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金色の花を探して  作者: 秀月
聖ネルベンレート王国
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1-4:かなりの難題

 よろめきながら、部屋の鍵を掛ける。ガチッという金属音が鳴り、個室に一人きりになった実感が湧いてきた。木の扉に額を付ければ、濡れた前髪が顔に張り付く。揺れるガス灯の明かりは、蝋燭よりは明るくとも、蛍光灯には遠く及ばず頼りない。


 着替えなきゃ…………


 星南は顔を上げた。幸い、何も考えずに作業するのは慣れている。深く集中すると細かい事は抜け落ちて、無心に近くなれるのだ。


 えいや、と思い切ってカッパを脱ぐと、そこからは早かった。ずっしり濡れたスーツの上着を床に捨て、不快で仕方なかった革靴も靴下と共に脱いでしまう。その勢いでスラックスとワイシャツを脱げば、キャミブラとショーツしか残っていない。


 ペタペタ裸足で壁際に置かれたトランクケースに向かい、持ち手に指を掛ける。長方形の革製品は、見た目以上に重かった。移動を即座に諦め、金属の止め金を試行錯誤で外していく。星南は背後の桶を肩越しに見た。


 きっと、お風呂には入れない。


 なら、あれで何とかしろって事だろう。鞄の中を漁ると、大判の毛布に包まれたつるぎが出てきた。数本の小刀に、不思議な形の細ベルトが二本。やたら手の込んだ厚手の上着が二着に、形の違うボトム類が三種。長い帯はマフラーにしては硬めで厚く、三つ編みにされた紐や、石の付いた装身具らしい何かまで。どういう基準で入っているのか、さっぱり分からない。


 やっと底から出てきたタイツは、手編みのように厚手だった。こんなの秋にはまだ早い。他を探すと、シルクと思われる靴下にシャツ、綿のショートパンツは窓付だからトランクス…………かと思いきや、紐の中央に幅広の布を縫い付けたT字の物を発見する。


 まさか、ふんどし?


 それをイラッとした気持ちに任せて、投げ捨てた。エルネスさん、私に何着せるつもりなの!?下着から男になれと?


 …………下着から。


 そうだ。下着も着替えなきゃいけないんだ。ここは諦めて、全取っ替えをしようじゃないか。僅かに残して、後でひっぺがされたら大変だ。それが下着ともなれば、悲惨でしかない。


「よし!」


 気合いを入れて、湯気の上がる桶に近付いた。爽やかなミントの香りを漂わせる湯は、まさかの緑。ガス灯がさして明るくない事を考慮しても、底が見えない程の濃い緑である。


「あいつ、何持ってきたの…………」


 思わず呟いたが、透明よりは良かったかもしれない。使う程に汚れていく水は、見たくないからだ。石鹸も無いし、スポンジも当然のように無い。これが例え飲み水でも、飲むという選択肢は端からない訳で。無いよりマシなら、緑だってやるしかない。


 そっと手を差し入れてみると、意外と熱いままだった。それでまず、顔を洗う。濃い香りが鼻に抜け、眠気覚ましのガムみたいだ。痛いくらいのミントの香り。熱い湯なのに、冷たい錯覚に囚われる。


 これはもしや嫌がらせ?


 思うと俄然、やる気になった。売られた喧嘩はタダなら買います。一抱えはある桶に頭を突っ込んで、どうにか髪を綺麗にすると、脱いだキャミブラをタオル替わりに身体を流す。


「…………室内なのに、サバイバル」


 自覚した時には、狭い桶の中に立っていた。やりきった。やってしまった。何とも複雑な心境になる。


「ほんとに綺麗になったのかな…………」


 自分では気が付かなかったけれど、血の臭いがすると言われた。流石に焦って、何も考えずにここまでしてしまったけれど。血の臭いって、結構分かるものだと思う。まさか、この湯を使わせる為の嘘、というのは穿うがち過ぎだろうか。


 正直、エルネスさんはよく分からない。


「っくしゅん!」


 飛び出したくしゃみに、星南は慌てて毛布を引き寄せた。タオルが無いので、文句は聞かない事にする。それで拭いた身体に、ショートパンツと丸首のブラウスを着た。恐らく下着で間違いないパンツは、サイドに深いスリットが入っている。ウエストの紐を締めると、足が付け根の際どいラインまでよく見えた。


 みんなこんなの穿いてるの?


 星南は思わず呻いた。紐パンレベルで、これは無い。よってもう一枚七分丈のパンツを穿いて、靴下を履き、ブーツに足を突っ込んでしまう。予想通りブカブカだったが、仕方ない。後で何か詰めてみよう。


「胸をどうするかな…………」


 あまり気は進まないけれど、女とバレたら軟禁に後宮が確定らしい。だったら胸くらい、潰してみせます。とは言っても、初心者にサラシが巻けるとは思えない。気付いたら腹巻き、というオチが目に見える。


 もう一度トランクケースを探ってみると、革製のベストが二種類出てきた。その硬い方を採用する。少し重量があるけれど、無駄に厚みがあって、それっぽい。


「体型は大丈夫になったハズ」


 ブーツの中にガーゼを詰めて、靴下にあるループに気付く。パンツ側にはボタンがあって、パズルが解けたようにぴったり位置が合わさった。靴下止めで間違いない。ボトムは更にその上に、大工さんみたいな膨らみのあるパンツを重ねて腰回りを隠してみる。


 大分見れる姿になっただろう。漸く人心地ついてベッドに腰掛けると、フェルナンが投げ捨てて行った麻袋が目に入った。


 引き寄せて開けてみたら、固いパンとチーズ、金属製の筒が入っている。多分、食べ物だろう。けれど流石に食欲は無い。なのでそれらをピンクの小箱の横に並べて置き、空いた袋に脱ぎ散らかした服を詰め込んだ。片付けまで抜かりない。


「疲れたぁ」


 パタンとベッドに寝転がる。揺れる明かりに、雨の音。部屋に満ちる、ミントの香り。そして知らない天井だ。ふぅ、と長い息を吐き、星南は瞳を閉じた。


 無心になれ。


 瞼の裏の闇の中、明るい蛍光灯に照らされたアパートの部屋が甦る。考えたって始まらないし、成るようにしかならない。それを今は、成すだけだ。すーっと深く息を吸い、細く長く吐息を零す。座禅のつもりで思考を止めて、そうして深く集中するうちに、何時しか寝息をたてていた。




「セナ」


 二回のノックに呼び掛け一度。はなから起きていると思っていないエルネスは、すぐに合鍵を挿した。


 案の定、セナはぐったりベッドに転がったままだ。消えかかっているガス灯を消し、まだ闇の濃い室内を見回す。昨晩まで満ちていた血の香りは、殆どしない。値の張る薄荷草マントの薬湯が、しっかり臭いを消したのだ。


 それにしても…………


 泣いた様子は、無さそうだ。両手を投げ出して伸びのび寝ている姿からして、警戒心など皆無に見える。実際、危険には疎いのだろう。固く守られた結界を簡単に越えてしまう程の平和ボケ。


 こうした被害は、十年周期でやって来た。


 だからまんまと狙われる。獣人達が恐れる病。何時しかそれの特効薬とされた蛇人族は、密猟するかの如く殺されだしたのだ。


 青石の国(アジュール)が閉じて、二百年が過ぎる。


 彼らの記録は曖昧になり、今も尚、余計な尾鰭(おひれ)を付けて人心を惑わし続けたままだ。そして伝説となりつつある種族に押し上げられて、価値は天井知らずに上がるばかり。この貿易の国では、最高の素材だった。


 同じ人族の身体である筈なのに。


「だからと言って、全てが嘘、と言う訳でもありませんからね」


 エルネスは右手の白手袋を外して、星南の額をそっと撫でた。小さな頭だ。そして吸い付くような若い肌。種族として黒曜石に例えられる自らの爪が、少しでも触れたら怪我をするのでは無いか。そう思って、驚いた。かなり感傷的になっているようだ。


 生きた蛇人族。


 あの方が存命か、知っているのだろうか。


 一向に目覚めない彼女の前髪を丁寧に払い、根本から黒い髪を確認する。眉毛、睫毛も偽り無き黒だ。そのままこめかみの方へ髪をすくと、丸い形の耳が見えた。丸い事は知っている。けれど蛇人族の耳は、そういう形の付け耳だとも知っていた。それが知っている知識の全て。


 血の濃い蛇人族を、こんな風に観察する機会に恵まれるとは。


 そう思うと、瞳の色も確認したくなってきた。エルネスはそんな自分に少し呆れて、目線を離す。疑いの余地はない。これだけ無条件で触れたくなるのだから、蛇人族で間違いは無いのだ。けれどセナは、どうにも記憶の中の蛇人族とは違う。僅かな違和感を埋めたいだけ。


 それが、こうして触れている言い訳だとしても。


 今回の襲撃は、異例ずくめだったから。余計に気が張っているのかもしれない。


 此処は獣人族の中でも、狐人こじんの多い国だ。


 であるにも拘わらず、狩人は犬人けんじんだった。狩られた蛇人族は混血の準蛇人族ばかりで、何故か子どもから老人までと幅広い。老人が混ざるなど、初めての事だ。しかもその被害者数は、近年最多の十二名。挙げ句、未だに首が見つからないという異常事態だ。


 何かが起きている。


 だからセナを手放せない。この子が鍵になる、そんな予感がしていた。体温の低い頬に触れ、幼さの残るまろい顔を自分に向けさせる。


 セナの持つ色は、決して『準』の付く者ではない証明だ。黒い髪は血筋の濃さを表し、灰色の瞳は混血には現れない。今回の被害者数も、もしかしたら、結界から出てはならなかった一人を追った故に…………というなら、残酷な結果ではあるが説明も付く。


 その肝心の少女は、何処へ行くつもりだったのか、という不思議な格好をして呑気に眠ったままだった。別に、気配を消して来た訳では無いし、流石に鍵を開けたら起きると思っていたのだが。触れても起きないなんて、この先色々心配だ。


 好きに触れても気付かないなら、その先も…………男なんて、そうやって増長する生き物なのに。


「困りましたね」


 その呟きは、困惑よりも呆れを多分に含んでいる。確かに、セナには何も言わなかった。それは試す為でもあった訳だが、それにしたって、これはあんまりだ。


「やはり、名家の令嬢?」


 正直ピンと来ない。あのトランクの中で、唯一選択肢の無い石皮靴(ロシェボット)は山や森等、基本的に場所を選ばない優れた履物ブーツだ。けれど、セナが穿いた砂地用のズボンを穿いて行くような場所には適さない。正装用の丸首のブラウスは後ろ前だし、革鎧を着たまま寝るなんて非常識にも程がある。


 程がありますよ、セナ。


 起こさないように直すべきか、と一瞬思ったものの、少年として扱う事は決定している。あまり丁寧に接すると、男装の少女である事は直ぐにバレてしまうだろう。


 その時、コンコン、と扉が音を立てた。


 自然に溶け込むような気配の消し方には、一人しか思い当たらない。エルネスは手袋をはめて扉を開きながら、どうしました、となに食わぬ様子でダヴィドに言った。


「出立を少し早める。王国軍が此方に向かっているらしい」

「遺体を回収するとでも?」


 嫌悪を含めて問うと、ダヴィドは凪いだ瞳で肯定を示した。此処の王家には前科がある。薬としてむごい扱いをする筈だ。しかし首が無い。エルネスは目を細めた。


 薬には出来ないだろう。ならば何故か。


 ダヴィドも気付いたのだろう。


「メートル・オブリも、そう易々とはさせんだろうが…………此方にはセナがな。嫌な予感がする。鉢合わせは不味いだろう」

「分かりました。支度をさせます」


 エルネスが扉を閉めようとすると、ダヴィドは声を更に落として囁いた。


「お前、何を隠してる?」


 琥珀色の瞳はよく澄んで、疑問以外の含みは何も無いようだ。


「直ぐに分かりますよ、ダヴィー」


 エルネスが笑いを含んで答えると、彼は方眉を上げてみせた。


「北門で落ち合いましょう」

「…………いいだろう」


 律儀な事に、その秘密を暴いて良いのか、という確認だったようだ。基本的に彼はさとい。けれど、一度した勘違いには中々気付かないところもあった。


 はっきり言えば…………直ぐに分かるかは、かなり怪しい。そしてその方が大助かりだ。


 この国を出るまで、ダヴィドだけには騙し通さねばならない。


 なんと言っても、一族丸ごと女に甘い(フェミニスト)


 しかも嘘や演技は不得手である。エルネスとて、仕事は増やしたく無いのだ。ウスタージュは気付いても何も言わないだろうし、フェルナンは扱いあぐねているにしても、ヘマはしないだろう。


「さて、起こしますか…………」


 ともかく、一から着替え直させねばならない。正直、このままセナを全裸に剥いたとしても、自分の男としての理性は揺らぎもしないだろうが。間違いなく蛇蝎だかつのごとく嫌われる。だからと言って、着替えを出し並べて置いたとしても、ちゃんと着られる保証は何処にもなかった。


 この子には、記憶の欠落があるかもしれない。


 手を焼きたいのは山々だが、手を焼いた者が優先的に嫌われ役に回りかねない現状だ。首を捻ったエルネスは、近づく適任者の気配に、問題を丸投げする事にした。


「フェルナン、ちょっと頼んでもいいですか?」


 ノックの前に開いた扉から、薬湯の入った洗濯桶と荷物を背負ったエルネスが現れた。条件反射で承諾したフェルナンは、その後、かなりの難題を言い付けられた事に気が付いた。




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