1-2:知らない人
ガタゴト揺れる幌馬車の中で、星南はぼんやり闇を見ていた。真っ暗な夜。雨雲が支配する空は、僅かな光さえも恵んでくれない。
成せばなる…………のかなぁ?
成さねばならぬ、と言うのだから、雨天野宿を脱した事は好転なのだろう。けれどカッパの下まで冷たく濡れて、靴もずっしり水を含んでいる。大人になってこれでは、もう笑うしかない。
溜息と共に視線を前へ向けてみる。時折、御者席の方から射す青白い光が、外へ視線を向け続けるダヴィドと、ガチャガチャ音を立てる金属鎧の青年を照らした。名を、ウスタージュと言うらしい。
ダヴィドより逞しいガタイで、背は恐らく二米に近い。歳は少し上の二十代半ばといったところで、全く空気を読まずに星南を馬車に押し込んだのだ。
その流で、彼らに付いて行く事になったのだが。このままどこに行くのだろう。
…………この人達だって、よく知らない人だ。
知らない人には付いて行かない、小学生でも知っている。第一、自分の誤解がまだ解けていなかった。
あの草原は恐い。
けれど考えてみれば、唯一帰れる可能性のある場所でもある訳で。遠ざかる程に、帰還の目途から離れるように思われた。求められて召喚された訳ではない以上、普通にしていても戻れる見込みは薄そうだ。やっぱり戻って確かめたい。大家の罠じゃない限り、何か手掛かりがあるハズだ。
「ダヴィドさんっ、あ、のっ!」
思いきって声を掛けてみる。叫ぶようになったのは、馬車の音にかき消されない為だ。
「なんだ、起きていたのか?」
「寝てていいぞー?」
この最悪な乗り心地で眠れるものか。座席すらない木製の車内は、荷馬車と言った方いい粗末な造りをしている。それを気にせず眠れるならば、神経の太さは相当だ。カチンときた星南は、もう一度言おうとして、虚しくなり止めた。
何故か、完璧なのは聞く方だけなのだ。
彼らの言葉が日本語に聞こえている以上、本来の発音を知る事は出来ない。つまり、話せる見込みが薄いのだ。
「町までまだある…………馬車は初めてか?」
ダヴィドの声は、特に張り上げてもいないのに良く聞こえてきた。ガタガタ揺れて、パツパツと幌を打つ雨の音。星南は揺れに任せて頷いた。
「流石だな。蛇人族は今から五百年前の暮らしをしていると、言われている。馬車は無いか」
そんなの知らないよ。
自分から話し掛けたにも拘わらず、星南はぷいっとそっぽを向いた。五百年前って江戸時代?御上りさんより酷い例えだ。一体どこに、そんな古臭さがあるのだろう。通勤スーツの上下に革靴。水色のカッパは雨なんだから、仕方ない。
大体この人達だって、似たような格好をしているように見えた。黒っぽい足首迄のローブに、詰襟の服。ウスタージュに至っては、ローブすらない銀の鎧姿だ。
「お前、歳は幾つだ?」
「…………女性に歳を聞かないで下さい」
「知識者以下だろう?本当に子どもが出てきたか」
ガタンッと馬車が大きく跳ねた。一瞬浮いた身体を木の床に打ち付けた星南は、無言で顔を顰める。
「おい、聞いてるか坊っちゃん」
言われて、渋い顔をダヴィドに向けた。言語疎通は一方通行。言葉は伝わらない。だから黙るしか無い訳で、とても不公平だ。話し掛けたは良いが、結局上手くいかない現実を思い知るだけになってしまった。
「何を拗ねてる?」
「そりゃあ拗ねますって。俺も知識者以下だってガキ扱いされたら、拗ねますよ」
「些細な事だろうが」
「重要ですって!なぁ?」
ウスタージュに同意を求められた星南は、半眼になった。自分が話せないせいで、会話の方向がおかしくなっている。しかも、微妙に意味が分からない。上手く翻訳されていないのは、頭の問題だったりするのだろうか。
神様、特典無さ過ぎですよ。
私の週末返して下さい。きっと今頃、ベッドでゴロゴロしているハズだ。このやるせなさを、どうしろというの。
黙り込んだ星南の前で、彼らは雑談に花を咲かせていた。どうやら、あまりこの辺りに詳しくないようだ。ますます付いて行くのが不安になった。
「そう言えばダヴィドさん、コイツはあっちに帰さないんで?」
「言って無かったか?蛇人族からの音信は不通だ」
「ひでぇ…………」
「救援依頼の後、音沙汰は無い」
「更にひでぇ!どうすんですか、この子!?」
「生きていたんだ、坊ちゃんには現実を知ってもらおう」
ダヴィドが言うと、ウスタージュはガシャンと鎧の音を立てて、驚愕を示した。一瞬照らされた顔は、かの有名なムンクの叫びにそっくりだ。
「ダヴィドさん酷いっス!貧相な蛇皮剥いで、売る気なんだ!?」
「何でそうなる!?」
「…………二人とも五月蠅い、ですよ?」
静かで、よく通る声がした。御者席から小さく聞こえたにもかかわらず、ダヴィドとウスタージュは一瞬で口を噤んだ。馬車の揺れが緩やかになり、やがてピタリと停止する。
「お前らなぁ、チビを怖がらせてどうすんだ!」
バサッと後方の幌を開いたフェルナンは、青白い光と共に中に入って来た。急に明るくなる幌の中。フードを落として晒される彼の顔は、同年代と思われる青年だった。淡い色の髪に緑の瞳。横に長く尖った耳が特徴的な、文句なしの麗しさ。よく見れば、ダヴィドもウスタージュもイケメンに見えてきた。
彫りが深いと鼻も高く見える。それだけでカッコ良くみえるなんて、お得以外の何者でもない。
実はロシア人とのクウォーターらしい星南は、日本でならば、はっきりした顔立ちに入る部類だ。目だって灰色。けれどアジアの血に染まれば、あっという間に平たい魔法に掛かってしまう。
「まったく、黙って聞いていれば」
「エルネス…………これはだな」
「悪いのはダヴィドさんっスよ!」
前から顔を覗かせたエルネスが、深い溜息をついた。彼はフードのままだったが、僅かに黒い髪が見えている。穏やかな声を紡ぐ形の良い唇。星南に向けて僅かに笑む様子まで優しい。どかりと隣に座り込んだフェルナンは、雑な手加減でぐしゃぐしゃ頭を撫でてきた。
「容赦ない冗談は止めてやれ」
「しかしだな…………」
ダヴィドは困ったように言った。星南は彼らを見回して、カッパの下に身体を隠す。貧相?皮を剥ぐって何なのだろう。それに蛇って、にょろにょろしたアレの事?
「町に入る前に方針をまとめませんか。付け入る隙があると、彼を手放す事になります」
星南を見たまま、エルネスが言った。彼とか、チビとか、坊っちゃんとか、どうやら性別を間違えられているらしい。星南は眉を寄せた。髪は確かに短いし、カッパが体型を隠している。現在、泥だらけで、ずぶ濡れ。化粧っけもない。通勤パンツは黒のストレートだし、まさかヒールの無い靴がいけないのだろうか。
「女だったら街で軟禁の上、後宮入りは免れない」
星南の頭を掴んだまま、フェルナンが言った。身体に力が入る。視線を汚れた床でさ迷わせ、自分が今、性別詐称を要求されている事に気付いた。
「それはそうだろうが…………フェルは、この坊っちゃんの面倒が見れるのか?俺達は今、この国の討伐ギルド所属だぞ。こんな細っこい子供に何が出来る?」
「彼を斥候にでもする気ですか、ダヴィド」
エルネスは苦笑気味に言うと、一人探していたでしょう、と確信めいて付け足した。フェルナンが確かに探してたな、と言うと、ウスタージュも顔を輝かせる。
「…………薬草師か」
ダヴィドの答えに、星南以外の全員が肯定を示した。完全に茅の外だ。
「蛇人族は青き森の民。出来ますね?」
有無を言わせぬエルネスの声に、星南はこくりと頷いた。正確には、頭に乗ったままの手が圧力を増しただけだ。その手の主が、今も握り潰さんばかりに頭を掴んでいる。
「ギルドには、先発が死亡人数を報告しているでしょう。私達は新顔らしく、手ぶらがお似合いです」
「だが…………」
それでもダヴィドは、まだ渋っているようだ。軟禁に後宮なんて、絶対嫌だ。けれど薬草師って何なのか。私は森の民じゃなくて、ただの都民だ。
「ダヴィドは、平和ボケした蛇人族の子どもを、むざむざこの国に放置出来るんですか?後味が悪いですよ。殺されるのは確実ですからね。ここで彼らに、恩を売るのも悪くありません。さて、まだ続きを聞きますか?」
「分かった、分かったよエル…………」
遂にダヴィドが折れた。大きな手で額を押さえた彼は、溜息混じりに天を仰いだ。
…………敵わんな。
放って置けない事は確かだ。ここで馬鹿正直な報告をすれば、彼の明日は明白。蛇人族の窮地を、もう悔やみたくはない。しかし、パーティーに入れるにはリスクがあった。
ダヴィドは車内に視線を向ける。そして、誰も悩んでいない現実を見せられた。これでは本当に脳筋パーティーではないか。一瞬思って諦める。自分達は始めから、そういう設定なのだ。
「今日からこの坊っちゃんは、俺達、金糸雀のメンバーだ」
脱力気味に宣言すると、エルネスがフードから見える口許をほころばせた。ダヴィドは肩を上げて、仕方ないだろう、と降参してみせる。
「良かったっス!皮剥げとか言われたら、流石に心が折れました!!」
「俺は守銭奴なのか、ウスタージュ」
渋面を浮かべるダヴィドに、ウスタージュが明るく笑う。星南は喜んで良いのか分からず、曖昧に首を傾げた。ぽんと、頭の上で手が跳ねる。フェルナンが緑の瞳を細めて、何も言うなと脅すように微笑んでいた。
男の子、まぁ仕方ない。軟禁よりはマシだろう。どこぞの民族ではないけど、訂正する語力がない。蛇とか言っていたから、蛇使いの特殊な一族なのか。幸い、爬虫類は苦手じゃなかった。
けれど。
薬草師って何なのだろう。生まれは田舎だけれど、森暮らしなんて経験がない。聞くからに医療系のそれが、果たして勤まるのだろうか。不安の種は尽きない。朝になれば、部屋に戻っていたり…………しないだろうか。
成せばなる。
何を成せば、私は家に帰れるのだろう。
「じゃあ、改めて自己紹介だ。俺達はアングラード分団新属のパーティー金糸雀。その名ばかりのリーダーをしている、フー・ダヴィド・アロン・アシャールだ。ダヴィドと呼んでくれ」
「俺はウスタージュ。知識者以下どうし、仲良くしような!」
「あっちがエルネスさんで、俺はフェルナンだ。お前は?」
「…………桂田 星南です」
自然と声は、暗く、低くなった。
「カンツラバ セーナ?」
言いにくそうに聞き返したダヴィドは、名前で目立ったら世話ないな、と呟いた。嫌な予感がする。星南は次に何を言われるのか察して、口をへの字に曲げた。
「今日からお前は、セナだ」
「仲良くしような、セナ」
上から降ってくるフェルナンの声には、しっかりと重さが感じられる。やっぱり偽名だった。もうイヤだ。何とかなるのか、本格的に怪しい!
「セナ、前にいらっしゃい」
「…………ハイ」
優しいエルネスの声も、妙に迫力がある。この声に和んだなんて、自分はきっと、どうかしていた。
「馬車が初めて、と言うのは本当ですか?」
「はい…………」
「それは肯定の意味、ですね?」
彼は手綱から手を離すと、スッと顔を寄せた。一瞬見えた暗い瞳と、癖の無い髪。伸びた両手が、背中に落ちたままのフードを星南に被せる。
「貴女はこれから、一言も話してはいけません。私達以外の前で」
――――いいですね。
囁くような声は、やはり優しげに聞こえた。きっと疲れているに違いない、と星南は苦く思った。だってこの人は、明らかに雰囲気が違う。それでも成す術もなく手を引かれ、御者席脇に導かれる。仕方なくエルネスの隣に座ると、再び手綱を握った彼が馬を走らせた。すぐ後ろでフェルナンが、落ちんなよ、と注意する。
怖い二人に囲まれて、冷え切っていた背筋が更に冷えて来た。身を固くしていると、ガタンッと揺れた車体と共に、身体がふわりと浮き上がる。
「っ!」
「マジで初めてかっ!?」
何処かに飛んで行こうとした星南の腰を捉え、フェルナンが苦々しく言った。意外に力があるらしい。咄嗟に掴んだその腕は、身体に回ったまま離れない。多分、掴まる場所さえ教えてくれれば、落ちないだろう。そもそも何で、馬車初心者が御者席なのか。
「とろい、貧相、ガキ。何で里から出たりしたんだ。お前、馬鹿だろう?」
星南はエルネスの言い付けを思い出し、失礼極まりないフェルナンの言葉をまるっと無視した。
「だんまりか」
「フェル、あまり苛めないで下さいよ」
「イラ付くぜ。何だよコイツ…………」
「分かっているでしょう?賢ければ、結界から出たりはしません」
優しい声でも辛辣だ。そもそも、どうして蛇人族と言われる人々が狙われているのだろう。多分、普段は隠れ住んでいた。なのに表に出て来て襲われて。
私の部屋が異世界に変わってしまった事と、何か関係があるのだろうか。
「死にたくなけりゃ、大人しく言う事を聞くんだな」
「この国で蛇人族は、余すところ無く薬と言います――――命が惜しければ、愚かな真似はしない事ですよ」
味方が怖い。
そもそも味方と言って良いのか、もはや不明だ。やっぱり、あの草原で彷徨っていた方が良かったのだろうか。でも、命は惜しい。捕まったら首チョンパとか笑えない。しかも薬って何だろう。蝮酒みたいにお酒に浸けるの?私は蛇なんて飼ってませんよ?
もう分からない事だらけだ。明らかに無関係なのに、どうして蛇人族に間違えられているのだろう。まさか蛇顔だったりしたりして?それは流石に嫌だなぁ…………
「おいセナ。分かったのか?分かったんなら、返事くらいしろ」
星南はコクリと頷いた。
知らない人には、付いて行ってはいけません。