第2章 鍛冶師と刀匠 3-1
母屋に戻ると、噂をすれば何とやらで正伸が小さな黒板やいろいろな鉄材を準備しているところだった。
「おや、お帰りなさい。申し訳ないですが、ご覧のとおりまだ準備が終わってないんですよ。もう少し待っててもらえますか?」
「わかったわ。それまで私の特性プリン食べてるわね、父さんの分もちゃんとあるからあとでね~」
雅は言葉を返すとそのまま台所へと歩を進める。それに倣うように正幸と軽く会釈をして珠子が続く。
「ふむ、雅の特性プリンですか。しばらく食べてませんでしたね~。どうやら、取材の後に楽しみができたようですね」
正伸も甘いものは嫌いではないらしい。というよりも、この家族はどうやら甘党ばかりのようだ。先日に工房を見せてもらった時も、和室には急須や茶碗のほかにお茶菓子が戸棚の前に置いてあったのを珠子は思い出していた。そこにはせんべいやあられ、大福や金つばなど様々なお菓子があった。正満に関しては、お土産に勧められたのが羊羹というところですでに確定だろう。
(鍛冶って、やっぱり体力が必要なのかしらね)
珠子の疑問がまた一つ増えた。しかし、疑問の種についてはこの家に来てから増え続けるばかりである。そういえば、と帰り道で聞いた家宝の話も相当に疑問が残る話だったのを思い出す。
「へ?刀じゃないんですか、それ」
珠子は正幸の言葉に素っ頓狂な声を上げた。
「そう、正確に言えば、だ。見た目の形は小刀…というよりナイフに近い形状だが、これらには刃がついてない。ゆえに俺も研いだことはない。親父やじいさんにも聞いてみたが、不思議な力を宿しているということ以外はちゃんと話が伝わってないみたいなんだ」
正幸によれば、雪華・陽炎の他にも二振りの家宝があったとのことだが、それらはすべて儀礼用の模造刀で刃がなく物を切ることには使えないのだという。しかも、雅や正幸が使えるとわかるまでの何十年間は使い手が現れず、その力の発言を見たことのあるものはついにいなくなってしまったのだという。
それでも、代々の当主には口伝されていたことがある。四振りのうち二振りをとある場所である刀の封印に使用していること。残りの二振りで封印を解くことができること。それら四振りの名前と使い方だけだった。
「そんで、俺が持っているのが、先祖代々伝えられてきた二振りってわけだ。あとわかってるのは、残りの二振りも、封印されている刀ってのも在処どころかほとんど情報がないってことだけ。どんな刀が封印されているのか、そもそも本当に封印なんてされているのかもよくわかっていないんだ」
そう説明しているつもりだが、実際のところ説明になっていないのはここにいる3人がみんな感じていることだ。
要約すると、ほとんど判っていないことが解っている。というただそれだけのこと。だが、実際に使えるものは使えるし、そこに在るものは在る。
(なんだか、知れば知るほど謎ばかりが増えるわ)
珠子がそう考えるのも無理もない。村田の人間としても解明できるのならしたいと考えているところであり、正満はその受け継がれた技術から何かを感じ得ようとし、正伸は科学的見地から家宝を調べてきた。だが、その成果は実らず今に至る。
「結局、親父たちも行き詰ってな。そこにそれらで遊んでいた俺たちが水や火を出したもんだから大騒ぎ。結局何かわかるかもしれないってんで、高校を卒業した時からこれらを持たされてるって話なんだ」
そして今まで、鍛冶師や巫女としての修業を積みながらいろいろ試しはしたけれど、大きな収穫はなし。「強いてあげるなら…」と、正幸が見たのは珠子だった。
「え、私・・・?」
そう、と頷く。雅もそれに同意しながら、
「正幸の力に珠子ちゃんの『何か』が影響したのは間違いないわね。私とも違う感じなんでしょう?」
「あぁ、姉ちゃんの場合は俺の力を増幅する、いわゆるブースター的な感じだな。椿さんの場合は…」
そう言ってしばらく考えるものの適当なたとえが見つからなかったのだろう。肩をすくめて、
「ま、そのうちわかるんじゃねぇの?」
と、言葉を濁すのだった。
(私の力っていったいなんなんだろう?)
正幸と雅は、それ以外に考えられないといっていたが自分には全く思い当たる節もない。家だって、いたって普通の一般家庭だし。
(確かに田舎のほうだとしても、別に名家ってわけでもないし。そんな話も聞いたことないし。古い家柄ってことは聞いたことある気はするけどそれだけだしな~)
珠子は先ほどからプリンを前にしてうんうんうなっている。正幸は呆れ顔で、雅はお気に入りを見るように楽しげに思考の海から戻ってくるのを待っている。
「なんだか、えーと何て言ったっけ?表情がころころ変わる…」
「百面相?」
「そう、それ!かわいい女の子がしているのって、やっぱりかわいいのね~」
こちらはこちらでなかなかに(雅だけが)楽しそうな会話が繰り広げられていた。その言動から察するに、女の子が好きというよりもかわいいものが好きということなのだろうか?そういうことならば、心理的にもわかるところはある。女性は『かわいい』に弱い傾向があるのは今や一般常識だろうし、愛くるしいものは愛でていたいということなのだろう。だがもうかれこれ3分、椅子に座って珠子がうなっている。さすがに冷蔵庫から出したプリンが温まっては元も子もない。見かねて正幸は例の手を使うことにしたのだろう。珠子の額に照準を合わせて、
ぱっちーん!
「いったーーい!」
珠子は反射的に額を押さえて抗議の視線を正面に向ける。しかしそこにはだれもおらず、斜め前に座っていた雅に視線を向けるとすぐ隣を指差した。
「?」
不思議に思いながらも振り向くと、そこにはアップになった正幸の顔があった。
「・・・・・・」
数秒固まっていただろうか、珠子は目の前にいるのが誰かに気付くと途端に顔を赤くし目を回してしまった。そのままテーブルに突っ伏しそうになり、あわてて抱える正幸。
「あらま、大丈夫?・・・それにしてもあんたもやるわね」
あまり心配してなさそうに声をかける雅だが、その意味をちゃんと正しく理解できない朴念仁はわけがわからないといった視線を投げ返す。そして珠子の体を引き起こし背もたれに体重を預ける。
「大丈夫か椿さん?そんなに強くデコピンしたつもりはなかったんだが、すまなかったな」
流し台でハンカチを軽く濡らして、珠子の額に乗せる。そして、頭を軽く浮かせると背もたれと首の間にクッションを差し込んだ。
(こうゆうことをさらりとやってのけるあたり、いい男になったな~とは思うけど…でも、それが問題だったりするのよね)
そんな気遣いひとつ、ただそれだけのことができるかできないか。男としての器の大きさが感じられるところかもしれない。
「……ありがとうございます……」
雅の予想通り、珠子の声はどこか上の空だった。額と目にかぶさるようにハンカチがあるのではっきりと表情は読めないが、おそらくはぽーっとして目元が潤んでいることだろう。
(無意識でこういうことができるってことは、無意識のうちに女性を夢中にさせているってこともあるのよね~)
「天然ジゴロか…」
ぼそりとつぶやいた雅の一言は、心配そうにする正幸にも介抱されている珠子にも聞こえることはなく、陽気差し込む午後のひと時に消えゆくのだった。
「それでは、簡単に説明させてもらいます」
母屋の一室、縁側に面した日当たりのよい部屋の中には小さいながらも黒板と教卓。そして長テーブルが設えられていた。教卓には正伸が、長テーブルのほうには珠子となぜか正幸と雅までもが座っている。
「その前にいいか親父」
正幸は不服そうな顔で声を上げる。
「なんですか正幸君。出来れば質問は挙手をしてくださいね」
「それだよそれ。一体なんだっていうんだ、これは!ここは別に学校でも、何でもないだろうに。大体どうして俺までここに座らせられているのか、話が見えない」
正幸はそもそもどうして自分がここに呼ばれたのかが不思議でならなかった。ただ、金属の組成について取材を受けるだけならここまで大げさにしなくてもできる。しかも、自分のことではない取材のため正幸は昼寝でもしようかと考えていたのだ。先ほどの雅の舞にも付き合わされたので、大分疲れていた。
「いい質問ですね。率直に言うと、この機会に正幸君や雅さんにも改めて基礎講義をしておくべきかな、と思ったのです」
正伸によれば、正幸も雅も一族の力が強く発現していたので、知識はなくても雪華が使えたり金属の状態を読み取ったりはしていたのだが、それでは少し不十分だという考えに行きついていた。そこへ珠子の取材が入ったため、これはちょうどいいと一緒にレクチャーすることにしたのだという。
「二人ともなまじ力を使えるばかりに、家の歴史や鍛冶についての知識を勉強していないところがあります。この機に少しは勉強してくださいね」
はーいと素直に応じる雅に対し、渋々といった表情でうなずく正幸。それでもちゃんと座って話に耳を傾けようとしている姿勢から、自分でもうすうす感じていたことではあったのだと見える。あとから聞いた話では『覚えておいて損なことじゃないだろ、これからもこの道で生きていく人間としては』と言っていた。
「それでは、簡単なところから始めますよ。まずは科学的な面から、最初は金属の組成についてから始めて、最後の方では焼き入れの種類により変化する組成の構造について…」
このあと1時間ほど、高校の科学~大学の物理学あたりまでの金属関係の話が延々と続いた。言うまでもなく珠子は板書されたことをメモしている。雅と正幸は聞いてはいるものの理解しているかどうかは危ういところだ。
「それでは、とりあえずはここまで。15分休憩したら、今度は焼き入れについてを話しますよ」
かなり細かいところは省いて大まかに説明したはずだが、目の前の3人はかなり疲労困憊のようで、各々が机に突っ伏したり後ろに寝転がっていたり、休憩を取っていた。そこへ、
「次は1時間までかからないでしょうから、もうひと頑張りですよ」
絶妙なタイミングで正伸の一言が部屋の中に響く。
(((あと1時間もあるのか…)))
三者三様、様々な格好で聞いていたが心に響いた言葉はすべて同じだった。そして、まるで示し合わせたかのように大きなため息をついたのだった。




