2-18:暗青
「あぁ、空色の君クレール様ですね」
エルネスが苦笑した。勝手に場所を移動したので、彼は探しに来たようだ。それで何を話していたのか聞かれ、あっさりダヴィドが答えを言った。これって、隠した方がいいと思うんだけど。星南は微妙な顔をした。
「有名な話ですよ?」
「隠しても仕方あるまい」
「…………そういうものでしょうか」
ダヴィドは肩を竦めて苦笑する。その目は、海に向いたままだった。
「暗青は彼女の願いの為にある。結局それは、今も叶う目途すら立たないが」
憂いをおびる横顔は、亡くした人を悼むもの。見ていて一緒に辛くなる。
「ダヴィドさん…………」
名前を呼んだ。琥珀色の瞳は優しくて、何だと、笑みが問いかける。暗青はギルドの名称で、それを教えてくれたのは彼じゃない。きっと言いたくないのだろう。けれど遠慮と配慮は別物だ。星南は自分を指差した。
「ギルドの事、聞いても良いですか?ダヴィドさんが作ったような話をエヴァから聞きましたけど…………そうなんですか?」
「まぁ、そうなるな」
「ダヴィドさんは、ギルドの偉い人なんですか?」
「…………まぁ、そうなるな」
彼は極まりが悪そうに、明後日の方に視線を逸らす。片思いの話よりも、明らかに嫌そうだ。
「エヴァにも困ったものですね」
エルネスが苦く笑って、この話をしたく無かったんですよ、と執り成した。これ以上聞くなという雰囲気だ。
「でも私、ギルドの一員ですよね?新人歓迎受けましたよね?詳しく聞いても、良いんですよね?」
空気を読んでいては、結局知らないままになる。星南は抱き上げられているのをいい事に、ダヴィドさん、と広い肩を揺さぶった。
「セナには早いと、思って、だな」
「娼館連れてった癖に、早いも何もありますか」
「それを逆手に取られると…………」
「ギルドの歴史教えて下さい。あと活動内容も!」
「…………それはだな」
「セーナ。貴女はそれより先に、覚える事があるでしょう?神人の大三家とか」
エルネスが話題を反らしにかかる。星南は振り返って、にっこり微笑んだ。
「バルテ、バルト、アルエです。水の第三初期姓はバルテルです!」
「…………エヴァですか」
「エヴァですよ。良いんですかエルネスさん、私、このままだとエヴァの生徒になっちゃいますよ?」
「それは困りましたね。貴女には、あと帝国内百種と聖国内八十種の薬草、鉱物系薬品を五十種覚えて貰わなくてはなりません」
「えっ!?」
「もちろん、名前だけではありませんからね?」
今も実用に至らない薬草師の技術。なのに後ろにまだ課題!星南は口をへの字に曲げた。ここで引き下がっては、次のチャンスが遠すぎる。脅されたって、めげません!!
「暗青の名称は、青国の闇を払うという古語が由来と聞きました。初めてできた黒色病専門の機関だと!」
「…………俺達は現状、黒色病を発症した子どもを殺す事しかできん」
「ダヴィド――――」
「もういい、聞きたいなら聞かせてやる。楽しい話では、ないがな」
来た廊下を引き返しながら、ダヴィドは重い口を開いた。
今から二百年ほど前、青石の国は聖ネルベンレート王国から大規模な攻撃を受ける。それが鎖国のきっかけとなった戦争だ。しかし、火のないところに煙など立たない。聖国はずっと水の神人を求めていたのだ。黒色病が年々増えて、死者は右肩上がり。建国百年程の若い国にとって、病の蔓延は最悪の失政だ。
全てを癒す奇跡の力、水の神人がどうしても必要だった。
「だが、青石の国はこれを拒み続けた」
「癒しの対価が問題だったんですか?」
「神人の祝福は無尽蔵。対価など取られない」
「ならどうして…………」
「それはね、大神の縄墨に触れているからだよ」
エヴァの声がした。彼は廊下に顔を出し、何処に行くの、と手招いている。
「ふふふ、逃がさないよダヴィド。意外と食べられる物になったんだから、何とかしてくれないと」
「この香りはバターか?フルーツを焼くなんて、邪道だろうが」
「焼くしかありません。あれは肉です」
エルネスがスパッと言いきった。動くドラゴンフルーツは、すっかり肉の扱いらしい。戻って来た部屋の真ん中、テーブルの大皿に目を向ける。ゴマ塩的な見た目の果肉は、ステーキさながら網目にこんがり焼けていた。しかも皮ごと輪切り。この雑感は懐かしいけど喜べない。
「生よりいいと思うけど?火の神の作った物だし、熱とは相性が良いかもしれない」
作ってもらって文句は言うまい。お皿に乗っているなら食べ物だ。ともかく食ってみろと言われて、椅子に降ろされる。
香りは良い。
二食抜きでお腹は空っぽだ。ナイフを入れてみたら、ゴツい割に皮まで柔らかい。これはイケるかもしれないと、思いきって口に入れる。香辛料が辛い。食感は粘り気のあるナスだった。
美味しさは聞かないで欲しい。
「大神の黒は、絶対なんだ」
話を引き継ぐエヴァに、黒を消すなんて誰にも出来ません、とエルネスが首を振る。星南は紅茶を呷った。辛いよぅ…………!
「黒色病は治らん。原因すら分かっていない」
ダヴィドが言うと、だから禁姻を疑ってんだよ、とフェルナンがエヴァを見る。
「そうは言っても、蛇人を研究機関に差し出す事は出来ないよ」
「ちょっと待ってー!」
星南が口を挟む。つまりこれは、昨夜聞きそびれた蛇人族が狙われる話と繋がる。禁じられた婚姻。空気の神様の置き土産だ。
「どうして結婚がダメなの?」
「恐らく、大神に望まれない婚姻関係があるんです」
エルネスが口を開いた。
「獣人の出産のペースはとても早く、しかも不正確。全ての資料を集めている訳ではありませんが…………今分かっているだけでも、獣人と蛇人の子どもは十割、黒色病を発病します」
「えっ!?」
それって確率、百だよね?
生まれる前からアウトじゃん。そんな事は分かるけど、だからって殺すのも納得出来ない。口を開きかけた星南を、ですから、とエルネスの穏やかな声が遮った。
「帝国は始めこそ青石の国に開国を要求していましたが、今は当然の様子見。むしろ鎖国を支持しています。蛇人が国内に出入りするようになれば、広範囲で黒色病が広まる危険あるんです」
「蛇人が殺されるのは、そのせいですか?」
薬とか言いながら、本当は生かしておけないと思われている?だから私を、あんなに殺そうとしたのだろうか。
「これは機密扱いです。ネルベンレートには、流れていないでしょう」
「流れたとしても、蛇人が治癒の力を持つのは事実だ。あの貿易の国に於て、扱いは大して変わらんだろう」
ダヴィドはそう言って、だがな、と星南の方を見た。
「年々発病数は減っている。それが何を意味するか、気付く者も居る筈だ」
「青石の国の開国を、どちらの国も望んで居ないんですか?」
「国は望まんだろうな。しかし神人は違う」
そうだね、とエヴァが肯定した。神人はより強く大神の願いを身に受ける。それで火や風の神人は体と本能の間で精神を病み、数を減らした。勿論、無理やり求められる水の神人も同じだ。
「なんで、そんな決まりを作ったんだろう?」
星南の呟きが潮騒と混ざる。大神の身体から生まれた五柱の神様。その神様から生まれた人々。
大神はもう居ないのに、どうして縛られなきゃならないの?
「なんだか、好きじゃないのに触れたいって、罰みたい」
――――罰。
暗い声が聞こえた。顔を上げると、空気が重い事に気付く。こんなの食事の雰囲気じゃない。星南は焦った。余計な事を言ったのかもしれない。あわあわ立ち上がったものの、考え無しの手持ちぶさただ。目の前にある自分の小皿を持ち上げて、洗い物します、と口を開いて固まった。
「…………何で食べてないんです?」
大皿には焼きフルーツが山盛りだ。全然減ってない。みんなの小皿は綺麗なままだった。
「好きなだけ食って良いぞ。セナは、何でも食べて偉いな」
「ダヴィドさんズルい!取り分けても、ないじゃないですか!?」
「どうせ残りは俺のだろう?わざわざ小皿を汚さんでもいい」
「エルネスさんも食べて下さい!」
「私は味見をし過ぎまして…………」
「エヴァは?」
「辛いの苦手なんだよ」
「フェルナン…………?」
「焼いたフルーツなんて甘ったるい物、食えねぇよ」
「甘くないよ!辛いから!!」
星南は静かに小皿を置いて、むすっとダヴィドを睨んだ。
「一人であんなに食べるんですか?」
「食えん事は無いだろう」
彼は真面目な顔で答えたけれど、食べると言わないところに注目だ。
「捨てるんですか?人がせっかく作ってくれた物を、箸も付けずに捨てるんですね!?」
「まてまて、捨てるとは言ってない」
「ダヴィド…………それは、食べないと公言したようなものですよ」
エルネスに言われ、彼はパシっと額を押さえた。しかし、この状況は面白い。よって笑顔だ。反省の色が見られない。
「ちゃんと食べましょう?私だけあんな変なの食べたとか、気持ち悪いじゃないですか!」
ダヴィドの小皿を取り上げて、大皿の方にテーブルを回る。エルネスが笑顔で、ひと山盛り付けてくれた。
「ダヴィドは好き嫌いが多いんですよ。良い機会です。食べさせましょう」
「俺は別に、ピヤタ嫌いな訳では無いぞ?」
「これを食べてから言って下さい!」
小皿をダヴィドの前に置き、星南は隣で見おろした。取ってきた犯人くらいは食べるべきだ。ジッと見ていると、琥珀色の瞳が見上げてくる。彼は何だか嬉しそうだ。首を傾げた瞬間、腕を引かれた。
「っ!」
咄嗟に声が出ない。膝の上に乗せられて、文句を言おうと開いた口に、辛いピヤタが入れられる。
「んんっ~!!」
「確かに辛いな。ほらセナ、茶でも飲め」
ひどい。私さっき食べたのに。しかも辛くて、ねばねばしてて、後味は最悪だ。
「この味付けはフェルナンか」
「そうだよ。バターに塩と胡椒で良かったのにさ、色々入れるから…………」
エヴァが文句を言うと、調味料揃ってんのに使わない方が損だろう、とフェルナンが反論する。
「それをやるから、フェルの料理は後味最悪なんですよ」
エルネスは溜息をついた。彼は完全に食べる素振りがない。
「…………お腹は減らないんですか?」
「お前が起きる前に、多少食っている。気にするな」
「何食べたんです!?ズルいでっんんっ…………口に入れないで下さい!辛いんですよ!!」
「ほら、茶を飲め」
ここに座ってると食べさせられる。けれど、降ろしてもらえない。口を開くとおしまいだ。星南は静かになった。その頭を撫でて、ダヴィドは僅かに安堵する。
ギルドの話はしたくない。
彼女は独自の価値観を持ち、上の者には線を引く。名前に、さんと敬称を付けられるのだって気に食わない。なのに身分までバレようものなら、近寄ってすら来ないだろう。
「ともかく、今夜は動かん。空間祝福がある限り、誰も此処には手が出せん」
「そうは言ってもダヴィド、同じ場所に留まれば不利ですよ。青石の国国境に移転回路を開くのはどうです?」
「僕らが青国に堂々入る事は出来ないよ。残念だけど、国は二百年前と変わらず…………二つに割れたままなんだ。青石の国側は水の神人女性が切り札になると、今でも思ってる」
エヴァの声が震えた。黒い前髪の奥にある瞳が揺れて、青さを増していく。息を飲む音。それで彼は、左肩を押さえて苦笑した。
「僕は力を、意図的に封じているんだよ。その方が君たちも接しやすいだろう?水の血は害になる」
「…………そういう事ですか」
「どうりで使う祝福がエグ…………」
フェルナンが言いかけて、咳払いをする。名乗らないのそのせいか、と彼は替わりに問いかけた。
「そうだよ。僕は自分の名前が好きじゃない」
彼はどこか悲し気に微笑んで、母親姓は冠詞の付いた三文字なんだ、と目を伏せた。それは音にすると一文字で、女神を示す古語となる。
「始まりの十人だったんですか!?」
エルネスが身を乗り出した。
「そ、そう、なんだ…………けど」
エヴァはビクリと、たじろいだ。それでも宥めようと向けた腕を掴まれ、顔をひき吊らせる。
「エル、あのさ、僕は血を封じているんだよ?そんな熱烈な反応、される筈がないけれど…………」
「水の始まりの十人…………姓はバルテレですか、バタイユですか?バトンは途絶えていますから、バシェンかバスチェ、バレーヌも存命の筈!何故エヴァなんて偽名を?」
「く、詳しいね…………!」
「ええ、そうですよ。私は水の神人も研究していまして」
詰め寄られたエヴァは、どうにか彼を押しのけた。
「ダヴィド、エルがちょっと変なんだけど!」
「お前は男だからな。セナが餌食になる前に、その身を犠牲にするといい」
「どういう事!?」
叫んだ彼は、ダヴィドの後ろに逃げてくる。追って来たエルネスは笑顔だ。何だか怖い。マッドの香りがする。星南はダヴィドにしがみ付いた。
「祝福印のないセーナでは、私の研究には使えません」
むしろ有ったら使うんですか!?
「僕だって、今はあんまり無いからね!?」
「大丈夫ですよ。脱い下さい。傷を付けたりしませんから」
「まさか、祝福印を調べるつもり?」
エヴァがジリジリ逃げていく。エルネスは星南の肩に手を置いた。
「水の女神は何故、火と風の神と結ばれなかったのでしょうか?水の神人は何故、火と風の血筋を嫌うのでしょう?大神の定めは平等に課せられた筈。ならば――――」
恐る恐る振り返る。ずっと薄青いと思っていたエルネスの瞳は、淡い緑色だった。それほど近くに顔があり、うっとりとした笑みが見詰めてくる。一瞬、このままキスされるのではと意識した。それで顔が熱くなり、そんな事を考えた自分にも恥ずかしくなる。慌てて顔を反らせば、クスっと笑う低い声。耳まで熱が広がった。
「水の神人は本来、火や風の血筋が大好きでも良い筈です。現にセーナは、私やダヴィドを嫌がらない。それは祝福印が無いから、ではありませんか?」
「…………それはエルの考察?」
「そうですよ。けれど、私が初めて気付いた訳でも無いでしょう」
エルネスの気配が遠ざかる。それで気を抜くと、脇下に手を入れられた。ぎょっとする間にダヴィドの膝から身体が浮いて、エルネスの腕に捕らわれる。
「さあエヴァ、素直に脱いで下さい?さもないと可愛い人質が、貴方の替わりに脱ぐ事になりますよ」
「ええぇーっ!?」
星南とエヴァが悲鳴を上げる。どうしてそういう風に絡むんだ、とフェルナンが叱って、ダヴィドが椅子から立ち上がる。彼はエルネスの肩を宥めるように叩いて、逃げ腰のエヴァに言った。
「原理は大体分かってる。だから水の血筋は禁姻になる。違うか?」
エヴァは観念したように微笑んだ。暗青と名付けたのは、そう言う事か。




