1-21:意地悪
くすくす笑うエルネスに、星南とウスタージュは眉を寄せた。日はとっぷりと暮れ、ガス灯が明るく燃えている。私達の頭には、黒っぽい毛糸の帽子があった。何故か揃って兎耳付きだ。
「かわいいですよ」
「嬉しくないっス!」
ウスタージュは顔を覆った。この歳で兎耳帽子なんて、恥ずかしいのは当然だ。星南も微妙な顔のままエルネスを見る。
「大丈夫です。私達も被りますから」
彼はサラッと衝撃発言をした。は、と隣の青年が間抜けな声を出す。
「今日は前夜祭ですよ。ローブなんて畏まった物は、着ていけません」
だからって、どうして兎耳なんだろう。確かに白よりはマシかもしれないけれど、五人揃って耳付き帽子は結構イタイ。
「セーナ、しっかり耳を隠して下さいね。手袋も外してはいけません。瞳の色は誤魔化せるので、普通にしていて大丈夫ですよ」
「は、はい…………」
まさか、私だけという違和感を隠すために、全員被るのだろうか。だとしたら、本気で申し訳ない。
「エル、大分賑わって来たぞ。そろそろ良いだろう」
玄関扉から戻って来たダヴィドの頭には、もう兎耳が生えていた。何という違和感!しかも帽子が斜めに曲がっている。垂れた耳が、酔っぱらいが額に巻いたネクタイを連想させた。
「ウスタージュ、お前は何時まで拗ねてんだ」
その後ろから現れたフェルナンに至っては、頭の上で耳を縛り上げていた。もはや別物だ。流石にエルネスが見咎めて直そうとしていたが、顔に当たって邪魔だ、と彼は聞く耳を持たない。
「ともかく、全員被っていればいい。行くぞ」
「セーナは私と、手を繋ぎましょうね」
「え?」
何でエルネスさんと?
そう思ったのが顔に出たのか、彼はニコリと胡散臭く微笑んだ。
「私達は一応、母違いの兄弟という設定です」
「そ、その設定、続けるんですか?」
こんな綺麗な人と兄弟とか、無理がある。寧ろ隣にいるだけで、見劣り感で胃痛になりそうだ。
「この髪色ですからね。血縁関係のアピールが、種族を紛らわせる最も有効な手段です。私と一緒なら、自然と人は寄り付きません」
どういう意味だろう。
首を傾げている間に右手を取られた。髪色が問題で、兄弟アピールが種族を紛らわせる?そもそもエルネスさんは、どんな種族なのか。耳の形からして、ウスタージュと同じ竜人族?この人が竜なら、間違いなく暗黒竜とか、ラスボス的な怖いやつだ。
「セナ、エルが嫌なら肩車をしてやろうか?」
「甘やかすな。歩けない程弱ってんなら、留守番だ」
フェルナンにピシャリと言われたダヴィドは、肩を竦めた。
「やれやれ、敵わんな」
「フェルは何かと、口煩いですからね」
「流石ママっス!」
「誰が、ママだっ!」
星南はふにゃりと、気の抜けた笑みを浮かべた。仲の良い彼らは、私が何の種族か分からないと知っても、態度を変えたりしなかった。
ここが日本で、もし逆の立場なら。
きっと、同じようには出来ないだろう。それが少しだけ、胸に刺さる。
「セーナ、いえ、セナと呼びましょう。貴女は私の弟で、今夜は色使い候補の少年です。第二種族の魔人族。気高く気まぐれな風の民ですよ」
「はっ?」
星南は返事をし損ねた。
「ま、魔人…………?」
エルネスさんは魔人族。彼は、ランプから絶対に出て来て欲しくないタイプだ。お願い事を叶えてくれそうには、到底見えない。
「よし、護送陣形を組め。行くぞ!」
「了解!」
行先はお祭りなのに、格式張る感じが面白い。引かれた右手と共に星南は歩き出した。夜の空気は少し冷たく、玄関先のガス灯が明るく燃えている。薄雲が広がっていて、星は見えなかった。
揃いの濃紺の制服。背中の襟は三角をしていて、銀糸で描かれた文様が灯りに煌めいている。同じものを着ているの事が、ふと不思議に思えた。何時の間にか用意されていた、ピッタリの白い手袋。それは初めの物より、ずっと柔らかい生地だった。
前を行くダヴィドの髪が、歩調に合わせて揺れている。暗くてもよく見える鮮やかなオレンジは、落ち込んでいた気持ちを明るくする魔法の色だ。
これからお祭りに行く。
しかも異世界のお祭りだ。周りに人が増えてきて、三角耳や垂れた耳、尻尾を揺らす人々が普通なのだと再認識した。黒髪の人は何処にもいない。それなのに、聞こえる言葉は日本語だった。ふと、左側のフェルナンを見上げる。こちら側の瞳は緑色で、帽子で隠す事無く耳が晒されていた。他に見かけた事のない、横に長い耳だ。その視線に彼はすぐ気が付いた。喋ったら飯抜きだ、と睨み返される。痩せすぎですから、抜かずに二倍にしましょう、と隣からエルネスが言い返す。
「それより、しっかり寝かせて背を伸ばすべきなんじゃ」
後ろから、ウスタージュがぼそりと呟いた。
「確かに。足元でちょこまかされると、蹴りそうになる」
フェルナンがそれに同意して、ダヴィドが先頭で笑い出す。
「ただ寝ても背は伸びんぞ」
「まずは、沢山食べさせて肥やさなくては」
「俺は、丸々したセナなんか見たくないっスよ」
「コイツが肥えたら、馬車の後ろを走らせる」
「フェルさんひでぇ!」
言いたい放題だ。ここで口を挟んだら、過食の刑が待っている。この世界の食べ物は、不味くはないけれど硬いし、味が単調だ。無性にカップ麺が恋しい。
「セナ、出店街に入るぞ。食いたい物に目星を付けておけ」
ダヴィドはそう言うが、人混みに入ると身長の低い星南の視界は閉ざされる。しかしここは、狐人の多い獣人の国。ラッキースケベの如く、モフモフの尻尾が堪能できた。
うわぁーっ!
見えない店より、ふさっとした尻尾に目が釘付けだ。握り締めてみたい。やったら多分、変態オヤジだ。
「セナ、焼き芋を知っていますか?」
「蒸かしパンにしろよ、お前は食わな過ぎる」
「一度も食べ物を欲しがりませんでしたからね」
エルネスが頭の痛い事を言った。彼は無慈悲にも、星南がどういう行動をするのか、観察していたのだ。結果、彼女は此方から勧めなければ、食べ物どころか飲み物さえ求めなかった。フェルナンは、見上げてくる薄い色の瞳を見下ろした。出店に灯るランプの光は弱く、顔色は読めそうにない。
「フェルさん、向こうで木苺絞ってますよ!」
明るい声を上げたウスタージュが、人混みの向こうを指差した。焼き林檎もありますね、とエルネスが呟く。そこでダヴィドが振り返り、ニヤリと笑う。
「散開だ、各自任務を遂行せよ」
「了解」
「さ、セナ。行きましょう」
不意にエルネスに抱き寄せられる。ぎょっとしている間に、細い路地裏に連れ込まれた。
「人が予想外に多いので、作戦は予備策に移行しました」
全く付いて行けない星南は、首を傾げた。
「私は貴女のお守りです」
彼は手を引いて通路を進んで行く。出店の通りと平行なのか、時折賑やかな道が見えた。
「此処に寄ったのは、任務のついでです。私達がどんな仕事をするか、理解していますね?」
コクテンの子を殺す組織だと聞いた。物騒極まりない。けれど、そこに自分も所属しているのが現状だ。星南は覚悟を決めて、首を横に振った。エルネスの足は止まらない。
「この国では、討伐ギルドと呼ばれています。それが一番、気安く受け入れられる名称だったからです。創造の大神は、多くを創造しましたが、目に見えないモノも、お創りになられた」
星南の足が止まる。それでエルネスが振り返った。
「神さえも逆らう事の出来ない、大神の縄墨。生まれてはいけない血筋を絶やす為の、呪いです」
呪い、とは穏やかではない。
星南は訝し気にエルネスを見上げた。大気になった神様。目に見えない作られたもの。生まれてはいけない血筋。そんなところまで、居ない神様に縛られるというのだろうか。私なんか余裕の放置なのに!
「不思議ですか、セナ」
首を縦に動かした。周りはお祭りの賑やかな喧騒で、美味しそうな香りまで漂っている。気が散って仕方なかった。
「私達は、大神の加護の中で生きているんです。縄墨に逆らう事は出来ません」
繋がれた手が引かれる。星南が手を付いたのは彼の体で、突っ張る事も出来ずに腕に囚われた。背中をそっと押されて、ピッタリ身体がくっつく。
「声を上げませんか、残念ですね」
エルネスは頭上でくすくす笑った。そのどうにも出来ない体勢のまま、黒点とは、と話の続きが始まる。
「縄墨を犯す血筋の子ども。黒は神の持つ色です。第一種族の神人、第二種族の一世代目のみが受け継ぐ稀色が、もし他で現れるなら…………それは、縄墨を犯した事を意味します。黒く示された汚点の子――――生まれた時より大神の呪いを受け、私達は黒点と呼びます。血が黒く変わっていくんですよ。その血は、大神の一部である大気に触れる事で病原となり、罪なき多くを殺めてしまう。その前に。人である内に弔うのが、私達です」
じゃあ、血が赤い内は大丈夫?
身動ぐと、少し腕の力が弱まった。下から見ても綺麗だと思える顔を凝視する。
「話すと、沢山食べさせますよ?」
そう言って微笑む様子は優しげなのに、背中に回る腕に力が入って、視界は濃紺の制服に埋め尽くされた。
「取り零したようですね…………」
「エルネスさん、すいません!」
着地音と共に、背後でウスタージュの声がした。
「いきなり短刀投げて来ましたよ!?素人じゃないっス!」
「村から離しなさい。此処にも飛んで来ました」
「それが、村に近付いたら逃げてって」
「ダヴィド達は?」
「俺達も撤収だ。アングラードから付いて来た割に、腰が引けている」
「やっぱり犬人だったけどな」
フェルナンの声が聞こえて、後ろ襟がグイっと引っ張られた。
「何時までへばり付いてんだ」
好きでくっ付いてた訳じゃありません!星南は負けじと睨み返した。何時の間にか狭い路地裏にメンバーが揃っていて、自分に視線が集まっている。つい両手で口を押えて、喋っていないとアピールをした。
「一度、セーナを尋問に掛けましょうか?」
「何言ってんだ、黒だったら死期を早める」
「そもそも、標的はセナか?」
ダヴィドがそう言って、星南を片腕に抱き上げた。
「泣かせたら腕立て百回。忘れるな」
「その罰、私にばかり不利ですよ?」
「俺だってやりたかねーよ」
「フェルは青でしょう?私は非武装の緑です」
「ハンデは無しだ。セナ、お前はどう思う?」
水を向けられた星南は、近い位置にあるダヴィドの顔を見る。なんで突然の抱っこ?なんで今この話題?絶対に話すもんか。その手には乗りませんよ!過食の刑だけは急けて通りたい。
大体、泣かせたら腕立て百回って、何なの!?
確かに最近涙もろいけど。とか思っただけで、もう泣けそうだけど!乙女の涙を、何だと思っているのか。私は罰ゲームのネタじゃ無いんです!!
「ダヴィド、もしかして泣かせました?」
「…………セナ、俺は何かしたか?」
まだ泣いて無いんだからっ!
どうでもいいが、無性に悔しい。振り返った顔は、今にも泣きそうだった。それでエルネスが口を閉ざす。
「ダヴィドさん、降ろしてやれよ。そいつは男だ。抱っこなんてして甘やかすな」
「だがなぁ」
口ごもったダヴィドは、星南を乗せた腕を軽く揺すった。反動で彼の肩にしがみ付く。何時もこんなに視界が高ければ、見えるものも違うのだろう。賑やかな出店通りを見て思う。
「こうでもしなければ、セナは獣人の尻尾を見て終わる」
ギクリと体が正直に跳ねた。しっかり見られていたらしい。
「金糸雀に獣人が居なくて、残念でしたね」
「居たら困るだろうが。セナは絶対、尻尾に触るぞ」
ダヴィドさんっ!!
思わず彼の口を塞いだ。琥珀色の瞳が笑っている。確信犯だ。一体、何時見られたんだろう。いいじゃないか、栗色のモフモフに囲まれて一瞬理性を手放しかけたって。いや、理性は残っていたけれど!
「チビ助、絶対にやるなよ?女でもアウトなのに、今はのお前は男だからな?」
「子どもでも、平手くらいは貰いかねませんね」
「ダヴィドさんが、ずっと抱えてりゃいいんじゃないっスか?」
クッと手袋の向こうでダヴィドが笑う。恥ずかしくて震えるその手を難なく剥され、額が付くほど近くに顔が寄せられた。
「見る目があるぞ。セナには少し早いがな」
絶対いい意味じゃない!
でも、あの誘惑に勝てる自信がありません。目線を逸らした星南を、ダヴィドはしっかり見ていた。
「これはとても、歩かせられん」
「意外な趣味ですね?今度は狐人にしましょうか」
「尻尾を掴んだら、飯四倍な」
「俺は狐人なんて、絶対やりませんから!」
もう嫌だ!
星南は熱を帯びた顔を覆った。これはきっと、変態だと思われた。珍しいんだもん。本物の尻尾だよ?一回くらいは触ってみたい。
「よし、聖都で娼館に行くか」
何が、よし、だ!
「それも良いですね」
即同意したエルネスを唖然と凝視する。娼館って、ふうんなお姉さんが居そうな、あの娼館?そもそも女が行く場所じゃない。
「セ、セナは子どもっスよ!?」
ウスタージュが助け船を出してくれたが、お前も行くか、とダヴィドに聞かれて口を閉ざしてしまった。
どうしよう。
娼館に連れて行かれるかもしれない。そんな事話してないで、お祭りに行こうよ!
「大人の階段を上れるぞ。楽しみだな、セナ?」
ダヴィドさんが意地悪です。




