人のお友達って、何をすれば良いんだろう…………実験対象は勘弁だ。その遠い目を隠すべく、へらりと笑った。
「そうなんですねセーナ。私も加えて下さい。是非、エルと呼んで下さいね。友を持つなど久方ぶりです…………やっぱり嬉しいものですねぇ?カードで遊びましょうか?」
「賭けなければ良いんだろ?フェルナン、カードを借りて来い」
「俺は絶対、やらないからな!」
逃げるようにフェルナンが部屋を出て行く。
「あ、あの、カードって、私の知ってる物と違うかも…………!」
今更弱気になっても遅かった。遊ぶ気満々のダヴィドとエルネスに、一言二言で言いくるめられる。戻って来たフェルナンは、ダヴィドに何か囁かれて一番乗り気になった。なんて事を!
「見て下さいセーナ。絵柄は五種類で一から十まであります。数字の勉強にもなりますね」
「あとは、天と地という数のないカードが二枚ある。セナの好きなルールにしよう。さっきの神経衰弱っていうのは、どうだ?」
「…………絵柄を四種類にしないと」
星南は早々に諦めた。
因みにダヴィドは、運と勘と引きまで良すぎて、何をやっても無敗だった。全戦最下位なのは誰かなんて、思い出したくもない。
その後はみんなで夕飯を食べ、部屋の隅で沐浴をする。エヴァはまだ戻って来ない。また、何日も帰らないのだろうか。
「セナはそろそろ寝ていいぞ」
考え込んで居ると、声をかけられる。すっかり扱いの難しくなったダヴィドが、部屋のソファーで微笑んでいた。
「…………ダヴィドさんは?」
薄手の夜着にストール。星南は風のない窓辺で振り向いた。正直、暑いのでストールは脱ぎたい。それを羽織っているのは、覚えた男性への気遣いだ。
「寝たら護衛は務まらん。何だ、一人では眠れんか?」
やっぱり寝る気が無いらしい。それはとても困るのだ。この気温では、自分の寝相に自信が持てない。寝乱れたら大変だ。せめて別室に移動させたい。
「ココ、街中ですよ?」
「表通りの一等地だからな。セナは野宿に慣れて、町中では眠れんか?」
「そう言う訳じゃ…………」
ダヴィドはソファーから立ち上がり、ニコニコしながらやって来た。遠避ける作戦は失敗だ。
「ベッドに入れば眠くなる。疲れた顔をしているぞ?」
伸ばされる手に、思わず数歩、後退る。しかしあっという間に捕まって、抱き上げられた。友に触れる許可が要るのか、というのがダヴィドの言い分だ。お友達作戦は、星南の首を絞めている。
「もう抱っこは止めて下さい。私、自分で歩けます」
お陰でマナー違反と言えなくなった。しかし黙っているのも癪だ。じたばた暴れると、叩くならもう少し右、と全く相手にしてくれない。
「セナは軽いな」
もう、自分の重さを言われる事さえ恥ずかしい。なんで彼は、こうも抱っこが好きなのか。実はぬいぐるみを愛でてしまう趣味とか、あったりして。それはちょっと気持ちが悪い。うわぁと気分が落ち込んで、流石にダヴィドも困ったようだ。
「そう嫌そうにするな。水の血筋が近くに居れば、触れていたくなるし、実際触れれば癒される」
「…………そうなんですか」
「そうなんだ」
彼は苦笑した。だから、本当なのか分からない。
「私、本能で求めるって、分かりません。そういうの、辛くないんですか?」
「辛そうに見えるか?」
「フランソワさんの事、凄く嫌がってたじゃないですか」
「あれは、アイツが自重しないからだ。エヴァとは仲良くしているだろう?」
「…………そうですけど」
星南はムスッと脹れた。口で勝てない事は重々承知している。そして余り突つくと、不利な事を言われかねない。
「ダヴィドさんはズルいです」
「心外だな」
お友達の関係って、こういうのじゃない。こういうのじゃない筈だ。何を間違えたのだろう。プライベートもパーソナルスペースも、削られる一方だ。
「セナはまだ、青石の国へ行きたいと思っているのか?」
「…………え?」
今更と思って視線を向けると、ダヴィドの瞳もこちらを見ていた。
「祝福耐性は、そんなに必要か?」
「当たり前です!何時までもこんなんじゃ、私、ダメだと思うんですよ。それに…………親戚が居るかもしれませんし」
「…………そうだな」
彼は溜息交じりに笑う。
「ならば早く寝る事だ。何時までも大人になれないぞ」
「大きなお世話です!」
金糸雀で一番体力がないのは、星南だ。彼女はベッドの上でグズグズ文句を言っていたが、やがて寝息を立て始めた。
暑がっていた割に丸まっている。そういう癖がある事を、ダヴィドはよく知っていた。クスリと笑みが零れる。そんな姿を幾度となく晒しているのに、今更拒むなど聞く耳は持てない。その成長を喜ぶべきか、意識された事を喜ぶべきか、どちらも嬉しいが少々悩みどころだ。
そっと寝台の天蓋を閉じて、入口から直接見えないよう衝立を移動する。この地域の内装は、居間も寝室も風通しを考えて壁が無い。身を隠す場所が無い点では守り易いが、一つの空間が広い点では守り難い。
「フェルナン」
小さく呼ぶと、入口の戸が開いた。
「エヴァはまだ戻ってない」
「だろうな。神人は時間の感覚がズレている。今夜は戻らんだろう」
「ダヴィドさん、仮眠は?」
此方にやって来るフェルナンは、すっかり寛いだ格好だった。素足にサンダル、珍しく膝下丈の夜着を着ている。
「その格好はどうした?」
「何時ものやつ…………」
「…………とうとう脱がされたのか」
言うとギロッと睨まれた。案外その気でやっているのに、指摘すると怒るのだ。ダヴィドは仕方なく首を掻く。
「他に手は無いのか」
「あったら苦労はしてねぇよ」
不機嫌顔のフェルナンは、それでも非常にモテるのだ。
水を求める血筋は、繊細な容姿を好む傾向にある。そこでエルネスと二人で取る対策は、同性愛者という演技。大神すら禁じて子が生まれない、なんて馬鹿な事を言う奴もいる禁断の愛だった。
かつてそれを見たダヴィドは、三日、悪夢に魘された。きっと、本能で嫌悪するようになっている。それを演技でもしてしまう二人は、神経に問題でもあるのだろう。
「公衆浴場に行きたいって、エル兄が聞かなくて」
ポツリと言ったフェルナンに、ダヴィドは本音を返した。
「…………悲惨だな」
「冒険者ギルドの縄張りって話だ。九割嫌がらせだろ?」
公衆の面前でその演技をやり通すのも、どうかと思うが。余計な事は言うまい。ダヴィドにとって唯一のトラウマが、それだった。
「夜着で護衛か?」
「風呂場のオヤジに、頭から水かけられた。制服はまだ乾かない」
「エルは?」
色術式で乾かす事も、荷物から替えを出す事も出来る。なのにフェルナンは、明らかに動き難い夜着だ。しかも丸腰。
「水被って、閃いたって。部屋に籠って出て来ない」
「…………何時もの病気か」
ダヴィドは額を押さえた。部屋から締め出されたフェルナンは、濡れた状態をあまり気にしなかったらしい。そのまま廊下で警護に立った。しかし宿屋の主に見咎められ、夜着を押し付けられたという。
突っぱねればいいものを、ご老体相手にそんな事は出来なかったようだ。なんだかんだ言っても、育ちの良さは変えられない。
「剣は仕込みを十本持ってる」
「…………お前は何を目指してるんだ?」
物騒な返答に、ダヴィドは呆れた目を向けた。
「書類回すの遅い時、総務の奴らに喝入れようと思って」
「やめてくれ」
しかも理由が酷い。一桁のパーティーは事務職だ。勿論、戦闘経験のない部署も存在する。
「ダヴィーは仮眠。あといい加減ジャケット脱げば?シャツ一枚って気にする程、星南は大人じゃねぇよ」
「…………お前な」
フェルナンに早く行けと、手で追い払われる。ダヴィドは苦笑した。そういう態度が自分に有効だと、すっかり知られているのだ。仕方のない大人で悪かったな、と綺麗な顔に浮かぶ渋面に手を振って部屋を出る。風呂でも行って、夜着を着るか。三人揃って寝間着も悪くない気がする。
そう思って廊下を進み、階段をおりた。起きている気配はまだまだ多い。
星南の部屋には、条件発動する結界がある。エヴァ製の安心感は大きいが、とそこで足を止めた。
階下から近付く気配はそのエヴァだった。一人ではない。何ともはっきりしない気配が寄り添っている。
何を連れて来たんだ?
その場で待っていると、二人が階段を上って来た。ローブのフードをしっかり下ろしているエヴァと、肩幅のある男。此方もフードだ。
「流石だね、気が付くの早い」
手を振るエヴァに、隣を歩く男が顔を上げた。滑る黒髪に黄色の瞳。
「エヴァ、どういう事だ」
「時間をあまり取れないって言うから、連れて来ちゃった」
悪びれもせず彼が言う。
隣の男が微笑んだ。前髪と共に揺れる金の額冠。その飾り石には、聖国の紋章が彫られている。黄色い瞳をオレンジに変え、握手を求めて片手がダヴィドに伸ばされた。
「私はスーシ・ジョンキーユ・エリゼ。聖ネルベンレート王国の神殿長――――事実上の聖王を務めております。貴殿を探しておりましたよ、フー・ダヴィド」
どうやら、長い夜になりそうだ。




