1-5:生活の改善
沈黙だ。
暫く思考は停止していた。
寝こけた星南と部屋に残されたフェルナンは、規則正しい呼吸を無言で聞いていたのだが、くわっと目を見開いた。
「着替えって、全部じゃねぇか!!」
何で鎧着てんだよ!その前に、下のブラウスは正装用で後ろ前だろ!?気が付けよそれくらい!とどめとばかりに砂地用ズボンを穿くな。
「嫌がらせか!?」
問答無用でブーツを脱がすと、やはり正装用のソックスが現れた。引っ張っても脱げないと言う事は、ズボンの下にアレをちゃんと穿いているという事で。
「…………セナッ!!」
フェルナンは馬乗りになって、星南の肩を揺さぶった。余程深く眠っているのか、彼女は僅かに呻くのみ。幸せそうな顔をしていて、全く起きそうにない。
なんてヤツだ!
顔を上げると、空が薄明かるくなっている。時間も無い。難しい任務を押し付けられた彼は、無我の境地で革鎧を脱がしにかかった。こうなったら、何時目覚めるのか見物というヤツだ。
「…………ぅん」
うつ伏せに身体を転がされ、星南はぼんやり目を開けた。何だかひんやりする。それにベッドが、堅くて嗅ぎ慣れない臭い。ごろんと仰向けに寝返ると、荒い丸太の天井を背に、色白の少女が見下ろしていた。淡い色の髪は襟足だけ長く、金か銀か判断出来ない。眠気まなこを瞬いてよく見ると、彼女の瞳は左右で色が違っているようだ。
「…………何で、下着を着ていないんだ!」
唸るような低い声に、一気に目が覚めた。顔を歪めたその人は、ココに居る筈のない青年だ。星南は大きく息を吸い込んだが、フェルナンに素早く塞がれる。
「むぐぅ…………!!」
「やっとお目覚めか、チビ助め。悲鳴なんか上げてみろ、種族がバレて死にたいか?」
何で居るのーっ!?
星南は苦しさにじたばた暴れた。けれど、片手一つで顔ごとベッドに押し付けられた状況は、覆せない。
「お前の頭は、パン屑でも詰まってんのか?大人しくしろ。それともこのまま、窒息するか?」
しますしますっ!大人しくしますから、放してーっ!!思わず掴んだ彼の腕。細いと思ったのに、自分よりもずっと太くて固かった。それに何だかゾッとする。息苦しさに、力加減が分からない。必死なのに、押し上げられたのは服の袖だけ。その下の素肌に、爪が沈む嫌な感覚がした。じゃれてきた相手に怪我などさせたら、もう色々と失格だ。
星南は降参を示そうと、ゆっくり指から力を抜いた。それでも、フェルナンの表情は変わらない。冷めて無感動なままだった。耐久戦になると辛い。だからそのまま瞳を閉じた。
腕を掴む小さな手から、どんどん力が抜けていく。余力を残して抵抗を止めるなど、馬鹿じゃないのか。いや、コイツは馬鹿だった。平和ボケの真髄を見せられたフェルナンは、物凄く疲れてきた。
珍しく救援依頼をしてきた訳だ。
こんなのを野放しにした、蛇人族の心労が偲ばれる。心の底から同情してもいい。星南の手を振り払い、口を解放してやる。すると彼女はその場で丸まり、けほけほ噎せた。
せめて起き上がれ。
ちょっとは怯えて見せろ!フェルナンは頭が痛くなってきた。コイツは間違いなく、簡単に死ぬ。目を離したら、どうでもいいところで、勝手にくたばるに違いない。深刻なまでに確かな結果を見せられた。そんなものが見たくて、やった訳でも無いのに!
しかも今は、時間が無い。
フェルナンは星南から離れると、トランクケースを猛然と漁り始めた。構っていると、時間と気力を費やすだけだ。
やっと身を起こした星南は、端で丸まっている毛布を羽織って、フェルナンの様子を窺った。何故かベストが脱がされている。下に着ていた木綿のブラウスは、それなりに厚手とは言え、ノーブラ着用。男の前で堂々居られるものではなかった。
「一番上がコレで!」
突然フェルナンが服を投げてくる。それを顔でキャッチした星南は、一瞬呆けたが、慌てて順番通りに並べ重ねた。彼に襲われるとは、露とも思っていない。女の勘だ。なのにベストを脱がされたのは何故だろう。次々と飛んでくる物は、どれもフェルナンが着用ているのに似ている。
服が違うんだ。
嫌われていると思っていた。けれど、それとは別に意外と親切なのかもしれない。じゃなきゃ、わざわざ衣服の違いを改めたりはしないだろう。
「最後に下着は、コレと、コレだ!」
フェルナンは、部屋隅に落ちたままの布を掴んで投げて来た。それはまさかの、ふんどしだ。
イヤーっ!
心の中で叫んだが、怒らせたくないので、神妙にそれをボトム側の衣類に乗せる。
「どうやって着るつもりなんだよ、こっちだ!」
フェルナンがそれを、上着側の山へ移動した。
あれ?
「ったく、お前らの衣服はどうなってんだ!?」
盛大な舌打ちと共に、彼は着ているローブを脱ぎ出した。エルネスとの色違い。縁に銀の紋様がある濃紺のそれを、忌々しそうにベッドボードに引っ掛ける。露になった細身の身体は、何処か兵隊を思わせるカッチリした衣装に包まれていた。足元の編み上げブーツに、膝から上が膨らむズボン。腰に下がる二ふりの剣は、本物なのか使い込まれた感じが滲み出ている。上着の色はローブと同じ濃紺で、縁取の銀が複雑な切り替えを模様のように見せていた。
かなり手の込んだ仕立てだ。
素人目にも分かるから、同じものがトランクに入っていても着なかった。思い出しながら上げた視線の先で、詰め襟を緩めたフェルナンが、そこから白い布を引っ張って見せる。
「これだ。着方は自分で考えろ」
「…………は、はい」
「時間が無い。支度に五分掛けたら、此処に置いていくからな!」
言いながらさっさと衣服を整え、バサリとローブを羽織る。フェルナンはそのまま、足早に部屋から出て行った。残された星南は、慌ててボタンを外しにかかる。
唯一正解していたショートパンツ以外は全て交換だ。しかも、着た事が無い衣装。正直五分は、かなりキツイ。
「…………襟か」
それを見て、自分のテンパり具合に呆れてしまう。どう見ても西欧に近い文化圏。ふんどしがあって、たまるか。ともかく襟なら、巻くしかない。首に掛けて胸前で交差させ、紐を胴に回して固定する。それ以外に、着用法が思い付かない。何だか胸も隠せて、良い感じだし。どうせ深く考えても、分からないものは、分からない。
開き直りが肝心だ。
その下着の上に、丸首の木綿シャツ。背中側にマークがあって、なんだかおかしいと思ったけれど、細かい事は気にしない。胸前でボタンをどんどんはめていく。厚手のタイツにフェルナンが穿いていた、膝上だけが膨らんでいるズボン。色も同じ濃紺だから、ギルドの制服なのだろう。しかし、急いでいるのに膝下は細くて穿きにくく、サイドが編み上げになっているので緩めて着たら、締め直してと一苦労。ボトムはそのままブーツを履いて、靴紐を結べば大方終わる。
終わりが見えてきたよ!
自分を励まし、細い革ベルトを二本腰に巻き付ける。タスキみたいな帯の用途は分からない。
オーケー、コレは放置だ。
ぽいっとベッド隅に投げ、シャツの上にゼッケンみたいな形状の革を被る。被ったは良いが、また帯が出てきた。さてどうしよう?首をひねったところで、勢い良く扉が開いてしまった。
「遅い!」
フェルナンはカツカツ歩み寄って来ると、盛大に顔を歪めた。
「だから…………どうしてお前は…………後ろ前に着、る、ん、だ、よっ!!」
とうとうキレられた。彼は引き吊り笑顔で固まっている星南を窓に向けて立たせると、背後に立ってジレの着付けを開始した。
なめし革のジレ。これは革鎧より軽くて、尚且つ保護力もある優れものなのだ。上に帯を巻く事で強度と、もしもの時の出血を抑える。途中で帯を締め過ぎたのか、ぐぇっと鳴かれた気もしたが、無視だ。緩めていては意味がない。
靴紐は問題ない。通称、花野菜と不味そうな通り名の付くズボンは、膝横で結び目が出たままなので直し、非武装の平装である上着に袖を通させる。体の線を隠すゆったりした仕立ては、本来、下に鎧を着るからだ。しかし、鎧は着せなかった。重くてバテられたら、余計な仕事が増えてしまう。
息が苦しい…………
容赦無くフェルナンが帯を締めたので、星南の胴体はミイラかスマキとでも言える姿になっていた。和服の帯でも、これほど苦しく無かった筈だ。何とも言えずに見下ろしていると、肩に新たな上着を乗せられる。それは服にしては重く、濃紺で銀の縁取があり、更に放射線状に広がる袖が付いていた。
「ぼさっとするな、手袋くらい自分ではめろ!」
「はいぃっ!」
「ボタンは上から留めろよ。十個あるからな。間違えるなよ!」
「えぇと、隠しボタンが多いんだけど、十個ってどれ?」
「くっそ!何言ってるか分かんねぇ!!」
「…………そうでした」
詰め襟のフック、大きな二枚の襟の隠しボタン。右胸から下に連なる、銀のボタンがちょうど十個だ。それと格闘している間に、フェルナンは赤いローブを壁から外して持ってきた。
非戦闘員を示す、魔除けの赤。
それを着せれば仕舞いだと言うのに、星南は指先の余った手袋の手で、もたもたボタンをはめている。
人をイライラさせる天才か!?
その手を払いのけ、フェルナンはボタンを留め、ローブを纏わせて止め具を掛けた。お前の顔など見たくない、と言う勢いでフードが被せるのも忘れない。机の上にアレが無いという事は、荷造りは終えている筈。
「行くぞ!」
「はっ、はいっ!」
とてとて後ろを付いてくる、赤い色。フードから覗く華奢な顎は、泥に汚れていなければ、とても男には見えないだろう。足を止めたフェルナンに、頭からぶつかってくる学習能力の無さは、一度死んだくらいでは治らないに違いない。
無言で痛がっている星南を、フェルナンは荷物のように肩に担いだ。ビクリと身体を強張らせたが、悲鳴を上げないところは評価する。
真面目な馬鹿と言うのだろう。
本当に知らない事を、どうにかしようと努力している。身に覚えがあるから、よく分かった。けれど自分は此処まで酷く無かった筈だ。見ていてイライラするのは昔と重なるからか、それとも愚かな娘だからなのか。又はその両方…………か。
「口閉じとけよ」
星南がその言葉に頷く前に、彼は走り出した。歯を食い縛っていないと、舌を噛みそうだ。濃紺のローブを掴み、どうにか姿勢を起こす。
…………あっ!
思った時には、浮遊感に襲われていた。星南を担いだフェルナンが三階の窓から、飛び降りたのだ。
ひえぇっ!!
衝撃を覚悟して目を閉じる。自由落下に臓腑が浮いた。けれどもそれは一瞬で、待てど暮らせど着地の振動が来ない。
ま、まだなの!?
ぎゅっとフェルナンにしがみつくと、舌打ちを返された。私だって出来る事なら舌打ちしたい!チュッと、妙な音が出るからしないけど!!
「セナ、もう大丈夫ですよ」
優しげなエルネスの声がする。恐る恐る目を開けると、地面が見えた。着地は終わっていたのだ。
「自分で歩けますか?それとも馬に乗りますか?」
星南が身体の力を抜くと、すかさずフェルナンに下ろされる。もちろん舌打ちもセットだ。コンボでお疲れ様です、このやろう。それに苦笑を返すと、エルネスも困ったように息をついた。きっと、難しいお年頃なのだ。
「セナ。あまりフェルナンとケンカをしないで下さいね?」
そして叱られるのは、目上でしたか…………
理不尽だとは思ったけれど、一人っ子の密かな憧れでもあったりする。そのシチュエーションに、星南は寛大な返事を返した。
「はい!」
朝焼けに紫がかる空の下、パーティー金糸雀は、新たな任務に旅立って行く。向かうは西、暗緑の森だ。
聖ネルベンレート王国と蛇人族の国の国境を飲み込み、天界の庭へと続く深い森に、獣人達は近寄らない。嫌われ仕事は好都合だった。金糸雀は新顔であったが、新米ではない。そこに行くのに問題が無く、哀れみ半分に送り出されれば株も上がると言うものだ。
早く街を離れたい一行は、星南を直ぐに馬へと押し上げた。
約三人一頭、荷物運びの馬が付く。星南を迎えて五人となった金糸雀には、二頭の馬が配された。大人しい荷馬だ。特に走らせてもいない。なのに明らかに乗りなれていない少女は、瞬く間に酔った。
「余程育ちが良いのか?」
ダヴィドの疑問に、エルネスは項垂れた。
「労働階級ではないでしょう…………けれど、王族ならば頭髪があれでは妙ですし、凄惨な光景を見たショックで共通語が話せないにしても、所作がね。疲労か脱水か、ろくに食べていない様です」
「世話が焼けるな」
「せめて、もう一度連絡が取れないものですか?」
「蛇人族の奴らも、まさか生きていると思えなかったんだろうさ」
どちらからともなく、溜息が洩れた。
暗緑の森入り口で、星南はグロッキー全開で撃沈したのだ。街道終わりの草地に寝そべり、フードから僅かに見える空が憎い。何故ってその色は、晴れた休日にしか拝めない安息の色だからだ。早朝出勤、深夜帰宅。それが、四月から始まった社会人生活の実態だ。本来今日は休日で、身体は染み付いた惰眠を欲している。けれど実際、休みなどは無くて。
「…………吐くに吐けない」
胃の中は昨日からずっと、空っぽだ。それでも空腹は感じないし、とても目が回る。病気知らずで健康だけが取り柄だったのに、異世界の細菌には勝てなかったのだろうか。
「うぅ…………」
薬を飲んだら一発解消の現代とは、訳が違う。
「ダイジョウブ?」
「…………ぜんぜん」
酔った最大の原因が、声を掛けてくる。灰色の縦長い馬面だ。比喩ではなく、リアルに馬の顔なのだ。
「何で馬が喋れるの…………?」
「ハジメテヨ」
「…………」
「アナタ、ミタイナ、コ」
しかも何故か、会話が成立している。こんなのって、あんまりだ。馬と話せても、生活の改善は出来ない。