act.16
「へえ、勝つつもりでいんの。……その目、もし戦闘になっても相討ちに持ち込めるくらいの秘策はあるって感じだな」
レツが手にした斧を肩に担いで、一歩こちらに歩み寄る。
「やっぱユウジ、おれおまえが欲しいわ」
「渡さない」
「さっきから殺気やべえなリュータ。……ああ、聞いてたか? おれが魔王を倒した旧勇者だって話」
壁を壊してやってきたリュータが、その話を立ち聞きできていたはずがない。その話題は明らかに挑発だ。間違っても彼が我を失って突っ込んでいかないように、リュータの左腕をそっと掴む。
一瞥して、レツはまあいいか、と肩を竦めた。
「この場は一時休戦にしようぜ。そういやめちゃくちゃ帰り待たせちまってるやついるし」
魔王級の力を持った最悪の敵が戦う気をなくしたらしいと知って、内心安堵する。この場で戦闘になれば、リュータはまず遅かれ早かれ天使化を余儀なくされる。そしてそのタイミングで蘇生・回復の要である自分の方に集中攻撃が来ればこちらの敗北は確定だ。逆に、自分がレツの攻撃さえ防げればリュータの天使化はレツとは互角か、それ以上に渡り合えるだろうと践んでいる。そうはいっても危険な賭けであることに変わりはない。
「そうだ、退く前に聞いときたいんだけど。魔王と会ってどうする? 倒すか?」
踵を返しかけたレツが立ち止まって、何気なく投げかける。
「倒せばどうなるか、分かってるか?」
その問いは自分ではなく、リュータの方に向けられているようだった。
「そっちの天使――リュータなら知ってるはずだぜ。一回見てるもんな? ……代替わりの瞬間を」
「……まさか」
それまで無言でレツを睨んでいたリュータが、そこで顔色を変える。
「そのまさかだ。世界には魔王が必要なんだよ。そして魔王に永遠の治世をさせないために、定期的に勇者が召喚される。召喚はほとんど自動だ、おれたちゃやってねえ」
どの地域からとかどんなやつをとかある程度絞り込むくらいはできるみてえだけどな。続けられる言葉で、師匠から引き継いだ情報が補完された。
彼の話が本当だとするなら、勇者になる運命が願いによって決定付けられたリュータと同時に、自分もお荷物同然の状態で呼び出された、理由は。
「勇者が魔王を倒せば、その場で魔王の役割は勇者パーティの誰かに引き継がれる。基本的には、勇者として召喚された人間へ。そいつが拒めば、そん中で一番強い奴に。引き継ぎにあたって一個だけ、魔王を継いだやつは願いを叶える権利が与えられる。勇者と魔王のシステムを壊さない範囲内で、何でも好きな願いが叶うんだ」
師匠はおそらく、ウリエルには何も話していない。リュータにとっては疑問に思いながらも手が届かなかった答えの数々を今、よりによって想い人の仇と言える相手から聞かされていることになる。
「……願いの代償は、故郷へ帰れなくなることと、異種族や新たな勇者に諸悪の根源として倒される運命が決定付けられることってわけだろ」
レツの話を遮ると、彼は気分を害した様子もなく笑って、話が分かるやつで助かるぜ、おれ説明へったくそだからなあ、と頬を掻いた。
「その上で、もう一回聞く。リュータ、ユウジ。おまえらは魔王を倒すか?」
「……魔王ってのは、レツ、おまえのことか?」
「ちげーな」
何も答えられなくなっているリュータの代わりに聞き返せば、レツが小さく首を振る。
「じゃあ、おまえは拒否したんだな」
「……仕方ないかって思ったんだ」
溜め息をついて、彼は話し始めた。
「魔王は、本当は何の罪もない一般人で、おれたちみたいに普通に誰かの家で生まれてきて、普通に育って、ほんのちょっとの勇気を振り絞って、世界を変えようと――変えられると信じて戦った人だった。でもそんなこと知らずに、悪役として倒しちまった」
だからおれの番かなって、最後の最後、引き継ぎの時にちょっと諦めちまって。おれらしくなかったよ。
「けど、あいつが――今魔王やってるあいつがさ、代わりたいって言ったんだ。この世界のことはこの世界の人間がやらなきゃいけないから、レツは元の世界に帰ったほうがいいって。あいつが全部持ってったんだ、本来おれが抱えるべきだったもの、全部」
あいつ、というのはおそらく、彼と一緒に旅をしていた仲間のことだろう。自分とリュータのように、師匠とウリエルやダイゴのように、こちらにやってきた日本人と対になるように「運命的に」組まされた相手が、レツにも存在した。
「すっげえムカついた。だから意地でもここに残って、あいつと一緒に死んでやるって思った」
言葉とは裏腹に、レツの声色はまるで恋人の短所でも挙げているかのような優しさをはらんでいた。
彼もまた、この世界の理不尽な仕組みに取り込まれただけの人間なのだ。
「おまえらが魔王を討伐するなら、……おれの敵だ」
そこまで言い切って、リュータによって壊された壁の方へ歩き出す。肩越しに彼がにへ、と笑った。
「北の魔王城、戦うんじゃなくて遊びに来るんならいつでも歓迎するぜ。おれはユウジのことは気に入ってるんだ。……ああユウジ、敵として来るんでも遊びに来るんでも、今度はさっきの続きしような」
その言葉を呑み込み切る前に、レツはその場から居なくなっていた。
ん? まてさっきの続きって。オレ今度あいつに捕まったら終わりか。あらゆる意味で。
「ユウジ」
やはりレツは嵐そのものだ。やっと訪れた静けさの中、リュータに声を掛けられて掴んでいた手を離す。
「ああ、リュータ。来てくれて助かったぜ。ありがとうな」
「あいつに、何されたの」
「……いやー、特に何も」
「服」
いくら単純なリュータ相手といっても、流石にぼろぼろのこの状態で誤魔化せるわけがなかった。乱れた衣服をとりあえず整えながら、どう説明したものかと頭を悩ませる。
飛ばされた先で見た目十五歳の男に襲われてました、と馬鹿正直に答えるのはいかがなものか。自分と「ユウ」を重ねて見ている彼からしてみれば想い人が暴漢に遭ったようなものだ。レツの言葉をそのまま鵜呑みにするなら、師匠が魔王だった頃の外見は自分と瓜二つらしい。リュータの過保護が加速するのも無理はない。
「殴り合いの喧嘩や戦闘じゃ、こんな脱げ方しないよね」
「あー、ほら、なんだ、特に他意はなさそうだったっていうか。レツも味見とかなんとか言ってたろ」
「こんな、」
今にも泣きそうな顔で、彼が抱き付いてくる。自分の目線よりも少し低い位置、胸元に彼の頭がぶつかった。
「簡単に、ほかのやつに取られるの」
言葉尻が震えていて、いつものように髪を撫でていいものか逡巡する。
「おれのほうが、ずっと――」
「リュータ」
彼の言葉を遮って、顔を上げるリュータにできる限り自然な笑みを見せた。
「それは、好きなやつに言ってやれ」
「……おれ」
応援している体をとって、その先を聞きたくなかったのが、本音だった。
「大丈夫だ、その辺、オレがなんとかするから」
おれのほうがずっと、好きなのに。
遮った言葉の続きは間違いなくこれだ。これまで長いこと二人でいながら、リュータは自分の向こうに別の誰かを見ていたなんて、それを再認識させられる言葉なんて、平常心で聞いていられるだろうか。
東国を目前にして、自分とリュータはどうやら自然発生した転送トラップに引っかかったらしい。
リュータは北方山脈麓にとばされていたらしく、嵐のせいで戻ることもできなかったのだそうだ。この遺跡はどうやら北方山脈手前にあるようだが、遺跡の外では雨が降っていたなど気付きもしなかった。
いったいどれくらいの長い時間を人魚との戦闘に費やしたのか、それとも時空間移動の弊害か、時間の経過自体が狂っていたのか。
自分が遺跡に飛ばされている間、リュータは山脈麓で出会った親切な魔法使いに、雨が止むまでうちにおいでと家に招待され食事までご馳走になっていたという。この魔法使いホイホイが。
ともかく、そこで世間話をしながら食事をとり終えた頃に偶然雨が止み、魔法使いに「思い描いた人の元に飛べるスクロール」を貰ってこちらに飛んできたということらしい。
スクロールと言っても一般的な紙に書かれたものではなく、赤い色の宝玉だ。中央都市で大賢者の躯に埋め込まれていたコアに似ている。聞くところによるとこのスクロール――コアスクロールとでも呼んでおこう――に込められた魔法は瞬間移動ではなく高速飛行の魔法のため、天候が悪かったり障害物が多かったりするとうっかり死にかける。それゆえその魔法使いは移動手段を知っていて雨が止むまで引きとめたのだろう。
それでもあちこち突っ込んで破壊しつつも、自分は無傷で遺跡の壁まで突き破ってやってきたあたりこいつの頑丈さは改めておかしいと思う。
親切な魔法使いと言ったが、この頑丈さまで見越してコアスクロールを寄越してきたのだとしたら良い性格をしている。本当に。
「ユウジ、ここどこ?」
「北方山脈から少し南下したあたりだな。東国よりは中央都市の方がまだ近い」
「どうしよう。スクロールはもう使えないし……」
遺跡内の魔物を二人で蹴散らしながら彼の空けた穴を通り、外へ出る。
「ごめん。こんなに近距離だったなら、使わないで自力で来た方が良かったよね」
「いや、その時点ではお互いの現在地すら分からなかったんだからあれで正解だ。戻る方法は別に考えるさ」
徒歩で中央都市まで進みながら、東国へ移動する手段を考えるのが現段階では最善か。策が浮かばなくとも、中央都市からなら馬車なりなんなり使えるだろう。
ここから中央都市まで概算で約四日。中央都市からは別の移動手段があるとして、馬車なら東国までは一日だろうか。五日間をかけて戻っても、またあのトラップに引っかかって飛ばされるのでは堂々巡りだ。
こう何度も戦力分散されてしまってはたまったものじゃない。今後のためにも、離れた全員が同じ地点に集合できるようなアイテムを作っておく必要があるかもしれない。たとえばそう、リュータが先ほど持ってきた使用済みのコアスクロールとか。
「リュータ、今日はちょっとどこかで早めに休まないか」
「え、うん。いいけど……」
あの脱出魔法を改良して、誰にでも使用できるような状態でスクロールに込めるというのはどうだろう。この空になったコアスクロールは別の魔法を込め直せば再利用できそうだ。他にも紙媒体でスクロールが量産できるならそれに越したことはない。
幸い、手荷物には以前買い溜めした未使用スクロールの束がある。スクロールの生成方法を調べて応用できれば、誰にでも使える大賢者のオリジナルスペルスクロールなんてものも作れるだろう。
まずは、脱出魔法の改良で東国まで飛べるかどうか。野営の準備をリュータ一人に行かせてその隙に師匠と話せれば、ヒントも貰えるかもしれない。
茂る木々の合間、野営に手近な平地に出る。じゃあ水と、何か食べれそうなもの取ってくるね、と思惑通り出てくれたリュータを見送りながら、その場に腰を下ろした。
「師匠、出てこれるか」
「……へーへー、次は何だ」
彼と話すのは情報の受け渡しをして以来になる。変わらず出てきたことに安堵しつつ――何せ幽霊みたいなもんだ、まだ知恵を借りる必要があるというのに勝手に成仏されては困る――今、またしても強制単独行動させられかけて東に徒歩で向かっていることを手短に話した。
「相談したいことがいくつかある。ひとつめは、ここから東への魔法を使った移動だ。脱出魔法改造のアドバイスをくれ。徒歩と馬車で計算しても五日かかるのは、正直時間が惜しい」
レツの言葉からして、魔王側にもなにやら思惑がありそうだということと、さほどのんびりしてもいられないということが分かる。できる限りこちらでも、対抗できる手段と伝を得ておきたい。ノアをはじめとする大賢者ファンクラブの人手はいつでも使えるようにしておくべきなのだ。
「改造な、時間さえあればまあできるだろ」
「ふたつめが、東国の呪いについてだ。世界の呪いっていうやつらしいが、どうも呪いの性質を調査すればするほど「感染」しやすくなるようになっているらしい。オレは東国の呪いを解いてやるつもりでいるけど、それでオレが感染してちゃミイラ取りがミイラだ。もしそうなった時のために、できれば師匠が単独で動けるようにしておいて、非常事態にはオレの代わりに師匠に動いてほしい。……何か、よりしろがあればこう、乗り移ったりとかできるかい?」
「あー……可能っちゃ可能だけど。この間もやったしな」
「は? いつ」
「いやあ、オレ様あれだろ、幽霊みたいなもんだろ、この間中央都市でおまえさんが死にかけた時にちょっくら身体拝借して魔法を」
「……大賢者に間違われたの確実にそれが原因」
「わ、悪かったよ」
何がやっかいごとに恵まれている、だ。手のひら師匠をにらみつけると、彼は居心地悪そうに露骨に目を逸らして続けた。
「そんなわけだからおまえさんに乗り移るのは可能だが、残念ながら他人に対しても同じようにできるとは思えない。無機物も、この腕輪以外はアウトだろうな。やっぱおまえさんの体じゃなきゃ思うように動かせないと思うぞ」
それができれば今頃自由に動ける体を調達しているということだろう。これは今度こそ詰んだかもしれない。
「マジか……それじゃオレが呪いを受けたら師匠もアウトかよ」
「そんな暗い顔しなさんなって。オレはまだ他人に乗り移ることはできないって言っただけだぜ。おまえさんの言う、その呪いってのは何のことだ? 効果や症状は?」
「ああ、えっと……ゲームのバグみたいな、っつって通じるかな。感染した人間の体の一部がノイズがかって透明になって、時間経過とともに透明になる部分が増えて最終的には消滅する、って感じなんだけど」
「時間経過とともに消滅……」
続けてこちらが分かっている世界の呪いについて、東国の背景事情と実例込みで共有する。師匠は苦い顔で返してきた。
「本当おまえ、引きがいいよな。やっかいごともやっかいごと、そりゃあたぶん大賢者であるオレ様が生前解決しようとしてできなかった――勇者ダイゴを殺した呪いだ」
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あの日、不思議な黒い服装で自在に剣を操る勇者に近付いたのは、単なる好奇心だった。
そのころの自分はそれなりに魔法の細工が得意なだけの一般市民で、人間優勢の時代、どれだけ努力しても一定ライン以上に出世のできない魔人族の生まれを嘆いて、道ばたのがらくたに魔法を込めただけのマジックアイテムを売っては日銭を稼いで飲み暮らす生活を続けていた。
見た目は普通の体格をしているのに、その腕で操るには大きすぎる大剣を振り回す勇者に興味が湧いて、ただの飲んだくれだった自分は昼間から酒を呷った勢いで彼に接触したのだ。
「兄ちゃん、その得物でっかいねえ。その体のどこにそんなん振り回す力隠してんの?」
「うわ酒くさ」
思いっきり正直に勇者が顔をしかめたのが酔っぱらいには面白くて、食らえアルコール臭、とその横顔に息を吹きかけてやった。後々素面で思い返せばなかなかめんどくさい絡み方をしたものである。ぎゃあ、と声を上げた初対面の彼と二人で笑い合って、それから勇者は笑い混じりに答えを出してきた。
「この世界はいいよな。仕様さえ分かってれば、ちょっと細工するだけでスーパーマンにだってなれるんだからさ」
それは自分の最初の疑問に対する答えであって、謎かけでもあった。生来小難しいことを考えて一人で結論を出しては満足するのが趣味だった自分は趣味が高じて魔法使いになったのだが、その性分をうまくくすぐる言い回しにずるずると引き寄せられていったのだ。
いつの間にか勇者ご一行の仲間に加わって、魔王討伐の旅に参加することになって。謎多き勇者は秘密をもったいぶることなく、出身から元々の職業、歴代の恋人の数までこちらが訊ねたものはすべて答えてくれた。それでも自分にはまだ彼が謎のかたまりに見えて、着々と彼に傾倒していくことになる。
勇者ダイゴの全てを知りたい。その想いは執着にも似ていた。酒の飲める彼と旅の途中、安っぽい酒屋で飲み交わすことも多かったが、ある日うっかり、旅仲間としての一線をわずかに踏み越えてしまった。
異世界からやってきたダイゴは故郷では、かなり雇用環境の劣悪な職場に勤めていたらしい。人間と魔人族という種族差別のない世界のはずのそこで、話を聞く限りだと昼も夜もない奴隷のような就労をさせられていた彼は勇者としてこの世界に呼ばれたことを楽しんでいた。
ことあるごとに冒険の終わりに元の世界に帰らなければならないのが憂鬱で仕方ないと冗談めかして笑っていた彼に一度、言ってしまったことがある。
「そんならさ、もう帰んねえで、ここに住んじまえばいいんじゃねえ?」
最早半分口癖のようになっていた「帰りたくない」という愚痴にこちらが乗ってくるとは思わなかったのだろう。ダイゴはきょとんと目を丸くして、それから苦笑した。
「いいな、それ。おまえと二人で、どっか家でも借りて住もうかな」
「おう、いいんじゃね……いやいやなんでナチュラルにオレがおまえと同居することになってんだよ」
「あれ、嫌か?」
「……嫌、じゃ、ねえけど。急すぎんだろ」
お互いに本音を打ち明けることのない、気まぐれに触れるだけの関係を持つようになってからずいぶんな時間が過ぎた頃のことだった。言葉こそなくともそれ以上の想いを向けてくれているのかもしれない、この時、そんな期待を抱いてしまった。
「それもそっか。その前に世界平和と平等な社会作りだよな。うまいとこ平和になったら、またそん時考えよう」
彼に夢中になるあまり、その時既に自分は盲目になっていた。常に全体を把握して真実を見据える役回りであったのを忘れて――彼が最初に謎かけをしてきた、「仕様さえ分かってれば、ちょっと細工するだけで」という言葉の真意を探るのを無意識のうちに放棄してしまっていたのだ。
彼の強さは、この世界の成り立ちに関わるような根幹に首を突っ込むことで保たれていたのだと、本当の意味で理解したのは、突然彼が戦いの最中で消えてしまった時だった。
彼と触れ合う夜、自分ばかりが脱がされてダイゴは肌を見せようとしなかったのも。少しずつ、肌の露出を隠すような装飾を彼が旅の装備に加えていったのも。あとほんの一歩だけ、彼の懐に踏み込めていれば気付くことができたのに。
ダイゴは始めから、自分たちを置いていくつもりで全てを隠しきっていた。
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