第2章 鍛冶師と刀匠 4-2
「そもそも村正とは一人の人物のことを指す名前ではありません。最初は確かに一人の刀匠がその銘を名乗っていましたが、後の世では『千子村正』と名乗る刀工集団として村正は認識されるようになります。しかしながらそれは一般的には浸透していません。我ら刀鍛冶と言われる人間に、口伝として伝えられていることの方が多いでしょう」
正幸にとっては初耳だった。当然、村正とは一人の人間を指すものだと思っていたし、弟子がいたとしてもそう多くはなかっただろうと予想していた。しかし、その予想は大きく覆された。刀工集団であったならば、その血筋が絶えることなく現代まで残っていたのもうなずける。村田家のように。
「でも、どうして世間には知られていないんだ。そんなこと少し調べれば知る方法はいくらでもあっただろうに」
そう、情報を漏らさないようにすることはとても難しい。口伝ともなればちょっとしたことで外に漏れてしまう危険がある。たとえば酒や、今も昔も色仕掛けに弱いのは人間の性と言うものだろう。
「そうですね、今も昔も情報統制には限界があります。完全に情報を遮断することはできないでしょう。ですが、その時代においてはそれが可能だった…いや、そうせざるをえない時代だったというべきでしょう」
含みのある言い回しをすると、ひとつの質問を投げかける。
「村正と言う名はある時代において歴史の表舞台から消えることとなります。それはなぜか、わかりますか正幸君」
ふんとわずかに鼻を鳴らし口をへの字にする。小ばかにされていると思ったのか正幸はいらだちを含んだ口調で
「さっき俺の言ったとおりだ。江戸時代において村正は徳川家に忌避されるようになる。その存在は歌舞伎なんかの大衆文化に残るが、刀匠としての村正は世間の中で生きにくくなる。だから名前を隠して生きなければならなかったというところか」
ぱちぱちと乾いた音が響く。満足のいく回答だったようで正伸は笑みを深くしている。
「それでは、その名前を隠した刀匠集団はいったいどうしたと思いますか。どうやって江戸の世から今の時代にまで世代をつなぐことができたのか、予想が付きますか?」
問われて思わず考え込んでしまった。言われるまで考えたことはなかったが、現代まで村田の血筋は絶えることなく脈々と受け継がれている。
「…いやいやいや、俺はまさにそれを含めて村正について聞きたいんだけど」
「まぁ、そう言わずに考えてみてください。いったいどのようにして現代まで村正を受け継ぐことができたのか。考えることはこの後の話を聞くうえでも無駄にはなりませんよ」
ぐっと次の言葉を飲み込んだ。確かに考えることは必要だと思うし、今まで答えを求めるだけで自分で考えていなかったことに今更ながらに気付いた正幸は、しばらく考えを巡らせることにした。
「ん~~、隠れ住んでいた…っていうのは短絡的すぎかな?今までいた場所から移り住んで、別の土地で商売を始めたとか。…あ、そっか。名前を変えて別の鍛冶屋として生計を立てた!ではどうですか?」
珠子は会心出来だといわんばかりに雅に詰め寄る。それが嬉しいのか、顔が崩れそうになるのを必死に抑えているのがよくわかる。雅にすればこれは絶好のチャンス。そのまま抱きしめてしましたいところを理性を総動員して押しとどめている。
「珠子ちゃん」
不意に名前を呼ばれた珠子は、そのままの姿勢できょとんとしてしまうが、次の言葉を聞いてざざっと後ずさった。
「このままキスしちゃっていい?」
何とか襲う前に離れてもらうことに成功したが、正直危なかった。いろんな意味で。
「おほん、さっきの答えですが…」
気を取り直して、姿勢を正す。わずかに間を取ると、珠子が少し緊張しているのがわかる。
「正解!よくそこまで行き着いた、と言いたいところだけどそんなに難しくない問題だよね。その通り、村正を名乗っていた刀匠はその名を隠して刀を打つようになったというのが一番の通説。その証拠に本田忠勝の持っていた槍『蜻蛉切』には村正一派の藤原正真の銘があるのよ」
正解してほっとしたのもつかの間、雅から新しい情報がもたらされる。あわててメモを取る珠子だったが、雅はそれをやんわりとさえぎる。
「ダメよ、珠子ちゃん。これはあくまでもお茶をしながらの世間話なんだから。それにレコーダーはまわしてるでしょ?だからのんびり聞いて、わからないことがあったら聞いてくれた方がお姉さんはうれしいんだけどな?」
「は、はい。すみません、職業柄つい…」
手元に手帳があるとつい書き込んでしまう。それは立派に職業病だ。どんなに気が緩んでいる時でも、何かあればカメラやレコーダーを取ってしまう。記者の鑑と言えば聞こえはいいが、本人も最近気にしていることだった。
「それじゃ、手帳とペンは机において。代わりにハイ、麦茶。もらい物だけどお茶菓子もよかったら食べて」
すすめられるままお茶を飲み、茶菓子を食べる。そうしながら、雅はのんびりと話を続ける。
「まぁ、そんなわけで江戸時代末期頃には『村正』をなのる刀匠はいなくなってしまったというわけ。村正一派はさっきの藤原正真みたいに、正の方だったり村の方だったりを名前に入れて代々受け継いできたと。村正についてはこんなところかな」
あとは~、と言いながら天井を見上げ上体を反らした。珠子も雅の視線を追うが天井に何があるわけでもなく、視線を思案顔の美女に戻す。
「!」
瞬間、珠子は目を奪われていた。いったい何にか。それはもちろん雅のスタイルにである。体を反らしているために薄手のセーターからボディラインがくっきりと浮き出ている。不可抗力だったとはいえ、こうも主張されると布団の中での右手の感触がよみがえってくる。
「ん~~~、ふふふ。なんだか見られてるな~って思ったら、そんなに私って魅力的?」
珠子の視線に気づいた雅がちょっといたずらっぽく笑う。その仕草にどぎまぎして二の句が継げないでいると、何を思ったのか珠子の目の前まで進み出て頭をなでた。
「え?・・・雅さん?」
きょとんとする珠子を尻目になで続ける雅だが、満足したのかにこりと笑った。
「特に深い意味はなかったんだけど、イヤだったかな?もしそうだったらごめんね」
「いえ、別に。ちょっとびっくりしただけです」
いろんな事がまだ頭の中でぐるぐるとしているが、不思議と先程までの緊張は解け落ち着いた気分で雅と向き合う。珠子の様子が落ち着いたのを確認すると雅はいよいよ本題へと話を進める。
「さて。それじゃそろそろ村正と、村田家の関係について話そうかしら」
「今までは、おおざっぱに村正について復習ってきましたが、ここからは村正と我が家の関係性について触れていきます」
正伸はいよいよ核心へと迫っていた。村田家の血筋について、村正の力についての謎がとうとう白日の下へとさらされようとしている。
「まず、我が家について。正幸はうちが村正の血筋であることは知っていますね。しかし、村正一派のどの血筋を次いでいるかは知っていますか?もしくは見当がついているとかでもいいですが」
首をかしげ考えを巡らせる正幸だが、結局思い当たらずかぶりを振った。
「そうですか。ではもう一つ質問です。村正の逸話として川につきたてた刀の話は知っていますか」
「…それは知ってる。確か、有名な刀匠正宗との逸話だよな?村正が正宗に師事していて、袂を分かつもととなった話だったか」
正伸はうなずき先を促す。
「村正と正宗では活躍した時代が違うから、眉唾もあったと思うが…。村正と正宗のそれぞれが打った刀を小川に突き立てて、切れ味を確認したんだったか。川面を流れてきた木の葉があって、正宗の刀の時は水の流れに沿って刀を避けた。村正の刀は木の葉が吸い込まれるように流れていき、その刃に触れた木の葉は二つに切れたって話だったはずだ」
「結構。おおよそその通りです」
正伸はそこまで確認すると、もう一つ正幸に質問を投げかける。
「では、その村正の打った刀の逸話。本当に木の葉が切れていたとしたら、どう考えます。どうして、そんな刀を打つことができたのか。ここまで話せばもう答えはわかるでしょう?」
答えはもう出ている。正伸はそう言っているが、まだピンと来ていないようだ。
(本当に木の葉が切れたってことはそれだけ切れる刀だったということだ。その時代にそれだけの刀を打てる技術があったってことだよな。・・・待てよ、そんな昔にいくら腕がいいからと言ってそこまでの業物を鍛えられるのか?それは、つまり・・・)
組んでいた腕をほどき正幸は正面を見据え、思い至った答えを正伸にぶつける。
「その当時にそれだけの刀を打てる技術を持っていた。しかしそれだけじゃないってことだよな。うちの家系に関わるということなら答えは、うちの一族が初代村正の血を引いているということ。そして、村正は『金属の声』を聴くことができたということでどうだ」
正伸は微笑みを浮かべ称賛の拍手を送る。
「お見事!正幸君の言う通り、我ら一族は初代村正の血と能力を引き継いでいます。だからと言ってことさらに広める必要も、隠す必要もありません。だから、今までは聞かれたら答えなさいと言ってきましたね。ただし自分からは言い出さないようにとも。なぜだかわかりますか?」
正幸は今までのやり取りから、想像力をフル動員して考える。
(隠す必要はないが自分から話して広める必要はない。現代においてもそれを守っている理由…か。昔なら何をおいても隠せって言われそうなもんだが、かえって今ならいい宣伝材料にもなりそうなもんだが。情報を広めないための理由があるということなんだろうが・・・)
「わかりませんか?」
正伸は時間切れとの意味を込めて最終確認を取る。正幸はまだ考えがまとまってはいないようだったが、それでも一つの仮説を提示した。
「俺たちが村正の子孫であるということを、広めない理由。それは、第一に世間に知られれば少なからず話題になることと関係があると思う。爺さんは何年か前に人間国宝に指定されたがそれを断った経緯がある。そんなことでも話題になりやすいと言うのが一つ目の理由。でも、これは今だからこその理由だと思う。昔から守られてきたしきたりなら、違う理由があると思うけど……。あ~、ダメだ思いつかない。とにかく、広めない理由は世間に知られて余計な人間がよりついてこないため。以上」
「と言うのはどうでしょう。村正の血筋と知られれば、よからぬことをたくらむ輩も寄ってくる。そうなれば、騒ぎが大きくなる。ひっそりと暮らしたい人間にとってはこれほど迷惑なことはないでしょう?それを防ぐために、昔から決まり事を作り守ってきたというのが、私の立てた推論です」
珠子は少し自慢げに胸をそらして、『決まった!』と余韻に浸っていた。それを雅は拍手で称賛していた。
「さすが記者さんね、私はそこまでわからなかったもの。ちゃんと道筋を立てれば、答えにたどりつくものなのね」
褒められているような気はするが、雅は違うことに感心しているような気もするし。なんだか複雑な心境だった。
「えーと、つまり正解でいいんですか?」
「そうよ~、珠子ちゃんは見事に一族の秘密をひとつ紐解いたというわけよ」
珠子はその言葉を聞いてうれしさのあまり飛び上がりそうになったが、雅の言った一言が頭の端に引っかかりその動きを止めさせた。
(一族の秘密の『ひとつ』?)
「秘密のひとつってどうことだよ親父?うちにはまだほかに秘密があるのか」
正伸の放った一言に正幸は驚いていた。珠子が謎を解いたのと時を同じくして、正幸も同じ決論に至り正伸に雅と同じことを言われていた。だが、それも当然のことだ。雅はこの話を正伸から聞いたといっていたのだから、二人と同じことを言われ同じ疑問にぶつかったのだ。そして、そのあとに続く言葉もまた同じ内容だった。
「そうです。我が家に伝わる秘密はまだあります。まずは、正幸君の持っている家宝について。これはわからないことだらけなので、脇に置いておくとして。あとは、薪割り場からもう少し登ったところに洞窟があるのは知っていますね?」
無言でうなずく正幸に続けて問いかける。
「では、その中がどうなっているかは知っていますか?」
今度は首を振って否定する。そして、
「夏の暑いときに日陰に入りたくて、休憩したことはあるけど中に入ったことはない。そういえば、夏だっていうのに中から妙に冷たい空気が流れてた気がしたな」
「なるほど、それではいい機会ですのでその洞窟に行ってきてはどうですか?其処こそ一族の秘密が眠る地と言っていいでしょう。なに、私やおじいさんも昔に度胸試しで入ったことがある場所です。危険はないはずですから、足元にさえ気を付ければ何も問題ありませんよ」
という正伸の提案は一族の秘密にかかわることと言うことで、当主である正満へと許可を求めることになるが、二つ返事で許可が下り翌朝出発する手はずとなった。しかも、正幸のほかに雅と珠子も連れてだ。いくら安全と保証されたとはいえこの同行者のことを聞いたとき、正幸には一抹の不安がよぎるのだった。




