Another05
◇◇■□◆
「おなかすいた」
私がそんな事を口走っている。
「元の世界へ帰ればおなかいっぱい食べれるでしょ」
「順番にリビングで食べればばれないと思うの」
「そういう問題じゃない。本当にいい加減にしなさいよ。怒るよほんとに」
思考が入ってこないのはとても気持ち的に楽なんだけど、なぜか無性に疲れを感じる。
「私が餓死したら、あなたも死んでしまうのかな」
いやいや、一食くらい抜いても死なないから。
などと思った所で、玄関の開く音が聞こえてきた。どうやら恵太も含めて三人一緒のようだ。
「ここで大人しく待っていなさいよ。お昼の残りを持って来てあげ」
唐突に突き飛ばされ、あちらの私が部屋を飛び出していた。
「ちょっと!」
その声も虚しく、三人を出迎える私の元気な声が響き渡る。階段をとんとんと早足で下りて行く音に唖然としながら、私の脳裏には『出し抜かれた』とサインが書かれた。
「おかえり。お腹すいた」
「すぐ作るからもうちょっと待って」
「水深。アイス買ってきたけど食後で良い?」
「今食べたい。頂戴」
おーい。それ私のだから。
「俺も今食っとくかな」
「あたしの分は冷凍庫に入れといて」
「昼飯は何作るんだ?」
「時間もあれだからレトルトのクリームシチューとサラダにパスタ」
「それならすぐか。アイスは食後にするかな」
「けーたが後にするなら私もそうする」
「シチュー最初から作ろうか迷ったけど、煮込むの時間かかるからレトルトにしたの。因みにパスタは真琴のリクエスト」
「夕飯がすき焼きだから、お昼はさっと食べれて残り難いものがいいよね」
「スキヤキいいなー。食べたいなー」
「夕食で好きなだけ食べて下さい」
くそう。あいつ、我が物顔で入り込みやがって。絶対許せない。くっそー。
「透華、ジャージ部屋に返しておいたから」
「そう言えば、借り物競争してたって言ってたけど首謀者誰? お仕置きしておくから」
「え? 借り物競争? なにそれ」
やばい。
「さっきそう言ってたじゃん。帰り道で」
「あ~、気にしなくていいよ」
「ん~、まぁそう言うならそれでいいけど。携帯はもう返して貰ってもいい?」
「携帯?」
……、
「あたし貸したよね?」
「え~っと、あ、うん。あの、もう少し待って」
「ん~、吉住の番号、あっちに入ってるんだよね。ちょっと部活の件で用事があってさ」
「えっと、その、うん、すぐ、すぐ返すから、もう少しだけお願い」
「ん~、早くしてね、お願い」
玖珂、早く電話かけてこい。私と私の真似してる私が修羅場すぎる。
……、透華たちが帰って来たのが12時30分。今が1時15分。かれこれ45分、私の振りをしているあちらの私が一階のリビングで談笑している。お腹すいた。弱音をどこにぶつける事もできず、泣きそうになりながら私が戻るのをじっと待ち続けていた。ふと、ひゅうううう、と、強い風音が窓を閉め切っている部屋にまで聴こえてきた。
直後、携帯電話が鳴り響く。ここならよほど大声を出さない限り、リビングにまで声が届く事もない。
「も、もしもしっ!!」
『あれ? 透華? 吉住だけど、今あんたの家の前に居るの。入っていい?』
……間違えてとっちゃった。いや、間違えてないけど、玖珂じゃなかった。
「えっと、後で電話かけさせるから」
というか、なんで吉住が私の携帯番号知っているんだろう。
『あ、柏木さん? ごめん。声似てたから透華だと思った。今透華いる?』
「と、とーかは、今ご飯食べてる」
『今日さ、一時半に約束してたんだ。ちょっとかわって貰えない? 透華の携帯に掛けたら知らない男が出てさ』
「とーか、えっと、急用が出来て、今日駄目になったって」
『えぇ~、うっそぉ。最悪。折角着替えも持って来たのに』
着替えって、明日学校なのにお泊まりでもするつもりなんですか。
「ちょ、ちょっと待ってて。5分。5分で、急用終わらせるから」
『へ?』
どうする? ここで私が携帯を持ってリビングに下りて行って、何食わぬ顔で透華に携帯を渡すと絶対大騒ぎになるよね。吉住が入ってきちゃうと私と通話した話題が出た途端に食い違いが起こるし、というか、今吉住に入ってこられたら、私の日常が風前の灯火なのは火を見るより明らかで、最善の方法は……思いつかない。どうしよう。
おろおろと思考錯乱していた矢先、玄関のチャイムが鳴り響いた。
「はーい」
「みなみ、あたしが出る。吉住かも知れないから」
やばい。色んな意味でやばい。
「吉住さん、逃げてっ!!」
携帯へ押し殺したような声で、精一杯危険を感じるように囁く。
『え? なに? どういう意味?』
「いいから逃げてっ!! 吉住さん、今強盗に」
『あ、透華。(吉住ごめん、電話しようとしたんだけどちょっとかけれなくて)』
最悪だ。どうしよう。というか、なんで吉住が私の携帯番号知ってるの。というか、なんで私の携帯へ掛けてくるのっ。
『「あの、すみません、警察の者ですが」あ、はい。何か「近所の方からこちらで悲鳴がしたと通報がありまして」あ、そういえばさっき強盗とか何か「強盗!?」え、嘘っ』
携帯からは三つの音色が織り成す不可思議な幻想世界が広がっていました。どうしよう。どうすれば。どうしたら。
とりあえず携帯の通話をぽちっと切断。次いで電源をオフ。ピロリロリン、というキノコ1upの効果音と共に、携帯の液晶画面がブラックアウト。これで携帯へはアクセスできない。次いで自室はやばい気がしたので恵太の部屋へ。
慌てて恵太の部屋に入った直後、警察の人が自宅へ上がったようだ。その声が思考と共に木霊する。
吉住も家に上がり、「柏木さん、さっき強盗って言ってなかった?」などと口走っている。
「強盗? ううん」
「すみません、ご家族は今ここに居られる方々で全てでしょうか」
「あ、はい。今はここに居るだけです」
います。ここに居ます。
「まぁ、何も問題ないようであれば、本官はこれで」
「あ、はい。ご苦労さまです」
良かった。二階に上がって来られるかと思った。流石に家宅捜査はしないよね。
(なんで警邏がきてんだよ)
「すみません、少し二階を調べさせて頂きたいのですが、宜しいでしょうか」
「え、あぁ、はい。構いませんけど」
なんで? どうして調べる事になるの?! だめでしょ、令状もなしで勝手に上がっちゃ。
思うも虚しく、トン、トン、と、ゆっくり階段を上る音。二人居る。
「(二階に誰か居た)」
「(確保。念のため銃を)」
勘弁してよ。誰もいないよ。いるけど、身内しかここにいないからっ。しかも銃って何?
どうしよう。見つかったらきっと大騒ぎになる。
そう考えつつ、私は恵太の部屋から物音を立てないようにベランダへと出ていた。ふと下を見ると、そこには下駄箱から消えた私の靴が置いてある。なるほど、私が履いて帰ったわけだ。
不幸中の幸いと、それを履いて梯子から一階へと下りて行く。庭の芝生へ下り立ち、微かに過る警官の思考を注意深くトレースする。
壁に張り付くようにへばりつき、やや息を荒げながらこれからどうしようかと考えたけれど、一旦ここから離れようという選択肢に行き着いていた。
警官に見つからないよう裏手にある塀戸を抜け外に出るとパトカーが止まっていた。
自宅の玄関を迂回するように裏手をそのまま進み、公園へ繋がる道へ出た直後……運命のファナーレに直面する。
「(ここから逃げて)」
その"声"にビクリと振り向く。
そこにいたのは警官二人に挟まれて立っていた玖珂だった。玖珂は何度も何度も、"そう"思考をぶつけてきた。
意味が分からず私はただ首を傾げた。結局、私はそれを察する事ができなかった。
警官の一人が私の肩に手をぽんと置いた直後、ぐいっと引き寄せられ異臭のする布を口元へあてられた。
何が起こっているのかわからなかった。ただ、異様な眠気が私の思考を朦朧とさせる。
途端、世界が歪んだ。ぐにゃり、と視界が大きく歪んだと思った次の瞬間には、視界の全てがブラックアウトしていた。
……、
…………、
(……イ、キロ……なみ)
「おい、起きろ、みなみ」
何かがイキロと言いながら私を揺さぶってくる。
目をうっすらと開けると、そこには大きなにゃんこが居て、そのにゃんこはけーたそっくりのぬいぐるみだった。
「ううううううぅぅぅ……」
ほっぺを抓られ、瞼を無理矢理こじあけられた。なぜか冷たい床で寝転んでいる。
「みなみ、なに俺の部屋で寝てんだよ」
「ふぅう~?」
混濁した意識のまま、朦朧と周囲をゆっくり見回す。
お気に入りの服を着て、恵太のベッドで寝そべっているようだった。
「なんでけーた……のぬいぐるみが動いてるの」
「寝ぼけてねーでさっさと起きろ。つか、それ今朝と同じリアクションじゃねーか」
今朝……えっと、宿題を写させて貰おうと思って見当たらなかった事だっけ。
確かそのまま寝てしまって……起きたら朝だった。
「やばいっ、宿題やってない」
「何言ってんだおまえ? 今日学校で写しただろうが」
「へ?」
「もぅ。早く起きろよ。つか、警察来た後からお前おかしいぞ」
「警察?」
「大丈夫かおまえ。大声で騒いだだろ。近所の人が警察に通報したんだよ。念のためとかで家宅捜索されただろぉが」
あぁ、そう言えば警察が来たんだっけ。えーっと、確か……宿題は落書き帳に写してしまったから提出してなくて、身体測定の後で裸になってて、その前にさとりんと屋上に続く階段へ……あれ、身体測定の後だっけ。
「おなかすいた」
「は? 昼にパスタ2皿も平らげてもう腹減るとか、おまえの胃は底なしか」
……パスタ食べたんだっけ。うん、美味しかった。
「けーた」
「あん?」
おいでおいでと手招きして、とりあえず近寄った恵太の首に両手を回し、そのまま恵太の唇にむちゅうと喰いついた。
「よし」
「何がよしだバカやろぅ! いい加減にしろお前はっ」
「臭くない」
「アホか」
呆れている恵太を眺め、いつもの我が家である事を認識する。
何か大切な事を色々と忘れているような気もしたけれど、朦朧とした意識はまるで夢心地然とした意識の混濁により、その思考の全てを根こそぎ刈り取られたような違和感が考える事を強制的に中断させているようだった。
簡潔に言い表すなら、"まだ寝惚けているようでした"。
「でも、お腹空いてるよ?」
「知るかっ。さっさと起きろ」
促されるまま体を起こす。
「ふーーううぅぅぅーーぅうーぅーーーっ」
「猫かおまえは」
「にゃああああああああああおぉ」
猫の物真似をする私のほっぺを恵太は再び抓る。その痛みに、ここが現実の世界だという認識を改めて感じ取った。
「けーた。私、大変かも」
「はぁ?」
夢と現実がいっぱいごっちゃになっていた。