表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/26

第1章 刀と刀匠 4-1

 正幸が珠子の小刀の研ぎを終えてからおよそ30分後、珠子は着替えていた。母屋に戻り代志乃に手伝ってもらいながら着物を着つけていたのだ。

「代志乃さん、この着物はいったいなんですか?」

 珠子の着ている着物は、少々普通の着物とは趣が違っていた。絵柄としては桜色の生地にあちこちに短冊があしらわれている。

 柄としてはありそうなものだが、違うのは短冊の中に縫い込まれた「言葉」だった。見る人が見れば花札をモチーフにしていることは一目瞭然だが、短冊には通常ではありえない言葉の羅列が並んでいる。例を挙げれば「破邪顕正」やら「急急如律令」やら、系統は違えど退魔に関わる言葉が並んでいるようだ。中には「喧嘩上等」なんて物騒な言葉もある。

「これはね、みやちゃんの着物よ。と言っても、何年も前のちょっとやんちゃなときのだけど。みやちゃんていうのはね、幸ちゃんのお姉ちゃんよ。名前は(みやび)。隣町の神社で巫女さんしてるの」

 そう、正幸には姉がいる。まだ会っていないと思っていたが、そういうことだったのかと、珠子は納得の表情を見せた。それもそのはず。正幸たちのプロフィールの中にはもちろん家族構成があり、そこにしっかりと雅の名があったのだから。

「それにしても、独特のセンスですね。この着物」

 やはり、ふだん着なれないものということに加えデザインがとても気になっていた。やんちゃな頃の、と代志乃は言っていたが、いったいどの程度やんちゃだったのか。これだけの手がかりからはうかがい知ることはできない。

 しかし、やんちゃとは言え別に乱暴者だったわけではなさそうだ。デザインはさておいて、ちゃんと手入れの行き届いたいい着物だった。

「はい、おしまい」

 そう言って代志乃は珠子の帯をポンとたたいた。姿見に映るさまは、紛うことなき日本美人と言っていいだろう。

「ん~、思った以上に似合うわね。洋服もいいけど和服も捨てがたいわ~。ね~え、珠子ちゃん。今度はドレスなんて着てみない?」

 代志乃はすっかり珠子のことを着せ替え人形か何かと勘違いしているようだ。

「えへへ、そこまで言われちゃうと……はっ。いやいや、それよりもです。代志乃さん、正幸君のあの研ぎ方はいったいなんなんですか?まったく見たことない、考えもしない研ぎ方だったんですけど」

「あぁ、あれはね……」


 時をさかのぼることおよそ50分前。正幸の言いだした提案にうかつにも頷いてしまった珠子は、正幸のすぐ後ろで準備が整うのを待っていた。しかも場所は先ほどより広い土間に移動している。

「あの、正幸君。本当に大丈夫?」

「別に何にも問題はないよ。あんたには手伝ってもらうとは言ったが、正直何にもすることはないから」

 恐る恐る聞く珠子に正幸はこともなげに言葉を返す。手伝ってもらうが、何もすることはない。いったいどういうことなのか意味をはかりかねていると、後ろの方から力強い声がかけられる。

「なに、大丈夫じゃお嬢ちゃん。何かあったら儂らが助けるわい」

 正満の声に振り向くが、そこには傘やレインコートに身を包んだ二人がいた。力強い声とは裏腹に準備万端整えて、守りの体制をとっている。

「正満さん、本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃよ、危険なことは何にも起こりゃせん。そうじゃな、ちいーっとばかし濡れるくらいじゃ」

 二人の格好を見る限り「ちいーっとばかし」とはとても思えないのだが。そうこうするうちに正幸のほうの準備が終わったのか、珠子に声がかかった。

「椿さん、始めるから俺に後ろに座ってくれ。できるだけ近いところに」

 正幸の指示通りすぐ後ろに座る珠子。それを確認すると、砥石に向き直り小刀を手に取った。先ほどはすぐそばに置いた桶の中から柄杓を使って水をすくっていたが、今回は外から引いたホースを使うようだ。タライの中の砥石に絶えず水が注がれ、石とそれを置いている台を伝いいっぱいに水がたまっている。

 正幸は小刀を砥石にあて、感触を確かめているようだった。だが、いよいよ研ぎ始めるのか後ろにいる珠子に声をかける。

「それじゃ、始める。少し濡れるだろうが、辛抱してもらいたい。で、椿さんは俺の背中に手を当てて、この小刀のことを考えてくれ。内容は何でもいい。前に使っていたおばあさんのことでもいいし、おばあさんからもらった後のことでもいい。とにかく、考えてくれ」

 そう言って、砥石のほうに向き直る。珠子は少々ためらいがちに正幸の背中に手を添える。表情は硬く、緊張しているのが手に取るようにわかる。

「はっ!」

 裂ぱくの気合を伴い、正幸は「研ぎ」始めた。先ほどとは伝わってくる圧迫感が違う。そして何より、目の前で起こった光景を珠子は信じることができなかった。


 水が窓から入ってくる光を反射してキラキラと輝いている。それも一粒や二粒ではない。正幸の正面に無数の(きら)めきとなっていた。その正幸はというと、ありえないスピードで腕が動いていた。

 右手に持っていたはずの小刀が、左手に持ちかえられ砥石の上を前方に滑り、そのまま左手と一緒に振り上げられ、振り下ろされると同時に左手首を返し右手に持ちかえられる。と思えば今度は右手で刀を滑らせ砥石に当てていく。右手が前方に振りぬかれ刀を返したと思えば、今度は右から左に砥石の上を刃が通っていく。まるで大道芸でも見ているような気分だったが、だんだんそのスピードが速くなっていく。最初は速いとはいえ、その軌道は間違いなく見えていた。しかし、今は光を反射した刃の残光しか見えなくなっている。

「椿さん、何やってるんだ!自分の仕事を思い出せ!」

 ハッとして我に返る。

(そうだ、小刀のことを考えなきゃいけないんだ)

 珠子は自分のすべきことを思い出す。目の前のあまりに美しい光景に目を奪われていたが、それを拒むかのように目を閉じ意識を集中する。

(小刀のこと、おばあちゃんのこと。おばあちゃんが私に小刀を預けた時のこと……)

 だいぶ昔のことで思い出すには時間がかかるだろうと思っていた。しかし不思議なことに目を閉じるとすぐに当時の光景がよみがえってくる。

(! 何? どういうこと?)

 昔の思い出が走馬灯のように思い返され、記憶に意識が呑み込まれていくような不思議な感覚を覚える。気が付くと水に漂っているような浮遊感を感じていた。

『ここはいったい…私は何を?』

 意識が混濁しているのか、頭がボーっとしている。しかし、すぐに視界が明るく広がっていく。そこは、自分の今まで生きてきた記憶があちこちに映し出されている不思議な空間だった。

『いったいどういうこと?』

 珠子は訳が分からなくなっていた。視界がはっきりするにつれ、正常な思考が戻ってくる。自分はついさっきまで正幸のすぐ後ろで座っていたはずだ。なのに今は変なところにいて、しかも宙に浮いている。思考が戻っても現状を理解することができずにいた。

「大丈夫か?俺の声が聞こえるか?」

 唐突に正幸の声が響く。しかし、どこから聞こえてくるのかわからない。音が反響して声が発せられた位置を特定できないのだ。

『正幸君!いったい何がどうなっているの!? ここはどこ?私はどうなっちゃったの?』

「ちょっと落ち着け。今ちゃんと説明するから」

 正幸の調子は先ほどと何も変わっていなかった。その声を聞き少し安心した珠子は、とりあえず深呼吸して心を落ち着かせる。と、突然正面に正幸が姿を現した。

『!!』

 先ほど以上の驚きをその表情に浮かべ、珠子はまるで氷漬けにでもなったようにその身を硬直させる。それもそのはず、正幸はただ現れただけでなかった。その姿は半透明で後ろの方が透けて見えている。ドラマやアニメなどで見る幽霊の姿そのものだった。

『え……正幸君?…なんでそんなに影薄いの?ていうかここどこ!?私どうなっちゃったの?いったい何がどうなってるのよーっ!!』

 つい二~三時間前にもあったようなやり取りに正幸は眉間にしわを寄せ、かと思えば呆れた顔をしている。

『なんなのよその顔は! いきなりこんなところに一人だけになれば誰だってパニックになるっていうのよっ!』

「はいはい、わかったから落着け。まったく、さっきの熊の時といい今といい。あんたはもう少し冷静に周りを見るということができないのか?」

『それができれば、こんなに苦労してないわよ』

 珠子は頬を膨らませてそっぽを向いた。これにもまたデジャヴを感じるが、当の二人はさほど気にしていないようだ。

「とりあえず、周りを見てみろ。何が見える?」

 周囲を見回す正幸につられ、珠子も改めて周りを確認する。そこには大小さまざまなスクリーンのようなものに、小さい時の自分やおばあさんが映っていた。

『これって……私の記憶?』

 問われた正幸は静かにうなずく。珠子はそれを確認するとあちこちのスクリーンを見て回った。と、その中に気になるものがあったのかあるスクリーンの前で静止した。

『これは、おばあちゃんに小刀をもらったあの日だ。懐かしい、もう5年も前になるんだよね。…でも、この後すぐにおばあちゃんは病気になって…』

 今まで明るかった表情に小さく影が差す。そんな珠子を気遣うように正幸は肩に手をかける。しかし、振り向いた珠子の顔には暗さはもう残ってなかった。

『いつまでも寂しがっちゃだめだよね。おばあちゃんが心配しちゃう』

 そういって気丈に明るくふるまう珠子。そこにはまだ悲しみがある気はしたが、こればかりは他人がどうこうできるものでもないだろう。珠子が気を取り直したのを見て、正幸は本題を切り出すことにした。

「それで、だ。あんたに手伝ってもらうのはここからなんだ。気づいているかもしれないが、ここはあんたの心の世界。いわゆる深層心理ってやつだ」

 正幸の説明に珠子はぽかんとして聞いていた。わかってるのかわかってないのか、とりあえず正幸は説明を続ける。

「研ぐ前に説明したが、この小刀には邪気が集まっている。それは俺が今、外で…そうだな、現実世界とでも言っておこうか。で研いでいるからそのうち払うことができるが、問題はそのあとだ。このままではまた邪気が集まってきてしまうだろう。どうやらこの小刀には誰かの思念がまとわりついているみたいでな。それをなんとかしないとダメなようだ」

 相変わらず間抜けにも口を半開きにして聞いている珠子がそこにいる。正幸は少々心配になって珠子の目の前でひらひらと手を振ってみた。

「おい、大丈夫か?見えてるか?」

 全く反応がなかった。仕方ないといった風に正幸はこぶしを握ると

『あたっ』

 珠子を軽く小突いていた。それでようやく放心状態から戻ってきたのか、一気呵成(いっきかせい)にまくしたてた。

『ちょ…深層心理って何?もしかして私死んじゃったんじゃないでしょうね!そうじゃないなら幽体離脱でもしたの?あ~もうどうなってんのよこれ!本当に訳が分からない!』

 わめく珠子に向かって正幸はもう一度こぶしを握ると

『いっ……たいわね!そんなにポンポン頭をたたかないでくれる、馬鹿になったらどうしてくれんのよ!?』

「大丈夫だ、何にも問題ねぇ。馬鹿はこれ以上殴ったって馬鹿なままだ」

 珠子はムキーッとか言いながら吠えていたが、正幸が三度こぶしを握ろうとするのを見て押し黙った。

「わかればいい。終わったら聞きたいこと全部話してやるから、まずは終わらせるぞ。それで、本題だが。いいか、よく聞け。今から小刀に込められた思念をここに引っ張り込む。わかったか?」

 珠子はちょっと考えていたが、とある疑問にたどり着く。その通りならばとても恐ろしいことになるのだが、訊ねずにはいられなかった。

『それってもしかして…私、ものすごく危なくない?ここって私の深層心理って言ってたよね。ここで何かあったら私どうなるの?』

「最悪、死ぬな。冗談抜きで」

 驚愕の事実をいともあっさり言ってのける正幸に対し、珠子はがくがくと震えていた。当然の反応と言えば当然だが。放っておくといつまでも震えていそうなので、見かねて正幸は話を続ける。

「まぁ、最悪、の話だ。これからやるのは、むしろあんたにとっては喜ばしいことだと思うが?」

『……どういうこと?』

 正幸を見上げる珠子の目は、まるで小動物が親を見上げるような、母性本能をかきたてられるような視線を放っていたが、あえて無視して事実だけを簡潔に説明する。

「さっき言っていた誰かの思念っていうのは、おそらくあんたのばあさんだろう。あんたのことが心配で小刀にいろいろな思いを込めていたんだろうな。その思いは月日が経つうちにちょっとばかりねじれてしまっているようだ。あんたを守るはずが、周囲の影響を受けて邪気を放つようになった」

 珠子は俯いて膝を抱えてしまっている。さすがにショックだったのだろう。祖母からの思い出の品が自分を苦しめていたばかりでなく、原因が祖母にあると知らされては。

「一応言っておくと、根本は何にも変わってないからな。あんたのばあさんは、ばあさんの願いはあんたを守ろうとしている。ただ小刀は直接あんたを守るんじゃなく、あんたを傷つける原因を近づけまいと邪気をまとうようになったんだろう。言っただろ、願いがねじれたって」

『それじゃ、おばあちゃんは…』

 こくりとうなずき右手の親指を立ててみせる。

「今でもあんたを思ってるってことだ。こんなにも強い心を残す人間は初めて見たよ」

 正幸は今まで見せたこともない少年のような笑顔でニッと笑うのだった。それを見た珠子はぽろぽろと涙を落としていた。

『あれ……なんで?』

 ポンポンと正幸が頭に手を軽く乗せる。それがスイッチになったのか、せきを切ったように正幸の胸で泣きじゃくるのだった。


 しばらくして珠子が落ち着いたのを見計らって正幸は切り出した。

「それじゃ始めるが、本当にあんたは何もしなくてもいい。おそらくばあさんの思念が出てくるだろうから、しばらく世間話でもしててくれ。その間に俺の方は終わらせておく」

 珠子が頷くのを見て、祝詞を唱え始める。

(おばあちゃんにまた会える)

 その事実を知った時から珠子は嬉しいような、さびしいような不思議な気分を味わっていた。一度死別した祖母に会えるのだから嬉しいはずなのに、亡くなった後にまで迷惑をかけているようで心苦しくもある。いったい何を話せばいいのか、わからなくなっていた。

第1章 刀と刀匠④の1と2を統合するという話でしたが、サイトの管理上削除しないほうがいいようなので、このままにしておきます。

ご了承ください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ