act.8
それから、世界の王は大賢者のことを調べているようだとの話も聞いた。ヴェルターに依頼した『反社会組織』の件も、王からの指示のようである。
「僕の知っていることの中で、君たちに役立ちそうな情報といえばあとはあの人の特徴くらいだけど……」
「教えてくれると助かる」
「ブロンドの髪で、僕とほとんど同じ顔をしてるのがあの人だよ。僕の方があの人より背が高くなってるから、見分けは付くと思うけど」
同じ顔か。ということは、知り合いだからといってプロフェットだと思い込んで話しかけてみれば敵の総大将だった、なんてことも有りうるわけだ。魔王と同じ外見であることと、彼がここから出ることができないと事前に知っておけたのは大きい。
「それともう一人……あの人の守護者として、リュータと同い年くらいの外見の、直属の部下が存在する。でも、今は確か守護者の方は旅に出ていて、不在にしているはずだ。旅の目的は、勇者を拘束するための道具を探しているとか……」
勇者を拘束するための道具。敵対関係にある存在を始末するのではなく、捕らえるに留めようとする理由があるのだろうか。拘束するための道具というのは言葉そのままの意味ではない可能性もある。
「ありがとう。……おまえ、一応世界の王の配下なんだろ? 色々教えちまって平気なのか?」
「大丈夫じゃないかもしれないね」
冗談交じりの笑顔を見せて、プロフェットがテーブル越しにこちらへ手を伸ばしてきた。
「あの人の意思一つで跡形もなく溶けて消えてしまう僕は、確かに作られた存在だ。だけど、僕は僕の意思で君を選んだ」
指先は、先ほど自分が彼にしてみせたように頬へ触れる。
「ユウジ。君が好きだよ。君に恋したことを、――ぼくは誇りに思う。……いつか消えてしまうのだとしても、この確かな意思で、君を選んだのは、ぼくなんだ」
「え? ……えーと?」
言われている意味を頭が理解する前に、隣でリュータががたんと木椅子を倒して立ち上がった。大きな音を立てて後方に吹っ飛んだ椅子に意識が向いてしまい、さらに理解が遅れる。
「あ、気にしないでいいよ、ユウジ。……今はね」
「そうか? ……おい、リュータどうした」
ぽかんと口を開けわなわなと震えているリュータの肩を揺すってみる。彼は口を開けたまま、首にギギギと軋んだ効果音でもつきそうな動きでこちらを向く。
「……ぼくは、引くつもりはありませんよ。相手が熾天使様であっても」
付け加えるようなプロフェットの言葉に、リュータが情けない顔をした。勉強を教えてやった時くらいしか見る機会のない、彼にしては珍しい表情である。
「ぜ、ぜったいだめ!」
何やら自分には分からない攻防戦がプロフェットとリュータの間で起こっているのだろう。こちらの腕にしがみついてきたリュータのいつになく焦った様子も気にはなったが、頭は既にここで得た情報量の多さを整理して飲み込む方に回っていた。
街に出てみると、建物を含めてほとんどが元通りになっていた。まるで襲撃直前にセーブしてそこまでリセットしたかのような風景に、ひょっとしてこれも意識のない自分が勝手にやったのだろうかと不安になってくる。自分のレベルに見合わない魔法を使うとどうなるかは体験済だ。今のところ身体に異常はなさそうだが、用心しておくに越したことはない。
宿の従業員は避難しなかったのかそれとも戻ってきたのか、借りていた部屋に戻ることはできた。ヴェルターの出発は翌朝、今夜は取ってあった部屋で休んで明日合流することになっている。
空の塔を出てから沈黙が続いているリュータを置いて、先に入浴を済ませてきた。あんなことがあった後だ、一人で考えたいこともあるだろう。
濡れた髪をタオルでわしわし拭きながら、現状埋まりきっていない情報のピースから全貌を推測できないかと試みる。
勇者が存在したのは確かだ。プロフェットの言葉からして、大昔はRPGの設定そのもので魔に打ち勝つための存在として勇者が人々に望まれていた。それが、今は魔の者の住む村では被差別的環境を打破する希望として、勇者が望まれていた。大昔と状況が真逆なのだ。
では、初代の勇者が活躍する以前――人が魔に虐げられていた時代の、もう一つ前の時代はどうだったのだろう。魔の者自体が存在しなかったのか、それとも。
はっきりしていないものはまだ山積している。初代勇者が倒した魔王はどういう存在だったのか。今、魔王とも世界の王とも呼ばれている存在とはどう違うのか。人が魔に打ち勝つことをバランスを欠く行為として地上を滅ぼそうとした神。世界の王はどこからやってきたのか。この世界の魔王を倒す存在として勇者が呼ばれたなら、何故リュータだけではなく自分もこちらに飛ばされたのか。戦える仲間ならともかく、師匠に教わるまで魔法も使えなかった自分は勇者のお荷物も同然だった。お荷物が必要だったとも思えない。……そこで、南の田舎国で捕まった際に自分を指名手配した人物が地下牢まで会いに来たことを思い出す。
彼は、「あの世界から君を選別したのは私だ」「死んでもらうためにこちらに来てもらった」と話していた。そして「勇者の剣は、私の望む勇者にだけ受け継がれる剣だ」とも。あの人物が、勇者であるリュータとは別に自分を呼び寄せたということだろうか。あの国で地位が高いなら間違いなく人間であるはずなのに、剣を手にできる勇者を望んでいると取れる発言も気になる。
答えのすぐ近くまで来ているという実感はある。それだけに、あと少しで手が届かないのがもどかしい。
いくつかの可能性が浮かんでくるが、どれも決定的な情報が足りない。溜め息をついて部屋に戻ると、リュータはベッドの縁に腰掛けて窓の方を見つめていた。
「リュータ、風呂入ってこいよ」
「……あ、うん」
自分が部屋に戻ったのにも気付かなかったのか、声を掛けられてようやく彼が振り返る。
「ほら寝ないで待っててやるから、さっさと行ってこい」
「……ユウジ」
「なんだ?」
「話が、したいんだ。だから絶対、ここで待っててね」
「お、おう」
どうした改まって、と茶化すのも可哀想になるほど深刻そうだ。
しかし思えば、中央都市でヴェルターと会ってから彼とゆっくり話す時間はなかった。何を思いつめているのかは分からないが、彼の不安が取り除かれればこちらからも聞いてみたい話もある。遅くなっても良いようにと、彼を待つ時間で明日の荷造りを終わらせておくことにした。
木造の廊下を歩いていた足音が、扉の前で止まる。何を躊躇っていたのか、少しだけ時間を置いてリュータが部屋に入った。
「……ユウジ?」
「起きてるぞ」
座っているベッドの方から手招きをしてやると、後ろ手に扉を閉めた彼がのそのそとこちらに歩み寄ってくる。
「えっと……その」
話をすることに意識が行ってしまったのだろう、髪は濡れたままろくに拭かれもせず肩にかかったタオルの上に雫がぽつぽつ落ちて染みを作っている。隣に座らせてタオルを奪う。広げて彼の頭に被せた。
「わっ」
「ほら、今オレからおまえの顔は見えないぞ。ついでに頭拭いてやるから、話したいことがあるなら話せ」
タオル越しに髪を撫でる動きにつられて、彼の頭がぐらぐら動く。
「……話がしたいっていうのは、ほんとは半分くらい口実で、ユウジがちゃんとここに居てくれたら、別におれを待たずに寝ちゃってても良かったんだ。……ううん、そうだったらいいなって思った」
「信用ねえな、店開いてるとこだって少ねえのにオレがこの時間からどこ行くっていうんだよ」
「ユウジ、おれと最初に会った時のこと覚えてる?」
「オレが小四くらいの頃におまえが引っ越してきたんだったよな」
その頃、四年生から六年生までは地区ごとに近所の一年生の登下校に付き合ってやるという集団登下校の登校班があった。学校までの片道徒歩二十分の距離で、自己紹介をしあったのが最初のはずだ。
「ううん。もっと前に、……覚えてないかもしれないけど、おれその頃色々あって落ち込んでて、ユウジに励ましてもらったのが嬉しくて、もう一回会うために、ユウジのところに来たんだ」
もっと前、なんてリュータは五歳未満だ。彼の言う「前」が、天使だった頃の話なのだろうと勘付いてしまう。
「……リュータ、おまえは」
「きっとユウジが思ってる通りだよ。おれは人間じゃない」
それだけで、何かの間違いだとか、異世界トリップで天使化する能力を得ただけだとか、楽観的な推測は全て否定されてしまった。彼が本来属する世界が、どちらなのかも。
「今日……あの時の、おれ、ユウジから見てどうだった? ……こわく、なかった?」
リュータが背中を丸めて、タオルを被ったまま俯いた。彼が本来ならどれくらいの年齢になるのかは分からないが、ほんの少しだけ見えた彼の本心は、彼自身が漠然とした恐怖に見舞われているような気がする。
タオルを引っぺがして、その頭を叩いてやった。痛い、と彼が顔を上げ、こちらに目を向ける。頬を掴んで、両手でつねった。よく伸びる。
「いひゃい!」
「このアホ面が恐いわけあるか。それに……前世とかあんまり信じてねえけど、そういうのあるならほら、オレ昔はワカメだったかもしれないだろ」
「ワカメって」
「でもオレはオレだ。元々が天使だろうがワカメだろうが、今のおまえが、オレと一緒にゲームしたり飯食ったりしてだらだら遊んでたリュータだってことに変わりは無い」
赤くなった頬を擦りながら、リュータがまた情けない顔をする。
そうだ。彼が彼である限り、自分は彼を嫌うことなんてない。だからリュータが危惧していることと、自分の不安は全くの別物だ。
……この旅が終わったら、彼が自分を選んでくれるとは限らない。
「話はそれだけか?」
「……うん」
「じゃあもう寝ようぜ。オレからも聞きたい話はあったけど、それはまた追々な」
スマホのステータス画面では、リュータの職業はパラディンに戻っていた。炎の羽根を出したあの姿でいる時のみウリエルになるのか、それとも本来は一度ウリエルになってしまったら元に戻らないところを自分が無理矢理蘇生術で引き戻してしまったのか。ダメージを受ける受けないに関わらず、天使になっている間MPとHPが減り続けていたように見えたのは仕様なのか、別の理由があるのか。パーティのスキルを把握しきれていないのは正直痛い。
けれど、こんな話の後で彼を質問責めにするのも気が引ける。これまでリュータとはそんなことを気にする間柄ではなかったはずなのに、こちらにやってきてからどうも調子が狂っているようだ。
部屋の灯りを消して、それぞれ床に就く。ここまでは漠然と、異世界に呼ばれた勇者ご一行として設定された魔王について探っていた。魔王撃破で問題がないようであれば魔王城を目指しつつ帰る方法を探すというスタンスで今後も旅を続けてもいいものか、どうも誰かの手の内で踊らされているように思えてならない。
反社会組織についての情報を得ることで、何か状況は変わるだろうか。
中央都市から少し郊外になる森を進みながら、いつになく自分は絶好調だった。
ここまでで師匠に教わった攻撃魔法を使い、出てくる魔物を自分の力で倒すという本来であれば序盤で経験できたであろうRPGの醍醐味をようやく経験できたのである。武器は何を選んでも装備不可、魔法も戦闘に使えそうなものを習得していないという状態が長らく続いていたが、やっとこさスタート地点だ。
「くうーっ! 自分でレベル上げできる快感! RPGはやっぱこうじゃねえとな!」
念じても呪文を叫んでも火の玉ひとつ出てきやしなかったあの頃が遠い昔のようだ。同行しているヴェルターにもリュータにも出番を与えず、一人で敵を倒せている事実がまた気持ちがいい。
「ユウジ、無茶はだめだよ」
「全然平気だって! 今のなんて圧縮して威力上げてるだけだから初級程度の魔力しか消費してねえぜ」
「でも……」
「心配しすぎだ、オレがもしへばってもおまえもいるし、平気平気」
案内はヴェルターに任せ、自分はスマホのフィールドマップさえ開いていない。順調にレベルアップして、今では自分もレベル三十だ。MP値も増え、全快の状態であれば蘇生魔法一発だけなら全MPと引き換えに発動できるようになった。そしてMP回復薬は大量に買い込んでいる。ひとまず自分が戦闘で即死さえしなければ、当面彼の命の危険は無くなったわけだ。心配する要素が減ったことで、さらに調子に乗っている。自覚してはいるが、少しくらい羽目を外させてもらってもいいだろう。
蘇生魔法といえば、どうも師匠経由で魔法を習得するとスマホの習得技一覧には載らないようだ。
とはいえ魔法を使えばリアルタイムで魔力の数値は減少するし、消費MPもそれで確認できている。そもそもステータスガジェットだけに頼りきるつもりは端から無かったから、頭に入っていればそれでいい。
最近では師匠からの魔法講座には魔物との戦い方なんかも加わって、出来ることが格段に増えている。この調子なら、リュータも安心して自分に援護を任せてくれることだろう。
スマホのステータスガジェットには、ヴェルターがパーティメンバーとして加わっている。同じく途中離脱が考えられる同行者だが、以前レツがメンバーに加えられなかったのは謎だ。
「さーガンガン行こうぜ。ヴェルター、こっちでいいんだろ?」
「ああ」
ヴェルターと情報を共有することになって、彼からは、自分の捕縛を命令した人物が世界の王とされる存在であること、今回の反社会組織に関する仕事もその世界の王からプロフェットを経由して伝えられたものであることを聞いた。
彼自身は世界の王ではなく、あくまでも国に仕えているらしいのだが、今回は自国での主である国王が世界の王に従うように言ったため従っているのだそうだ。ヴェルターの私設部隊を一時的に貸しているということになる。
「つまり、今のところ敵じゃないけどおれたちの今後の行動によっては敵になるかもしれないってこと?」
聞いた話をゆっくり咀嚼しながら、リュータが首を傾げた。
「そうなる。もっとも、今回の件が片付くまでは敵対はしないが」
「なんで?」
「取引を持ち掛けられているからな」
「誰に……」
「あー、あはは、まあいいじゃねえか。それよりヴェルター、目的地まで行ったらどうするんだ? まさか正面から乗り込むわけにもいかねえだろ。部下達はどこで待機してんの?」
「内部に侵入させている者が数名いる。他は周辺だ」
彼の仕事を手伝うという名目で同行していることもあって、仕事の内容は一通り聞いている。
反社会組織と呼んでいる連中は、いわゆる指を詰めたりパイナップルを投げたりしているような団体ではなく、典型的な怪しい宗教団体なのだそうだ。
もっとも、信仰対象は神ではない。彼らが崇めるのは特定の『大賢者』であり、過去実在した人物を指すらしい。勝手に崇めている分には放っておいても問題ないのだが、大賢者を名乗る人物や、大賢者だと持て囃される魔法使いが噂になると必ず顔を出して対象を拉致し、神を名乗るなとばかりに危害を加えるたちの悪い信者なのだという。
端的に言えばテロリストまがいの連中を迷惑だから全員捕まえろ、みたいな内容である。
「侵入させている部下から拠点に入りやすいルートの報告があるまでは待つことになるが、中に入ってからは幹部を押さえて……あとは烏合の衆だ。この戦力なら問題ないだろう」
「この戦力って?」
リュータ本人だけが何も分かっていないらしい。リュータのことも頭数にしっかり入っているようだ。地位も実力も高く私設部隊をまとめるヴェルターでさえ、ステータスガジェット上のレベルは六十一。リュータの飛びぬけて高いレベルはそれだけで一騎当千と言っていい戦力であることが分かる。先日の中央都市での一部始終を見ているヴェルターからすれば、それ以上に考えているかもしれない。
レベル一からレベル二十三まではすんなり上がったような気がしていたが、それは最初にリュータの手によって二周目向け裏ボス――骨の飛竜を倒していたからだ。あの時の取得経験値が高すぎたおかげで二十三まではあっさりレベルアップし、レベル上げがそう難しいものではないと勘違いしてしまった。実際に自分で戦ってみれば、レベルをひとつ上げるだけでもかなりの戦闘または高レベル帯の魔物を討伐する必要があったのが分かる。この世界で修行の旅をしていても、数ヶ月で十五レベル上げるのが関の山だろう。
スマホを持たないこの世界の冒険者は、自分のレベルは定期的にギルドのカウンターでチェックするらしい。討伐数チェックと一緒に隣のカウンターで行い、レベル証書を発行してもらうのが一般的なのだそうだ。リアルタイムでレベルもHPもMPも確認できないとなると、自分達の旅がどれだけイージーモードなのかも伺える。無論マッピングも自作の地図または高額のマジックアイテムが必要だ。
「まあ、なんだ、リュータは中入って、暴れて良いってヴェルターから指示が出たらてきとーに暴れてくれれば大丈夫だ」
「そっか。ユウジは?」
「オレは……なあ、どうする?」
個人的には幹部を押さえる役回りにつき、彼らの持つ情報も得ておきたいところだが、こればかりは勝手するわけにはいかない。ヴェルターにそのまま振ると、彼が小さく息を吐いた。
「ユウジ、おまえはオレと来い」
「いいのか?」
「行きたそうにしている」
「……た、助かる」
顔に出ていたようだ。どうも締まんねえな、思わず両手で顔面を覆うと、視界の隅にリュータが唇を尖らせて拗ねているのが見えた。
「あっ、ところでさ、何かさっきから景色が変わんねえんだけど……妙じゃないか?」
「道は間違っていないはずだが」
気のせいならいいのだが、先ほどから周囲の木々の並びが延々ループしているように感じる。
スマホの画面を再びつけて、フィールドマップを表示する。隣を歩くヴェルターにマップ画面を見せたが、歩いている方向は問題ないようだ。
念のためスマホを見ながら再び進む。フィールドマップは歩いていれば基本的に八十歩あたり一ピクセル程度現在位置マークが動くのだが、歩いても歩いても位置マークに変動が無い。
「……ちょっと待てよ。マップの現在位置マーク、進んでなくないか」
「え?」
一歩前を歩いていたリュータが、振り返ってこちらの手元を覗き込んでくる。これは俗に言う、迷いの森とかいうやつだろうか。
「なあヴェルター、一応聞くけどここ、一度入ったら出られない森とかじゃないよな?」
「ごく普通の小さな森だ。ここで迷った旅人の話など聞いたこともない」
ということは、森に仕掛けがあるのではなく。
「……敵の罠、とか?」
スマホの画面から顔を上げて、二人にその可能性を伝え、ようとして、できなかった。
「うわ、マジか」
すぐ近くにいたはずのリュータもヴェルターも、忽然と姿を消していたのだ。