第1章 刀と刀匠 1
「申し訳ありませんでした。正幸が入っていたなんて思いもよらず…。ほら正幸も」
と、正伸は正幸の頭を押さえつけながら深々と頭を下げていた。あれからおよそ1時間。囲炉裏を挟んで上座に珠子が座り、下座に正伸と正幸が深々と頭を下げて伏していた。
珠子の悲鳴を聞きつけて飛んできた正伸の目に飛び込んできた光景は頬に手の跡をつけて座り込む正幸の姿だった。その正幸から事情を聴き戸口を挟んでお詫びをした後、風呂上りの珠子に改めてお詫びをしているところだった。
「もういいですよ、よく確認しなかった私もいけないんですし。それにお互い湯気でほとんど見えなかったわけですし」
そう、実際のところ正幸も珠子も互いの顔くらいしかよく見えていなかったのだ。正幸が上がってきたことで、風呂場から脱衣所のほうへ空気が流れてすぐに湯気で見えなくなってしまった。さらに言えば、二人とも大事なところはしっかり隠していたわけで。要するに水着どうしみたいな感じだったが、風呂場ということで気が動転してしまったということだった。
「そういってくださると、大変ありがたいですが。ほら、正幸もちゃんとお詫びをしなさい」
促されるとしぶしぶという感じではあったが、悪いとも感じていたのだろう。素直に謝罪の言葉を口に頭を下げた。
「すみませんでした」
とりあえずこれで一件落着となったはずだったのだが、ここで正伸から新たな提案が出された。
「許していただけるということではありますが、これだけでは私の気が収まりません。どうでしょう、ここはひとつ正幸の密着取材をお詫びの代わりにするということで」
「……は?」
正幸はまさに鳩が豆鉄砲を食らったような顔をし、珠子はその申し出に目を輝かせた。
「もちろん、ありがたく取材させていただきます!ものすごく助かります。ですが…」
願ったり叶ったりの申し出であるはずなのに珠子は歯切れの悪い返事をする。そして真直ぐに正伸を見ると、
「ですが、まずは刀匠という職業について知るところから始めたいと思います。最初に正満さんにお話を伺いたいのですが、いかがでしょうか?」
尋ねる珠子にはつい先ほどまであった状況を楽しんでいるような雰囲気はもうなく、真実を追い求めるジャーナリストとしての姿勢が感じられる。
「ほぅ……」
これには親子とも少なからず驚かされた。しかし、一人で二件もの取材を任される人物である。駆け出しやいい加減な仕事をする人物でないことはわかっていたが、
(なるほど。十分に実力のある記者のようだ。若いのに大したものです)
珠子の真摯なまなざしを受け正伸は一拍の間をおいて頷くと、
「わかりました。それでは昼食の後に一席設けましょう。それまではゆっくりしていてください」
快く珠子の提案を受け入れる。そして、まだ昼食まで時間があることを確認すると正幸に耳打ちをする。何やら険しい顔になる正幸の肩をポンとたたくと珠子に向き直った。
「まだ時間もあることですし、家の中を自由に見て回られてはいかがでしょう。刀匠を知るということならその生活からも何かしら得るところがあるでしょう。正幸を同行させますから、ご自由にお使いください」
目を輝かせる珠子とは対照的に、げんなりする正幸であった。
「で、どこを見て回りたい?」
あれからさらに30分後。珠子が浴衣から普段着に着替えたところで二人は応接間に来ていた。
なぜそんなに時間がかかったかというと、珠子が風呂上りであった事と疲れたからと言って休憩をしていたためである。
「そうね~、やっぱり刀鍛冶の家といえば気になるのは刃物のことよね。それから……」
興味は尽きないのか、いろいろぶつくさ言っている。この女、研究熱心なのはいいことだがその思考が口からダダ漏れしていることに気付いているんだろうか。気づいていたとしても、改善する気がないのならばあまり意味のないことだが。
いつまでも思考の海を漂っている珠子にしびれを切らせたのか、正幸はため息を一つついて
「それなら、台所に行くか?母さんも紹介してやるよ。でないと、取材でいろいろ聞かれそうだからな。どうせなら本人に聞くのが一番いいだろう?案内するからついてこいよ」
言うが早いか正幸は立ち上がって腰を伸ばしている。応接間などほとんど使っていないからソファが新品同然で、座りなれていない正幸にはかえって負担になっているようだ。
「やっぱり……でもそれなら……ふふふ、そうよね。ふふふふふふ……」
いまだに思考の海をさまよっているのか珠子の耳には聞こえていないようだった。それどころか、よくよく聞いてみると何やら漏れ出ている言葉の端々にいろいろと出てきてはまずいような単語の羅列があったりもした。
そんな珠子を見て正幸は呆れていた。というかドン引きしていた。あった時からいろいろと変な女だとは思っていたが、中身はもっと怪しい……いや、危ない奴だったとは。
しかし正伸から言い付かったことなのでそのまま放っておくこともできず、いよいよ困った正幸はついに実力行使に出ることにした。
「へへへ、そうよね。やっぱり刀は切れ味が大事よね。やっぱり打ちあがった刀で……」
なんだか、聞いてはいけないような混沌とした思考に陥っているようだ。気は進まなかったが意を決して珠子の正面に立つ。光が遮られ、普通の状態ならこれで気が付くはずだが。
「ふふふ、あはははは」
珠子は全く気付く気配がない。
「はぁ………」
いったいどんな考え方をしたらここまで思考に飲み込まれることができるんだろうか。ある意味ではこいつも天才なのではないか。なんていうとんちんかんな考えが脳裏をかすめるが、さすがにそれはないと自分の思考を遮った。今は、いかにして珠子をこっちに引き戻すかが重要なのである。
「ん~~~~、まあいっか」
つぶやいた正行はしゃがんで珠子と視線の位置を合わせると、右腕を額の高さまで上げた。かと思えば中指を親指で抑え力をこめる。いわゆるデコピンなわけだが、正幸の腕や指を見れば常人よりはるかに鍛えられた体であって。
バシッ!
「いったーーーーーーい!」
とまあそういうことである。
「ちょっと何するのよ!」
ようやく思考の海溝から引っ張りあげられた珠子が抗議の声を上げる。
「知ったことかよ。危ない考えにのめりこんで人の話を聞いてないお前が悪い」
正幸はすでに戸口の前に立ち、部屋を出る体制になっていた。それを疑問に思った珠子が額を押さえながら、
「いったいどこにつれてこうって言うのよ」
と、抗議の視線を送りながらたずねる。
「まったく人の話をどこまで聞いてないんだか、台所に案内するって言ってるんだよ。いやならついてこなくてもいいぞ」
正幸は珠子の返事を待たずに部屋を出て行った。すでに行き先は決まっているようで珠子に意見を挟む暇すら与える気はないようだ。
「ちょ、待ってよ。私も行くよ~」
珠子は相変わらず額は押さえたまま、傍らにおいてあった手帳と筆記用具とをつかむとばたばたと応接間を後にしたのだった。
ところ変わってこちらは台所。正伸と妻の代志乃が昼食の準備をしながら団欒しているところだった。
「それで、どうだったの記者さんは。どんな人だった。男の人、それとも女の人」
興味津々と言った様子で茹でたほうれん草をきっていく代志乃。その姿は土間にかまどが備え付けられているこの台所には似つかわしくないが、年季の入ったこの家で現代味の感じられる服装だった。白のシャツには襟元にレースがあしらわれ、その上に羽織っているのは淡い若草色のカーディガン。濃い藍色のスカートと相まって彼女の雰囲気にピッタリだと思える。傍らでは作業台の上で大根とおろし金と格闘している正伸の姿があった。
「なかなかかわいいお嬢さんだったよ。正幸のお嫁さんにはああいう活発な娘がよさそうだね。あれはめんどくさがりで、引っ張って行ってくれる女性くらいがちょうどいいんじゃないかな」
夫婦の会話がものすごい方向へ飛んでいっていた。珠子と正幸が結婚?当人たちが聞いたら耳を疑うだろう。今日知り合ったばかりで、まさか結婚の相手に決められようとは夢にも思うまい。
「あら、そうなの?それならお昼が楽しみね。早く会ってみたいわー」
なんてことを言っていると不意に台所の戸が開かれた。
「母さん、居るか?」
入ってきたのは正幸と噂をすれば何とやら、珠子だった。代志乃は現れた人物を見るなり、目を輝かせて近づいていく。
「あらあら、噂通りのかわいらしい娘さんだこと。正幸のお嫁さんにしておくにはもったいないわね」
その一言に正幸と珠子が凍りついたのは言うまでもない。たっぷり数秒の間を空けて、
「はぁぁっ!?」「えぇぇっ!?」
二人の絶叫がこだまする。
「ちょ、ちょっと母さん。そんなこと言っちゃダメだって、まだ会ったばかりだよ」
「えぇ~?いいじゃないのよ、私の勝手な希望なんだから。別に必ず結婚しなさいなんて言ってるわけじゃないし、言うだけならただじゃない?それに、最初に言い出したのはあなたのほうじゃない?」
正伸の言葉にもどうやら聞く耳を持たないらしい。ルンルンとした足取りで呆けている正幸たちを見て、満足げにうなずく。
「なかなかお似合いじゃない?ちょうどよく二人並んで立ってることだし、記念に写真でもとっておきましょうか?」
とか言いながら珠子の周りをくるくる回り、よくよく観察している。
「うん、合格!」
いったい何が合格なのか再びうんうんと満足げにうなずく代志乃。
「じゃなくて!」
突然大きな声を上げる正幸。どうやら、突然の結婚発言におけるフリーズから復活したようだ。
「母さん、いつもの妄想大爆発なのはわかったからちょっと静かにしててくれないか」
額に手を当て壮大なため息をついて頭を振る。いつものということは、これがこの家の日常茶飯事のようだ。しかし、今回は内容が突拍子もなく他人を巻き込んでということで混乱が大きかったようだ。
傍らの珠子も思考停止から戻ってきたのか両頬に手を当て顔を赤くしながら何やらつぶやいている。よほど衝撃的だったのか、正幸が覗き込んでも気がついた様子がない。
「結婚……私が正幸君と……や、さすがに。でも、お母様は……だけどお父様だって……」
どうやらまた思考の海をさまよっておいでのようで。というかこの場合はピンクのお花畑だろうか。それにしても何を想像しているのか、本気で正幸との結婚を?さすがにそれは行き過ぎた考えというか。そもそもこの娘は正幸のことを好いているのだろうか?いずれにしてもこのままでは話が進まない。正幸は無言で珠子の額を指先でつつき意識を外側に向けさせる。
「ふぇ……ま、正幸君!?なんでこんなに近くに顔が!?ていうか、私またやっちゃった!?」
「別に何もしてない。ぶつぶつ何か言ってたくらいだ。それにしても正幸君って…まぁいいや。それで、ようやくお目覚めか?まったくあんたはよくよく思考にのめりこむな。そんなんじゃ、周囲に心配されてやしないか?」
珠子は思い当たる節があっるのか、しゅんとして俯いてしまった。
「それはともかくとして、紹介しておく。あれがうちの大黒柱にして俺の母親、村田代志乃。」
正幸は台所と呼ぶには少々広い調理場の、流し台の前に立つ人物に視線を向ける。当の代志乃はひらひらと手を振って珠子のほうへにこやかな微笑みを浮かべていた。
「普段はいい母親なんだが、さっきのように変なことを言い出す妄想壁の持ち主だ。困ったことに突然なもんでさっきみたいなことになる…こらこら、思い出すな。忘れろ」
珠子は先ほどの代志乃の言葉を思い出したのか顔を赤くしていた。しかし差し出された代志乃の手に気が付いておずおずと握手する。
「ごめんなさいね、びっくりさせちゃって。それにしても何よ、幸ちゃんの紹介は。まるで私が変なおばさんみたいじゃない。失礼しちゃうわね!」
「いやいや、あの発言の後じゃ何を言っても説得力無いから。それに普段はいい母親だって言っただろ」
正幸の発言に対しむくれる代志乃だったが、そのやり取りを見てか珠子はクスリと笑った。
「おや、何か面白いことでもありましたか?」
二人の漫才のようなやり取りを傍らで見ていた正伸はそれに気づいて珠子に小声で話しかける。
「いえ、仲がいいんだなぁって。うらやましく思っただけです。私は実家から出て一人暮らしをしているので、こんな家族団欒って久しくなかったものですから」
そういう珠子の笑みは一層深くなっていた。それを見る正伸の表情も穏やかな微笑みに代わっていく。
「まぁ、毎日一緒ですからね。時に喧嘩もしますけど基本的には家族円満ですよ。おじいさんも含めてね」
正伸はまだ続いている正幸を代志乃のやり取りを見て、あきれつつも穏やかな表情をしている。何気ない日常の幸せをかみしめているように。
「それはともかくとして。ほらほら正幸、お客さんをお待たせしているよ。母さんに何か用があったんじゃないのかい?」
と、親子漫才を遮るように正幸に声をかける。そんなに何を言い争うことがあるのか、二人は正伸が声をかけるまでやめなかった。
「はぁ、はぁ。そうだった」
正幸は荒くなった息を整えるために一つ深呼吸をすると、二人に向き直った。
「この椿さんが家のどこを見たらいいのか迷ってたから、とりあえず一番最初に台所に連れてきた。刃物を扱うところってことで考えたんだが、母さんにいろいろ質問してもらおうかと思ってな」
「なるほどね。あなた、椿ちゃんって言うのね。かわいらしいお名前じゃない。それで、私に聞きたいことって何かしら?わかることならなんでも答えちゃうわよ」
張り切って質問に答えようとする代志乃だった。だが、そこに正伸が割って入った。
「母さん、彼女の名前は椿さんじゃないよ。椿は苗字で、名前は珠子さん」
「あらやだ、私の早とちりね。ごめんなさいね、そそっかしくて」
と、照れ隠しなのかエプロンの裾でもって濡れてもいない手をぬぐっていた。そして改めて準備万端というように珠子からの質問を今かと待ち構えている。
「いえ、時々間違われるので私は別に。それでは、いくつか質問させてください。まずは……」
珠子から代志乃への取材が開始されたのを見て、正伸は正幸を手招きし勝手口から外へ出る。正幸もそれに続き戸外へと出て行った。
(あれ、正幸君たちは行っちゃったんだ。まぁ、そのうち戻ってくるかな?)
勝手口の外、風呂炊き場まで行くと正伸は足を止めて正幸を振り返る。
「どうでした。あの子にまとわりついている邪気の正体、掴めましたか?」
邪気の正体。確かに正伸はそう言った。別に珠子の周囲に何かがあったわけではない。彼女の動向にも特におかしなことは見受けられなかった。彼らはいったい彼女の何を見て話しているのだろう。
「どうにもよくわからないな。ただ、風呂場にいた時はそんな気配はなかった。そして、今も特に感じない。ということは怪しいのは持っていた荷物のほうだが、おそらく背負っていたリュックのほうだろう。スポーツバッグのほうは俺がここまで運んできて、おかしな感じはしなかったしな。あとは…」
正幸は壁にもたれかかって、考えを巡らせている。天を仰ぎ、何かを自分の記憶と照らし合わせてでもいるようだ。
「おそらく刃物に由来するものだろうな。守り刀でも持ってる可能性があるんじゃないか?実家から出て一人暮らしなんて言ってたし、それに椿って苗字。なんか引っかかる」
頭の端に残る違和感の正体。それを掴むことができずに正幸は歯がゆい思いをしていた。確かにどこかで聞いた覚えがあるはずなのに、思い出すことができない。
「とにかく、それとなく探りを入れて見る。清めの塩だって、そう長いこと持ちはしないだろうし」
そういう正幸の顔にはどこか焦りの色が見える。いったい珠子に何があるというのか。そして、珠子にまとわりついた邪気とはいったいなんなのだろうか。
「二人とも~、そろそろお昼にしましょう。準備できたわよ~」
その場の重い空気を打ち破るように代志乃の明るい声が響く。その途端、正幸の腹がぐうぅと盛大に音を立てた。
「まずは、腹ごしらえですね。行きましょうか」
正伸が代志乃に返事をしながら勝手口の方へ歩いていく。それに続く正幸だったが、先ほどの違和感の正体が気になるのか眉間にしわを寄せたままだった。