第2章 鍛冶師と刀匠 1-1
「・・・まこ・・たま・・・こ・・・珠子・・・」
気が付けば部屋の中はすっかり明るくなっていた。
「もう朝…?…あの後どうしたんだっけ」
昨日はあの後、代志乃に着物を着つけてもらって。その後で正満と正伸に取材をお願いしたのだが、結局は珠子自身も相当な疲れとストレスがたまっていたようでほとんど取材にならなかった。
正伸も経験があるのか、
「正幸の手伝いの後はすごく疲れるから、温泉でゆっくり疲れをとられてはいかがですか?」
と珠子に勧めてきた。珠子も今まで感じたことのないような疲労があり、断る理由もなかったので遠慮なく温泉を堪能させてもらった。そのあとは部屋に戻って、工房で見た正幸の研ぎ師としての実力と、体験したことについて取材メモをまとめていたのだ。しかし、疲れていたうえに温泉で体がほぐれていたこともあったのだろう。ほどなく物書き机に突っ伏して寝てしまっていた。
「えーと……」
確かに自分は机の前に座りメモを取っていたはずなのだが、今は布団の中にいる。しかも、着ているのは着物ではなくゆったりとした浴衣だ。
「……まぁ、いいか。代志乃さんかな?」
不思議と今日は気分がいい。寝起きだというのに気分はすっきりとして晴れやかだ。そして、耳の奥に残っている懐かし声と頭をなでられた感触。思い出しただけで知らず涙がこぼれていた。
しかし、いつまでも夢心地の気分に浸っているわけにもいかない。昨日できなかった分の取材も今日取り戻さなければならないのだ。そう思って涙をぬぐい体を起こそうと手を付いたときだった。
ムニッ
「・・・?」
柔らかい感触を右手に感じた。心地良い肌触りだったので二度三度と握ってみる。ひと肌ほどに温かく程よい弾力があった。どこかで触ったことがあるような気がするが、なかなか思い出せない。考えながらもそれをずっと触り続けていたら、
「・・・やんっ」
妙に色っぽい声が聞こえてきた。その声であるものに思い当たったのだが、気が付いた時にはさーっと血の気が引く音が聞こえたような気がした。恐る恐る声の聞こえた方、腰の辺りに目をやると長い黒髪の女性がすやすやと寝息をたてていた。
珠子は自分がまだ夢でも見ているのだろうかと目をこすってみるものの、そこには抜群のスタイルの上にYシャツのみを着た美女と呼んで間違いない女性が横たわっていた。そして、その胸元には自分の右手があり、その豊かな胸を揉んでいた。
(ものすごく大きい…いったいカップは?)
違う違うと頭を振って胸を揉んでいた右手を離す。そして昨日のことに思考を巡らせてみるが、一向にこの女性の正体は掴めない。そもそも会った記憶がないのだから、いくら考えても出てくるはずはないのだ。
とか珠子が思考を巡らせている横で、件の女性はもぞもぞと動いている。しかし、思考の海に潜ってしまった彼女は一向に気付かない。どうやら珠子が起き上ったせいで布団がめくられ、寒くなってきたようだ。手近なところにある暖かいものを探しているようだが、すぐにその動きは止まった。ごく身近に温かいものがあったからだ。それはつまり、すぐ隣にいた珠子ということで。彼女は動きを止めると迷わず珠子の腰にしがみついたのだった。
「にゃーっっっっ!」
突然のことに驚いた珠子は昨日と同じ、奇妙な悲鳴をあたり一帯に響き渡らせた。その悲鳴を聞きつけたのか、間もなく廊下から数人の足音が聞こえてくる。すぐに部屋の前まで足音はたどり着き、ふすまを叩いて珠子に声をかける。
「どうしました、椿さん!何がありましたか!?」
部屋の前には正伸と代志乃、正幸の姿があった。一番最初にたどり着いた正伸が中に声をかけるが返事がない。先ほどの悲鳴からさほど時間は立っておらず、どこかに移動したとは考えにくい。
「…椿さん、大丈夫ですか?開けますよ」
一応、断りを入れてから正伸がふすまを開けようとするが代志乃がそれを制する。身振りで自分が開けると二人に伝えると、まずはそっと中の様子を探るように数センチ開く。覗き込んだ代志乃の目に映ったのは、悲鳴を上げたそのままに硬直している珠子の姿だった。
「珠子ちゃん!?」
すぐさまふすまは左右に開かれる。そこには体を守るように両手を胸の前に立て、そのまま気絶する珠子の姿があった。
代志乃は珠子に駆け寄り、肩をつかんで大きくゆすっている。
「珠子ちゃん、何があったの!?珠子ちゃん!」
「母さんさ、原因はそれじゃないか?」
状況を冷静に観察していた正幸は〝それ″を指摘する。正幸の指差す先には、珠子の腰に巻きついて頬をすり寄せる黒髪の美女がいた。
それに気が付いた代志乃は髪を逆立て、般若のような形相で女を掴んだかと思うと珠子から引きはがし、
ガツンッ
「いったーーーーーいっ」
頭がかち割れるのではと思うほど強烈な拳骨を見舞った。
「ごめんなさいね、珠子ちゃん。うちの娘がほんと失礼なことを」
代志乃は隣に座る娘の頭を押さえて平伏させながら言った。
先ほどの騒ぎからおよそ30分後。珠子も放心状態から戻ってきて、ちゃんと身支度を整えたうえで改めての謝罪となっていた。
「えーと。とりあえず何もなかったわけですし、酔っ払っていたというなら仕方ないと思います。……さすがに2回目があったら怒りますけど」
珠子はひとまずほっとしていた。自分の布団にもぐりこんでいた女性が村田家の住人であること。素の状態ではちゃんとした人であること。聞いてみれば決して悪い人ではないとわかっただけで、まずはよしとすることにしたのである。
「ありがとう、珠子ちゃん。それじゃ、一応自己紹介させるわね。ほらみやちゃん、ご挨拶なさい」
促されて頭を上げる女性は、もう一度深々と頭を垂れ
「村田雅と申します。今朝は大変失礼をいたしました。お許しくださいませ」
そんな雅の行動を見た正幸は、気持ちの悪いものでも見たような顔をしている。
「何よ?」
「いや、別に・・・」
それに気づいた雅がキッと睨み付けるが、正幸はフイとあさっての方向を向き素知らぬ顔をしている。この姉弟、仲が悪いわけではなさそうだが雅のほうは、まあ猫でもかぶっているのだろう。
その証拠に、正満ほか両親方はほほえましく見守るだけときた。何となく、この家族の雰囲気というか人柄というか。わかったような気もするが、まだまだ謎に満ちている。
「ところで、雅さんって隣町で巫女さんをしてるんですよね。今日はお休みですか?」
珠子の記憶によれば、通い巫女とはいえ早朝から境内や本殿の掃除。ほかにもお守りやらおみくじやらの準備などなど、朝から忙しく働いているはずだ。それがもう7時半。確かにまだ朝ではあるが、早朝というにはちょっと遅い。
「そう、今日はお休みにしてもらったんですって。雑誌記者さんが来るって言ったら、みやちゃんは轟さんを想像したらしくてね。おいしいお酒が来るってはしゃいでたのよ」
雅の代わりに代志乃が答えていた。当の雅はというと、正幸の顔を左右に伸ばしたりつぶしたり。先ほどの表情に気に入らないものがあったと見える。が、自分が見られていることに気が付くと
「…コホン」
などとわざとらしく咳払いをしてみる。そして、
「いやですわ、お母様。そんなはしたないこと私がするはずあるわけあるはずないじゃないですか」
さすがに今度は無理があった。どうにも日本語がおかしく、さらに明らかな棒読み。珠子は苦笑いしか浮かべることができないでいる。
「姉ちゃん、さすがに無理だって。今朝の行動からして、いくら酔っ払いでも自分の家で迷ったりするもんかよ。さすがに椿さんも気づいてるぞ。猫かぶってるって」
正幸からの的確な言葉が、雅の胸をえぐる。さすがにこたえたのか、胸元を押さえてがくりとうなだれる。
「やっぱり、無理?」
「絶対無理!」
うなだれたまま問う雅に、間髪入れず容赦のない正幸の言葉の弾丸が襲う。これがゲームなら雅のHPゲージはレッドゾーン。あと一撃で倒れてしまうぎりぎりまで削られていることだろう。
「あの~、とりあえず悪い人ではないとは思うのですが。もう少し詳しく紹介してもらえますか?お休みということなら、雅さんにも取材をお願いしたいので」
その言葉に反応して雅の顔が輝く。今までのダメージはどこへやら、体力マックスの無敵モード突入といったところだろうか。
「そういうことなら、お姉さんに任せなさい!なんでも答えちゃうわよ、スリーサイズから好きな男のタイプから、好きな女の子のタイプまで」
今までのしおらしさはどこへ行ったのだろう。そこには正幸よりも活発で男気あふれる〝姉御″の姿があった。珠子はその豹変ぶりにも驚いたが、雅の発した不可解な単語を聞き漏らしはしなかった。
(・・・好きな女の子のタイプって・・・)
珠子の背筋にいやな悪寒が走る。今更ながらに取材をお願いしたのは、ちょっと早まったかなと少しばかり後悔が首をもたげるのだった。




