第4話 流血の死霊少女
リオとハルキはキッチンにいた。
「このお茶缶を使ったんだけど……」
「ちょっと見せて」
ハルキがティッシュの上に缶の中に入っていたお茶葉を出して広げた。注意深く見るが、茶葉以外に別段変わったものは入っていなかった。
「だれかに変なものを混入されたってわけではなさそうだな」
「食器棚にあった他の湯呑と急須もキレイだったわ」
「やっぱり、ただの偶然か?」
「ホントにゴメンね。今度からよくすすいで使うから……」
あれ以来、リオのテンションは下がったままだった。よりによって、リオは家事ができるとアピールした直後だったし、サイテーよ。
「実は、幽霊の仕業だったりして……」
「やだっ、ハルキったら急に何を言い出すのよっ?」
リオは話についていけず、おかしそうに笑った。
「ほら、来る途中のガソリンスタンドで、隔離病棟の廃墟があったって言ってたろ」
「うん……。肝試しで人気の心霊スポットだったんでしょ? でも、もう取り壊されたって言ってたじゃない」
リオは残念そうな顔をした。
「あの時詳しい場所は聞かなかったけど、俺なりに考えたんだよ。どこに廃墟があったのかってさ。確かあのお爺さんは湖の畔って言ってたよな。それで、みんなが取り壊されたことを知らないで来てしまうってことは、最近までは廃墟があったことは確かだ。で、この別荘ってまだ全然新しい。それに周りと比べると開けてるし、新しく植えたような庭木ばっかりだ。ということは……」
「まさか、この別荘って隔離病棟を壊した跡地に建ってるの!?」
「あくまでも推測だけど……。ネットがつながれば調べようもあるんだけど、ここは山奥すぎて圏外だからね」
「あのさ……隔離病棟って、昔、伝染病とかの人を閉じ込めておいたところよね……」
「伝染病のワクチンや治療法が見つからなかった時代の話だからなぁ。でも今だって、エゾラ出血熱とかだと隔離病棟に収容されてたよ」
「フーン、ということは、昔、苦しんで亡くなられた人が大勢いたんでしょうね」
「そう……、その浮かばれない幽霊が、深夜になると地下からさ迷い出てくるかもしれないぞ~!」
ハルキは顔を歪めながら大げさに言った。
「フフッ、ハルキったら、リオがヘマして落ち込んでたから、気分転換で元気づけようとしてくれたんでしょ? リオはそんなの平気だよ。だって、心霊スポットの話を聞いた時だって、すぐみんなで見に行こうって思ったくらいなんだから」
リオがあっけらかんとして言うと、ハルキは神妙な顔をしていた。
「なんか聞こえなかった?」
「もうリオは大丈夫だって――、えっ、マジなの?」
ハルキはコクリと頷いた。
リオとハルキは静かに耳を澄ませながら、音がするのを待ち構えていた……。
――ギシギシと天井からきしむような音が聞こえた――。
「……いやぁん……また…………欲しいのぉ? いいよぉ、それ…………」
リオはとたんに真っ赤な顔になった。ハルキはばつが悪そうな顔をしていた。
「いや、俺の勘違いだった。ごめん。さー、片付けてと……」
「うん、そうね。リオもなんにも聞こえなかったしー。ここはちょうど真下みたいだから、とりあえずお部屋にもどりましょうか」
まったくもう、アイリったら夢中になっちゃって……。下にリオたちがいるってことを忘れないでほしいわ!
「あ、そうだ、ハルキはお風呂先に入る?」
「いいよどっちでも、リオの好きにして。どうせ俺はシャワー浴びるだけだし」
「えー、夏でも浴槽につかったほうが健康にいいんだよ。じゃあ、リオがお先に。お風呂にお湯を入れてくるね」
ハルキは外に車の様子を見に行ってから部屋に戻った。
「先輩とアイリさんはすごく仲良いんだなぁ。俺も――。ん? いったいなんだよ、コレは……?」
ホールから和室にかけての廊下に、何かを引きずったような跡と片足だけの足跡がついていた。まるで血のような赤黒い汚れがついていた。
和室に入ろうとすると、閉めたはずの障子がなぜか開いていた。それに、白い障子に赤く血の飛び散ったようなシミが滲んでいた。
ふと、布団の上をみると、そこに何かがいた。真っ赤な血を全身から流した、血の滲んだネグリジェを着た長い髪の赤毛の少女が座っていた。
布団が赤い血で湿っていた。
ヒィッと息を呑むと全身に鳥肌が立った。
少女はブツブツと何やら念仏のようなものを唱えているようだった。時々、鼻をすするようなかすれた呼吸音がした。
ハルキの気配を察知したのか、少女の首がカクンと傾くと震えながらゆっくりと振り返った。
苦しそうな嗚咽を繰り返しながら、赤毛の少女は大粒の赤い涙をポロポロ流しながら泣いていた。緋色の目から頬にかけて血の流れたような筋がついていた。少女が口を開くと口元から血の滴が垂れた。
「ウワァァァァア――――――ッ!!」
絶叫したハルキは慌てて和室を飛び出した。本当に死霊が出やがった! やっぱりこの場所が隔離病棟の跡地ってのは間違っていなかったんだ!
ハルキはバスルームへ駆けこむと勢いよく扉を開けた。キャミソールとパンツ姿のリオが、浴槽に手を入れて湯加減を見てお風呂の準備をしているところだった。
「ハルキ……。えっと、ちょうどいいお湯よ。あの、あのね、リオとお風呂、一緒に入りたいの?」
恥ずかしそうにリオは頬を染めながら流し目をした。
「リオっ! 今すぐ、俺と一緒に来いっ!!」
「あ、焦らないでッ! ちゃんとお風呂に入ってから――」
強引にハルキがリオの手を引いてバスルームを出ようとすると、血まみれのネグリジェを着た流血の赤毛少女が、片足を引きずりもつれるような足取りで廊下をこちらに向かって来ようとしていた。
「なっ、なんなのアレって!? ハルキっ?」
「死霊に決まってるだろっ!! ここが隔離病棟の跡地ってのは当たってたんだ! 全身から血を流してるから、昔、エゾラ出血熱で死んだに違いないよ!」
「そんなのって――!? ねぇ、どうしようっ!」
「とにかく逃げるしかないだろ! 死霊に話し合いなんて通じないよっ!」
「……リオぅ…………リオぉ……」
微かにアイリが呼ぶような声をリオは聞いた気がした。
「ねぇ、アイリにも知らせないと、襲われちゃうかも……」
「きっと先輩が何とかするはずだよ。だから今は一緒に逃げようっ!」
ハルキとリオがキッチンの裏口から出ると、外は雨が降っていた。
真っ暗な別荘の裏庭から濡れながら四駆に向かって走った。
急いで車に乗り込むと、ハルキがエンジンのキーを回す。
キュルルルルルッ、キュルルルルッ
「どうしたっ! なんでかからないんだ?」
キュルッ、キュルルル――
「ハルキ、早くしてっ、死霊が来ちゃう!」
キュルル……
突如暗闇の中から、バンッ、バンッと、サイドガラスを手のひらが叩いた。
死霊少女の手が、車の窓のいたるところを叩いていた。
ガラスに真っ赤な手形がついていく。
ロックされたドアノブをガチャガチャと力任せに引きながら、死霊少女が呪いの言葉を叫んでいるのが聞こえた。
突然、激しい雨が降り出し雷が鳴り響いた。
「ちくしょう! もうダメなのか?」
キュルルルルッ、グオッグオオォォォォ――ッ!!
「ヨシッ! かかった、エンジンがかかったぞ!」
まるでスコールのような大雨が叩きつける中、ハルキはワイパーを動かし視界を確保してヘッドライトをつける。
「キャァーッ!!」
リオが叫んだ。
真正面には、ヘッドライトに照らされた血まみれの死霊少女が、両腕を横に広げて立っていた。まるで血の十字架だ。
車の進路をふさぐつもりなんだ。
「ふざけやがって! 逃がさないつもりなのか? 四駆をなめるなっ!」
ハルキはアクセルをふかす。
ブオォーン、グオォォーン!! エンジンがうなりをあげて四駆の180馬力を一気に解放すると、視界が急に横スクロールした。瞬時にハルキが車をスピンさせると向きを変えて発進させたのだ。
瞬間、稲妻が光った。雷鳴が轟く。
置いて行かれた死霊少女が、びっこを引きながらも車の後を追いかけて泣き叫んでいた。
「待って! ハルキっ、止まって!」
すかさず車から降りると、リオは今にも転びそうな死霊少女を抱きしめていた。死霊少女もリオを抱きしめると声を上げて泣いていた。
「……リオ、なんで死霊を…………もしも、エゾラ・ウィルスに感染でもしたら…………」
ハルキはリオを連れ戻そうと車を寄せた。
だが、ライトに照らし出されていたのは、もはや流血した赤毛の死霊少女ではなかった。雨に濡れて泣いていたのは、怯えて震えるブロンドのアイリの姿だったのだ。
「うわぁー!! リオー、みんなで、アイリだけを置いてけぼりで逃げるなんてひどいよぉー!」
「ごめん、アイリ、ごめんね! 全然、アイリだってわからなかったのよ」
雨でびしょ濡れになりながら、リオとアイリはきつく抱き合っていた。