第1章 刀と刀匠 4-2
第1章 刀と刀匠④-1からの続きです。そのまま文章が続いているので読みにくいですがご了承ください。
後日編集して一本にという話をしていましたが、このサイトの管理上削除しないほうがいいようなのでこのまま残すことにしました。
よろしくお願いします。引き続き第2章をお楽しみください。
「それにしても、あんたすごいな」
『え…何が?』
ふと見上げた正幸の顔には真剣な表情が見えた。一瞬どきりとした珠子だったが、思った以上に距離が近かったためまた俯いてしまう。それに気が付いているのかいないのか、頭上から言葉が続いていく。
「あんたは霊媒体質だといったな。俺はその力を借りて、小刀に宿る思念を自分の精神世界に引き込み、その上で余計な邪気だけ払おうとしたんだ。だが、結局はあんたに引っ張られてここにいるってわけだ」
『つまりどういうこと?』
泣きはらした目をこすりながら正幸の腕の中から離れる。混乱も収まったのか、ようやく落ち着いて話をできそうに見えた。
「俺たち一族のこと鍛冶屋の連中なんて言ってるか知っているか?「刀の声を聞く」鍛冶師って話だ。それもあながち間違っちゃいないんだがな」
正幸の話は珠子も聞いたことがあった。というか、ついこの間読んだばかりだった。編集長がまだ駆け出しだったころ、村田正満さんが人間国宝認定を蹴ったと話に聞き、取材したときの記事だった。そこには、刀を作るうえで金属の声を聞くことが大事だと正満が話していたことが書いてあった。
「うちの一族は金属の状態を触れただけで知ることができる、そのことを言ってるんだと思う。実際には声が聞こえるわけじゃないけど、金属の状態を完全に把握しているのといないのでは全く違うからな。と、話がそれたか」
正幸は頭をかきながら言葉を選んでいる。長く話すのが苦手なのか、簡潔に説明できそうな言葉を探している。
「一族の人間に時々特別な能力をもって生まれる子供がいる。その子供は一族の通り名そのままに金属の声を聞くことができる。金属に込められた声を、な」
『それじゃ、正幸君って…』
「そう。特別な子どもだったんだ。そして、深層心理…精神世界に刀の中に込められた心を呼び出して対処しているってわけだ」
『それと、今の状況って関係あるの?』
正幸は自分の力について語ったが、そのことにはまだ触れていない。いったい珠子の何がすごいのか。
「端的に言えば、相性がいいってことだ。今まで俺もここまでの状況に遭遇したことはない。あんたが霊媒体質って言うことを差し引いても、大したことになっているということだ」
『相性がいい…そうなんだ。えへへへ……』
正幸の言葉を聞いて、珠子は頬を赤らめ両手で体を抱きしめながら何やらくねくねとしている。相性と聞いて何を想像したというのだろうか。
「なにを考えているか知らないが、相性がいいのは『あんた』とこの『刀だ』。何やらいわくつきかもしれないな」
当の珠子には馬の耳に念仏と言ったところか。正幸の話など全く耳に入っておらず、いまだに悶えていた。
呆れてため息をついていると、不意に周囲が暗くなった。
『何?何か始まった?』
ようやく戻ってきた珠子は、事態の変化についていけずおろおろとするばかりであったが、正幸は冷静だった。この光景には覚えがある。今までは珠子の精神世界に彼女ら二人だけだった。しかし、何者かが侵入した。いや、この場合おびき出されたと言った方が正しいか。
「さすがにわかるか。ようやくお出ましってわけだ、刀に込められた心ってやつが」
わずかに空間が歪む。程なくして歪みが形を伴い実体を伴って現れるが、そこにいたのはやさしそうな笑みを口元に浮かべた老婆だった。
『お……ばぁ…ちゃん…?』
珠子の過去の記憶の中で見たおばあちゃんがそこにはいた。多少腰は曲がっているものの、元気そうで人当たりのよさそうな印象を与える。
『おばあちゃん!!』
思わず珠子は飛び出していた。そこにいるのは間違いなく自分の良く知る祖母だった。
「はい、ストップ。そこまで、まずは落ち着け。深呼吸して…大きく吸って吐いて、もう一度吸って止める!」
勢い込んで飛び出したはずが、正幸に首根っこを掴まれて止められてしまった。何か言おうとした矢先、次々と指示を飛ばされ思わず従ってしまう。しかし、呼吸を止めたままにさせられて、いよいよもって苦しくなってきたようで、みるみる顔が赤くなっていく。
『って、殺す気か!』
漫才でもしているがごとくスムーズにオチまで流れていった。ここで「おあとがよろしいようで」なんて声でもかかればそれこそ劇場のようだ。
しかし、ここは精神世界。観客もいなければ二人を見ているのはたった一人の影のみ。
『…ちょっと待って、おばあちゃんの姿がだんだん薄くなってる?というかシルエットみたいになってるけど』
「だから、少し待てって言ったんだ。あんたからは見えないが、今も俺の体はさっき同様小刀を研いでいる。ちょうど刀にまとわりついた余分なものを研ぎ落してるところだ」
そう。あくまでも、ここは精神世界。現実にはちゃんと体があり、今も工房の中で座っているはずだ。自分がどうなっているかは知る由もない珠子だったが、ふと正幸に尋ねてみた。
『ねえ、どうして正幸君はそんなことわかるの?私と同じ状態なら正幸君だって『こっち』に意識があるんじゃないの?』
なかなかに鋭い質問だった。自分と正幸の違いは体の透明度だけであり、幽霊のように見える正幸はいったい自分とは何が違うというのだろう。
「今は後だ。もうすぐ研ぎあがるから、説明は全部終わってからしてやる。いいか、最後まで気を抜くなよ。そうでないと…」
振り返った正幸の目に飛び込んできたのは、自分と同じように半透明な体になっている珠子が、いたずらっぽい笑みを浮かべ頭をかいているところだった。
『ごめん、ちょっと遅いみたい。…なんでかな?目の前に正幸君の背中が見えるよ』
気づいたとき、違和感を珠子は感じた。先ほど『精神世界』にいた時に見えた正幸の背中。それを意識するまでは確かに自分の精神はそこにあったように思うのだが、不意に訪れた脱力感と疲労感。それに加え体にまとわりつく重いもの。意識が覚醒するとなんのことはない、自分がずぶぬれになっていることに気付いた。
「……え…と、なんでずぶ濡れ?それに頭がくらくらするような?」
めまいにも似た感覚を味わいながらも正幸の背中に添えた手は離さずいたようで、その手に視線が行くとさらにその上にある正幸の顔が見えた。そこには呆れたような、疲れた様な表情があった。
「……私また何かやっちゃった?」
ということがあったのがおよそ45分前。ずぶぬれになった珠子に「あとは一人で大丈夫だから」と言い残し、正幸は黙々と作業に戻った。その珠子は正伸が呼んでいた代志乃とともに母屋へと戻り、冷えた体を温めたあとで身支度を整えているところだった。
「珠子ちゃんは見たのよね、自分の中の世界を」
「そう…だと思います」
あの時の記憶は確かにある。だがあまりにも突拍子過ぎていっそ夢だと言われた方がまだ信じることができる。
「あなた、もしかするとすごい才能の持ち主かもしれないわね。幸ちゃんを引っ張るくらいだもの、何かあるわね。後で時間があったらお義父さんに聞いてみなさいな。あなたのこと気に入ったみたいだから、いろいろ教えてくれるわよ。…よし、終わり」
最後に帯の形を整え、代志乃が立ち上がった。そこには着物の似合う大和撫子が佇んでいた。もっとも、その着物の柄のほうは少々問題がありそうだが。
「ありがとうございます、代志乃さん。私、着物ってあまり着ないから新鮮です」
珠子は姿見の前でくるくると回ってみる。我ながら結構いけているのではないかと思う。
「……私は、この家に嫁に来た身だからよくは知らないんだけどね。幸ちゃんは一族の中でも特別な力をもって生まれてきたの。そのせいかはわからないけど、お義父さんや正伸さんみたいに刀を上手に打つことはできないみたい。でもね、珠子ちゃんも見たと思うけど刀を研ぐ腕は超一流なんだって。研ぎ師っていうのは鍛冶師にとって大事な存在だっていうから、うちのみんなは幸ちゃんに一目置いているのよ。もちろん本人には言わないけどね」
そういう代志乃はちょっといたずらっぽい笑顔を浮かべながら、人差し指を口の前に持っていき「しーっ」と仕草であらわす。少々童顔な彼女にはこういった子供っぽい仕草が妙に似合っている。
トントン
不意にふすまがノックされる。
「椿さんいるか?仕上がったんで見てもらいたいんだが」
声の主は正幸だった。どうやら、珠子の守り刀が研ぎあがったらしい。しかし、珠子ではなく代志乃がそれに答えた。
「はーい、どうぞ幸ちゃん。入って入って」
「母さんもいるのか?…まぁいいや。入るぞ」
ふすまを開けて入ってきた正幸の手には、見た目は先ほどたがわぬ小刀が鞘に収まっていた。正幸は手早く珠子に渡すと抜いてみるように促す。
珠子は言われるがまま小刀を抜こうとするが、躊躇してしまった。先ほどのことが夢でないならば、また自分の意識が精神世界に飛んでしまうのではないかと不安が襲ってきたのだ。硬い表情のまま正幸を見るが、特に変わった様子もなく頷くだけだった。
「…えいっ」
鯉口を切る感触が手を抜ける。が、そのあとは拍子抜けするほどに抵抗もなくすらりと刀身が姿を現した。その刃は先ほど見た鈍い光ではなく、蛍光灯の下でもわかるほどに鋭く、そして柔らかな光をはじいている。
「これが、おばあちゃんの守り刀?」
珠子は、今までに感じたことのない暖かさに包まれていた。この守り刀は肌身離さず持ち歩いていたものであったが、今まで感じていたのは冷たく鈍い重みだった。しかし、今はその重さはもうない。手にしっくりとなじみ、今までずっと使ってきたような錯覚さえ覚える。そして、刀から伝わってくる慈しむような温かさ。これがこの刀に込められた『心』なのだろうか。
「あの…」
何か言いかける珠子だったが、正幸はそれを片手をあげることで制する。
「悪いが、疲れたから後にしてもらえるか?…俺は一風呂浴びたら寝るから夕飯時に起こしてくれ。椿さんの疑問にもその時に答えるから。悪いがよろしく」
そう言って、客間を後にした。制止した後の一言は代志乃にだろう。あらあら、などと言って頬に手を当て困ったような顔をしている。
「ごめんなさいね、珠子ちゃん。あの子、よっぽど疲れたのね。あんなくたびれた顔を見るのは久しぶりよ」
代志乃の言った通り、正幸の顔は少しやつれていたように見えた。まるで体力の限界まで走ったか、泳いだかのようだった。
「まぁ、一眠りすれば大丈夫でしょう。今はまだ14時を回ったばかりだから十分ね。…ああ、別に珠子ちゃんのせいじゃないから気にしないで」
沈んだ顔をした珠子に声をかけ、大丈夫と元気づける。これは、今日に限ったことではないのだと説明しながら。
「幸ちゃんの研ぎ方は特徴があるでしょう。ものによっては1日で仕上がらないこともあるの。そういうときは決まって今みたいにへとへとになっちゃうのよ」
それを聞いて少しだけ安心したが、それでも心配の種は尽きない。この守り刀はそんなにすごいものだったのか、どうしてそんなものが自分の手の中にあるのかと。
「一つ言い忘れていた」
「きゃっ」
半ば開いていたふすまから音もなく顔をのぞかせた正幸が、疲れた顔で珠子に「いいことを教えてやる」と。
「今日寝るとき、その小刀を枕元に置いて寝てみろ。いい夢が見られるはずだ。それからなかなか似合ってるぞ」
それだけを言うと正幸は先ほどと同様に音もなく去って行った。
「…びっくりした。心臓に悪いよ~」
珠子の心臓はいまだ激しく鼓動を繰り返していた。正幸が突然顔を出したことだけでなく、それ以上に自分の姿をちゃんと見て、褒めてくれたことに対してドキドキしていた。それを見ていた代志乃はポンと肩をたたくと
「深呼吸して、ゆっくり落ち着いて。落ち着いたら、また工房に行きましょ。今度はお義父さんや正伸さんに取材しないとでしょ?」
代志乃の言葉に頷き、深呼吸して鼓動を落ち着かせる。しばらくして、呼吸も整った珠子は代志乃を伴ってまた工房に赴くのだった。
今度は、現役の刀匠である正満と正伸に取材をするために。小刀を研いでもらったりそれを手伝ったり、いろいろと回り道をしてしまったがようやく本来の仕事を進められると気合を入れなおす珠子。だが同時に、正幸の言葉に心躍らせ楽しみにしている自分がいることも自覚していた。
(何があるかはわからないけど、なんだか今夜が楽しみだ)
珠子は今夜、それからこれから数日の滞在のことを考えると、足取りも軽く晴れ晴れとした気分になるのだった。