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金色の花を探して  作者: 秀月
聖ネルベンレート王国
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1-1:雨の音

 新社会人の憂鬱な五月を乗り越え、月末は初の給料日。


 そこでやる気を得た星南せいなは、研究データの打ち込みという単調な仕事に夢中になった。大学で論文を書く方が、余程大変だ。まず、自分で考えなければならない。どうにもならずに教授に泣きつき、バイトに就活、更には転居まで重なって、てんやわんやで留年さえ覚悟した苦い思い出があった。


 卒業出来たのは、ただの幸運。


 だから仕事は面白かった。何も考えず、データを打ち込むだけ。それで優秀。お金が貰える。


 日々の代わり映えしない作業に挫折して、既に数人が職場を後にしていた。その分増えた仕事は、残業として帰宅時間を遅くする。


 けれど呑気な性格が功を奏した。さして苦痛に思わず、黙々とパソコンに向かって梅雨を過ぎ、夏を越え、気付けば季節は初秋の気配。そうなると頭の中は、人生初のボーナスが夢となって膨らむばかりだ。


 幾らかは奨学金返済に引かれるとしても、初めて手にする大金である。浮かれた気持ちは、電車遅延や季節外れの局地的豪雨にすら、到底冷やす事は出来なかった。


 珍しく定時上がり。


 今日の私はツイている。思わずにはいられない。それが無駄にテンションを高くした。


 バスやタクシー乗り場は傘の列。迎えの車を待つ人々がロータリーにたむろする。駅舎から伸びる屋根の終わりで背後を見れば、ひしめき合っている帰宅民が、誰先に抜けるかを競い合っている構図の出来上がりだ。


 星南は得意気に、ジャーン、と効果音すら付きそうな勢いで水色のカッパを取り出した。勿論、傘もセットで持っている。家は駅近、徒歩五分。


 皆さん、お先に失礼します!


 なんて気分が良いのだろう。仕事を早上がりする時の、嫌な罪悪感が抜け落ち、優越感のみがそこにはあった。ふわりと鞄ごとカッパを被り、く足で意気揚々と雨の中に踏み出して行く。フードに打ち付ける水の音さえ小気味良く、多少の濡れも入浴の前哨戦に思えた。夕焼けの見えない雨の町を少し歩けば、直ぐに借家アパートへ辿り着く。カンカンと音を立てて金属製の外階段を上り、二階の一号室。小さなマイホームは目の前だ。


 鍵を挿して開いた扉。


 何時もの癖で、通勤鞄をボーリングよろしくシュートする。


「ただいまー!」


 シャーッとフローリングを滑る鞄が、それに応える筈だった。


「ん!?」


 部屋の中から突風が吹く。思わず目を閉じた星南は、次の瞬間、草原の真っ只中に立っていた。


 しかも、どしゃ降りの。


「あれ…………?」


 持ったままの自宅の鍵を見詰め、もう一度辺りを見回してみる。


 何処までも続くような、草原だった。


「部屋がヤバい」


 呆然した呟きは雨音に掻き消され、浮かれた気持ちは足下へ流れ去っていく。玄関開けたら、異世界だった。普通、逆では無かろうか。部屋の中が異世界だった?なんてカオスな部屋なんだ。


「ウソだぁぁっ!!」


 叫びは虚しく響いて消える。空から一直線に落ちる雨。煙る視界は何処までも、だだっ広い草原にしか見えない。しかも何だか葉色が青い。造花のように真っ青だ。


 ぶるりと肌が粟立って、寒さが一気に増していく。カッパの中の身体を抱いた。通勤靴ローファーはあっという間に中まで濡れて、ぬかるむ地面は黒い土。


「ど、どうするの…………」


 まさかこのまま、サバイバル?


 食糧はない。水は空が恵んでいる真っ最中。


 だからって、何ともならないし。


 ひとまず何処かに避難しよう。ゆっくり辺りを見回した。地平の果てまでありそうな、見渡す限りの青い草原。木の一本すら生えていない。はっきり言って気味が悪いし、気分も悪い。早くココから動かなければ。雨に急かされるように、気持ちがじわりと焦りを帯びる。


 葉先の向こうを探っていると、一瞬何かが光って見えた。


 いや違う。今、新たに点いたのだ。


 ぽつん、ぽつん、と二つ三つに増えていく。誰か居るのかもしれない。辺りは夜へと向かって暗くなるばかりだ。迷っている暇はない。


 星南は一歩を踏み出した。


 それでも僅かな不安が何処かにあって、走ることを制している。どうして雨の中なのに明かりが増えたのだろう。まるで何かを探すように、ゆっくり奥へ移動している。


 ゆらりと揺れる赤い色。


 次第にはっきり見えてきたのは、歪な三人の影だった。視力は良い方だ。だから思わず足が止まって、凝視する。


 松明たいまつのような火の光。それを持つのは、上半身がやけに大柄の人…………のようだった。今時、あれ程までの逆三角形は中々お目にかかれない。そんなアンバランスな体型の、多分、男性だ。


 考えたくは無いけれど、シルエット的に頭の形が変だった。角でも生えていそうな、尖った何かがはっきり見える。傘も差さずに火を掲げ、一体何をしているのだろう。


 草に隠れて息を殺し、徐々に距離を詰めて行く。


 期待と不安と、好奇心。


 なんて声を掛けようか。楽観的に考えた。松明の火が赤く揺らいで消えかかる。この雨なんだし、当然だ。暗さを増した隙に、星南は草陰からひょいと首を伸ばした。


 あの人、何かを持っている。


 松明とは逆の方。それが何だか気になった。荷物にしては不思議な形。まるで野菜のカブみたい。ぶらりと下がった葉の下で、楕円の実がゴロリと揺れる。


 ボッと短い音がした。松明は再び明るく燃えて、だから荷物がよく見える。


 悲鳴を上げなかったのは、奇跡に近い。


 カブじゃない――――人の頭だ。


「これで最後か」


 ザッと下がる血のまましゃがみ込む。ザラザラとした雑音混じりの変な音。とても声とは思えない。


「逃げたガキが一人足りねぇ」

「クソが…………行きやがった」

「こんなチャンスは二度と…………ぇぞ」


 小さくなる音。周りもだんだん遠くなる。豪雨で野宿、上等だ。


 こんなことろで死んだり出来ない。


 カッパの中で冷えた指先。止まらぬ震えを捩じ伏せるよう、きつく、強く指を組む。どうか成仏して下さい。心の中で無力を詫びる。見捨てる事を責めるみたいに、雨が激しく降っていた。


「逆に行こう…………」


 辺りはすっかり夜へと飲まれ、地獄のように暗くなる。


 訳も分からず募る悔しさ。やり場の無い怒りはさして燃えずに急速に冷え、疲労と共に飽和していく。ぼんやり麻痺する思考の隅で、星南、と母が叱咤した。


 心配するなと約束したんだ。


 暗くて雨が何だというの。


 感傷に浸るのは後でいい!


「なんとか成るなる。言ってればなるもんだって!」


 無理に笑って、歯を食い縛る。笑えなくなったらおしまいだ。何処かに行ってしまった週末に、ボーナスは戻れなければ貰えない。何か無いのか、楽しい事は。


 楽しい事は…………


 仕事に明け暮れ、無くしてしまった。だから、どんどん辞めていく。今頃気付いても虚しいだけだ。惰眠を貪る休日に、付けっぱなしのテレビ。時々誰かと電話して、近況を話す以外は何もない。


 社会人になってから、楽しい事が減っていた。


 だからと言って、こんな刺激は望んでいない…………せめて屋根が欲しかった。どうして何も無いの?


 そこで気付いた。


 今歩いている場所は、草丈が他よりずっと低いのだ。辺りは肩までぼうぼうに伸びた、手付かずの荒れ野のままなのに。


 手付かず。


 そう、誰かの手が入っているから、草丈のが短いのではないか。近くに人が居るかもしれない。


「なんとか、なる…………」


 星南はやっと、歩く速度を上げた。


 視界は殆ど真っ暗で、かろうじて黒より青い葉が見える。ココはどういう場所なのか。首刈り族しか住んでない?疑問が頭を駆け巡る。それでも答えは見つからなくて、今は前に進むしかない。


 手に触れるのは濡れた草。それで草丈を判別し、道らしき場所を辿って進む。視力が利かずに聴力は冴え、次第に雨とは違う音を拾った。ガタガタという、嫌な音。それは急速に近付いて来る。


 隠れなきゃ…………!


 咄嗟の判断は、先程の恐怖が背中を押した。草むらに飛び込んだ星南の前を、間一髪で黒い馬車が過ぎて行く。びしゃりと、冷たい水を被った。濃くなる土の生臭さ。それを擦って目を凝らす。やっぱりこれは道なのだ。


「冷たっ…………」


 星南はその場で小さくなった。まだガタガタという音が聞こえている。人には会いたい。心細い。けれど、悪い人には会いたくないし、見つかりたくもないものだ。


 再び音が大きくなった。きっと同じような馬車だろう。音の方に目を凝らす。すると僅かに光が見えた。


 それだけで期待が胸に膨らんで、人恋しさに拍車がかかる。声をかけてみようか。そう思って腰を浮かしかけたまま、星南はカチンと固まった。


 雨に紛れる白い灯火ともしび


 それは近付く程に青白くなり、闇夜に黒を照らし出す。まずは黒馬、そしてほろまで黒い馬車だった。音無くさ迷う無数の光を従えて、それは此方へやって来る。


 なんだあれ。


 確かにあかりは、明かりだけれど。青く尾を引く光の玉は、まるで墓場の人魂みたい。闇の一部に紛れた御者が、白過ぎる手で手綱を引いた。馬が大きくいなないて、前足を高く蹴り上げる。


 ヤバいのが来た…………!


 星南は、脇目も振らず逃げ出した。


 草を掻き分け必死に駆ける。奥へ奥へと、死に物狂いで前へと進む。それでも視界は明るくなった。青白い人魂が周りを囲み、明るく照らしているのからだ。


「おいっ!待てって!!」

「もういい、フェルナン回り込め!」

「落ち着いて下さい、ダヴィド!」


 追って来るのは男の声だ。


 誰でもいいから、嘘だと言って!早く、遠くに逃げないと!!頭の中では焦っていても、悪い足場に身体が大きくよろめいた。


「何処まで行く気だ」


 低い声は、間近で聞こえた。


 転ばぬ代わりに、星南はとうとう捕まった。腕を捕らえる濃紺の袖。頭からすっぽりフードを被った、若い男の人だった。


 振り切ろうと体を捻る。すると、すんなり離された。一瞬感じた喜びは、背後の人影にあっという間に消え去ってしまう。二人もいる。挟み撃ちだ。


「…………驚かせて、悪かった」


 低く穏やかな声がした。思わず視線を向けた星南の前で、二人組の片方がバサリとフードを背に落とす。鮮やかなオレンジ色。ゆるくウェーブするその色の髪が、雨に打たれて濡れていく。


「よく生きていた。もう大丈夫だ」


 背の高い男だった。彼は他にも何か言おうとして、あー、と間延びした音を漏らすと、弱った様子で額を抑え、滴る水を掻き上げる。彫りの深い精悍な顔、透けるような琥珀色の瞳。どう見たって、外国の人。なのに流暢な日本語だ。


 星南は目を瞬いた。言葉が通じる――――それは話の分かる人に会えた、と言う事だ。


「俺の名はダヴィド。聖ネルベンレート王国アングラード分団新属、金糸雀カナリのリーダーだ。討伐ギルド、と言えば分かるか?蛇人族じゃじんぞく襲撃の一報を受けて助けに来たんだが。追いかけて、すまなかったな」

「しゅ、襲撃…………?」


 星南の頭に、無惨な子どもの姿が蘇る。彼の話している事は何だか意味が分からない。けれど、さっき見てしまった事件の関係者だと思われているようだ。だからこのタイミングで、助けに、なのだろう。


「我々の言葉は分かりますか?」


 丁寧な口調で言ったのは、ダヴィドと名乗ったリーダーの隣に立つ男性だ。フードから覗く素肌は人のもの。優しく柔らかな声は、張りつめていた星南の気持ちを、僅かに解いた。


「あの、私は…………」

「すみません。特異言語セリュレオムは分からないんです。共通語は話せますか?」


 完全に日本語にしか聞こえない。言葉は通じているように思えた。けれど、共通語が何を指すのか分からない今、イエスと答えるのは違う気がする。


 星南は首を、横に振った。


 追いかけられて怖かった。心臓はまだ、変に脈ったままだ。けれど今、彼らが探しているのは…………助けを求めてるのは、私じゃない。あんなに必死に追いかけて来たところからして、あの子達が窮地なのは確か。足止めする訳にはいかない。


 教えないと…………


 よく分からない世界で、よく分からないまま殺されていた子ども達。それを救えるかもしれないのは、よく分からないままこの場所に来てしまった自分だ。震えの残る腕を緩慢に上げ、星南は歩いてきた後方を指す。


「探している子はあっちです。三人くらいは、もう…………あと一人は、探し回られてて…………早く、早く行ってあげて」

「…………エルネス、翻訳してくれ」

特異言語セリュレオムは分からないんですよ」


 星南は、きょとんと目を見開いた。


「分から、ない?」


 じわじわと嫌な予感が這い上がる。この状況で、ふざけているとは思えない。だったら答えは簡単だ。


「あーもう、良いだろう!?」


 苛立った声を上げたのは、背後に一人立っている青年だ。彼は光の玉を手の上でぽーんと投げてはキャッチして、落ち着きの無い様子で口を歪めた。


「蛇人族は保護対象だろ。ともかく、ひっ捕まえて現場に行こうぜ…………()()()()()()()んじゃ、ラチが明かねぇ」

「フェルナン、お前はウスタージュと先に行け」

「この子には少し、状況を聞かなければ」

「あーもうっ、分かってるって!明かりは一つ置いてってやる!!」


 青白い光をダヴィドに投げ付けたフェルナンは、ガサガサ音を立てて馬車の方に走って行った。


 良かった…………んだよね。


 星南は黙って、その後ろ姿を見送った。緊張が解け、泥の地面に座り込んでしまいたい程疲弊している。私はその『ジャジンゾク』というのに間違えられたのだろう。『ジャ』が何か分からないけれど、民族とか種族的なもののように感じる。何となく察しは付いた。けれどもそれは、大きな間違いだ。いまだに佇むダヴィドと、フードのもう一人を見やって、星南はおずおずと言った。


「あの、私は違うんです…………」


 凄く困ってるのは確かだ。でも、命を狙われた訳じゃない。ましてや、彼らに助けを求めた訳でも、助けてもらう訳にもいかない気がする。ココはアパート二階の自室じゃないし、多分、地球でも無いのだろう。人魂を操る技術なんて知らないからだ。


「さて、困りましたね…………?」


 場違いにも、笑いを含んだ声がした。フードのままの人物だ。


「お前は全然、困っていないだろうが」


 ダヴィドが即座に反応すると、その人はクスクス笑っておどけてみせた。


「酷いですね、本当に困っていますとも。言語疎通が出来ない限り、私達はフェルナンの愚策以外に打つ手が無いんですよ?」

「愚策でも、無策よりはマシだろう?」

「だからダヴィドは、脳筋と言われるんです」

「…………お前なぁ」


 緊張感を何処かに忘れた去った二人は、星南そっちのけで会話をし始めた。雨の中でずぶ濡れで。笑いさえ交える様子は、異常にしか見えない。


 なんなの、この人達。


 思った星南は、だんだん聞いて居られなくなった。人命優先、助けに来たと言ったのに。彼らは揃ったデザインの服を着ている。制服ならば、警官か何かで間違いない筈だ。


「ダヴィドさん!」


 思わず呼び掛けると、二人はピタリと口を噤んだ。それに少し驚いて、けれどもう引っ込みは付かない。


「俺の名前が、分かるのか」


 気持ちが揺らぐ。それを諌めるように、星南はカッパのフードを脱いだ。濡れた黒髪は、すぐに乾く事を優先したショートボブ。光に照らされた顔は、泥の跳ねたままの酷い状態だ。雨に打たれる頭を下げれば、涙のように水が頬を伝って落ちる。早く行って欲しい。これ以上近くに居たら、頼りたくなる。


 かかっているのは人命で、私はたまたま居合わせた部外者だ。馬の嘶きが聞こえたから、さっきの人は本当に先へ行ったのだろう。


 それでも。


「なんでもいいから、さっさと行って下さい!」


 あの子達を助けてあげて。私を助けて。入り乱れる気持ちが、無様に私欲へ傾く前に…………!


「早く行ってっ!!」


 星南はキッと睨み付けた。日本人にしては、薄い色の瞳だ。それが彼らを、ある結論へと導く。


「ダヴィド、この子は…………」

「きゃんきゃん吠えるな、どのみち間に合わん」


 優しい声音を遮って、ダヴィドがぴしゃりと言い放つ。


「もう十分だろう?コイツは、共通語が分かるんだ。話せないだけでな?なら、隠していても仕方ない…………天界シエルの庭の生存者はもう、俺達とお前しか居ないんだ」


 雨の音が、増した気がした。




 

 

タイトルは『ルノンキュールを探して』と読みます。

 

プロットは完結済なので、ぼちぼち書き進めてまいります。よろしくお願いいたします。

 

 

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