1-22:過食の刑
ランプを軒先に吊るした出店は、小さな家のように可愛い見た目だった。
それが数十軒と道の両脇に並び、色々な物を売っている。バターの香りがするパンに、ボリュームのあるバーガー屋。綺麗な見た目のキッシュや、甘さ漂うパウンドケーキは特大サイズだ。クリスマスの飾りみたいなオーナメントがあれば、生地やリボンまで。
「どうだ、面白いだろう?」
ダヴィドが笑いを含んだ声で聞いてくる。星南は、目を離せないまま首を縦に動かした。抱き上げられていなければ、この景色は見られなかった。悔しいけれど、抱っこの有用性は認めざるを得ない。けれど、断固娼館にはいかない、という思いを込めて冷たい視線を向けておく。
「まだ、根に持っているのか」
当然だ。そういう処は、こっそり慎ましやかに行くべきであって、ギルドの洗礼に新人を連れ込む場所じゃない。誰だ、そんな事を始めたのは。パワハラにセクハラがセットとか、その場で退職届を書いていいレベルじゃないだろうか。ウスタージュはソレのせいで、すっかり女性の素肌に恐怖心を植え付けられたらしい。恐怖を覚える素肌って、若干気にならないでも無いけれど。
「セナにとって、悪い話ではないぞ。色使いに色を提供できる宿は、何と言っても口も守りも堅い。飯も美味いし風呂もある。羽を伸ばすには最適だ」
「…………」
「ほら、少し興味があるだろう?」
星南はとうとう否定出来なくなった。お風呂の誘惑に勝てそうにない。ムスッと膨れて出店に視線を向けると、ダヴィドは喉の奥でクッと堪えるように笑った。
「収穫祭はベルコの名物だ。七日続く祭りで、今夜はのそ前夜祭。地元の者が一番多いな」
「セナ、木苺ジュースを貰って来たぞ!」
牛乳ビンに似ている。そう思った入れ物を横から現れたウスタージュに押し付けられて、困ってダヴィドの顔を見た。抱っこ状態での飲食は、流石に気が引ける。今だって十分恥ずかしいのに、礼儀を欠いて恥の上塗りは避けたい。
「美味いぞ?」
しかし彼は、笑顔で首を傾げただけだった。そんな事は聞いてませんから。星南は仕方なく、視線を出店に戻した。頭一つ背が高いウスタージュが、ドライフルーツの店に向かうのが見える。自分の分は買ったのだろうか。赤紫のジュースを見て思う。任務のついでと言う割に、彼等は思い思いに祭りを楽しんでいるようだった。
ほんわか灯るランプの明かり。街灯の火も白く燃え、周りの獣人達はまるで、仮装パーティーの参加者みたいに着飾っている。
日本のお祭りとは全然違う。
思った時、キーンと高い耳鳴りがした。一瞬、周りの喧騒が遠ざかり、祭囃子と赤い提灯が景色に重なる。人々は皆古風な浴衣姿で、日本髪に丁髷だった。
「どうした、セナ?」
走馬燈とも白昼夢とも言えないリアルな幻に、一瞬状況を忘れる。ダヴィドに腕を揺すられて、癖のあるオレンジ色の髪が見えた。私は今、異世界のお祭りに居ると、その事を思い出して悪寒に震える。
「何があった?」
到底説明できない。曖昧な笑顔を浮かべて、星南は首を振った。時代劇なんて殆ど見ない。さっきのアレは何なのだろう。
「セナ、何を見た?」
何も言っていないのに、彼は状況をピタリと特定してきた。泣きそうだ。打ち明けて相談出来たら、どんなに頼もしいだろう。だから首を横に振って、涙を堪える。
「セナ…………」
特に問い詰めても来ない。頭のてっぺんに暖かな吐息が掛かって、意外と口が堅いな、と彼は笑った。
「祭りくらい普通に楽しめ。俺は耳が遠いかなら。子どもの囁きなんて聞こえんぞ」
「…………ダヴィドさん」
「そのまま肩にくっ付いて居ろ。見たくない物は見なくていい」
ありがとうございますと、伝える術が無い。今までで一番、言わなければならなかった言葉だ。見たくない訳じゃない。この世界が嫌いな訳でもない。ただ居心地が悪くて、自分でどうにも出来なくて。歯痒いから慣れた世界を恋しく思う。
あの職場に戻りたい筈が無い。
帰りたい家は、顔も知らない親戚に取り上げられてしまった。仏壇が無いからと、両親の位牌すら手元に無い。逃げているだけだ。そんな事は分かっている。分かっていても、下手をしたら殺されかねないこの世界で、どう頑張ればいい?何をすれば、自分を納得させられる?目指すものにしがみ付かねば、不安に押し潰されてしまいそうだ。
私は家に帰る。
誰も居ない家に。そこからまた、頑張ればいいんだ。何かをしなければ、何も出来ないし変わらない。
必死で涙を堪える。
泣いたらダヴィドさんが腕立てだ。ぎゅっと彼の肩を掴んだ。筋肉質で硬くて、爪も立たずに制服だけに皺が寄る。
「セナ、そのまま寝たフリをして聞いて欲しい。俺はお前が黒だなんて思っていないぞ?これだけ触れたくなるんだ。両親のどちらかは水の神人に違いない。そして神人が親であれば、黒になる可能性は限りなく低くなる」
その見解は間違いだらけだ。
否定の意味を込めて、彼に押し付けた頭を横に動かした。ダヴィドはポンポンと、背中を叩く。寝た子をあやすように、緩やかに抱きしめられた。極限まで抑えられた声は掠れながら、お前は蛇人ではない、と囁く。
それは、この世界と何の関係もない人間だと知らしめる一歩だった。淋しいな、と何処かで思う。繋がりが断ち切られる深い諦めと、偽りなき真実への安堵。二つが同居する心は、冷たく綺麗な冬の湖面だ。
落ちたら、死んでしまうだろう。
「おやおや、セナは寝てしまったんですか?」
エルネスの声がした。後ろ頭をふわりと撫でて、その手は直ぐに離れていく。
「疲れたんだろう、先に広場で休ませる」
「ダヴィー、あまり甘やかさないで下さいよ。その子は男ですからね?」
「…………分かっている」
優しげな声が遠ざかる。片手にビンを握り締めているのだから、寝ていないと分かった筈だ。
「そのままでいい。意外と目立つな」
溜息混じりにダヴィドは言った。私達は揃いの制服姿で、頭には黒い兎耳帽子。目立たない筈が無い。
「セナ。魔人族は気まぐれで、変人も多いが陽気な奴らだ」
歩く速度を上げたのか、揺れが大きくなる。雑踏に歌声が混ざり、活気溢れる出店街の雰囲気が、まったりとしたものに変わり始めた。
「お前、何か踊れるか?」
「…………いえ」
「“はい”じゃない、という訳か」
懐かしい楽器の音がした。空気を含んだ厚みのあるメロディーは、鍵盤ハーモニカに似ている。釣られるように顔を上げて振り向くと、一段低い窪地の中央に丸い舞台が見えた。そこでは、薄絹を纏った女性達がセクシーな身体をくねらせて踊り、青白い光が無数に飛び交っている。ランプを片手に舞台を囲む人々が歌い、そして踊っているようだ。
「踊り子の一人が天人族だ。勿忘草の青の使い手は彼女だろう」
ダヴィドに言われて踊る女性に目を凝らす。余程視力が良いのか、星南には顔まではハッキリと見えなかった。一先ず、胸がたわわでけしからん。
「どうだ、踊ってみるか?」
青白い鬼火とランプの黄色。薄闇の中で揺れる人影は、不鮮明なメロディーなど聞こえていないように好き勝手な動きをしている。決まった踊りは無いのだろうか。
「ものは試しだ」
ダヴィドの足が窪地へ向かう。もしかしたら、彼が踊りたいのかもしれない。けれど私に踊りの素養なんか無い。盆踊りなら話は別だが、ここは生憎の異世界だ。何より、身長が合わない。
星南の不安を他所に、彼は火の入ったランプを一つ購入して踊りの輪に入って行った。
「子連れの剣士様、ようこそ!」
「討伐ギルドの方が踊ってくれるなら、この村は安泰だな」
「舞台の方に行って下さいな、子守を変わりましょうか?」
わっと人に取り囲まれた。彼らの視線が自分に向いている気がして、星南は硬い肩にしがみ付く。
「コイツは、噛み癖のある魔人です。ご婦人にはお任せできませんね」
噛み癖?!
丁寧な話し方で断ったダヴィドを、キッと恨めし気に睨むと、周りの人達がどよめいた。
「その子は魔人族なのかい?あの種族に、子どもなんて居るんだね!」
「魔人族の子ども!?」
「あの魔人族の!?」
「こうして抱いて居ますから、お気になさらず」
魔人族、一体何をしたんだ。
ダヴィドを囲んだ人々がすごすご逃げていくのを見て、星南は激しく不安になった。
「魔人族は全員、色使いだからな。それだけでも怖がられる」
ステップを踏みながら囁く声が笑う。持っているビンの中身が、ポチャンと音を立てた。これには蓋などされていない。慌てる星南を片腕に、くるりとターンを一つ。遠心力で上体が傾く。
「ダヴィドさっ、あっ!」
「零すなよ?」
ご機嫌な彼は、一人でも楽しげに踊り出した。進んだり戻ったり。時々跳ねるから、ビンの中身は瀕死の状態だ。
「ウスタージュは液体攻めか?」
その呟きに辺りを見回すけれど、容赦の無いターンで人探しなど出来そうにない。彼の右手に下がるランプの火が、大きく揺れる。どう見てもロウソクなのに、消えたと思った瞬間に再び明るく甦った。
「この国は、火の神人の加護を得る」
ダヴィドがランプが掲げて言った。
「消えにくい火は、その証、だな」
証明するようにランプを振り下ろしてみせた。一瞬小さくなった火は、ボッと音を立てて赤く燃え上がる。
「上手くすれば、祭りに来ている神人に会えるが…………」
彼は辺りに視線を流して、踊りの輪から抜け出した。そのまま窪地の隅に移動すると、やっと星南を地面に降ろす。
「お前の味方とは、限らん」
星南は間髪を入れずに頷いた。消えたけれど再び燃える炎。始まりの日、青い草原で見た松明にそっくりだ。あの怖い人は捕まったのだろうか。首を切られた子ども達は、どうなったのだろう。
自分の事で一杯で、気にする余裕も無かった。
生存者は居ないと、彼は言ったのだ。ならば犯人は逃走中?だからダヴィドさんは、お祭りでも帯剣しているのかな?目線をあげると、彼は星南をじっと見ていた。
「何故セナは、話せないのだろうな」
完璧な自動翻訳のせいだ。星南は視線を逸らせた。日本語に聞こえる日本語ではない言語など、どうにも出来ない。望みはフェルナンが言ったように、筆談に賭けるしかないだろう。
「俺は、お前に話せる力があるのなら…………尋問でも拷問にでも掛けただろう」
ダヴィドは、えっ、と驚いた声を出す星南を再び抱き上げた。どちらも耐えられないに決まってる。思わず腕を突っ張って、抱っこを拒絶した。もちろん降ろしては貰えず、見据える琥珀色の瞳と距離が縮まる。
未だに口を付けていない木苺ジュースが、ポチャンと水音を立てた。
片腕一つで持ち上げられてしまうのだ。抵抗するだけ無駄だと、本当は分かっている。こうされてしまったら、大人しくしている以外に何もする事はない。
悲鳴すら上げないか――――
ダヴィドが、星南を異常だと思う要素だった。平和ボケが酷いと、フェルナンがげんなりしていた事を思い出す。そんな平和ボケが出来る国は、青石の国ただ一つ。なのに彼女は、蛇人では無い。
「セナ」
呼べば素直に、灰色の瞳がダヴィドを映した。少し不安げな表情が、そんな事しないよねと、窺ってくる。しないように見えるのだろうか。そう思うと、複雑だ。討伐ギルドの青が、どれ程非情な人間かを、彼女は知らない。
困ったな。
星南の肩に頭を寄せた。レジを着ていないのだろう。上着の上からでも、華奢な肉付きが良く分かる。彼女は、残念な程に細い身体だった。なのに肌は、光沢のある極上のもの。虐げられて育った形跡も無かった。その場所で溜息をつくと、ビクッと小さな身体が跳ねる。
これ以上何かしたら、また泣かれるに違いない。そう思うものの、無駄に構いたくなるのだ。
そもそも、身を固くしているくらいでは、抵抗になどならない。
男はそれを青いとも、瑞々しいとも喩える。若い果実には毒があり、未熟故に捕食される事を嫌うのだ。食べるなら、完熟に限る――――が。
一度、食べてみるものか?
危機感の欠片も無く、自分を見上げてくる少女。そう、どう見たって少女だ。あんなに平らな胸は、久方ぶりに見た。あの状態から、見られるサイズに育つ、のだろうか?
「貴方も、水には逆らえない質でしたっけ?」
ダヴィドが顔を上げると、エルネスが微笑みながら歩み寄って来る。片手にランプを下げているものの、彼の雰囲気は何時も以上に暗い。
――――何かあったな。
お互いに視線が交わり、問題あり、と白皙の美貌が歪む。祭りには人が多く集まる。それに乗じて、普段は隠れている者が動き易くなるのだ。
「セナ、ダヴィドも余り安全な男ではありませんよ?」
「お前よりは、安全だろうが」
「どうでしょう。試してみましょうか?」
ぎゃぁーっ!
エルネスの試してみましょうは、良い事が無い。腕を伸ばしてダヴィドの首にへばり付くと、おやおや、と問題の男はごく近くで囁いた。
「虐めるな。フェルナンにまた文句を言われるぞ」
「…………あぁ、そうですねぇ。あの子、本当に最近口煩くって」
「好きで、口煩くしてる訳じゃねぇよ」
「そう言うフェルさんの事、俺は結構好きっスよ?」
「気持ち悪い!」
「ひでぇーっ!」
「何だ、集合にはまだ早いだろうが」
ダヴィドは揃ったメンバーを見回した。
「貴方が泣かせそうで、気が気じゃありませんでしたよ」
「ダヴィドさんが抱えてると、セナは固まったままじゃないっスか」
「なら、お前が抱くか?」
「ウスタージュに持たせたら、骨を折られるぞ。その辺に降ろしときゃいいだろ?獣人は寄って来ねぇよ――――それより」
フェルナンが言葉を切って、ポンと肩が叩かれる。ダヴィドの首から顔を上げた星南は、機嫌の良さそうな二色の瞳に首を傾げた。
「お前、喋っただろう?」
過食の刑が迫っています。