2-17:晴れ
随分と明るい。寝坊だ。条件反射で飛び起きた。そこはワンルームの部屋ではなくて、波音がする木の家の中。
そうだ異世界だっけ。
だから遅刻を気にする事はない。代わりに気にするのは殺し屋だけど。久しぶりに心臓に悪い起き方をしてしまった。懐かしい夢を見たせいだ。それも今は、苦笑一つで仕方ないと思えた。
両親を思い出して泣き喚くなんて、もう無いと思ってたのに。
葬儀ですらろくに泣かなかったのは、気を張っていたからだ。まわりに味方が居なかった。泣いてなど居られない。
ただ自慢の娘で居たかった。
なのにチビで短慮で、不器用で。勉強だけはと頑張って、高校からは寮暮らし。なのに誉めて貰えなかった。
「あなたの人生よ、星南の好きになさい」
母さんに、勝手にしなさいと言われた気がした。それで余計に頑なになった。大好きなのに会えなくなった。つまらない意地で時間を無駄にした。その言葉が激励だったと気が付いたのは、もう二度と会えなくなった後の事。その悔しさに、泣く事が出来なくなった。
後悔はしたくない。
間違える事は怖い。
誰だって、きっとそれは同じだ。
ともかく、フェルナンに謝らなくては。パシンと両手で頬を打つ。八つ当たりしてしまった。なのに彼は、ちゃんと付き合ってくれたのだ。チームのママは面倒見がいい。
顔はとても怒っていたけれど。
ゆるゆる辺りを見回す。昨夜と同じ部屋だった。カーテンのない窓に、土壁と鮮やかなタペストリーが潮風に揺れる。その向こうから、微笑みを浮かべたエルネスがやって来た。
「おはようございます。寝起きが激しいと聞いていましたが、本当だったんですね」
「…………おはようございます」
寝起きは普通だ。激しくなんかない。目にかかる髪を耳に掛け、ベッドの端に移動する。
「あの、ここは何処ですか?」
「コルネイユ島です。赤道を少し南に過ぎた位置ですから、この季節でも気温が…………」
エルネスはそう言いつつも、しっかり手袋をしてシャツの上にローブを纏っていた。暑くないのだろうか。
「だるくありませんか?酔っていたようですが」
「…………え?」
酔った自覚はない。でも、お酒のせいにしたいほどの記憶はある。星南は少し迷って首を振った。嘘は駄目だ。
「酔ってません。ちゃんと覚えてます…………」
「酔った人は、みなそう言いますよ」
エルネスは、仕方ありませんね、というような顔をした。信じていないらしい。
「さ、身支度をして下さい。エヴァが大量に氷を作ってくれたので、それを融かした真水があります。水を浴びたいなら、海へどうぞ」
「私…………泳げませんから」
目線が泳ぐ。むすっとして言ったせいか、彼にクスクス笑われた。
「女神が嘆きますよ。水の神人が金槌なんて」
「エルネスさんは、泳げるんですか?」
彼は微笑んで窓の外を見た。白く光る波打ち際に、怪獣みたいな生き物が見える。
「竜、ですか?」
「ええ。竜人は水遊びが大好きなんです」
尻尾を水に叩きつけ、波を薙ぎ、時々火まで吐いている。あれは本当に遊んでいるのだろうか。目を凝らすと、どうやら人が一緒にいるようだ。竜はその二倍ほどの大きさで、顔を寄せてじゃれている。と思ったから、頭に引っ掛けて海に軽々と投げ飛ばした。ドボンと水しぶきが上がる。
「私、部屋に居ます」
星南は海に近寄らないと決めた。
帝国中部の観光地。常夏のコルネイユ島は、竜人族がとても多い島だ。逆に言えば、それ以外の種族は目立つ。
「それが狙いだったんだがな」
ダヴィドは額を押さえた。早々に水の神人という大物に襲われて、今後の計画を見直さなくてはならなくなったのだ。身支度をした星南がテーブルに着くと、彼は手ずから紅茶を入れてくれる。
「セナ、腹は減ったか?」
「えぇと、多分?」
胃のあたりがムカムカする。気温のせいかもしれないけれど、そう言うと二日酔い疑惑が深まるだけだ。余計な事は言うまい。
「フェルナンが果物を切っている。ちょっと待って」
ダヴィドはそう言って、今夜は動かん、とまた話の続きを始めた。
「感知阻害のローブを着ていた。聖国繋がりかは分からんが、否定はできん。エヴァ、何か吐かせたか?」
「話にならないよ。洗脳みたいに同じ事しか言わない。再生の段階で、頭に細工されたんじゃ無いかって思うんだ」
エルネスは難しいと思いますが、と眉をひそめた。
「世代の進んだ神人は、確かに第二種族に劣る者もいます。ですが、神人を洗脳出来る能力はありません」
「本当に?薬物投与は?」
エヴァが食い下がる。身を乗り出す彼の横顔には、隠しきれない憎悪があった。何があったんだろう。少し心配になる。朝から深刻な話をしているのに、空気を読まない音がした。星南のお腹だ。
「ごっ、ごめんなさい!」
「素直な腹だ。ほら、フェルナンを急かしてこい」
「えっ!」
ダヴィドは隣の部屋を顎で示して、ちょっと来いと手招いた。何だろうと顔を寄せると、真面目な顔で言う。
「ついでに皮剥きを手伝ってこい。ナイフの扱いくらい上達しても損はない」
「…………っは、はい!」
いそいそ席を立って部屋を出る。その後ろ姿を見て、エルネスが幾つかの薬品名を口にした。エヴァが首を振る。
「そんな物で神人を洗脳なんて出来ない。毒性が強いほど、早く回復するだろう…………」
「なら、幻惑系はどうです?」
「彼は神祝長に命じられたと言ったんだ。例え惑わされていても、水神を見間違える筈ないよ」
「幻惑の得意な神が居ただろう?その線は?」
「…………海王神を疑ってるの?」
エヴァは苦い顔だ。否定出来ないのかもしれない。少し迷って口を開きかけた時、ひゃあぁぁっ、と星南の悲鳴がこだました。
「刺さったぁぁぁっ!!」
「うるさいっ!騒ぐな!!」
「…………やはり駄目か」
眉を下げるダヴィドに、朝が強いのは子どもの特権ですかね、とエルネスが呟く。エヴァが慌てて席を立った。
「こっち見たッ!!」
「後ろに下がれ、邪魔しにくんな!」
「何してるの二人とも?」
隣室に入ると、星南とフェルナンが振り返る。ゴロリと音を立てて、カゴからフルーツが転がり落ちた。
「あれ、まだ生きてた?」
神が作った親木から実るフルーツは、溢れる神気のせいで動くのだ。だから氷らせておいたのに、フェルナンは違う物を持ってきたらしい。
「…………すぐ氷らせるよ」
「やめろ、皮が剥けないだろ!」
「動いたっ!動いたぁーっ!!」
「でも、動いてたら皮なんて剥けないよ?」
「上手くやれば出来んだよ!」
「静かに出来ないんですか、あなた達は」
エルネスは星南を掴んで下がらせる。しかし、カゴのフルーツが嫌がるようにザワザワと揺れを大きくした。
「…………好かれてますね」
「何ですかあれ!!」
ドラゴンフルーツにそっくりな果実は、皮をパタパタ動かした。ちなみに手を出すと、それで刺してくる。
「執念を感じますね」
エルネスも流石に気味悪そうだ。エヴァに凍らせるよう頼み、星南を隣室に帰らせる。背を向けた彼女に向かって、数個がカゴから飛び出した。素早く叩き落として溜息をつく。
「フェル、凍ったら真っ二つに切りなさい。皮なんて残せば良いんです」
「俺はこんなの食わねぇかなら!」
「僕も御免だよ」
「…………いっその事、焼きますか」
星南が一人戻って来ると、ダヴィドは怪我の有無を聞いてきた。刺されはしたが、幸い無傷だ。首を横に振る。
「近くにピタヤの親木があってな、一味違うかもしれんと思ったんだが」
「あんなの食べたくありません」
「…………そう言うと思った」
かく言うダヴィドも、あまり食べる気はしない。興味本位で見に行った時、威嚇するような声で鳴かれ、風も無いのに幹を揺らせていたのだ。実を取り過ぎたのは、それでちょっと楽しくなったせいである。ともかく、あんなフルーツを生で食べて安全とは思えない。腹を下しそうだ。
「エルは料理もそこそこ出来る。やる気になれば、何とかするだろう」
「イヤですよ。絶対食べません、あんなの!」
「そう言うな。空間祝福の範囲が狭い。ある物を食わねばならん」
「…………ダヴィドさん。ダヴィドさんは、昨日何を食べたんですか?色を足したんですよね?」
星南は彼に詰め寄った。椅子に座ったままだから、顔の位置では勝っている。それで少し強気になった。
「本物の竜って初めて見ました。助けてくれて、ありがとうございます。竜人の方々は、色のあるものを食べれば何とかなるって聞きましたけど?何を食べたんですか?あのフルーツ以外の物、あるんですよね?」
痛いところを突かれ、ダヴィドは困って星南の頭を撫でてみた。何処まで誤魔化せるか。彼女は知識を付けてから、手強くなった。しかも下手な事を言うと、他のメンバーから怒られる。因みに、そっちの方が厄介だ。
「そんなに腹が減ったのか。分かった分かった、俺の負けだ」
そう言いつつも顔は笑顔だ。ダヴィドは、星南の苦手な事を知っている。抱き寄せても無抵抗な程に慣らしたが、そこに一匙色を乗せれば、真っ赤になって逃げていく。勿論、諸刃の刃だ。暫く警戒して寄って来ない。あくまで暫くというのが、彼女の平和なところだ。
「裏にベリーの茂みがある」
「本当ですか!」
やっぱり他にもあったんだ。すぐに行こうとすると、腰に腕を回される。急に距離が小さくなって、胸元から琥珀色の双眸が星南を見上げた。
「成熟した果実以外は有毒だ。特に種は、即死出来るぞ」
酷いオチが付いていた。プロ専用のベリーなど試したくない。
「他に無いんですか!?」
ダヴィドの肩を無意識に押す。見おろす事に慣れないせいか、妙に居心地が悪かった。
「親木でいいなら、グルナディエという手もあるが、皮が硬い上に種ばかり」
「ダヴィドさん、一体何を食べたんです!?」
ぐいぐい肩を押すものの、離してもらえない。溜息に下がる彼の視線は、シャツと襟だけの無い胸だ。あまり見ないで欲しい。星南はみるみる焦り出した。
「離して下さい!ベリー食べに行きませんから!」
「そう言うな。色を足せる食い物は、その程度しかないんだぞ?」
「えっ?」
つまり何だ?ダヴィドさんは、食べ物で色の補給をしていない?
「空間祝福から出られないのはセナだけだ。残念だったな。ある物を食え」
やっと解放される。しかし、星南の中には疑問が残った。いや、それは疑惑というヤツだ。
「…………まさか、娼館に行ったんですか」
「何故そう思う?」
「実際の色より、精神の色の方がいいんですよね?」
「中々鋭くなってきたな」
ダヴィドがニヤリと笑う。それは、ほぼ肯定と見える笑顔だった。
「ダヴィドさんのエッチーっ!!」
星南は叫んで、廊下に駆けだした。なんて事だ。精神の色って、そう言う事なの!?確かに色欲とか言うけれど、したら発散して足す事は出来ないような…………朝から何考えてるんだろう。すごく不健全だ。爽やかじゃない!
「うぅ、ダヴィドさんひどい」
窓にもたれかかって、海を眺める。やけにキラキラしていて、うんざりとした。何だか嫌だ。助けて貰ってる身で、こんな事を言うのは間違いだろう。でもやっぱり、身近な人がキャバクラ通いしていたら気持ち的に引いてしまう。何故その方法を取るのだろう。やっぱり溜まるのだろうか。
そもそも精神の色って、何?
色を提供できる娼館と、わざわざ呼ぶのは意味があるのだろうか。もしかして早とちりした?星南は、恥ずかしくなってきた。勢い余ってエッチなんて言ったけど、そう言う事はしていないのかもしれない。逆に、それを想像したと公言したようなものだ。
「うわぁぁ、どうしよう…………」
「どうした?」
振り向くとダヴィドが立っていた。きょとんと不思議そうな顔をしていて、さっきの失言を気にする素振りはない。話を蒸し返すのは、断然コチラが不利である。
「ダヴィドさん、彼女って居るんですか?」
けれど、それが気になるのも確かだ。遠回りに攻めて、ポロッと答えを言ってはくれないか。
「残念ながら、相思相愛という意味ならいない」
「片思いなんですか?ダヴィドさんが?」
本題から逸れて、聞き返してしまった。食い付いてきた星南に、彼は苦笑する。
「人妻でな」
「それはマズイですよ!」
「仕方あるまい。忘れられん」
「…………そんなに素敵な人なんですか?」
ダヴィドは目を細めた。長い腕が伸びてきて、するりと髪を撫でられる。
「彼女はもう…………この世に居ない。だからずっと片思いのままだ」
死んでしまっても好きなんだ。それはきっと、本物の気持ちだったのだろう。人妻で辛かったに違いない。星南が何も言えないでいると、彼はまた頭を撫でた。
「セナはどうだ?向こうの恋人に逢いたいか?」
「…………恋人は、居ませんでした」
そもそも、お付き合い経験も無い。淡い恋心的なものは知っているけれど、死んでも好きとなると…………両親?それは流石に種類が違う。
「ごめんなさい」
結局分かるのは、辛い話をさせた事。しかも上手く慰められない素人だ。俯く星南を抱きしめるよう、ダヴィドの身体が近くなる。そのまま何時もみたいに抱き上げてから、彼は困ったように微笑んだ。
「俺の片思いは有名だ。気にする事はない…………それよりセナ、海は好きか?」
「…………いえ」
泳げない人にとって、足の付かない水溜まりは恐ろしい。しかも危なそうな竜が居る。
「私、泳げません」
「知っている」
ダヴィドは苦笑して海を見た。彼女は水の神人らしくなく、それが思い出の女性に少し似ている。
――――雨なんて大嫌い。
そう言って晴れを願う横顔は、何より美しかったのだ。




