第1章 刀と刀匠 2
目の前に並んだ食事に正幸は驚きを隠せなかった。「それ」は母・代志乃が作ったものでないことは明らかだったが、そうなるといったい誰が作ったというのだろうか。言わずと知れたことではあるが、この台所にいたのは代志乃と珠子のみ。代志乃でなければ珠子が作ったということになるが。
「母さん……これはなんだい?」
思わず正伸が質問した。無理もないことではあるが、その食卓の中央の皿に盛られている料理?はとても特徴的な色をしていた。
「これは、お肉よ。この間、幸ちゃんが返り討ちにしたイノシシのお肉の残り」
代志乃は落ち着いている。だが、正伸が怪訝に思うのも仕方がなかった。なんといっても色が青かったり緑だったり、最初からある肉の色がもう見あたらなかった。
「えへへ、すみません。私が作りました。代志乃さんと話していたらお料理の話になって、その流れで一品任せてもらえることになったんで、唐揚げを……」
頭をかいて申し訳なさそうにしている珠子。この娘には料理の才能というものはないのだろうか。しかし、原色混合ソースのかかったから揚げ?は意外なほどおいしそうな匂いを漂わせていた。
「見た目は悪いんですけど、味のほうは代志乃さんの保証付きです。だまされたと思って食べてみてください」
とは言うものの、さすがに食べるのには勇気がいる。正幸たちがどうしようか逡巡していると、戸口がガラリと開き新たな人物が入ってきた。
「ほっほー、うまそうな匂いじゃ。昼のおかずはなんぞい」
新たな闖入者…もとい、現れたのはこの家の当主である正満であった。身の丈はおよそ150㎝程と小柄だが、その肉体は老人とは思えないほどに鍛え上げられていた。薄手の作務衣から伸びる腕は、筋骨隆々としている。腰も曲がらずシャキっと立っているし、老人的要素は髪とひげが白いことぐらいだろうか。
「ん?お嬢ちゃんは誰だ。今日はお客さんの予定なんてあったか?」
と言いつつ、シシ肉の唐揚げ原色ソース和えを一つつまんでぱくっと口に放り込んだ。
「!!!」
つい先ほどまでやや細かった正満の目が大きく見開かれる。いったいどうしたことなのか、そのまま天を仰ぎ固まっていた。
「ま…」
ようやく出たひと言だが、次が続かない。みんな次に続く言葉を待って息をのむ。
「まっこと、うまいぞーーーーー!」
突然の絶叫が山にこだまする。その声の大きさに山鳥が一斉に飛び立ったほどだ。
「だから言ったでしょ、私の保証付きだって」
唖然とする正幸たちに対し、代志乃と珠子は満足げな笑みを浮かべ頷きあうのだった。
「ほほぅ、お嬢ちゃんが正伸が言っていた記者さんか。なるほどのぅ」
食後のお茶の準備をしている代志乃の後ろで、正伸は改めて珠子のことを紹介していた。どうやらこの場で正満に珠子を引き合わせて取材の話をするつもりだったのか、あらかじめ話は通してあったようだ。
「さっき正伸から食後にちょっと話があると言われててのう、何の話かと思っておったところじゃ」
そう言って豪快に笑う正満は、どこにでもいる気のいいおじいさんだった。何の説明もなければ人間国宝候補になっている名のある刀匠などとは誰も思うまい。
「それで父さん。この後、工房の床の間で取材を受けてもらっていいかい。どうせなら仕事場を見てもらった方がいいと思って」
「ふむ、よかろう。それなら儂だけじゃなく、おぬしも同席せい。どうじゃな嬢ちゃん、良いかのう」
正満は珠子に問いかける。取材メモでも書いてあるのか手帳に視線を落としながら、
「そうですね~……えぇ、大丈夫です。というより私からすれば願ったり叶ったりです。正満さんと正幸君には取材をお願いしていたんですが、どうせなら親子3代。正伸さんにもお願いしたいと思っていたところなので」
少し考えるようなそぶりを見せたが、珠子は最初からいくつかプランを用意していたようで快く承諾した。
「せっかくなので3人の写真を表紙にしたいと思うのですが、撮影させてもらってもよろしいですか?」
これも考えていたプランなのだろう。カメラでシャッターを切るようなしぐさを見せた。
「がっはっはっ。よかろう、よかろう。他の者なら断っているところじゃが、あんなうまい唐揚げを作ってくれたお嬢ちゃんの頼みだ。いくらでも撮るがよい。よいな正伸、正幸」
二人を見まわしながら正満は返事を待つ。正伸に異存は無いようで、すぐに首肯する。正幸はあまり乗り気ではないのか、渋面を作っている。
「なんじゃ正幸、不服かの」
改めて問われる正幸だったが、正満からの重圧に根負けしたのかしぶしぶ頷くのだった。
「それなら工房に行くかの。正伸、準備を手伝え。正幸はしばらくしたら嬢ちゃんを連れてこい。それまでにきれいに片づけておくでな」
「その前に、お父さん。お茶をどうぞ」
食卓から立ち上がろうとしていたところで、代志乃が入れたばかりの熱いお茶を各々の前に出す。緑色がきれいなおいしそうなお茶だ。
「おぉ、すまんのう代志乃さん。それでは、いただいてから行くとしようかの」
代志乃も食卓に着いたところで、みんなのお茶を啜る静かな音だけがしばらく聞こえていた。
「ん、ん~。とってもおいしかった。代志乃さんすごくお料理上手だね。あこがれちゃうなぁ」
正満たちが工房に向かって十数分後。正幸と珠子は離れにある工房へと向かっていた。珠子の肩にはカメラやICレコーダーが入ったリュックがかけられている。ここに来る前に客間に取りに戻ったのだ。
「あんたの作った唐揚げもなかなかだったぞ。さすがにあの色にはびっくりしたけどな」
そう、珠子の作った唐揚げもなかなかに好評だったのだ。正満がつまんだのを皮切りに、正幸たちも恐る恐る食べてみたが、不思議となじみのある味だった。よくよく聞いてみるとあの色は野菜のペーストをソースに混ぜて最後にから揚げの上にかけたのだそうだ。原色が多かったのは、ホウレン草やニンジンなどの緑黄色野菜を多く混ぜ合わせたからとのこと。
「えへへ、そう?うれしいなぁ」
あまり褒められ慣れていないのか、珠子は頭をかきながらくねくねと体をしなっている。
「でも、もう少し色味を考えた方がよかったんじゃないか。いきなりあの色はびっくりする」
褒められて落とされた珠子は、ぷくっと頬を膨れさせている。しかし自覚はあるのか、すぐに膨れ面を崩して頭の後ろで手を組んだ。
「なかなかうまくいかないんだよね~。あの野菜ソースはいろんな料理に合わせられるんだけど、揚げ物なんかには色合いが合わなくて。今、研究中なの」
などと雑談をしているうちに、離れが見えてきた。火を使うところということで、母屋から少し離れたところに建てられている。年季は入っているが、造りがしっかりしているのでくたびれたような印象はない。
「大きな離れだね。ここに住めるんじゃない?」
珠子は改めて感心していた。昔から続く家とはいえ、最初からここまで大きな工房を構えることはできなかっただろう。代々の鍛冶師たちの努力の跡と言っても過言ではないだろう。
「さて、工房に入る前に清めの塩をふってくれ。ここは敷地の中でもさらに神聖な場所として清めてある。火の神を祀るところということもあって、俺たちも必ず清めをすることにしている。まあ、一族に昔から伝わる風習ということで我慢してくれ」
そういって正幸は羽織ったジャージのポケットから袋を取り出す。そして、自分の頭や肩にかけた後で珠子に向き直った。しかし、そこで何やら考え込んでしまっている。
「なあ、あんた自分でふるか?嫌じゃなければ俺がこのまま塩をふってもいいんだが…」
と言って、頬のあたりをポリポリと掻いている。一体なんだろうか、この変に初々しい感じは。
正幸もいい大人だろうに、女性に対する接し方が分からないようなそんな印象を受ける。珠子も同じように感じたのか
「もしかして正幸君って、同世代の異性とはあまり話したことない?」
と、かわいらしく小首をかしげて問う。途端に耳まで真っ赤になってそっぽをむいてしまった。それを見た珠子は思わず吹き出してしまう。つまり、今までぶっきらぼうに見えていたのはただ単にどう話したらいいのか測りかねていた、ということだ。
「正幸君ってかわいいところあるんだ。なんか意外」
「うるさい、どうだっていいだろそんなことは!」
照れ隠しのつもりなのか、袋に手を入れやや乱暴に珠子に向かって塩をふりかける。「キャー!」と言って逃げる珠子をムキになって追いかける正幸。しかし、清めの塩は最初の一掴み分で十分に珠子の身を清めているので、それ以上に追い回す必要はない。
そんなことでじゃれついていると、外の騒がしさに気付いたのか正伸が戸口から顔を出して様子を窺っていた。そして、二人の追いかけっこを見て何やらにこにこしている。
それに先に気付いたのは珠子だった。突然立ち止まって顔を赤くして俯いてしまう。急に立ち止まった珠子に、正幸は危うくぶつかりそうになる。急にどうしたのかとあたりを見回してみると、戸口から正伸がこちらを窺っていることに気付いた。
「お、親父…いや、これは、その、なんというか…」
何か言い訳をしようとして、かえって口ごもってしまう。
それに対し正伸は何を言うでもなく早くおいでとでもいうように二人に向かって手招きをしている。さすがにこれ以上醜態をさらすわけにもいかず、招きに応じ二人とも工房にしている離れに入っていった。
それにしても広い離れだ。母屋もここも平屋建てなため、二階建て一軒家より広く見えるのは当たり前だが、それにしたって広い。入ってすぐのところは土間になっていた。そしてその奥に鉄を打つためのものと思われる鎚や、水がためられた箱が見える。入ってすぐ左に障子戸があり大きく開かれている。そこは大きな和室になっていて先ほど手招きをした正伸と、今まで姿の見えなかった正満が待っていた。準備も整っているようで、来客用に座布団が用意されている。
「よくきたの、お嬢ちゃん。遠慮せず上がるがよかろう」
正満に促され部屋に入った珠子だが足を踏み入れた途端、体に何か圧し掛かるような感覚にとらわれた。部屋の中は特におかしなところはない。先ほど土間から見ていた光景と何一つ変わらない。しかし、明らかに何かが違う。
「お嬢ちゃん、気分はどうかね?」
正満は珠子の様子に気が付いたのかそうでないのか、立ち尽くす彼女に向かって声をかける。ハッとして正満を見るが、驚いた様子も不思議に思った様子もない。ただ真直ぐに珠子を見ている。正満だけでなくその右隣に控える正伸や、いつの間に移動したのか正伸の正面に座る正幸も珠子を見ていた。
「あ、いえ。大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
自分ばかり皆に見られて居心地が悪くなったのだろう。珠子はそそくさと正満の正面に座り肩からリュックを下すと、改めて挨拶をした。
「本日は貴重な時間を割いていただきありがとうございます。月刊マエストロの記者をしております、椿珠子と申します。よろしくお願いします」
座布団の左に座り、手を付き深々と頭を下げる珠子。しっかりとした礼儀作法を教わってきたのだろう、なかなか様になっている。
「堅苦しい挨拶はよい。頭を上げるがよかろう、お嬢ちゃん。そのままでは足が痛いじゃろう、遠慮せずに座布団に座るがよい」
珠子は促されるまま、座布団に座りなおす。そして脇に置いたリュックの中から包装された箱を取り出すと、
「心ばかりですが、お納めください。」
と、正伸に向かって差し出した。
「恐縮です」
短く答え、受け取る正伸はそのまま正満のところへ箱を持って行った。
「そんな気など使わなくてもよいのにのう。して、中は何ぞや?」
箱を受けとっと正満は申し訳なさそうな顔をするが、中身に興味津々なようだ。「開けてよいかの?」と断ると包装をはがし箱を開けて見せた
「おぉ、兎屋の羊羹か。儂はこれに目がなくての。さすが、轟君ところの記者さんじゃの」
その言葉に、珠子は驚いた。その轟という名は、自分の上司である編集長の名前だった。正満は自分の言った言葉に気が付き「しまった」という顔をするが、出てしまった言葉を引っ込めることはできず、後の祭りだった。
「あの、うちの編集長をご存じなので?このお土産を進めてくれたのが轟編集長だったんです」
ばつが悪そうにひげをなでる正満に代わって、正伸が答えた。
「轟さんは5年ほど前に取材にいらしてね。その時に父さんと気が合ったようで、その晩はえらく盛り上がってね。今でも時々お酒をもって呑みにいらっしゃるんだよ」
つまりは、飲み仲間ということだ。
「轟君には口止めされとったんじゃがの。ばれてしまっては仕方がない。そういうわけじゃから、なんでも遠慮なく聞くがよかろう。その前に…」
正満は目を細め珠子を矯めつ眇めつ、上から下までじっくりと観察する。今まで見たこともない正満の表情に、珠子は何が始まったのかと気が気でないようで妙にそわそわしている。
「ほほっ、そんなにかしこまることはない。取材の前に、その居心地の悪さを取り除いてやろうかと思っての」
その言葉に驚く珠子をよそに、正満は正伸の上。正確にはしつらえてある神棚を指してこう言った。
「その神棚に手を合わせてみなさい」
と。
不思議に思いつつも言われたとおりに手を合わせると、今まで圧し掛かっていた圧力のようなものがふっと消えるのを珠子は感じた。
「…これって?」
正満や正伸、正幸を見回す珠子には何が起こったのかわからなかった。彼らが何かをしたわけでも、何かが変わったわけでもなかった。しかし、今まであったどこか拒まれるような雰囲気はもうなくなってる。
「お嬢ちゃんは、霊感が強い人かの?」
聞かれてうなずく珠子だったが、どうして?という顔をしている。今まで誰にも、編集長にさえ話したことのないことなのに、どうしてわかったのだろう。
「この家に入るときに正伸から説明があったと思うが、この場所には火の神様を祀っておる。強い力を持つ者はそれを感じ取ってしまうんじゃよ。しかも、嬢ちゃんのように力を持つ道具を所持している場合は特に、のう。お嬢ちゃん、守り刀なんぞ持っておったりはせんか?」
さらに驚いた顔をする珠子。
「はい、持っています。私の家に代々伝わる守り刀を。上京する時におばあちゃんからもらったものです。でも、どうして…」
正満はひげに手を当て少し考えるそぶりを見せた後、膝をポンとたたいた。
「いいじゃろう、お嬢ちゃんには教えようかの。どうやら〝こちら側"にも関係しているようじゃしの。だがまずは、正幸」
脇に控えていた正幸が立ち上がって、珠子の方へ歩み寄ってくる。手を伸ばせば届く位置まで来て、しゃがんだかと思うと手を差し出してきた。
「あんたの守り刀、見定めさせてもらいたい。貸してもらっていいだろうか?」
その眼は今まで珠子が見たことのないものだった。先ほどまでの正幸とは明らかに違う。極限まで研ぎ澄まされて、弾けばピンと甲高い音を響かせそうな張りつめた空気を伴っている。しかし同時に静かな凛とした静寂さが混在している。
言われるがままリュックから小刀を出し渡す珠子だったが、そこで我に返ったようだった。
(誰にも渡してはいけないと言われていたのに…雰囲気にのまれていた?)
まさに適当な表現だろう。正幸の持つ独特の雰囲気。一瞬目の前にいるのが誰かわからなくなってしまった。
(いったいなんなの?これが鍛冶を、刀を鍛えるときの職人だということなの?)
圧倒されつつも、頭の中では次々に疑問が浮かんでは消えていく。その間にも正幸は小刀を鞘から抜き、刀身を光の下にかざして観察をしている。その小刀は簡素な白鞘に納められていた。おそらく家宝として代々受け継がれていたのだろう。きれいな刀身が陽光を弾いている。
祖母から譲り受けて以降、肌身離さずにいたものではあったが、幸いにも今まで使う機会もなかったので、刀身を見るのは珠子もこれが初めてだった。
窓から差し込む陽光を反射してキラキラと光っているように見える。だが正幸は険しい顔で刀身を見つめている。しばらくすると、小刀の刀身を鞘に戻し訊ねてきた。
「この守り刀、最後に研いだのはいつだ?」
少し考えて、しかし珠子はかぶりをふる。
「わからないわ。私がおばあちゃんからもらって以降は刀を抜いたこともないし、おばあちゃんが持っている間は研いでいるところなんて見たことないもの」
それを聞いて正満ら三人は頷きあい、珠子に一つの提案をする。
「お嬢ちゃん。お嬢ちゃんさえよければなんだが、その小刀を研がせてはくれんかのう。ここ最近お嬢ちゃんの身の回りで起きた災難も、解決できるかもしれん」
「!! どうして?私そんなこと一言も言ってないのに…」
正満の言ったことは事実だった。一か月ほど前から珠子の周囲に危険なことが起こっていた。会社の本棚からは重い辞書が珠子めがけて落ちてきたり、道を歩いていたら居眠り運転の車に引かれそうになったりと不運が続いている。熊に襲われたこともそうだった。
「思い当たる節があるようじゃの。大丈夫じゃ、おそらくほとんどのことは解決できるじゃろう。任せてみんか?」
正満たちは何か知っているのだろうか。自分が知らない何かを。珠子は自分のことよりもそちらの方が気になってしまっていた。どうもこの仕事を始めてから気になったことをそのままにしておけなくなっている。立派な職業病だと思うが疑問を解消するためにも、自身に起きている不運についても何か知ることができるとなれば、珠子は頷くしかなかった。