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金色の花を探して  作者: 秀月
ルーク=ドラフェルーン帝国

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33/93

2-2:翻弄

 お姫様、と呼ぶ夫人から逃げて随分経った。


 もうその声は聞こえて来ないし、人の気配も無いようだ。植え込みの下に這いつくばっていた星南は、のろのろと小道に頭を出した。さっきよりも影が長い気がする。死に物狂いで逃げて来たから、何処に行けば戻れるのかも分からない。


 むしろ、戻りたくない。


 よもや女性に対して、身の危険を覚える日が来ようとは。服を汚してしまったけれど、逃げる隙があったのだから仕方ない。


「はぁ」


 溜息が零れた。白いノースリーブのドレス。解けかけた肩紐を締め直すと、あちこち擦りむいた腕が見えた。頬もヒリヒリするから、顔に傷を作ったかもしれない。別の植え込みの陰に隠れ直して、枯れ葉の上に座り込む。長いスカートを膝に抱えると、身体の側面がヒヤリとした。腰まで入る深いスリット。もちろんパンツは穿いてない。片側だけと自分を慰め、顔を伏せる。


 靴や靴下、装身具。投げられる物は全て、投げて来た。


 そうする以外に、止めて貰う術が無かったから。


 カナリのメンバーが、どれ程気を使ってくれたのか。それを今更ながらに気が付いた。泣きながら逃げなくてはならないような、そんな事があるなんて…………されるまで思い付きもしなかった。腕の傷を押さえて、とうとう嗚咽おえつが堪えられなくなってくる。馬鹿だ。もっと他の方法があった筈なのに。


 もう泣いても、どうにもならないと励ます事が出来なくなっていた。


 パーティーのお荷物だったから、きっと置いて行かれたのだ。私が居なければ、彼らが危険な目に遭う事も無いだろう。


 それくらいしか、役に立てない。


 むしろ、これで役に立ったと言えるのかすら。


 涙に霞む庭を見ていると、不思議な事にキラキラと光り出した。見間違いかと思い、目を擦ってよく見てみると、淡い緑色の光が降り注いでいるようだ。慌てて上を向く。日の射しこむ緑のこずえ――――違う。この光は、魔法だ。


「ふぇる…………」


 言いかけながら瞬いた視界は、もう田舎の家だった。星南と父に名前を呼ばれ、夢だと分かるからこそ抱き付いた。


「お父さんっ!」


 どうしてこんな夢を見せるの。


 それでも心地いい、覚めて欲しくない夢だ。泣き虫だなぁ、と父が笑う。記憶通りの声が、一気に夢へと星南をいざなった。私よりも泣き虫な癖に!


「そんなに泣くと、目が溶けちゃうぞ」

「うそつき!」

「溶けたら困るぞ?パパが畑にまいちゃうからな」

「やだー!」

「大根さんが喜ぶぞ~!」

「それもやだー!」

「じゃぁ、こちょこちょだ!」


 笑い声が重なる。幼い星南を抱き上げて、白髪交じりの男は言った。


 星南は、小さいままで良いんだよ――――

 

 

 

 エルネスが星南を見つけたのは、勿論、偶然ではない。そこに居ると分かって来た。けれど、とても話し掛けられる雰囲気では無く、どう励ませば良いのかも分からなかった。全身泥だらけで、頭に葉っぱも付いている。なにより、腕も顔にも細い傷が付いていて、薄っすらと血の香りが漂っていた。


 彼女は手当を嫌がる。


 突然、物を投げて暴れ出したと言われたが、十六夫人は女だ。女は可愛い嘘をつく。そしてセーナは、そんな事を理由もなくしない。愚かで従順、そして子どもだ。事を拗れさせるより、眠らせて仕切り直す方が最善に思えた。


 艾の緑(アプサント)の色術式が眠りと麻痺の光を降らせると、小さな身体が傾いでいく。呼んだ名前は違ったものの、一瞬見えた安堵の顔に、自分の中で何かがキレた。


 突然暴れるものか。


 言い返しはしなかった。父は毒婦を好む。だから嫌いだ。この家も。


「セーナ」


 以前は忽ち治った傷が、まだ赤く濡れている。そこに予備のガーゼを当てて、素早く包帯を巻いた。時空の歪みを治した身体。もう異常な回復力は見られない。


 力があれば。


 神人の傷は忽ち治る。それが出来ない子どもには、保護者が確かに必要だ。けれど、誰でも良い訳ではない。


 ダヴィドは夫人の足止めをしている。フェルナンはローリエだ。こんな場所にセーナを置く事は出来ない。意見は一瞬で一致した。自宅に戻っても、制服を着ていたのには訳がある。色々と隠すには便利なのだ。


 父は、俗世に疎い。


「三日もあれば…………別の鳥籠を用意するくらい、造作も無いんです」


 外したローブを地面に敷いて、色術式耐性を設置する。自分の気配を変える事で、ダヴィドには準備が整ったと伝わる手筈。空間祝福が施された空に波紋が広がり、彼が次の手に進んだ事が分かった。星南をそっと抱き上げる。軽くて細くて、眠っていると儚さばかりが際立つ。


 早急に太らせねば。


 見ている方が、痩せ具合に罪悪感を覚える体型だ。どんな過酷な場所で育ったのだろう。


「それも聞かせて戴きましょう」


 エルネスはやっと笑みを浮かべた。落とさないように縦抱きにして、パチンと耳飾りに触れた指を鳴らす。準備していた青紫の石を握りしめ、創造の言葉を口にした。


『求めし先は彼方 遥か彼方に有りて 辿たどり辿りて 吐息を探す しるされし色は此処に 大気に交じる事無く 色を持つ者――――紫菫の君を探せルシェルシュ・ヴィオレット


 空は歪まない。


 いくら国一番の祝福印(メモワール)所持者と言えど、上には上がいる。保険も掛けた。


 ローブの上に光を纏った人影が現れる。硬い表情の男だ。エルネスは跪いて正式な礼を取り、そのまま星南を横抱きに持ち替えた。


「お呼び立てのご無礼、お許しください」

「構わないよ。彼女が?」


 問われて立ち上がる。自分と同じ姿をする人物が、驚いたのが分かった。


「風の神人に追い回された?」

「そんな所です」


 エルネスは、サラッと父親のマイナス点を加算した。手荒く扱ったのは彼ではないが、無断で囲い込もうとした事には腹が立つ。その苛立ちを微塵も見せない微笑みを浮かべて、こうべを垂れた。


「アシャール家別宅に、空間祝福を施せる場所を用意しました。一時そちらで保護したく」

「成る程。僕がそれを施しても構わない?」

「勿論です」

「…………分かった。の方がお戻りになるタイミングで、此処を抜ける。彼女をいい?」


 同じ姿を映す男が腕を差し出した。自分と変わらぬ顔が、穏やかな笑みを浮かべる。


「連れ去ったりしないよ。暗青(ブルフォンセ)との契約は、神人同士の約束よりも重いんだ。それにこの色術式は君だろう?信頼されていなければ、もうとっくに目覚めてる」


 次第に光に変わっていく二人を見送り、エルネスはローブを拾った。穏やかな午後の空が、微かに歪んで波紋を残す。何をしているのだろうと、頭のどこかで思った。事を大きくしたら、退路が減るだけだ。


 セナが泣いたら――――


 ダヴィドの言葉が頭を過ぎる。


 持てる権力全てを使ってでも、奪い返す。


 セナの仲間は俺達だと、言い切れる彼が羨ましい。けれど、そうあって欲しいとも思った。神話の時代より求められる水の血筋。このままだと何時か、仲間内で血を見る日が来てしまうのではないか。


 あのセーナ相手に?


 …………不思議と想像できない。


「さて、後始末をしなくては」


 馬鹿馬鹿しい事を考えてしまった。エルネスがもう一度見上げた空は、変わらず青いままだった。

 

 

 

 小さく呻いて、星南は目を開けた。何処かの部屋だ。しかも天上に凄い彫刻がされている。そぉっと顔を横に向けると、あと三人は寝られそうなベッドの上だという事が分かった。クッションがこれでもかと置かれている。冷たい落胆が胸に広がった。


 また、知らない場所だ。


 逆側に顔を向けると、オレンジ色の頭が見える。ベッドに突っ伏すダヴィドみたいだ。ギルドの制服に、少し先の尖った耳。緩やかなウェーブのかかる髪は、その顔をすっかり隠していた。


 呼びかけようかと思って、ゴクリと唾を飲む。


 もし、ダヴィドさんじゃ無かったら。もし、別れの挨拶を口にされたら。


 どうしよう。


 ぐるぐる不安が頭を回る。結局、星南はベッドの逆側に降りた。模様の織り込まれた毛足の短い絨毯が、足の裏にチクチク刺さる。ぶかぶかの寝巻は、柔らかなクリーム色。長い袖を捲ると、腕に巻かれた白い包帯が見えた。命の危険はない。服の寿命が短いだけだ。


 薄暗い室内。近くにある窓に歩み寄り、そっとカーテンを開いてみる。


 巨大な白亜の噴水を中心に、左右対称(シンメトリー)に剪定された草木が見えた。丁度顔を出したお日様が、一気に長い影を作る。広大な庭だ。


 まさか。


 星南はザッと青ざめた。後宮の二文字が頭に浮かぶ。これは絶対にヤバイ。


 急いでベッドに引き返し、寝ている人物を凝視する。揺り起こしたいのは山々だが、起きた瞬間に捕まるのは困る。もしダヴィドじゃなかった場合、ベッドの上で男女が一緒。悪い予感しかしない。


 頭を捻った結果、星南はベッドの真ん中で仁王立ちになった。そして跳ねた。容赦ない両足飛び。ベッドに恨みでもあるかのような、大ジャンプだ。スプリングが音を立てて、綺麗に並んでいたクッションが崩れていく。けれど、寝ている人は起きなかった。


 なんて寝汚い!!


 これ以上、触らず穏便に起こす方法は思い付かない。大声を出して、他に人が来るのも駄目だ。息が上がって来た。寝起きにホッピングとか、するもんじゃない。そんな後悔を踏みつけながら、すぐに止めてもらえない、目覚まし時計の苦悩を味わう。脇腹が痛くなってきて、溜息と共に膝を突いた。荒い呼吸に眼を閉じると、ベッドが小さく揺れている事に気付く。


「セナ、お前の朝は激しすぎるぞ」


 ダヴィドの声だった。彼は突っ伏した姿勢で爆笑していたのだ。


「いいか、そういう風に暴れる場所じゃないからな。全くこんなに、ぐちゃぐちゃにして…………」

「ダヴィドさんっ!」


 飛び付いた。セナ、と咎めるように名前を呼ばれたが、無視だ。ぎゅうぎゅうと首に抱き付くと、彼は諦めたのか、ぽすんと後ろ頭に手を置いた。身体が震えだす。嬉しさなのか、思い出した恐怖なのか。もう分からなかった。ギシッとベッドが沈み、膝で乗り上げたダヴィドが、しっかり星南を抱きしめる。


「怖い思いをさせた。もう大丈夫だ」

「…………はい」


 涙が溢れた。


 そのまま泣いて、大分泣いて――――星南が落ち着いたのは、朝日がすっかり空に昇った頃だった。


 聖ネルベンレート王国の聖都の森から、エルネスの父である神人、月桂樹(ローリエ)・サパン・セザールの力を借りて大陸北部を占めるルーク=ドラフェルーン帝国に移動した、までは良かったとダヴィドが話す。


「その後お前は、時空の歪みを戻すための部屋に閉じ込められた。月桂樹(ローリエ)の君は、変わった女性を好むから、まさか囲うとは思わなくてだな…………すまん、辛い思いをさせた」


 なんで、彼が謝るのだろう。


「セナ?」


 呼ばれた声に頷く。だって言葉が通じない。涙腺は弛みっぱなしで、目元に乗せられた冷たい布の下で、まためそめそ泣いた。


「目が溶けるぞ…………」


 呆れた声が聞こえてくる。


「…………溶けません。だから畑にもけないんです」

「冷やす意味が無くなる」


 その布を取られて、溜息をつく彼が見えた。


「頼むから泣き止んでくれ。一日中、腕立てをする事になるんだが」


 なんて理由だ。


 もしかして、証拠隠滅の為に目元を冷やされてるの?疑いの目をダヴィドに向ける。それに気付いて、彼はクッと喉で笑った。


「冗談だ。もうペナルティーは無い」

「え?」

「保護すると預かったお前を、こんなに泣かせたら…………胸が痛むというものだ」


 急に切なそうな顔をした。そこに漂う色気に、思わずきょとんとする。何だか意外な一面を見せられた。


「セナは妙に腕立てに敏感だからな。ほら、泣き止んだ」


 ダヴィドはそう言って、カラッと笑った。じっと見上げていると、クシャっと頭を撫でられる。


「俺を悲しませた罰だ。その腫れが引くまで、ベッドから降りられないものと思え」

「えっ!?」

「このままだと、朝飯を食いっぱぐれるぞ」


 それは困る、かもしれない。


 星南はお腹を押さえた。久しぶりに空いている。グーと鳴らないのが不思議なくらいだ。また目に濡れた布を置かれ、この家は、と話し出す声が聞こえる。


 すっかり翻弄されて、もう涙は出てこなかった。

 

 

 

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