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Another08

 ◇□■◆



 強い風が窓をバタバタと揺らす。その音で私は目覚めていた。

 目を開け、気がついた自分は――保健室のベッドで横たわっていた。

 体を起こし、頭を振ると気を失う直前のように激しい眩暈が襲い掛かってくる。

 胃液が逆流しそうな不快感と耳鳴りが共鳴し、思わず手を口元へあてながらじっと堪える。

 すぐに観念した私は、体を震わせながら横になり目を閉じた。

 天井を見上げると、視界の先がゆっくり右回転しながら動いているような錯覚が続いている。

「水深、大丈夫?」

「気持ち悪い」

 真琴の心配そうな声に、私は弱弱しくそう答えていた。

「真琴、なんでここにいるの」

「心配しなくていいから。何かあったらなんでも言って」

 私のか細い首元へ、真琴が冷えた手を添えた。冷たくて気持ちの良いその感触と共に、唇が渇き喉が水分を欲している事を自覚する。

「お水飲みたい」

 水差しが置いてあったようで、真琴はそれを私の口元へ差し、ゆっくりと水を流し込んでくれた。

 水分を摂った直後、再び目を閉じる。

「脱水症状のようね」

 保健の先生もいたらしく、そう心と共に呟いて、私の額へ手をあてがい、熱がない事を確認していた。

「柏木さん、早退する?」

「もう少し休んでから決めていいですか」

「無理はしないでね。ご両親には連絡してあるから(もう迎えに来ている頃かな)」

「はい」

 保健の先生はそこまで言って、部屋から出て行った。

 私はか細い息をたてながらも、ふと真琴の心配そうな顔に大切な事を思い出す。

「真琴」

「なに?」

 体調が優れなくても、こういう時だからこそ難なくできる事だってある。"心"は感染する。家族が苦しんでいたり悲しんでいると、その痛みは間接的に"心"を蝕む。そして、そういう時に"甘える"行為は、痛みを和らげ安心感を与える事ができる。

 私が手招きすると、真琴は心配そうな面持ちのまま私の正面へ覗き込むように顔を近づけてきた。

 その真琴の頬に手をあてつつ、ゆっくりと後にまで手を回し、そのまま引き寄せ唇を重ねた。

「水深……?」

 突然の行為に真琴はやや呆れたようだ。けれど、私が笑顔をイメージした顔を作ると、小さくくすりと笑った。

「もう少し休んでくね」

 言ってそのまま目を閉じる。私は自然と、夢の中へ誘われていた。




 ――小学校二年生の頃、私は不思議な体験をした事がある。


 当時は名前を知らなかったけど、公園で遊んでいたその男の子は、よく大人たちに"いつもはあっちの世界で遊んでいるんだ"、などと語らっていた。私はその言葉の中にあった『鏡の世界』という意識に、とても興味を抱いた。

「ねぇ、鏡の世界ってなぁに?」

 私のその疑問に、きょとんとしながらその男の子はこういった。

「なんでそれを知っているの?」――と。

「鏡の世界の事を教えてくれたら、みなみも教えてあげる」

 当時、自分の事をまだ"みなみ"と自称していた私は、その子と秘密の交換を持ち掛けた。この頃にして、交換条件なる政治的手腕を既に持ち合せていたのだ。尤も、今はその欠片すら持ち合せていないけれど。

「鏡の世界っていうのはね、反対側の世界の事だよ」

「反対側?」

「ボクは夢の中に行けるんだ。だから、鏡の世界なんだ」

 なんとも幼い事を言う少年だな、と、当時の私はそれを微笑ましく思った。

 そんな世界なんてありえない事を、自分ではよく知っているつもりだったから。

「キミはなんでそれを、ボクが誰にも言ってない秘密を訊いてきたの?」

「みなみはね、あなたの秘密を知っていたの」

「だから、なんで知っているの?」

「聞きたい?」

「教えて」

「みなみはね、あなたの世界と一緒だから」

 子供ながらに、そんな意味不明な言葉遊びをした。他人の考えている事がわかるようになった事をパパに打ち明けたとき、パパはそれを決して他人に話してはいけないと教えてくれたから。

 なぜ考えが解る事を他人に話していけないかと訊ねたら、確か、そう、こう教えてくれた。

「水深がおねしょをした事を他の人に知られたら、どう思う?」

「恥ずかしい」

「水深は先生に今もおねしょをしていますか? と聞かれたら、していますって答えるかい?」

 ふるふると首を振った。

「おねしょ、たまにしかしないもん」

「そう。でも、たまにでもおねしょは恥ずかしい事だよね」

「うん。恥ずかしい。パパにしか知られたくない」

「水深が恥ずかしいように、他の人も恥ずかしいんだよ。だから知らない振りを、分からない振りをしなくちゃいけない」

「知らない振り?」

「他の人が考えている事は全部水深の秘密にして、相手が口にした事だけを考えるようにするんだ」

「どうして?」

「黙っている事はね、"秘密にしたい事"だから。その人の秘密を言いふらすと、嘘吐きにされてしまうんだ」

「どうして? どうして嘘つきにされるの?」

「水深はまだおねしょしています。友達がそんな事を皆に言いふらしたら、水深はどうする?」

「う、嘘つきって言う」

「そういう事だよ。だからね、水深。秘密は一緒に守ってあげなさい。知らない振りをするだけでいいんだ。知らない振りをするためにも、相手の考えがわかる事は秘密にしないと、意味がないよね?」

 それ以来、誰が何を考えていても、私がそれを口にする事はなくなっていた。


 そして、不思議な少年の秘密を謎掛けたその日――私は夢の中で……私と出会っていた。


 自分そっくりの女の子。服装は違ったけれど、まるで鏡に映したようにその子は自分と瓜二つだった。とても不思議に思ったけれど、名前も誕生日も一緒だったので、そこは夢の世界なのだとすぐに判った。

 相手の考えも聞こえなかった。だから、これは夢なのだと思った。

 手と手をあわせ、その両手を絡め、瞬きした後にはその夢から覚めていたけれど。


 その日から――私の日常は得体の知れない変化を遂げていた。


「みなみ、左利きになってる」

「あ、ほんとだ」

「え? みなみ、右利きだよ」

 そう言いながら、右手で箸をぶんぶんと振ると、そっちは左手だよ、と今までと違う事を言われた。

 パパすら私が箸を持つ手は左だと促して、ママに至っては教わったはずの右と左が逆だ、などと、心の中でバカにしてきた。

「小さい子でも知ってるよ、こっちが右手だもん」

 そう言いながら右手をあげる。でも、そっちは左手だよと、パパすらも優しく、けれど今までと違う事を押し付けてきた。それ以来、私は自分の事を……"私"、と言うようになった。

 みなみではなく、私と言うようになっていた。

 そして、他人が考えている事、心の中で思っている事、本音や嫉妬、嫌味、妬み、自尊心、善意、悪意、喜怒哀楽と思しき全ての感情に至るまで、私は自分の心すら、二度と誰にも話す事をしなくなっていた。


 中学であの子と、玖珂聡史と――再び出会うその時まで。



 *



 再び目が覚めた時。


 私の傍には恵太が居て、目が合った途端に「大丈夫か?」などと心配そうに声を掛けてきた。

 コクリと頷き体を起こすと、寒気が頭のてっぺんから背中へと一気に下って悪寒を感じさせた。

 そういえば、昨日さとりんと別れてから会ってないなぁ、などと考えながら、痛みの感じる唇を何度も舌で潤す。

「どうする? 車呼ぶか?」

「ん~、大丈夫。寝たら大分よくなった。というか、私なんで倒れたんだっけ」

「変な着信があったみたいだな。透華の携帯に。女子が騒いでた」

「私の携帯番号だった気がする」

 私のその言葉に、恵太は意味がわからなかったようで首を傾げながら思考を巡らせていた。

「なんでもない。ん~~~~~~~~っ」

 寝たまま大きく両手足を思いっきり伸ばし、酸素をたっぷりと体の中へ送り込み、昔一度同じような既視感があった事を感じながら、ベッドから降りて大地ならぬ保健室の床に立ち上がった。

 少しふらつきながらも頭の後ろに両手を回し、やや後へ背を逸らしながら伸びをする。

「大丈夫そうか?」

「うん。平気っぽい。帰っていいのかな?」

「んじゃあ帰ろうか」

「あ、私今日、食事当番だった気がする」

「いや、今日は透華だろ。確か」

「……昨日透華が作ったよね」

「昼な。夕食は真琴だろ。みなみは明後日じゃなかったっけ」

「そうだっけ。なんか色々と違ってるような気がするけど、あってるような気もする」

「なんだそりゃ」

「真琴は?」

「透華と先に帰らせた。なんか最近、変な連中がうろついているらしいから。真琴はああ見えて頼りになるしな」

「けーたは私の目が覚めるのをわざわざ待っててくれたんだ」

「真琴と透華も交代で様子見てたぞ。透華なんて泣きそうな面ぁしてたし」

 言いながら、私の首根っこへ大きな手を添えほぐすように軽くもんできた。

「やめなさいよ。痛いから」

「なぁみなみ」

「なぁに?」

「いや、なんでもない」

 ――生理じゃないよ。というか、初潮すらまだきてないよ――などと、恵太が言葉にしなかった思考に自分の中だけで受け答える。そのまま恵太を杖代わりに学校を後にした。

 パパさんと不良母の三人が車で迎えに来ていたようで、校門から出た場所で待っていた。

 私は車に酔いやすい。なので、恵太と一緒に歩いて帰る事を告げると、パパたちは頷いて車を走らせていた。

 どうやらまだ仕事が残っているらしかったけど、パパの心曰く(今日も家に帰ろう)という気持ちはきっと不良母二人を伴って自宅へ深夜に帰ってくる事でしょう。私たちが寝静まった真夜中でも、ちゃんと帰って来れば朝は顔を合わせる。

 仕事で忙しくとも、毎日顔を合わせて言葉を交わす事は家族で最も重要で大切な事なのだとパパは思っている。

 そして、そんなパパさんは、私が他人の心を読むという怪異な存在である事を知っている。

 私が他人の心を読める事を知っている唯一の家族。そして最初の存在。

 二人目は、小さい頃に出会っていた不思議な少年。中学に入って、彼――玖珂聡史が、本当に不思議な能力を持っている事を知った後で、私も不思議な能力を持っている事を打ち明けていた。

 クラスは三年間違ったけれど、よく一緒に遊んだり、統治者と呼ばれる人達の事を色々とリサーチしたりと探偵のような真似事もしている。現在進行形で。

 統治者の事は、ある覚醒者の人からさとりんがその存在を聞いて以来、私は漠然とどういう人たちなのかを知る事ができた。尤も、不特定多数の感覚を一身に集めて管理する存在なのだから、"管理者"という言葉の方が適切に思えるけれど。その統治者と呼ばれる人達すら、自分がそうである事を知らず、その輪の中に入っている人達が大部分を占めている以上、きっと本当の意味で"統治者"と呼ばれる存在はごく僅かなのだろうとも思うけれど。

 明日、学校でさとりんと話そう。統治者の件はゆっくりとリサーチするとして、同じ学校にいる覚醒者の話も聞いて、その子とも駄目じゃなければ友達になりたいし。


 つらつらとそんな事を考えながらも自宅へ到着。途端、とても良い香りがした。


「今日はカレーかよ」

「良い匂い」

 若干残念そうなニュアンスで恵太がそう言った後、くんくんと嗅いだ匂いはさまざまな香辛料が奏でるカレーの匂いに違いなかった。でも、台所からは油で何かを揚げているような心地良い音が、テレビの音と相まって透華の鼻歌と共に流れている。

「お! おかえり!」

「とうか、今日カレー?」

「みなみ、大丈夫?」

「うん、もう大丈夫。今日カレー?」

「カレー、カレー。揚げカレーもあるよ」

「揚げカレー?」

 透華の揚げカレーという言葉には恵太が真っ先に口を開いた。

「カレーの具をたっぷり包んで揚げてみました」

「おい、大丈夫かよ。食えんのかそれ」

「けーたは食べなくていいよ」

「いや、食うけど」

「良い匂い。摘み喰いしていい?」

「一つだけならいいよ」

 許しを得たので揚げたてのカレー揚げを箸で摘み取ったそんな中、真琴が二階から下りてきた。

「あ、水深。体調はもう平気?」

「ん、うん。らいひょうぶ」

 言いながら、あつあつの衣をはふはふと口の中で冷ましつつ、食べながら返答した。

「隣少し借りるね。トースト食べたくなっちゃって」

 真琴はそう言いながら、カレー揚げを作っている隣に立ち、フライパンを火にかけつつ卵をシャカシャカと溶きだした。

「真琴、私もトースト食べたい。卵トースト欲しい」

「じゃあ、水深の分も作るね」

 真琴の作る卵トーストは絶品だ。ほんの少し味の素を入れよくかき混ぜた卵をフライパンに薄く敷いて、それをパンに焼き付ける卵トースト。ほっぺが落ちそうになるほどの美味で、いつもてきとーに調味料を入れている割に、何故かいつも同じ味にしかならないのは神秘的。

 兄弟姉妹がリビングと台所を占領するいつもの日常。

 頭の隅に何かが引っ掛かっていたり、嫌な事なんかも全て忘れてしまえるほどの"楽しい一時"。

「明日何作るかなー」

「明日けーただっけ。はぁ」

「なんだよ、その溜息は」

「別にぃ」

 透華は悪戯っぽくそう返しながら、カレー揚げをどんどんお皿に量産する。大きさはまばらで、形はみんな細丸いけれど味はきっと均一だ。どれを食べても同じ味がするから、美味しければ取り合いになる事もあるし、失敗作なら押し付け合いになる事もある。透華の料理が不味かった試はないけれど。

「あれ」

 ふと、恵太が私を見て首を傾げた。

「何?」

 箸を手に2つめのカレー揚げを持ったままの私も同じように首を傾げる。

「みなみ、お前いつから右利きになったんだ?」

「あ、本当だ。右手で箸持ってる」

「……何言ってるの。私は左利きだよ」

 そう言いながら、左手で持った箸を上下に振って、カレー揚げをしっかと摘んだままある"違和感"を思い出した。

「わざと右手で箸使ってるだけだよね、みなみは器用だから」

「ふふん。恐れ入りましたか」

「というかみなみ、それ二つ目だよね」

 途端、透華は怖い顔を向けてきた。私は学校のお昼時に感じた違和感が何だったのか理解し、同時に満腹感が小腹を支配する。申し訳なさそうに「美味しかったからつい」と言いながら、箸に取った2つめのカレー揚げは口に入れずにお皿へと返品した。

 そして箸を透華に差し出し、それを受け取った透華へおいでおいでと手招きをする。

 首を傾げながらも屈みこむ透華。

 それを見やり、恵太は私がするであろう事をすぐに察し、真琴は興味なさそうにトーストを焼いていた。

 私は真琴と恵太がそこに居る事も気にせず、そのまま透華の両頬を手で押さえ、背伸びをしながら透華の唇を味見する。

「ちょ、みなみっ?!」

 慌てながら逃げるように首を振った透華。既に後の祭。

「甘い」

 そんな私の台詞に笑いながら頭を振り、感じていた"違和感"を払拭してしまう透華。

「もーぅ。カレーの味がした」

「クエスト達成」

「何のクエストだよ」

 恵太の呆れた口調に、その顔を見上げながら私は呟く。

「ここがどこなのか、確認するためのクエスト」

「……なんだそりゃ」



第一章:Another【EOF】

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