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第2章 鍛冶師と刀匠 4-1

「ちょっと編集長!どういうことなんですか!?」

 電話に出るなり、いきなり怒鳴り声が響いた。今まで静かに仕事をしていた編集者たちが何事かと音の発生源を見る。そこには耳元で許容量以上の大音量にさらされた轟が目を白黒させている。頭を振ってキンキンと響く耳鳴りを追い払うと、他の社員に手で何でもないと合図を送り電話を持ち直した。

「やかましいじゃないか、椿君。危うくカップを落としそうになってしまったよ」

 珠子をたしなめるようにそう言うと、中身のほとんど入っていないカップをデスクに置いて革張りの椅子に座りなおす。

「あう、すみませんでした。…いや、そうじゃなくて!どうして教えてくれなかったんですか!?村田さんが村正にゆかりのある一族だってことを!」

 刀匠〝村正〟。誰しも一度は聞いたことがあるだろう。江戸時代において徳川幕府に仇をなしたと有名なあの村正である。調べればすぐにわかることだが、徳川家は村正に幾度となく傷つけられてきている。家康の祖父や父が村正の刀によって殺害されたのがその一例である。

 それ故に妖刀と呼ばれる村正だが、別にそれ自体は何の変哲もない刀である。特徴を一つ上げるとすれば、戦国時代という古刀期にしては珍しく刃文(はもん)が表裏でそろっているということだろうか。しかし、世間に広がっている物語で登場するような刀ではない。特別な力を持つわけでも、まして妖刀などではなかった。時の権力者、ここでいう徳川幕府が忌避したために歌舞伎や当時の物語で話題にされ、そういったうわさが広まったに過ぎない。

 それにしても、珠子は雅の村正発言により相当な混乱を見せている。ここまでの混乱は、山で熊に追われていた時以来だろうか。

「あのねぇ、椿君。それくらい記者なら自分で調べておくことでしょう。それに資料を渡した後、君は私に質問をしたかね?聞かれてもいないことに答えられるほど、私も時間があるつもりはないよ」

 至極まっとうな意見だ。その職に就く者としての大前提として、情報は自分で集めるものであると轟は思っているし部下に指導もしてきた。そのはずなのだが、どうにもこの娘には身についていないようだ。

「・・・・・・」

 珠子も過去に何度となく聞いた言葉である。つまりは自分の失態。押し黙ることしかできず二の句が継げないでいた。

「…でもまぁ、今回の件に関しては私も情報を出すつもりはなかったがね」

 ぼそりとつぶやくように一言付け加えた轟だが、珠子は聞き逃さなかった。

「それ、どういうことですか?」

 静かに、しかしはっきりとした声で先ほどの言葉の意味を問う。下調べをしなかった珠子はもちろん悪いのだが、だからといって轟という男は情報を出し惜しみするような人間ではない。とすれば別の意図があるのだろう。珠子が聞きたいのはその答えだった。

「どうもこうも、先入観がないほうがいいだろうと思ってね。君は結構ミーハーなところがあるみたいだから、下手に情報を持たせるとそれに偏った取材になってしまうと思ったんだよ。万人が見る記事を書くのならば、記者の主観は出来るだけ排除するべきだとは思わないかい?」

「はい・・・」

 轟の言うことはわかる。だが、それ以上に電話口の彼女には気になっていることがあったようで。

「…編集長、私ってそんなにミーハーなことしてました?」

 轟はこめかみを指で揉み解すと、盛大にため息をついた。そして、受話器から耳を離すと机の上においてあった一冊の雑誌を手に取りぺらぺらとめくる。

「あぁ、これだ。椿君、3ヶ月前に行った取材を覚えているよね?」

「3ヶ月前なら・・・あぁ!早見潤君の取材ですね!天才バイオリン職人の!」

「それだ、それ」

 受話器を持ったままぽけっとしながら頭に疑問符を浮かべているであろう珠子を想像しながら、轟は続けた。

「そのテンションが上がるのを何とかしろということだよ。若い職人の取材に行くたびにキャーキャーと騒がれては、インタビューどころではないとあれほど言っているのに。これでミーハーでなければなんだというのだね」

 返す言葉もないのか、珠子は黙ってしまった。そして、しばらく経ってから、

「すみませんでした」

とポツリとこぼした。

「わかってもらえればそれでいいんだ。君には期待してるんだから、頑張ってくれたまえ」

 最後にフォローを入れて、ちゃんと部下の気持ちを引き上げる。この編集長は部下の…いや、珠子の扱いをよくわかっている。

「はい!」

 電話口から元気な声が聞こえてくると、わずかに口の端を上げ『うむうむ』とうなづきあごをなでさする。

「それでは失礼します!」

 勢いよく切られた電話の受話器を戻すと、轟は陽気の差し込む窓のほうを向いて目を細めた。

「あぁは言ったものの、さてどう転ぶか…」

 どうやら、轟の心労は珠子が無事に帰ってくるまで絶えることはなさそうだった。


(そうだった、この前注意されたばかりだった・・・私って進歩無いな~)

 電話を切った後、客間の机にうつぶせに倒れ込むと頭を抱えた。以前、取材に行った先で轟から注意を受けたばかりなのだ。

(しかも、3ヶ月前よね。まだこの間じゃないの、なにやってんのよ私は!)

 電話で言われたことが相当こたえたのか、なかなか体を起こせないでいる珠子。

とんとん

 不意に(ふすま)をたたかれる音が響く。びくりと体を跳ねさせて慌てて起き上がるが、その拍子にひざを机の天板で打ってしまう。

「~~~~。はい、どうぞ」

 かろうじて絞り出した声はやや涙ぐんだ感じになってしまっていたが、それでも何とか痛みをこらえることが出来た。珠子の応答に答えるように、静かに部屋に入ってきたのは雅だった。

「? どうしたの珠子ちゃん。ひざなんて抱えちゃって」

「いえ、その。なんでもないです」

 とてもではないがなんでもないようには見えなかった。ひざを抱えて、目じりには涙を浮かべている。さらに、物書き机が少し斜めになっていた。

「……あんにゃろう、少しとっちめてやる」

 何を勘違いしたのか息巻いて部屋から出て行こうとする雅を止めたのは、言うまでもなく珠子本人であった。

「別に誰かのせいでこうなったわけではなくて、机に突っ伏してて起き上がった拍子にぶつけただけなので」

 珠子は女の勘で雅がこれからしようとしていたことを、なんとなく察知した。そして、それが後々自分にも降りかかるであろう事を。それを防ぐためにも、珠子は雅を止めるしかなかった。正幸の元へ(・・・・・)行こうとする雅を。

「…そうなの?私はてっきりあのバカが何か言ったのかと思って」

 どうやら珠子の読みは当たっていたようだ。危うく勘違いで正幸に迷惑をかけるところだった。しかし、寸でのところで密着取材への障害も未然に防げたというところだろうか。

「それで、どうしたんですか雅さん。何か御用でも?」

 『そうそう』と、廊下から茶菓子と麦茶を持ってくると、慣れた感じで押入れからちゃぶ台をひっぱり出してきた。そして、お茶の準備をするとこう切り出した。

「さっきの村正の話よん。轟さんからは何も聞いてなかったみたいだから、電話してみたのよ。そしたら案の定だったもんで、父さんとお爺さんに許可をもらって話に来たってわけ。まぁ、かしこまってする話でもないから、お茶でもしながら雑談程度にね」

 自分の分のグラスを持ち上げ顔の横で振って見せる。本当にお茶のついでと話に来てくれたようだ。その気遣いがうれしいようなくすぐったいような。姉がいたらこんな感じなのかもと、少し正幸がうらやましかった。


「あのさ親父、村正ってなんだ?」

 唐突に正幸が訪ねた。ここは先ほどの説明をしていた和室だった。正幸が『聞きたいことがあるんだが』と正伸のところに来ておよそ十分。一人で黒板やらを片付けていたのを見かねて手伝っていたのだ。

「そうだね~・・・」

 しかし、正伸はその問いが来ることをすでに予想していたのか、手を休めることなく思考を巡らせる。

「正幸君は『村正とは刀匠が受け継ぐ称号のようなもの』ていう答えが聞きたいわけじゃないよね」

 こくりと首肯する。正幸が知りたいのは、村正と言う称号と村田の一族の血に流れる能力(ちから)の関係性だろう。

「ん~、そうだねぇ。まずはどこから話すべきか…前に雅ちゃんに話した内容でもいいかい?」

「姉貴は、知ってんだ。なんかずりぃ…」

 わずかばかりやっかみがこもったつぶやきだが、すぐに深呼吸をして気持ちを立て直したようだ。正伸を真っ直ぐ見ると、

「おねがいします」

と頭を下げた。

「そうだね、それじゃ村正の大まかな説明をしましょうか。正幸君はどの程度、村正について知ってますか?それこそ、ゲームや時代劇とか何でもいいので」

「そうだな…まず妖刀と伝承されている。江戸時代において徳川家に因縁がある。ゲームなんかでは、最強の武器として扱われたり、呪いの武器となっていたり…。そういえば、刀としての村正はいろいろあるけど、村正本人が刀匠として出ている映画やゲームなんかは見たことないな。あとは・・・」

 少し考え思い当たることをつらつらと並べる正幸に、頷きながら内容を精査する。

「なるほど。よく調べている、と言えるでしょう。しかし、やはり一般的に知られている内容ですね。それでは、我が一族と村正の関係を語るとしましょう」

 そう言うと、眼鏡をかけ直す。レンズが光を反射して、その横顔は神秘的な雰囲気を漂わせていた。


「それで、どこまで話したっけ?」

 雅はおかきを摘まみながら、珠子に尋ねる。最初の言葉通り、世間話をしながらなのでなかなか話の本筋が進まない。

「村正さんは戦国時代に活躍した人物で、徳川幕府に特別な恨みを持っていたかは定かではないというところですか」

「そうそう、そうだった。」

 と、お茶を一口すすり横になっていた体を起こした。

「それじゃ、一族の秘密ってのを話すとしましょうかね。聞いたら後戻りはできないよ、覚悟はいい?」

 わずかに雅の雰囲気が変わった。それに伴って周囲の空気も凛と張り詰めたような気がした。

「はい、よろしくお願いします!」

 しかし、そんなことで驚く珠子ではなかった。昨日今日で、ずいぶん不思議なことに遭遇している。もうこの程度では驚くこともなく、むしろ何でも来いと意気込んでいた。

「よし、その意気やよし。それじゃ、お姉さんは語っちゃうよ~」

 急に緊迫した雰囲気が抜け落ちると、いつもの雅に戻っていた。そして、いつもの雰囲気のままいつも通りに語りだした。

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