1-23:子守
「野苺、林檎、山林檎もあるからな!」
ドリンクばかり六種類も揃えて来たウスタージュが、笑顔で言った。拠点の家の木製テーブルを囲み、星南は窮地に立たされている。全然、お腹が空いていないのだ。ともかく、ずっと持っていた木苺ジュースで溜息ごと喉に流し込む。
「うっ!」
ブルーベリーみたいな物を想像していたのに、強烈な酸味に襲われた。異世界ジュースは罰ゲームか。口を押さえて身悶えていると、フェルナンが木皿を目の前に置く。
「野菜のパウンドケーキだ」
彼はそれを十個も購入しており、一人二竿の計算らしい。どう考えても量がおかしい。ワンカットでもお腹に溜まるのに、丸ごととか冗談じゃない。野菜のケーキは別腹にはなりそうも無いし、オレンジと緑のマーブルだ。気分まで混沌としてくる。それでもフォークで一口だけ頑張って、名前を呼ぶエルネスを見た。
「よく噛んで下さいね」
問答無用で口に押し込まれたのは、クッキーだった。貴方も粉物ですか!眉間に皺を寄せて咀嚼していると、ダヴィドが遂に堪え損ねたように笑い出す。
「くっ、何だその顔は。もっと美味そうに食え」
もっともだが、元から空いていないお腹だ。どんなに美味しくても、その幸せは目減りする。
「お菓子なら、いけると思ったんですけどね」
焼き菓子を大量に買い込んだエルネスが、クッキーを齧りながら言った。ダヴィドはサンドイッチやチーズ、ハムを買い足していて、拠点の家は宴会場と化している。誰がこんなに食べるのだろう。添加物なんて無さそうだから、日持ちもしない筈だ。その頭数に、私を入れないで欲しい。
星南は早々と机に突っ伏して、断固食べないという構えを取った。
「これで酒が飲めれば、満点だったな」
「任務中ですからね」
「食い過ぎると眠くなるかな…………」
ウスタージュは大きな欠伸をしながら、ピクリとも動かない横の星南を見た。全然減っていない皿の真ん中に、少し欠けたパウンドケーキが居座っている。
まるで、ネズミに食われたみたいだ。
けれどセナは人間で、余りに食が細い。クッキーと、その一欠片。僅かに減った木苺ジュースのビンを見て、何だか溜息が出てしまう。
「セナ、もう少し食べても良いんじゃないか?」
「…………無理」
星南の言い分としては、こちらの食品は腹持ちが良過ぎる、の一言に尽きた。別に少食と言う訳じゃない。それなりに動いているのに、空腹を感じない事に始まり、色々なストレス障害に見舞われている。現代人だ。ストレスに弱い事は、もはや宿命だろう。
「セーナ、無理に食べろとは言いませんが、本当に要らないんですか?」
「はい…………」
申し訳ないとは思うんですけどね、と心の内で付け足す。無理に食べても気持ちが悪くなるだけだ。
「よし、二人は先に休んでいろ。後で交代だ」
ダヴィドが言うと、エルネスが過保護ですねぇ、と呆れた声を出した。
「何とでも言え。ウスタージュは本来、赤だったんだ。青には向かん」
断言された青年は、肩を落としながらも苦笑した。自分でも薄々分かっていたのだ。剣の腕は上がらないどころか、緑のエルネスにすら勝てない。見習いだってもう少し上手い筈だ。それでも剣士は花方で、やるならと憧れた。理想と現実の差は、想像以上にデカかったのだ。
「セナもだぞ?」
「は、はい!」
過食の刑が軽く終わった!星南はそそくさ席を立つ。このチャンスに部屋へ逃げ込む算段だ。しかし、横のウスタージュとフェルナンも席を立ったので、あれっと思って目線を向けた。彼等は揃って玄関から出て行ってしまう。
「水を使いたかったら、行っていらっしゃい」
エルネスに言われて、あっと思いながら後を追った。ガス灯なんて近代的な物があるのに、水はローカル全開の井戸頼り。初心者は上手く水が汲めないと聞いた事がある。
「ウスタージュ!」
大きな背中に呼び掛けると、声を出すな、とフェルナンに叱られた。
「部屋で待ってろ。ノコノコ付いて来んな」
「で…………っ!」
言いかけた言葉が詰まる。フェルナンに突然抱き寄せられて、視界が上下逆さに反転した。
「ウスタージュ!引けっ!!」
「うわっ!」
地面に刺さった五本の短剣。右肩に星南を担ぎ上げたフェルナンは、素早く左の手袋を引き抜いた。そのまま耳に触れた指を鳴らす。
『女神の慈悲を受けし月 瞬く星は意味を持ち 忘れえぬ日に 焦がれるだろう 青き忘却の火を灯せ――――勿忘草の青!』
視界を照らす水色の光が、町外れに逃げて行く犬人の影を捉えた。それに、家から飛び出したエルネスの古き緑が直撃し、バランスを崩した所にダヴィドの一閃が襲う。
「狙われたのは?」
エルネスの問いに沈黙が答えた。
「フェん…………っ」
「声を出すな」
肩から乱暴に星南を降ろして、フェルナンがぴしゃりと叱る。突然の事に付いて行けない。夜闇に浮かぶ青白い鬼火。狙われたって、何?辺りを見回そうとした頭を、エルネスがそっと押さえた。
「セナは、フェルナンと一緒に奥の部屋に戻って下さい。ウスタージュ、貴方はこっちです」
「りょっ、了解!」
「おい、良いのか?」
上擦った声のウスタージュに、フェルナンが思わず聞いた。
「俺はこれでも青です。出来る事はやります」
「そうか」
少し根性が芽生えたらしい。良いことだ。フェルナンが片腕を上げて労ってやると、エルネスも腕を上げる。
「新人には負けて居られませんよね?さぁ、まずは尋問からです」
「うっ!」
彼は戦闘には不向きだ。再び指を鳴らして加護の光を消すと、フェルナンは星南の腕を掴んで、踵を返した。人間、何があるか分からない。尋問程度なら、出来て損はしないだろう。
「フェル、頼みます」
念を押すエルネスに、頷きを返す。もう一度振り返ろうとする星南の腕を強めに引いて、家の扉を閉ざした。
「襲撃された。奥の部屋から出るな」
「えっ!?」
告げられた状況に、他の言葉が出なかった。此処は村の中だ。しかもお祭りの前夜祭で、人の目だってある筈なのに。腕を引くフェルナンの表情は厳しい。襲撃って、何をされたんだろう。エルネスが隠した現実を、星南は知らない。大半の明かりが落とされた居間を過ぎて廊下を進み、唯一の個室に連れて行かれる。
「あ、あの…………」
もしかしなくとも、私のせい?
部屋の扉を閉めようとするフェルナンの腕を掴んで、その名を呼んだ。彼は二色の瞳で一瞬こちらを見た後、面倒くさそうな顔をする。
「此所に居れば、手出しはさせねぇよ…………」
そう苦々しく言われたが、自分のせいであれば、ただ隠れているなど許されない。星南は、うーん、と眉間に皺を寄せた。
「…………お前に出来る事なんて、無いんだ。大人しくしていろ」
嫌な予感に襲われたフェルナンは、即座に釘を刺す。掴んだままの彼の腕から顔を見上げて、星南はパッと閃いた。
「私が囮になればいい!?」
「大人しくしてろって、言っただろう…………あっちはお前を殺す気なんだ、うっかり死んでみろ。皮を剥いで、それを売りさばいてやる」
「えっ!」
死んでも皮を剥ぐの!?
死者への冒涜だ。いや、死ぬ気は無いけれど!しかも売るって…………まさか迷惑料!?
「酷いよフェルナンっ!まだ、私の皮を狙ってたの!?蛇革と違うんだからね!価値は無いから!!私に取っては、絶大な価値が有るけれどっ!」
「煩い、騒ぐな!」
星南が手を放した隙に、部屋の扉を素早く閉める。なんて世話かかる小娘なんだ。突くと騒ぎ出すなんて、お前は蜂の巣か!
あぁ、頭が痛い。
しかし、いっそのこと死ねば良いのに、とはもう思えなかった。僅か数日、情が湧くには早過ぎる。扉に背を預けると、星南は外へ出られない。すぐに抵抗してくるかと思っていたのだが、彼女はドアを押さなかった。動かない気配に、フェルナンは静かに息を吐く。
水に連なる血筋。
神話には表と裏がある。子どもには聞かせない、裏側が。水の女神は火と風の神に求められて尚、その手を取りはしなかった。大神がそう定めたにも拘わらず、一途に父神だけを愛したのだ。だから火と風の神人は、水の神人に眼が無い。人として愛し、物のように仕舞い込み、結果、嫌われた。
来るべくして起こった青石の国の鎖国。
神話の世代から求められる水に、自分も抗う事が出来ないのだろうか。馬鹿馬鹿しい。俺にだって、年端も行かない子どもが死んだら、痛む心くらいある。
そんなに水の血筋が欲しいのだろうか。セナは蛇人ではなく、青石の国にも疎い。
なのに、此所まで追って来るものか?
現状、彼女は何時発病するかも分からない黒なのだ。祭りに乗じて容姿を晒したのは、相手の様子を探る為。ウスタージュ以外は全員、どこかで怨みを買っていてもおかしくない。
討伐ギルドは、人を殺める。
それが仕方の無い事だと、全ての人に理解されている筈も無い。だからこそ、特別な権限を持っていた。
何人殺しても、罪には問われないのだ。
復讐への抑止力として始まったものの、それのせいで、入団試験は難関となった。つまり、ギルドに怪しい身元の者は居ない。だから堂々と連れ戻ったというのに、それが仇となったのだ。アングラード分団の長は、女傑ジスレーヌ・オブリ。清く正しい人として知られている。
「ふぇ、ふぇるさん…………」
「何だウスタージュ。もう降参か」
薄暗い廊下をトボトボやって来る青年は、尋問のさわりでリタイアしたらしい。
「俺と交代か?」
フェルナンが聞くと、すっかり顔色を無くした彼はコクコクと頷いてみせた。容赦を知らないダヴィドと、感覚のズレているエルネスが相手だ。普通の事をするとは限らない。
「セナを部屋から出すな。良いな?」
「りょうかいです…………」
早く仲裁に行かないと、尋問ではなく拷問になっているかもしれない。フェルナンはウスタージュの肩を軽く叩いて、足早に居間を抜け、外へ出た。村外れの家は、有事を想定して借りたもの。裏手に納屋が三つあり、その一つから人の気配を感じた。
「フェル、良い所に。明かりをお願いします」
すぐに気付いたエルネスが、手前の納屋から顔を出す。勿忘草の青の光を三つ差し向ければ、泡を吹いて気絶している犬人二人が照らし出された。
「すまんな、ウスタージュには早かった」
彼らを縄で縛りあげているダヴィドが、苦笑を浮かべてフェルナンを見る。意外と簡単に口を割りましたよ、とエルネスもご満悦だが…………キリっと頭痛が、こめかみを走り抜けていった。
耳が血だらけだ。
昔、犬人奴隷がされていたという断耳を再現したらしい。何でいきなり、切り落とすところから始めたんだ!
「尋問じゃなかったのかよっ!!」
「あまりに面白い事を言ったので、手が滑りました」
「ウスタージュが再起不能になったらどうすんだ」
仕上げに縄を引き締めたダヴィドが、パンパンと手を叩いて立ち上がる。
「出だしは尋問だったんだがな、コイツら…………セナに頭を殺られたと抜かした」
「は?」
ポカンとしたフェルナンに、寝言でも言われたのかと思いましたよ、とエルネスが苦笑する。
セナに頭が殺された?
セナって、あの?
危機感ゼロ。気配も読めない、話せない。頭の中はパン屑だ。あの残念なセナが、殺人?
「しっかりしろ、フェルナン」
肩を揺すってきたダヴィドに、疑いの目を向ける。その気持ちは分かる、と言うように頷かれ、尋問からランクアップした事に納得してしまった。耳が欠ければ、目も覚めただろう。その結果の答えなのだ。
「蛇人狩りを依頼された冒険者ギルドの、グループ頭が殺されたそうですよ。短い黒髪の少年に、スパッと一撃で」
「メートル・オブリからの尋問報告は明日届く――――が」
「あの子には、もう少し――――話を聞かねばなりませんね」
「泣かせたら、腕立てだからな」
思わず言ったフェルナンに、エルネスがニッコリ微笑んだ。
「誰が泣かせたか分かれば、の話ですよね?」
「大丈夫だ。まともに話せんヤツに、手荒な事はしない」
「ちょっと待て!」
家に戻ろうとする二人の肩を掴んで、フェルナンは頬を引き攣らせた。
「二人揃って行くんじゃねぇよ…………!」
「フェルも来ればいいでしょう?」
「明日にしろ。今夜は駄目だ!」
ウスタージュも使えないのに、一晩セナに泣かれたら一睡も出来ないに違いない。
「夜這いに行くんじゃないぞ?何を心配しているんだ?」
「仕事が増える事に、決まってんだろう!?」
「とか言って、本当は心配しているんでしょう?セーナは可愛い女の子ですもんね?」
「胸は見事に無いが、あの肌は一級品だぞ?」
「そんな事は、聞いてねぇよ!」
「私は初耳ですね。やっぱり、一度全裸にして祝福痕を探しませんか?」
「それは駄目だ」
「ダメに決まってんだろ!」
声を揃えて反論してくる二人に、エルネスは肩をすくめた。
「大人しく寝ていたら、今夜は見逃してあげますよ」
「寝ていればな」
その悪いタイミングで、家から高い声がした。何とも言えない空気が三人に漂う。
「ウスタージュ!ウスタージュ!!」
呼ばれている青年の声は聞こえて来ない。
「ウスタージュっ!吐いちゃダメーっ!!」
「なに!?」
「軟弱ですねぇ」
「先に戻る!二人は暫く帰って来んな!!」
家に駆けて行くフェルナンの背を、水色の光がふわふわ追って行く。暗くなったその場所で、ダヴィドが溜息をついた。ウスタージュにもまだまだ手が掛かる。エルネスは、ポンっと彼の肩を叩いた。
「祭りに戻りましょうか?暫く戻れない用事でも作りに」
「そうだな。子守はフェルに任せるか」




