act.12
探索が難航することはなかった。道なき道どころか右三歩先の木に突っ込めだの岩に全力でぶつかれだの、まるでバグ探しのような非正規ルートを指示される通りに進まされることを「難航しなかった」と表現していいのかは微妙なところだが。
森の見た目をした迷宮の端にやっとの思いでたどり着いた途端、師匠は再び腕輪の中で沈黙してしまった。彼が居なくなったということは、本格的にこの結界の術者の近くまで来ているのだろう。
思えば魔法使い同士の戦闘などここまで一度も経験してない。旅路ではもっぱら魔物相手の戦闘だったのだから当然ではあるが、同じく魔法使いが相手となると騙し合い、化かし合いの戦闘になるだろう。漫画やゲームの常識がそのまま適用できるなら後衛は知識量を武器にするもので、小細工の得意な者が勝利する。リアルラックに自信がないのなら気合いや熱血でどうにかなるとは思わない方が良いのだ。
戦闘経験の浅い自分と、師匠に熟練と言わしめる敵。真っ向から戦っても勝ち目がないのは目に見えている。こちらの攻撃魔法も、対属性で相殺されてしまったら打つ手なし。いっそ奇襲を仕掛けて、魔法を放つより物理攻撃する方がダメージを与えられそうだ。
幻覚だらけのこの結界内で、手頃な石や木切れが手に入らないか。駄目元で探そうとして、背中に背負った重たいお荷物を思い出す。あったよ鈍器。勇者の剣。
装備して戦うことはできないにしても、投げつけるくらいはできるのではないだろうか。
背中から剣を下ろしてみる。重たいが、両手で投げられない重量ではない。ストーリー重要アイテムは壊れないと相場が決まっているのだから、少々手荒に扱っても問題ないだろう。
敵に見つかるより先に自分が相手を見つけ出し、背後から投げつける。または後頭部に向かって振り下ろす。単純かつ実用的な作戦だが、殺人を企てる推理小説の犯人のような気分だ。勢い余って殺人犯になってしまったら、身動きが取れないように拘束したのち蘇生呪文をかけることにしよう。敵とはいえ流石に寝覚めが悪い。
勇者の剣を少々引きずるようにしながら周囲を探る。といってもあまり現在地から離れすぎると、せっかくたどり着いた結界の端からまた内部に迷い込んでしまいそうだ。
自分で迷わずに端へ戻れる範囲内をあらかた探し尽くし、師匠の案内が正しかったのか疑いたくなってきたところで、先ほど自分が師匠に案内されて最初にたどり着いた地点に人影が見えた。自分と入れ違いに現れたのだろうそいつは、明らかに怪しげなフードで何やらぶつぶつと呟いている。呟きに耳を傾けると、意味を成さない言葉の羅列――何かの呪文を声にしているようだった。
たぶんあいつが術者で間違いねえ。奇襲作戦を企てておきながらまさか術者本人ですかなどと面と向かって訊きに行くわけにもいかない。……間違っていたら素直に謝ることにしよう。
防御姿勢を取られるか避けられる前に攻撃に出ることができる距離までは慎重に詰める。まだこちらには気付かれていない。いける。勇者の剣を抱えて標的まで走り出し――、爪先が木の根に引っかかった。
あー!
ああー!
ばかやろー!!
足下を確認しなかった自分から重要なところでステータスのラック値を下げてくる運命の神様、挙げ句地面から元気に突き出ていた木の根にまで一瞬で恨み言を列挙しながら地面に顔からダイブする。受け身が取れなかったのは自分の反射神経のせいだが、どれだけ上手い受け身を取ろうとも転んだ時点で既に奇襲は失敗である。
そして前述のとおり、戦闘になったら勝ち目は無い。こうなったらどうにか取り入って隙を見て逃げるしか。地面にしこたま打ち付けた額を押さえながら顔を上げると、目の前にフードの男がやってきていた。
「お怪我は?」
「……えっと、ないです」
フード男が顔を見せる。ものすごい美男子だった。ヴェルターと比べるほど堅物ではなさそうだが、口元がへの字に引き結ばれている。耳の先が尖っていることからして、人間ではなく魔の血が流れた者なのだろう。銀髪に紫の目、理知的な美形で紳士的ときた。こってこての定番要素を凝縮したファンタジー的イケメンは、真面目な表情でこちらに手を差し伸べてくる。
特に他意はなさそうである。警戒しながらもその手を取ると、まるで深層の姫君でも相手にしたかのような所作で引き寄せられた。
「やはり生きておられたのですね、大賢者様」
あっこれ勘違いされてる方だ。大賢者の秘技を盗んだ悪者と見られるよりはましかもしれないが、ここでへたに誤解を解こうとすれば一気に扱いが逆転するだろう。
「幾千、万年の長い時の間、お帰りをお待ちしておりました」
流れるように回復魔法をかけられて、転んで擦りむいた顔と膝はあっという間に完治する。
「あ、ありがとう……?」
「いえ、差し出がましい真似をいたしました」
確かに自分でも治癒は可能だ。しかしMPの節約を考えると、やってもらって悪い気はしない。
「今でも貴方をお慕いしております者達の元へ、お顔を見せていただけないでしょうか」
へりくだった言葉で訊ねられてはいるが、後衛にしては強い力でがっしりと掴まれた手が離される様子はなく、拒めそうにもない。自分一人で反社会組織の本拠地へ進むことになったが、自分達の当初の目的は本拠地への潜入である。リュータ達が自分を捜すよりも先へ進むことを優先してくれていれば、そこで合流もできるかもしれない。
「ああ、……オレでいいなら」
「我らの拠点へ貴方をお連れすることができて光栄です」
イケメンが笑うとさらにイケメンだ。いかにもなファンタジー世界の住民感漂う見た目のおかげで現実離れしていて、その外見に妬ましさ感じなかったのは良かった。
「中央都市にて拝見した大魔術、感服いたしました。あのお姿を見て我らの同志となった者も現れております。こちらへご足労くださっていると知り、僭越ながらご案内に参った次第」
手を引かれながら、結界の端で一歩踏み出す。外に抜けたのだろう、周囲の景色が森から一瞬にして岩山に変わった。
前を歩く男は、直接お迎えする権利を巡って口論になりかけたほどだと心底嬉しそうに語っている。
そういえば男の名前を聞いていないが、師匠と彼が知り合いだったなら自分は彼について知っていないとまずい。この場で名前を尋ねるより、周囲の人間が彼を呼ぶのを注意深くチェックしておくか、一時でも一人になった際に師匠を呼び出して確認する方がいいだろう。
岩肌のむき出しになった山道をしばし歩いたかと思うと、男は岩壁に向かって手を突っ込んだ。
左手はするりと岩の中に溶ける。結界の時と同じく、入り口がカムフラージュされているということか。
「こちらです」
男に案内されるまま、通過できるようになっている岩の中に入る。中は洞窟ではなく、現代的な作りに近い構造になっていた。特撮なんかで昔見かけたような秘密結社風だ。
「いつかお戻りいただいた時のためにと貴方のお部屋も用意してあります。お疲れでしょうから、本日はお休みください。皆へは明日まで待つようにと伝えておきましょう」
まるで自分が悪の結社のボスにでもなったかのような気分だ。できるなら長居はしたくないが、一人になれるのはありがたい。この状況を上手く利用すれば、当初の目的であった情報収集も容易に行えそうである。
入り口から伸びていた直線の通路を進む。突き当たりの両脇に魔法陣が配置されていた。部屋まで案内をしてくれるらしい男が、右の魔法陣の上に乗る。続けて魔法陣の内側に足を踏み入れると、自分が習得している脱出魔法と同じ光が彼と自分を包み込んだ。
階段やエレベーターではなく、魔法陣を使って階層を移動するようだ。同じように三度ほど魔法陣を潜ってようやく、魔法陣のないフロアに行き着いた。戻りのための魔法陣しかないことを考えると、フロア入り口のすぐ正面にあるやたらめったら豪華な扉の先が「大賢者」のために用意された部屋なのだろう。
「このフロアはお好きなようにご利用ください。もちろん、拠点自体の構造や外観もお気に召さなければ改修が可能です」
「いや、今はいいよ。ありがとう」
「それでは、私はこれで。何かございましたらいつでもお申し付けください」
男が魔法陣を使って上階へ消える。その背中を見送って、目の前に輝く悪趣味なほど豪華な扉に触れた。
自動ドアというより幽霊屋敷の入り口のように、ゆっくりと扉が開く。魔法で動かされているのだろう、部屋の中はお高そうなホテルっぽい見た目――ではなく、まるで図書館だった。
寝台はある。椅子と机もある。ただしそれ以外のスペースは全て本のために使いましたと言わんばかりの一面の本棚、本棚、棚に入りきらず箱にまで詰められた本の山。中に入って見てみると、どうやらこの本の山はほとんど魔法に関する書籍のようだった。
魔力と命の相互関係。魔王による祝福と魔法。タイトルをざっと見ても、そこらの町の本屋や図書館なんかよりずっと自分の知りたい内容に近い。
そこでふと、なんとも言いようのない悪寒がする。
ここまで何も疑問を抱かなかったという事実が恐ろしくなったのだ。
……そういえば、自分は。
この世界に来た時には、こちらの文字が読めなかった。
特に誰かに教えられたわけでもない。魔法の学習に手一杯で、こちらの書き文字を学ぶ暇などなかった。
なのにいつの間にか、宿の宿泊料金や道具屋の端書など複雑な文章でなければ問題なく読めるようになっている。
自分が扱える言語と言えば日本語と、中学から受験で勉強漬けになった英語と、大学で習いかけの独語、仏語。どれもこの世界の書き文字の文法とは少しも似通っていないはずである。
「……あれ」
そうして元の世界での言語と比較しようとして、愕然となる。
慣れ親しんだ日本語や英語はともかく、独語と仏語が全く思い出せなくなってしまった。
確かに習い始めではあったから、期間が空けば語学力が劣ることはあろう。しかしこの世界で旅を始めてまださほど時間は経っていないというのに、文法どころか独語、仏語での数字の数え方、試験勉強で覚えさせられた単純な自己紹介さえできなくなっている。
魔法だってそうだ。
選ばれた勇者でもあるまいし、一般人にいきなり魔法が使えるとは思えない。現に、最初のダンジョン探索の時には炎さえ出せなかった。
魔力こそスマホのステータスガジェットには微量ながら表示されていたが、魔力の素質があるからといってすぐに魔法が使えるのなら今頃世界は魔物一匹いない時代になっているはずである。
何かに。
すこしずつ、侵食されている、気がする。
「……なあ師匠。そろそろ出てきていいんじゃねえの」
薄ら寒い疑問は、いくつかの仮説と確信へ導いた。
これは仮説ではあるが、こちらに召喚された現代の人間は、この世界に都合の良い思考に向かうように矯正されているのではないか。
召喚された理由や、役割に沿って。
自分は夢の世界を楽しむことから、元の世界へ戻ることへと目的が移っていった。
リュータさえ無事に連れ戻せるならこの世界の住民がどうだろうと無関係のはずなのに、こちらに生きる人々に感情移入して、困っていれば自分の手の及ぶ範囲でだけでも助けたいと思うようになっていて。
リュータは元々人助けが趣味みたいなところがあったからあまり変わりは無いかもしれない。むしろ彼が勇者だというなら天職だろう。けれど、それなら、自分は?
「師匠だな。……オレの中に入ってきてんの」
「この部屋で、そこまで分かっちまうか」
さっすが『研究者』。頭の回転は速いな。呆れ声で出てきた大賢者が苦笑を見せる。
「実は色々知ってんだろ。教えてくれよ、……教えろよ。オレが欲しいもの全部」
反社会組織の行動理由になる存在。裏コマンドを生成できる唯一の人物。中央都市で実験と称して町を滅ぼそうとする、民のことなど気にも留めないはずの世界の王に、反社会組織ごと目を付けられていると推測できる大賢者。
「あんたは、誰だ?」
恐らく今自分が接触できる者の中で最も、重要人物だ。それがほとんど最初から、自分と行動を共にしていた。
「オレは、おまえだ。……って言ったら、驚くか」
「……どういう」
「安心しな、オレ様の要素が加わろうと、恐らくおまえはおまえのままだ。むしろ吸われてんのはオレ様の方だな」
オレがいちいち説明しなくても、そのうち全部分かるようになる。そう言って彼が腕輪の上に立ち、こちらの顔に手を伸ばしてくる。
「まあ、でも、なんも説明しねえで尻拭い押し付けるのは悪いよな。……これが今、おまえさんに必要な分だ。持ってけ」
指先が額に触れ、僅かに光る。目の前がブラックアウトして、その場に膝をついた。見えている部屋の中の景色と、流れ込んでくる映像がぐちゃぐちゃに重なる。
映像の混線が次第に整い始める。焦点が合うと、見たことのない、社会人と思しき男性がプログラミング言語を紙に書いていた。
男性の隣には自分がいる。まるで外国語でも習っているような様子で真剣に男性の手元を見つめている。
場面が切り替わる。社会人の男性は、この世界でのダンジョンのひとつだろう神殿で何かを探しているようだった。再び場面が移り、男性はノイズの中に引き寄せられて。
暗転して、次に登場したのはリュータによく似た小学生くらいの少年だった。ものものしい雰囲気の城で、自分は少年に何かを尋ねる。少年が首を傾げる。彼は地上の存在ではないから、この「引き継ぎ」からは除外されたのかもしれない。もしくは、自分がただ単純に力を望んでいたからか。力の権限は自分に流れ込み、記憶が、データが、保存、保存領域が足りない、何かを捨てなければ全てを記憶できない、全てをこの手にしておかなければ勇者が、勇者、ゆ。
「おれは人間でも魔族でもないから、みんなの仲間に入れてもらえないんだって」
魔王の種が、腹の底に。
「おれが人間や魔族になれば、地上の生き物になれたら、みんなに怖がられたり、嫌われたりしないんだね」
自分が世界の王になりたいと思わなければ、自分の願いを叶えなければ勇者は召喚されない。それなら話は簡単だ、魔王の種を抱えたまま、オレはラスボスにはならない。魔も人も憎み合わない世界を作る。魔王が人類の敵であるという認識を改めさせれば良い。ダイゴのような犠牲者も、そうしたらもう出ない。ダイゴ。ダイゴって、誰だ。各国に友好関係を結ぼうとしばらく奔走した。のに。
「どうすれば天使を辞められるか、聞いてくる。おれ、これからもユウと一緒にいたいから」
たのむから、いかないでくれ。こわくてたまらない。魔王を屠ったその瞬間から何日も、何十日も、何百日も頭の中を犯し続ける膨大な情報量が、ああ、悟られたくない。おまえはこれ以上苦しむべきじゃない。守ったはずの存在から傷付けられて、血を流して、それでも憎みたくないと内側に原因を求めるような、こんな子供に、これを味合わせるわけにはいかない。そう思った途端、急に思考がクリアになった。
「どれくらいかかるか分からないけど」
「わかった。オレが爺になる前に帰ってこいよ」
「うん」
「……またな」
人になっても、魔になっても。
きっと人々の目は変わらない。
これまで通りの力が使えなくなれば逆に、遠巻きに迫害するのではなく、彼を捕らえようとする者も増えることだろう。
あいつの光が強すぎるから。
……オレの願いは。
少し寂しそうな笑顔で、少年が空に消える。炎の翼を広げて。
眩しかった。目に沁みる朝焼けのように。
「ウリエルに、無条件で勇者の資格を与え続けることだ」
おそれと、信仰は紙一重。彼以上の身近な脅威が現れれば、彼を恐れるものはいなくなる。自分が、少年以上の脅威となって民の前に君臨すれば。民は勇者を必要とする。彼を恐れ忌避していた者たちは皆、自分を恐れるようになって、勇者の力を永遠に、望み続ける。
勇者なら回復呪文も、ある程度の魔法も、武器の生成も習得できる。もしも彼が戻ってきた時に自分が生きていなかったとしても、自分と敵対することになってしまったとしても、再び石を投げられることがあったとしても、傷を癒すことができる。誰からも必要とされて、今以上に、身を守ることだって。
システムが作動するのが、なんとなく肌で感じ取れた。新しく呼ばれる勇者には申し訳ないが、倒されてもらおう。彼を永遠の勇者に据えるために。
世界に、勇者が二人。新たな異世界の勇者はまた、十歳前後の小さな子供だった。捻り潰すことなど容易なはずだったのに、何度殺そうとしても上手くいかなかった。
「いいぜ、オレを倒すんでも。魔王が居る限り、あいつは世界に必要な存在でいられる」
自分のこの身体が朽ちても、彼は勇者として選ばれ続ける。そして勇者は次代の魔王になるしかない。そうやって何人も、何人も、魔王は生み出され続けてきた。自分が願いと引き換えにイレギュラーにした彼を除いて。勇者は永遠に二人ずつ。彼は何度も勇者になる。もう一人は魔王になる。追加の勇者が召喚される。彼は勇者のまま、再び民の期待を背負って旅立つ。
「せいぜいラスボスやってくれや、悪逆非道の限りを尽くしてな」
だから本当は、自分が足掻く必要なんてなかった。
自分が魔王でい続けられれば、彼ともう一度、なんて、考えなければ。
「これがおまえらの望んだ、終焉だ」
彼と同い年くらいの少年が、怒りに満ちた表情で迫る。勇者の振りかざした斧を、かわすだけの力は残っていない。
頭を支配しかけていた臨場感から、急に意識が浮上する。
「……師匠、は」
自分の声で、完全に覚醒する。今見せられたものが全部本当に以前起こったものだったとしたら、自分のちっぽけな思いも決心も、とんだ茶番だ。




