1-19:奥の部屋
田園風景は、意外と飽きやすい。星南は御者席の後ろから、外の景色を眺めて思った。作物は麦か芋か、ともかく緑の物は見かけない。農家育ちは少しだけ役に立った。これから植え付けをしない、つまり、この辺りは冬が厳しいのだ。
乾燥した空気は少し冷たく、日本と同じ初秋を思わせる。だったら、これから冬になる?
落胆が隠せなかった。
両親の命日に行方不明で不在だなんて、笑えない。暇すぎてマイナスになる思考に、頭を振ってストップをかける。メンタルは鋼。メンタルはプラチナ。いや、どうせ硬いなら、メンタルはダイヤモンドでどうだろう。一気に高級感が出た。
「セーナ、酔ってはいませんか」
「は、はいっ!」
何度目になるか分からないエルネスの問いに答えると、何時でも馬に乗せてやるぞ、と近くでダヴィドの声がする。星南はどうにか、がっかりした気持ちを隠して、首を横に振った。
この任務には、ナディーヌ号が居ないのだ。
馬は全て紺色で、勿論、言葉は話さない。すごく寂しい。フェルナンに叱られてでも、アングラードで厩に行けばよかった。
「昼頃には、ベルコという村に着きますよ」
前を向いたままエルネスが言う。フードを脱がない事、話さない事、そして一人にならない事。微妙な立場なのは、重々理解しているつもりだ。勝手をすると、痛い目を見る。
「良いですね、セーナ。しっかり守らなければ、今度は服を剥ぎます」
「えっ?」
サラッと凄い事を言われた。何をどうするって?いや、聞き返したら危険だ。そう、エルネスさんは危険なのだ。星南はつつつ、とフェルナンの側に移動した。
「俺に助けを求めるな」
「そこを何とか!」
「親鳥じゃねぇんだよ、懐いてくんな!」
「そこを何とか?」
「“そこをなんとか”?」
耳が横に長いと、聞こえも良いのだろうか。あまり違和感のない日本語で、説明しにくい言葉を聞き返された。
「そう言わずに、かな。うーん。よろしくお願いします!これだ!!」
「何言ってるか分かんねぇよ」
「…………ですよね」
返事のハイと、痛い、しか通じないなんて、流石に努力不足だろう。ガタゴト揺れる馬車の旅。フェルナンは、星南の日本語を照らし合わせる会に、延々と付き合わされる羽目になった。
「もうすぐ、村が見えますよ」
エルネスの一言が、救いに聞こえる。世も末だ。額を押さえた青年に、星南は元気よく尋ねた。
「頭、痛いの?」
「…………ああ。頭が痛い」
「病気?薬は?それとも冷やした方がいいの?あっ、もしかして酔った?」
「セーナ、後ろに隠れていなさい。村に入りますよ」
「はーい!」
女とはお喋りなものだ。しかし彼女のそれは、どうにも疑問形が多かった。きっと世の中、不思議な事が多いのだろう。二百年も鎖国の国から出て来たのなら、仕方も無い、とは思えもするが。それにしたって、落ち着きがない。
「フェル、貴方はよく頑張ってくれましたよ?」
「放っといてくれ…………」
「“あたま”に“て”と“くび”、身体は大方解析出来ましたね。お手柄です」
「そんなに興味があるんなら、自分で聞き出せば良いだろう?」
「私にはあんなに、気安く話してくれません」
「虐めるからだ」
エルネスは肩を竦めた。多分原因は、それだけでは無いのだろう、と思っている。容姿に恵まれたが故に、女性に遠巻きにされる事は珍しくない。星南は視線が合うと、慌てて逸らす。それはそれで初々しくて可愛らしいが、必要な時に役立たないのでは、面白くない。
「そうですね。仮に、優しくしたとして…………彼女が私のものになったとしたら、どうします?」
「軟禁しろ。部屋から出すな」
「…………流石に、そういう趣味は無いんですが」
エルネスは思わず、後ろを確認した。そこには星南の姿がない。言い付け通りに隠れる事にした彼女は、二人が不穏な話をしているさなか、大移動の真っ最中だったのだ。揺れ動く馬車の中は歩きにくい。それでも荷物の間を通リ抜け、後方を目指した。何度か物に頭をぶつけたけれど、それなりに石頭だ。コブは出来まい。これ以上馬鹿にもならないだろう。
そもそも隠れるだけなら、こんなに奥へ行く必要はないのだ。
実は後ろの隙間から、こっそり外を見てみよう、という計画だったりする。異世界の村。見るなという方が無理な話だ。
「何やってんだよ、セーナ」
しかし幌の外には、馬に跨ったウスタージュがいた。
「…………あら」
「いいか、目立つんじゃないぞ?本当に、何されるか分かんないからな?」
一先ず、捕まってもそうじゃなくても、問題を起こしたら服が危ない。全裸で土下座とか、誰得なんだ。星南はつい自分の胸を見た。無さ過ぎて、とてもお見せ出来ない。スレンダーにはスレンダーの悩みがある。
「隠れてろよ?エルネスさんは、やると言ったら本当にやるぞ」
「はい…………」
痛い事は嫌だ。暴力は怖い。そうはいっても、自分を守る術も無い。馬車の隅に座り込んで、溜息をついた。エルネスさんに襲われたら、そのまま解剖されそうな気がする。未知の生命体が辿る運命。相場はお決まりだ。
何かしなくては、と気持ちが焦る。
けれど、慎重にしなくてはならない。匿うリスクは皆無では無いだろう。ダヴィドさんも立場がある、と言っていたではないか。迷惑を掛けてはいけない。その上で、帰る方法を探さなければならなかった。
ハードル高いな。
私は、どう思われているのだろう。ただの人間では、いけないのだろうか。細く光の射す車中で、星南は自分を抱きしめた。
馬車から降りる事を許されたのは、体感として三十分後くらいの事だった。田園の村ベルコは、収穫祭を間近に控えて人がごった返している。なので一行は、村外れの空き家を借りる事になったらしい。
「セナ、此処には二日程滞在する。何度も言うが、大人しくしていろよ?」
「はい」
返事をすると、ダヴィドはフードの上からわしっと頭を撫でてきた。
「特別に一部屋作ってやる。しっかり鍵を掛けておけ」
彼にそこまで言われてしまうと、逆にエルネスさんの本気度が怖い。
「チビ助、さっさと中へ入れ」
「はっ、はいっ!!」
そそくさとダヴィドを追って、石煉瓦の平屋に入る。内部は、木の柱と骨組みが露になって、家具は布を被ったままだ。家財付き賃貸みたいなものだろう。宿屋的な所を期待していたのだけれど、こういうのも珍しい。織物のタペストリーが壁から下がり、小さな窓は上部がアーチを描く作りだ。
「どうした、珍しいか?」
「はい!」
「…………そうか。此処は然程雪は降らんが、風が酷い。東の青海からは大分離れているんだがな、風は海風が吹く」
「へぇ、海が近いんですね?」
「後で地図を書いてやろう。今は、ちょっと待て」
「はーい」
ダヴィドが背を向けると、星南は早速、近くの家具に手を伸ばした。形からして、椅子だろう。掛けられた布を持ち上げてみると、木製布張りの洒落たチェストだった。背もたれだと思った場所には、見事な彫刻が施されている。
「わあぁ」
こうなると、お宝発見、と気分が高揚するのを止められない。隣の布をついでに見てみると、楕円の鏡が填め込まれた鏡台が現れた。
「おぉ~!」
少し鏡が曇っているところを差し引いても、見事なアンティーク家具だ。その彫刻を指でなぞると、滑らかで艶もある。飴のようとは、この事を言うのだろう。
電気は無いけれど、芸術面では地球に劣っていない。こういう文化が発達するくらいには、平和なのだと思いたい。星南はそれらにもう一度布を掛け直し、家の中をぐるりと見回した。窓が小さいので、薄暗い。けれど綺麗な家だ。
「セーナ、奥の部屋に居て下さい」
荷物を運び入れていたエルネスに注意される。ビクッと背筋を伸ばして返事をすると、彼はクスッと苦笑した。
「そんなに意識されると、困ります」
「私も全裸土下座は困ります!」
星南は真剣に訴えたが、彼は笑顔で歩み寄ってきた。
「生殺しは辛いかもしれませんね。いっそのこと、今してみましょうか?」
何だか、自動翻訳機能が誤作動をしているらしい。星南は慌てて、近くに見えたフェルナンの背にへばり付いた。
「ッコラ!チビ助!」
「エルネスさんが、ご乱心!悪さしてないのに罰せられたら、体罰も真っ青だよ!!全裸で土下座って、背中しか見えないじゃん、誰得?背中フェチ!?嫌だ変態っ!有り得ない!!」
「落ち着いて話せよ。エルネスさんに虐められたのか?」
「言いがかりは止して下さい」
「きゃぁぁーうぐっ!」
「騒ぐな!」
星南の口を押えて、フェルナンは重い溜息をついた。そこへ、荷物を手にしたダヴィドがやって来る。
「何だ?まさかもう、やらかしたのか?」
「いいえ?私を見て怯えるのが可愛くて、つい」
「…………面白がるな。お前が問題を起こしてどうする」
ダヴィドも盛大な溜息をついた。元々知りたがりのエルネスだ。謎の多い女が近くに居て、何もしないでいるなど出来る筈が無い。彼は両手を塞ぐ荷物を床に降ろして、そのまま片膝をついた。
「セナ」
フェルナンにしがみ付いたままの、不憫な子ども。神人にも黒だと言われたのだから、残された寿命は長くない。せめてそれが、幸せであればいいと思った。
「落ちついて聞いてくれ――――俺達は討伐ギルドの人間だ。お前が黒点だったなら、何れは手に掛けねばならん。だから探しているんだ。セナが黒点ではない証を。もし身体に祝福痕があれば、その可能性は少し薄らぐ」
「いずれは…………て、手に?コクテン?」
「祝福痕を知らないか?」
「…………はい」
ダヴィドの瞳は真剣だった。匿ってくれたのに、殺さなきゃならない?コクテンって何?蛇人族じゃないから、今度は生かしておけない種族と間違われたの?
私は、人間なのに。
「ダヴィドさん、私は――――」
言いかけて、涙が零れた。信じてる。助けてくれるって、思ってる。そんな彼らが、本当は殺さなきゃいけない私を匿っていた?それが酷くショックだった。
「泣くな。泣かないでくれ…………俺は言った筈だぞ。欠ける事は許さんと」
「セーナ、祝福痕は左肩に現れ易く、菱形をした痣です」
「ひ、ひだり、肩?」
そこにあるのは、注射の痕だけだ。菱形の痣なんて無い。
無いよ…………!
「無いからって、諦めんな。可能性の話だ」
フェルナンが、宥めるように背中を撫でた。それでハンカチの存在を思い出す。泣いても仕方ない。でも最近の涙腺は、絶賛崩壊気味だ。少しの事で泣けてしまう。
「背中はどうだ?誰かに聞いた事は無いか?」
自分の背中にそんな痣は無い。力なく首を振ると、ダヴィドはそっと星南の頭に手を乗せた。
「気を落とすな、望みがない訳じゃない」
頭から滑った彼の手が、頤を持ち上げる。琥珀色の瞳は、優しく星南を見ていた。
「お前は、俺達以外に存在が知れ次第、殺される――――討伐ギルドは、黒点の子を屠る為の組織だ」
「どうして、助けて、くれたんですか」
ギルドって、ダンジョンとかを攻略するところ、じゃなかったの?子どもを殺す組織?思いっきり危ないじゃん…………ラッキーとかミラクル、そんな幸運、ある筈が無かったんだ。
きっと一番、いけない人達に拾われた。だから迷惑を掛けている。
「セナ、一度でいい。背中を見せてはくれないか?」
もらったハンカチを絞れる程濡らして、星南は割り切った。
「いくらでも調べて下さい。私は、普通の人間、なんです」
泣きすぎて、平衡感覚が少しおかしい。それがまるで、夢の中のように優しく、星南を包んでいた。ローブの留め金は相変わらず外せない。初っぱなからカッコ付かないな、と思いながら、詰襟のホックを弾いて、ボタンを上から外しにかかる。
異性に素肌を晒すのは、高三以来だ。微かに残った理性が計算した。あの時は、ビキニだっけ。第一ボタンを外して、第二ボタンに指を掛けた時、ダヴィドが星南の手を掴んで止めた。
「何をやっている」
「背中を、お見せします」
星南が淡々と答えると、彼は瞳を大きく開いた。
「自棄になるな。お前を辱めたい訳じゃない」
「ダヴィドさん、私はその辺に沢山いる人間です。きっと、コクテンとかではありません」
「待て待て。何を言っているか分からんが…………」
パシっと音を立てて額を押さえたダヴィドは、重い重い溜息をついた。
「男の前で堂々と脱ごうとするな。セナ、お前は女の子なんだぞ。確かに見せろとは言ったが、ストリップをしろとは、言っていない」
「でも、脱ぐなら結果は変わんないと思います」
据わった目つきの星南を囲む三人に、何とも言えない空気が流れた。
「先生!知識者が子どもを虐めてまーす」
「ウスタージュ、お前が適任だ」
「はっ!?」
茶化した青年は、ダヴィドに白羽の矢を立てられた。まともに人に触れる事が出来ない彼は、パーティーの中では安全な男。
「ひ、ひでぇっ!」
「ウスタージュ、行くよ!」
「ま、待てって、どうして乗り気なんだ!?」
星南に服を引っ張られた青年は、俺には無理だぁ、と情けない声を上げながら、奥の部屋に引きずられて行った。
誤字報告ありがとうございます。
他、文章を訂正しました。




