1-26:価値
刑事ドラマで、見た事がある。
薄暗い部屋でパイプ椅子を蹴られながら、怒鳴られるアレだ。けれど現状は、太腿とは思えない硬い足に横座り。お腹に乗る手が、ベルトを掴んだらどうしよう。
そう思って視線を下げていると、顎を掴む手が離れた。
「まずはココ」
ダヴィドの指がおでこに触れる。
「次は眉間、鼻筋、鼻頭…………その先は、保証できんな」
何の話をしているのだろう。尋問しに来たんじゃないのかな?きょとんと彼を見上げていると、また顎を掴まれる。
「答えるのが遅れたら、その順番でキスをやろう」
「はっ!?」
「名前は?」
「ちょっちょっと待って下さいっ!キっ!!」
咄嗟に目を閉じた。けれど、何かが額を掠めた気がする。ダヴィドは笑みを深めて、名前は、と再び星南に問いかけた。
「かかか桂田っ星南です!!」
「家名は?」
「桂田!」
「…………色冠はどうした?」
「指揮官は居ません!」
ビクッと強張った星南の眉間に、口付けが落ちる。すぐに答えたのに何故!?
「色冠は?」
「居ません!」
「家名は?」
「桂田!」
「名前は?」
「星南!!」
「…………俺の名前は?」
「ダヴィド…………っ!」
すっかり涙目になっていた。彼女は嘘や隠し事には向かないタイプだ。そんな事は分かっているが、叩けばホコリくらい出るかもしれない。むしろ、とダヴィドは思う。
俺のフルネームを教えた時の、薄い反応…………あれは、家名を知らないからじゃなく、冠を持つ意味すら知らないからか?そう考えると、色々知識の乏しい彼女だ。辻褄が合う。
「俺の名前は、フー・ダヴィド・アロン・アシャール。いいか、色冠は火の黄赤、個名はダヴィド、アロンは母親の姓でアシャールが家名だ。家名は名前の前には来ない。セナ、お前の名は?」
「桂田 星南!」
日本人だ。グローバルしてたって、感化はされたくない。非公式なら、尚更に!
「…………言い張るか。母親の家名は?」
「長谷川」
「何故名乗らない?」
「結婚してるからにって!何でキスしようとしてるんです!?」
ダヴィドの口を両手で押え、星南は真っ赤な顔で抗議した。
「結婚したら、姓は揃えるのがオシドリ夫婦のロマンなんですよ!分かりますか?オシドリって水鳥ですよ!オスだけ綺麗で妬ましいったらわわっ!!」
顎を離れたダヴィドの手が膝裏を掬い、横抱きにされる。そのまま立ち上がるものだから、顔との距離は離れた。床からもかなり離れたけれど。
「お、おお降ろして下さい!」
「静かにしないと、エルが起きるぞ」
うっと、星南は言葉に詰まる。憧れのお姫様抱っこが、全然嬉しくない。こんな風に抱えられると、暴れたら背中から落ちるだろう。
持たれてる方が不利だ。お姫様は、この抱っこで何処に連れて行かれるんだっけ。まさかベッドじゃあるまいな。
ダヴィドの服を掴んで、肩の方に身を起こす。彼はベッドから遠ざかり、廊下に出て行った。そこは真っ暗闇で、窓外の方が明るい程だ。
「どうせ眠く無いんだろう?」
琥珀色の瞳が光を湛えて、見下ろしてくる。彼もきっと、ただの人間じゃない。その事実を突き付けられる度に、例えようもない孤独が胸に広がった。
居間の窓は鎧戸が閉じていて、穴蔵みたいに何も見えない。何かの上に降ろされた星南は、素手が触れた毛並みにぞわっと固まった。大丈夫、生き物じゃない。ソファーなんてあったっけ?絶妙なクッション性だ。
「セナ」
ダヴィドの声が闇の中から聞こえてくる。キョロキョロしていると、蝋燭に火が灯された。
「うっ!」
私が座っていたのは、熊の上だった。
「どうだ、凄いだろう?」
剥製なのか椅子なのか、背中が平面になっている。まるで、コインで動く動物園の乗り物だ。サイズは二倍程大きいが。
「毛皮は本物なんだが、骨格は作り物だな」
そんな事は、どうでもいいです。普通の椅子に降ろして下さい。星南の足は靴下だった。だから、そこから降りる事に少し戸惑う。土足文化の良さが、ちっとも分からない。こういう時に不便じゃないか。
一通り蝋燭に火を入れて回ったダヴィドは、熊毛のソファーで小さくなっている星南を見て、こっそり笑う。
怖がらなくても、それは死んでいる。ああ、違うな。毛皮はお気に召さないか。その嫌そうな顔を隠しもしないところが、新鮮だ。彼女は非常に素直で、大人しく、従順な子ども。
「セナ」
「…………はい」
分かり易い反応されると、揶揄いたくなるのは仕方のない事だ。
「それに座った者は、呪われる」
「えええーっ!!」
乗せた人も呪って下さい!
ぴょんと床に降りると、そこには毛足の長い絨毯が引かれていた。思わず片足を上げる。これも剥製だ!
「っく!」
微妙なポーズを取った星南に、ダヴィドはとうとう吹き出した。
「結局、踏んでいるぞ」
「うぅっ!」
ケンケン状態で跳ねて、やっと冷静さが舞い降りてくる。爆笑されているという事は、心配していないという事で…………もしかして嘘?!
「ダヴィドさんっ!」
思いっきり睨みつけたが、身体をくの字曲げて笑う彼は見てもくれない。
「五月蠅いですね…………」
「…………すまん、エル!」
テーブルから毛布の山が起き上がる。埋もれていたのはエルネスだった。
「…………おや、セーナ」
乱れた髪を手櫛で掻き上げ、彼はニコリと微笑んだ。
私は詰んだかもしれない。起きるぞって忠告されたのに。時既に遅し、星南は自分の口を押さえた。エルネスさんは、絶対に低血圧だ。寝起きの機嫌が良い筈が無い。
折角、ぐっすり寝かしてやったのに。
フェルナンは溜息をつきながら、夜空を見上げた。眠りと痺れの色術式を、最低効果で掛けたのだ。効きが甘いのは仕方ない。仕方ないが、いくら何でも効果切れには早過ぎた。
「パン屑頭には効かないってか?」
考えても答えは出ない。月桂樹の君が、もう少し見てくれていれば。そう思わざるを得なかった。もしかすると新種の人類かもしれないし、そうであれば、尚更囲い込む必要がある。けれど黒点だったなら、殺す以外に道は無いのだ。
足元から彼女の声がする。
人族の中で、最も耳の良い種族であるフェルナンは、もう一度溜息をついた。尋問でも拷問でもされてしまえばいい。どうせ死にはしないだろう。正体が少しでも分かれば、安心できる。
下げた視線の先、東の空は薄っすら明るくなっていた。
渋い顔で星南は咀嚼を繰り返す。食べているのは、クッキーだった。甘味は少ないが、木の実の香ばしさが美味しいのだろう。多分。
「では、セーナは青石の国出身でもないと言うんですね?」
口がいっぱいなので、頷きを返す。
「どうして確信がある?」
難しい事を聞くダヴィドを横目で睨みながら、モグモグ口を動かした。依然として食品に溢れるテーブル。正面に座るエルネスが口角を上げた。
「さぁ、早く答えないと次のクッキーを追加しますよ」
「…………日本が祖国です」
「また“ニホン”ですか。その名は地図にはありません」
「それでも日本なんです」
「クッキー追加だな」
太る。この人達のせいで、太ってしまう。彼らの納得する答えを言わない限り、クッキーを食べさせられているのだ。エルネスは、まるまるしてもきっと可愛いですよ、と慰めにもならない事を言っている。横に座るダヴィドが花形のクッキーを摘んで、星南の前に差し出した。
指まで食ってやろうという勢いで噛み付いているのだが、一度も成功していない。
「ではセーナ、ニホンは何処にあるんです?」
またそれか。
エルネスさんも、なかなかしつこい。でも私だって、めげる余裕はありません!星南が地図の欄外を指さすと、ダヴィドが新たなクッキーに手を伸ばす。
彼らには、異世界と言う概念が無いようだった。
だからなのか、嘘をついていると思われているらしい。絶対に偽りを伝えるものか。一歩も譲らない星南に、エルネスは苦笑した。
「地図に無い国から来た、と言う事を信じろと?」
「…………はむぐっ」
口を開けた瞬間に、クッキーを押し込まれる。ダヴィドさんの意地悪!
「早く飲み込んだ方が良いぞ」
そう言いながら、彼もクッキーを口にした。
「この味にも、そろそろ飽きるな」
ダヴィドがそう愚痴るのは、星南に食べさせた分、自分も食べているからだった。そういう事をするから、酷い男と罵れない。
「では質問を変えましょう。三色菫の水神について、知っている事は?」
パンセの水神?
水神って事は、神様だろうか?風神と雷神ならまだしも、水神なんて縁が無い。首を横に振ると、青石の国全土をたった一人で結界内に封じている神人です、とエルネスが答えた。
「かの水神と会う事が叶うとしたら、セーナはどうします?」
どうっていわれても…………
「握手くらいは求めますか?」
まぁ、それくらいなら。
コクコク頷くと、エルネスとダヴィドは顔を見合わせた。
「もういいだろう…………」
脱力気味にダヴィドが言う。エルネスも、時間の無駄かもしれません、と溜息をついた。神様に握手は駄目って?星南はムスッとして首を捻った。そもそも、食前にお祈り的な事をしない彼らだ。信心深いようには見えない。
「セーナ、最後の質問です。“はい”か“いいえ”で答えて下さい」
エルネスと視線が交わる。薄い色の瞳は見慣れなくって、その上感情が掴み難い。星南が緊張を滲ませた事に気が付いて、彼は薄く微笑んだ。
「貴女、文字は読めませんね?」
何で最後にそれなんですかーっ!
ぎょっと目を見開いたから、彼らには答えが分かった。やっぱり、とエルネスは思う。地図の地名も読めなかったのだ、聞くまでも無い事である。それでも聞いたのは、単に後味良く終わらせたかったからだ。
「…………はい」
俯いて肯定した星南は、その様子に安堵する二人の姿を見逃した。どんなに不利な質問でも、もう嘘はつかない。でも、生理用品の説明だけは勘弁してくれないかな。
恐る恐る顔を上げると、クシャっと髪をダヴィドが撫でた。
「明日にでもウスタージュに習うといい。早めに発つかもしれんが、それまでお前は留守番だ」
「はい」
「可愛いセーナに、プレゼントをあげましょう」
えっと驚いてエルネスを見る。彼が差し出していたのは、持ち去られたままの家の鍵だった。思わず両手を差し出すと、すんなりと返却される。
「金属としては優秀ですけれど、どこの鍵でしょう?」
「家の鍵です」
「どこの鍵か分かるんですか?」
星南が頷いて家の入口を指さすと、エルネスはただ穏やかに微笑んだ。重要なのは、鍵と肯定される事。そして、星南がそれを大切にしているという事だ。
考え過ぎかもしれませんが――――
本来ならば、簡単に返却したくはなかった。その重要な鍵をすんなり返す理由はひとつ。
「無くさないように紐をやろう」
「神への願いの下に、しっかり隠しておくんですよ」
金属は神人の力を遠ざける。
聖ネルベンレートの王族は竜人族だ。しかし、その背後には火の神人がいる。今まで、一度も神人に接触されなかったのは何故か。どうして今、こんなに的確な襲撃をされているのか。結びつく答えは、窪みのある金属片のみ。
――――これを鍵と言うのなら。
星南に向いていたダヴィドの視線が、問うようにエルネスへ向く。これでいいのか、と彼は思ったようだった。
彼女が持つ事で、この状況がどう変わるのか。
エルネスは頷き返した。移動を始めれば、効果はきっとすぐ分かる。試す価値はあるだろう。




