第2章 鍛冶師と刀匠 1-2
トンテンカン、トンテンカンと工房のある離れから小気味よい金槌の音が響いてくる。正満と正伸が玉鋼を鍛え刀造りに取り掛かっている。とはいえ、まだまだ刀と呼べるような代物ではない。縦長の四角い鉄を熱して金床の上で叩いて伸ばし、折り重ねまた熱しということを繰り返している。
一見地味なこの作業だが、この鉄を鍛える作業がなければよい刀は作れない。ただ鉄を打ち、刀の形に作ることができたとしてもそれは刀ではない。刀の形をしたただの刃物でしかない。耐久度や切れ味、刃の通り方など細部に違いができる。
そもそも刀作りとはなんなのか、珠子はそれを本などで得た知識ではなく自分の五感を通して得た知識とするために、正満に一つのお願いをしていた。
それは、雅の騒動もひとまず決着を迎え、ほどなく朝食となった時だった。
身支度を整え、台所に顔を出した珠子を迎えたのは油のこげる香ばしい匂いだった。テーブルにはおひつに入った白いご飯に鮭の塩焼き、鍋のお味噌汁には豆腐と油揚げとネギが入っておいしそうな出汁の香りを漂わせている。小皿には厚焼き玉子とたくあん漬けが添えられており、純和風の朝食だ。
一人暮らしをするようになってから、忙しい朝はパンやシリアルばかりだった珠子にとっては久しぶりの和食。しかもいわゆる『おふくろの味』というやつは実家を出て以来、何年ぶりかに口にするものだ。
準備をしていたのは代志乃と先ほど拳骨で目を覚ました雅。そして、作務衣姿の正伸だった。
「おはようございます、椿さん。昨夜はよく眠れましたか?朝から騒がしくしてしまって申し訳ありませんね」
正伸は先ほどのことなど何もなかったような、穏やかな表情で微笑む。しかし、それとなく謝罪の言葉がついて出るところを見ると、さすがに今朝のことは思ってもみないことだったのだろう。言葉の最後あたりには表情に少しばかり苦いものが見え隠れしている。
「あら、珠子ちゃん。もう準備できた?ちょっと待っててね、じきにお義父さんと幸ちゃんも来るから」
代志乃は鍋にかけた味噌汁の火を止めながら、お椀を手に取っていた。その隣では食器棚から茶碗を取り出す雅が、珠子を見てニコリと微笑みかける。
(こうしていれば、美人のお姉さんなのに・・・もったいない)
少しドキリとしながらも会釈を返す珠子はそんなことを心の中でつぶやいていた。
朝食の準備が進む中、珠子はただで朝食をいただくのも悪いと思い何か手伝おうとしたのだが、
「お客様は座っていてください、手は足りていますので」
と言われては居るだけ邪魔になってしまう。仕方なく席に座りご飯やお味噌汁がよそわれるのを待つ間、珠子は雅の後姿を見ていた。見ていたというより本人も気づかず見とれていた。
均整の取れた肢体に、必要なところは出たり引っ込んだりしている。それを包んでいるのは清潔感を感じる白いブラウス。すらりと伸びた足はデニム地のパンツルックで動きやすそうだ。髪を首のあたりでまとめていてカジュアルな出で立ちに赤いエプロンとともによく似合っている。
「…巫女さん…か」
口に出して思わずはっとした。周囲を見回すが幸いにして気付いた人はいなかったようだ。昨日も正幸に指摘されていたのに、相変わらず思考が口に出てしまうのは簡単には直らないらしい。編集長にも言われているので直そうとするのだが、一人暮らしだとどうも独り言が多くなってしまっていけない。それを癖にしないようにと思っても出てしまうのが困りものである。
「ただいま、ご飯出来てる?」
不意に台所の戸が開き、正幸と正満が入ってきた。またも思考に沈みそうになっていたが、どうにかとどまり二人に挨拶をする。
「おはようございます、正幸君。正満さん」
「おぉ、おはようお嬢ちゃん。昨夜はよく眠れたかの。何やら雅が朝から迷惑かけてしまったようで悪いのう。あとできつく言っておくゆえ、勘弁じゃ」
先に入ってきた正幸は簡単に「おはよう」と言っただけだったが、正満は珠子のすぐそばまで来てちゃんとあいさつを交わす。その際、正幸にでも聞いたであろう今朝の騒動を謝罪した。家族の不始末は自分の不始末ということなのだろうが、そんなに謝られてはかえって珠子のほうが申し訳ない気持ちになる。
「もういいですよ、正満さん。解決しましたから」
「そうかの?だが、やはりのう。何かお詫びをせねば儂の気が済まんのじゃ。何かできることはないかの?」
突然そんなことを言われても、珠子も困ってしまう。別に実害があったわけでもないし、お詫びしてもらうようなことなど…。
(! そうだ、せっかくだしお願いしてみちゃおう)
ないと思っていたのだが、唐突に珠子の頭に一つのアイディアがひらめいた。とりあえず、ダメもとで正満に話してみることにした。
「それなら、ひとつお願いしたいことがあるんですが…」
「なんじゃ、言ってみぃ。できることなら何でもするぞい!」
正満は腕を組んでガハハと笑いながら珠子に先を促す。
「それじゃ、お言葉に甘えて。あのですね……」
そして今に至る。珠子は実際に刀を作る工程を見てみたいと正満に頼んだのだった。正満は二つ返事で快諾してくれた。工房にはすでに玉鋼や金槌などの道具が用意されていて、火が入るとほどなく作業が始まった。
実を言えば、正満は珠子に刀作りの全工程を可能な限り見せるつもりでいた。珠子の上司である轟から頼まれていたこともあるが、昨日の一件で思うところがあったと見える。朝から工房で準備をして食事の後すぐに自分から珠子に提案するつもりでいたのだ。
ともあれ、互いの考えは一致を見たのでこうして工房での作業をする正満。それを見て観察する珠子という構図が出来上がっている。
「まずは、玉鋼と呼ばれる金属をテコ棒と呼ばれる道具に隙間なく並べて和紙で包み、さらに水溶き粘土と稲藁の炭、灰で包んだものと一緒に炉に入れて熱する、と」
珠子はあらかじめレクチャーを受けていた項目を確認しながら、手帳にいろいろと書き込んでいる。先に書いたメモに実際に目にして感じたことでも加えているのだろう。
そのレクチャーを受けるとき、正満はこうも言っていた。
「刀鍛冶とは、鍛冶師の中で特に刀を専門に扱う者の事を言う。その中でも特に腕のある刀鍛冶の作品は業物と言われてきた。じゃが、刀だけが鍛冶ではない。鍛冶とは鉄を鍛え様々なものをつくる事を言う。刀なら刀鍛冶。鉄砲なら鉄砲鍛冶。鎧なら鎧鍛冶。兜なら兜鍛冶…兜場合はあまり呼ばんがの。刀鍛冶はそう呼ばれるが、それ以外は特に有名なものは少ない。それだけ刀を打つことは特別視されていたということじゃ」
刀以外の鍛冶師がいること自体珠子は初耳だった。そもそも、鍛冶とは何かということを考えた事がなかったのだ。刀鍛冶というイメージが先行して、そういうものだと勘違いしていた。
つまりは、包丁を作る人もなべを作る人も鎧や兜、その他の鉄を鍛えて何かを作る職人を総称して『鍛冶師』と呼ぶのだ。もちろん昔ながらの工法で人の手により作り出す技術を持った職人のことをそう呼ぶ。間違ってもなべや包丁を作っている工場の作業員をそう呼ばないことは、ご承知の通りだ。
「それにしても、わかっていたこととはいえ暑い……こんな中作業してるんだから二人ともすごいよね」
「そうねぇ、鍛冶と炎は切っても切り離せないからね。仕方ないのよ。なんていったって炉の中の温度は1000度以上になってるんだから」
珠子のちょっとした呟きに、隣に座ってアイスバーをかじっている雅が答えた。せっかく休みを取ったのだからと、雅は自分から鍛冶の解説役を買って出た。当人いわく、
「どうせ暇を持て余していたところだから、ちょうど良かったわ」
だそうだ。
「雅さんは鍛冶ってしたことあるんですか?小さいころとかの話になると思うんですが」
雅は指を顎に添え考えるそぶりを見せる。その仕草が様になっていて、ついつい見とれてしまう。後に雅に尋ねてみることだが、本人は特に意識してやっているわけではないらしい。そんなところからも、この人はいい女だといえるのかもしれない。
「私は何にも知らないわ、鍛冶のことは。私は子供のころから巫女として舞うことを習ってきたから。今、神社で巫女をやってるのも修行みたいなものだしね」
からりと笑ってさらっと重要な発言が飛び出した。珠子はあまりにもさらりとしていたので、つい聞き流しそうになった。
「雅さん、今の話ほんとですか?子供のころから巫女の修業をしていたって」
「ん?そうよ。うちの家系って不思議な力を持った子供が生まれるのよね~。それで昔から男は鍛冶師になって女は祓い巫女になるのよ。……あぁ、祓い巫女っていうのはそのままの意味でね。お祓いをする巫女さんてことね。もっとも、女の子はほとんどそんな子生まれないのよね」
珠子の怪訝そうな顔を見て補足する。しかし、それでもよくわかっていないようだ。
「ん~、何て説明するといいのかな。陰陽師はわかるわよね?あれと同じように悪いものを祓ったりするのよ。ただしうちの場合、祓う方法が神楽舞なのよ。だから舞巫女とも呼ばれたりするわね」
「そうなんですか・・・」
珠子は返事もそこそこに、手帳の別のページにいそいそとメモしている。これが記者という人種の習性なのか、それとも珠子自身の習性なのか。それはわからないが、雅は一生懸命に仕事に励む珠子を見て知らず頭をなでていた。
「ふぇ?」
「ほら、珠子ちゃん。そろそろ一段落よ」
驚いた顔をする珠子をよそに工房のほうへと視線を促す。いつの間にか金槌で鉄をたたく音が消え、赤い鉄の塊が出来上がっていた。
「これで、皮鉄が完成ね。さて、二人が戻ってくる前にお茶の準備しなくちゃ」
雅は入り口近くにある簡単な流し台に行ってしまった。それを見送った珠子は正満達に聞きたいことをメモした手帳を胸に、これからの取材構成を考えていた。聞くほどに、見るほどに奥が深く、底が知れない刀作りをどうやったら読者に伝えることができるか。珠子は自分の文才センスに自信があるわけではないが、今感じているこの熱い思いは何としても記事に込めたい。そう思っていた。
(そういえば…正幸君は?)
今日は朝ごはんの後、まったく姿を見ていなかった。気にはなりつつも、正満達が戻ってきたので早速取材に取り掛かるのだった。