act.5
リュータに起こされて、火の番を交代する。リュータの就寝に合わせてレツも休んだかというと、そうではなかった。
「レツ、おまえは寝ないのか?」
「実はおれ、ユウジが寝た後でちょっと寝ちまったんだよな。だから一緒に起きとく」
新しい枝を火にくべるレツが、火から目を逸らさずに返した。そういうことなら、無理に寝ろとは言いづらい。リュータは寝ているが、師匠は出てきてくれるだろうか。左手首の腕輪をさりげなく叩いてみるも、返答はない。
リュータに会いたくないっていうより、第三者に会いたくないってことか。偏屈な先生である。
「ユウジさあ、ほんとはめちゃくちゃ強かったりしねえ?」
「は?」
「なんか弱いフリして実はすげえ反則級に強い! みたいなやつっぽいじゃんおまえ」
「いや、ないない」
スマホのステータス画面を開いて、レツの方に向けてやる。
「こんなんだからオレ。弱いフリしたってレベルまでは隠せねえだろ、明らかにリュータのが強い」
「ふーん……」
そんなもんかあ。レツが首を傾げる。
「そういや、おれ画面に名前載んねーな。その機械にパーティメンバーとして認識されてねえのかな」
「言われてみれば、そうだな」
スマホのステータスガジェットに表示されるパーティメンバーは、相変わらずリュータと自分だけだ。三番目の枠に、レツの名前は出ていない。面白くないといわんばかりに唇を尖らせるレツが、リュータ以上にお子様に見えてくる。
「まあ、港でお別れの臨時メンバーみたいなもんだし、仕方ねえのかな。おれはもっと、ユウジと仲良くなりてえけど」
「オレかよ。リュータじゃなくてか?」
「おう。すげえ気になる、ユウジのこと」
年下に懐かれるオーラでも出てるんだろうか。肩を竦める。
「ていうかさ、おれユウジと前どっかで会ったことねえかな」
「ないな」
「即答かよくっそ! 色男の口説き文句真似てみてもおれじゃ駄目かあ」
「なんだレツ、好きな子へのアプローチの練習がしたいならオレが付き合ってやってもいいぜ」
「んー、口説く相手が鈍感すぎて気付いてもらえないシチュエーションでの上手い切り返し方とか教えてくれると助かる」
「随分細けえなオイ」
先ほどリュータと楽しげに会話をしていたが、年が離れていると思われる自分ともさほど気にすることもなく慣れ合ってくる。人を惹き付ける天性の才能というか、カリスマみたいなものがレツには備わっているのかもしれない。日本でもこういう少年が政経を担ってくれたりすると安心なのだが、レツもまたリュータと同じく政治に疎く頭もよろしくなさそうである。世の中そう上手くはいかない。
「ほんとに。……ユウジとパーティ組めたら楽しそうだったな」
「……レツ、おまえの旅って」
急ぎじゃないなら、オレ達にこれからもついてくるか。そう口にしようとしたその時だった。
「伏せろ!」
急に立ち上がったレツが、外していた斧を手に間髪入れず薙いだ。慌てて身を屈めると、頭の上を大斧がすり抜けていくのが風圧で感じ取れた。
いきなりなんだと問い詰める必要もなかった。レツが斧を振るった先に、首を落とされた巨大トカゲが絶命している。
「あれは……」
「見たことねえの? ……えーと、一匹一匹の戦闘力もそれなりに高いうえに知能があるから群れで来られると厄介なやつ。で、残念ながら今も団体さんみてえだな」
人の身長ほどもある身体を二足歩行で支えて、前足に棒切れや錆びた武器――おそらく、旅人を襲って入手したものだろう――を掲げるトカゲ人間が、耳障りな鳴き声を響かせて周囲を取り囲んでくる。全部で何匹いるのか、下山してそれなりに広くなってきていたはずの山道が前方後方どちらもトカゲで埋め尽くされている。
「この辺の町の悩みの種っていうか、よく被害が出てるらしいぜ」
おまえらが来た山向こうの方はどうだか知らねえけど。レツが手馴れた様子で、大斧を肩に担ぐ。
「こいつら手足切られてもたいしたダメージになりゃしねえから、倒すなら首を落とすのが一番だ」
騒ぎに目が覚めたのか、リュータが起きてすぐ白亜の剣を掴んだ。
「敵? ……ユウジ、怪我は?」
「ねえけど……」
「おーい、おれの心配は無しかよー」
「レツは明らかにぴんぴんしてるし」
軽口を叩きながら、前方の一群にレツが、後方の一群にリュータがそれぞれ武器を手に対峙する。
「リュータ、いけるか」
「レベル的には、たぶん問題ないと思う。数に圧されて、体力が尽きなければ……だけど」
「おれは余裕! 丸一日魔物の中で戦い続けたこともあるかんな!」
聞いていないのに割って入ってきたレツの言葉も含めて、彼らが大丈夫だというなら戦闘自体はそう苦戦する相手でもないのだろう。問題があるとすれば敵の数で、全てのトカゲの攻撃を防ぎながら首を切るにはあまりにもこちらの数が足りなすぎる。
詠唱の必要がないマジックスクロールで援護しながら、自分も魔法で加勢できればいいのだが――平凡な脳みそを必死に回す。
この山道までで習った魔法は、『施錠・解錠の魔法』『制限付きの空間移動魔法』『重力操作魔法』『火を起こす初級魔法』『風を操る初級魔法』『水を出す初級魔法』の五つ。内、習ったままの利用方法であれば攻撃魔法に分類されるのは火を起こす魔法くらいだ。
火を恐れずに一晩でこちらを取り囲んできたトカゲ達に、火の魔法で脅かすのが有効だとは思えない。
攻撃での参戦にこだわらず、重力操作魔法で敵の動きを鈍らせるのが良いだろうか。じりじりと距離を詰めてきていたトカゲ達が、一匹の雄叫びとともにまとめて飛び掛ってくる。
まあ、待っちゃくれないわな。腹を括って地属性の魔力を構成し始める。一度発動させれば、その上から重ね掛けの形で継続も可能だ。幸い、魔力用の回復薬は先日の報奨金騒動の際に買い込んだものがある。そして前衛の体力回復のためのマジックスクロールは一般人でも使用可能――属性魔力を構成する必要もなく、他の魔法を使いながらでも発動が可能である。
リュータがトカゲの首を刎ねる。倒れ伏す鱗の体を踏み越えるように後続のトカゲが襲い掛かる。頼むから止まってくれよと祈りを込めて発動させた重力操作魔法は、焦りで欠いた集中力が災いしてか、山道一帯全てに負荷がかけられてしまった。
「うおっ!?」
「わっ!」
トカゲの大群だけでなく、前衛で戦っていたレツもリュータも重圧で地に無理矢理伏せられて、動きを止める。
「ゆ、ユウジー!」
前衛二人から非難の目を向けられ、術者対象外のため一人だけ負荷無しで立っている自分はというと。
「……作戦だ!」
失敗を平然と誤魔化した。
「そうなの!?」
「すげえ、マジで!?」
あっさり信じてくれるバ……純粋なやつらで良かった。とはいえ、作戦だというのもあながち間違いではなくなる。
重力操作魔法の効果が切れる前にと荷物をまとめ、火を消して、出立の準備を勝手に整える。そして荷物と、地を這う二人を引きずって中心に寄せ、『制限付きの空間移動魔法』――脱出魔法を構築し始めた。
風景を鮮明に覚えている場所、または現在目で見えている地点まで移動する魔法である。魔力を大幅に消費するためラクをするために使うわけにはいかないが、今回のこれは戦線離脱に使うのだから正しい使い方と言えるだろう。
荷物を背負い、二人の腕を掴んで脱出魔法を発動させた。目標地点は崖下、森の中だ。
逃げるが勝ち。よくよく考えてみれば、アイテムを消費して朝まで消耗戦を持ちかけるよりこちらの方がよっぽど賢い手段であった。
持久戦覚悟で勝負を挑んでいたのであろう二人は、戦線離脱後しばらくきょとんとして顔を見合わせていた。
「なんだ、やっぱあいつら倒した方がよかったか?」
「ううん。ユウジ、もしかしてこれがあの時言ってた魔法?」
「そうだな。教え方が悪いせいで覚えるのに苦労したんだが」
「先生に怒られるよ……」
苦笑するリュータが、荷物からMP回復薬を取り出してひとつ手渡してくれる。
「先生って?」
飴玉のようなそれを口の中に放り込んだところで、レツが訊ねてきた。口の中でもごもご転がして、会話しやすい位置に押し込んでから再度口を開く。
「気分で出たり出なかったりするシャイなお茶目師匠だ」
「へえ」
詳細の説明は省くことにした。詳しく話したところで、腕輪が勇者の剣と一緒に安置されていただの勝手に飛来してきて手首に嵌まっただの信じられるはずもない。実際に同じ光景を見てきているリュータだからこそ、師匠が目の前に出てこなくともその存在を納得してくれたようなものだ。
「リュータ、ほとんど寝れなかったろ。集めてた枝は束ねて持ってきたけど、朝までもうしばらく休んでいくか」
「え、大丈夫だよ。ぜんぜん平気」
首をぶんぶん振って否定する様子は、明らかにこちらに何かを悟られないようにしている。まだ疲れてんだろうな。それならゆっくり進もうかと提案すると、それもまた大丈夫だからと拒否されてしまった。レツがにやにやと、こちらに耳打ちしてくる。
「ユウジさあ、分かってねえなあ。リュータの性格なら自分が休まされるよりおまえが「もう歩きたくないから休もうぜ」って言う方がぜってー大人しくなんだろ」
それもそうだ。そんなことはレツに指摘されるまでもなく分かっている。分かっていた。
「荷物、おれが持つから。行こ、ユウジ」
こちらを見て一瞬俯いたリュータが、荷物と剣を担いで先に進み始める。後を追う形で、遅れてレツとついていく。
前方のリュータと自分を交互に見比べたレツが、大仰に溜め息を吐いた。
「あーあ、こりゃ要介護ってやつかあ」
「何の話だ?」
「べーつにー」
後頭部を掻いて、レツが前を歩くリュータの背中を見据える。
「違ってたらいいんだけど。あの勇者様はさ、親しい相手が魔物に囲まれてピンチかもって時に自分は寝てたとか、結局あんま役に立ってねえとか、そういうの気にするクチじゃねえ?」
「……それがよそよそしい原因だって?」
「さあなー。よそよそしいってか拗ねてるってか、ありゃ自己嫌悪じゃねえの」
いるんだよなあおれの知り合いにも、変なとこ気にしてすぐ自己嫌悪に陥るやつ。レツが処置無しと肩を竦める。
「なあ、ところでさっき言ってた師匠。名前は?」
「そういや知らねえな。大賢者様と呼べとかなんとか偉そうにしてるけど」
名乗らなかったから訊ねなかったし、呼び名は師匠で事足りた。名を訊ねるよりひとつでも多く魔法を習得しておきたいと逸る気持ちもあって、腕輪の精も同然となっているあの手のひら賢者は「師匠」のままである。
「大賢者様……か」
んー、と頭を捻って、レツが眉を顰める。
「それ、あんま言わねえ方がいいって師匠さんに言っとけよ。なんか最近変なやつら多いから」
「変なやつらって?」
変な、といえばレツも充分変なのだが、そこは今茶々を入れるものではないだろう。
「大賢者の肩書きを名乗る魔法使いを排除するとかいって活動してる過激派? っていうの? がいるんだよ。今は中央都市あたりを活動拠点にしてるっぽいけど、ユウジもリュータも港から中央都市に向かうつもりなんだろ?」
「まあそうだけど、そんなら大丈夫だろ。あの人徹底的に人前に出ようとしない引きこもりだし」
オレしか居ない時にしか来ない自称大賢者が、過激派に狙われるはずがなかった。狙われたからといって、腕輪から出たり入ったりする手乗り賢者を捕まえられるとも思えない。
「大賢者に引きこもりって」
「偉そうにしてるけど、たぶん内弁慶なんだろうな、師匠は」
吹き出したレツにつられて笑う。くだらない話に流れていく会話を続けながら、前を歩くリュータのことが気になって仕方がなかった。
港町に着いたのは、それから二日が過ぎた昼のことだ。
リュータの降下した機嫌はその晩だけだったようで、翌日の朝食時にはすっかりいつもの調子に戻っていた。
結局、レツの居る間は一度も師匠は顔を出すことがなく、魔法のスキルアップ講座も一旦休止になってしまっている。
中央都市への船の運行状況を調べて、午後には一番早い船が出ると分かると、レツがじゃあこの辺でお別れだなと笑った。
「おれももうちょっと一緒に行きてえけど、いいや。どうせまたすぐ会えんだろ」
山道と森の中を同行しただけだったが、それでも彼の人を魅了する引力のようなカリスマは強烈だ。ここで解散と言われて別れを惜しむくらいには、頭がもう彼を友人だと認識してしまっている。
「そうか。じゃあな」
すぐに仲良くなっていたリュータは輪をかけて離れがたいことだろう。彼が惜しいと言わない限りは、自分が口を出すことではない。自分の隣に立つリュータは、手を振るレツに何かをアイコンタクトで伝えようとしているのか、始終しかめっ面をしていた。気付いたレツが意地の悪い笑みを浮かべる。
「リュータ、次会う時までに進展させとけよー、じゃねえとおれが掻っ攫ってくぞ!」
「……だっから! 言うなって言ってるだろ!」
「だっはっは! じゃーなー!」
リュータが吠えるもレツは動じない。かんらかんらと笑いながら、お騒がせな少年は大斧を背に町の方へ踵を返した。
彼の背中をなんとなく二人無言で見送って、それから船着場で次の船を待つ。船の中に購買や寝床もあるらしく、特別この町での買出しの必要もない。
「台風みたいなやつだったな」
「ほんとにね……」
さんざん振り回されていたリュータが、どっと疲れた様子で肩を落とす。
「……なあリュータ、レツの『進展』とか『掻っ攫う』とか、何のことを言ってるんだ?」
三人から二人に戻る時というのは、話題がなかなか見つからないものだ。何気ない会話から切り出してみようと口をついて出たものが、まさか二人きりの時には避けたい話題に繋がるとは思わなかった。
「そ……の、おれの」
「ん?」
リュータが視線を泳がせる。しばらく彼が逡巡するのを黙って待っていると、観念してぼそぼそと続けた。
「おれの、大切なひと……のこと、だと思う」
「……あー、そう、か」
好きな子に早く告白しないと、レツが横取りをすると脅しをかけているんだろう。後押しをしているだけのように見えるが、当事者にはそうは思えないのかもしれない。
レツが手を出せる子。ということは、この世界の女の子なのだろうか。好きな異性がいるかもしれないとは思っていたが、それもてっきり自分の知らないリュータの通う中学の同級生かと思っていた。
彼と、この世界に居る限りは、リュータを手放すのはまだ先だろうと漠然と、考えて。
「でも、言えないよ。困らせるの分かってるから」
最初から言うつもりなんてない。けど、その人が他の人と仲良くなるのを黙って見ているだけでいられる自信がない。
波風に掻き消えそうな声で本音を打ち明けるリュータは、知らない顔をしていた。
「だから、もしどうしようもなくなったら、おれ、その人のいない場所に逃げるしかないんだ。でないと、ほんとに何するかわかんない」
彼が視線を落として、表情も見えなくなる。
親離れされる心境だとか、寂しいとか、そんなものは自分の都合だ。可愛い弟分が恋に悩んでいる。それなら役には立たなくとも、話を聞くくらいのことはしてやるべきではないか。
おまえさ、この世界の女の子好きになって、それでうまくいったりしたら、もうあっちには帰らないつもりか。
訊けるわけがない。
「発破かけられても動かないって、そんだけ相手のことが大事なんだろ。自分のタイミングでいいんじゃねえ?」
「……うん」
俯いたままの彼の髪を撫でる。跳ねた癖っ毛が手のひらの下でしゃくしゃくと音を立てる。
応援するぜ、とまでは、流石に言えなかった。
----------
「あ、そうだ、あいつの好きな紅茶買ってってやろ。焼き菓子はあいつの作るやつのが美味いし、土産は紅茶と……、終わったら、あれ片付けといてやるか」
そういえば、もう長いこと会っていない気がする。怒るというより拗ねているだろう「あいつ」の顔を思い浮かべて、さてどうやって機嫌を取ろうかと策を巡らせるのもなかなか面白いのだ。
斧を担ぎ、そのまま町に戻っていった少年が楽しげに土産を物色し始めたことは、誰も知らない。
----------