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何度瞬きをしても、景色と状況は変わらない。
という事は、どれだけ信じられなくともこれは現実だという事。
パニック状態に陥ると動けなくなる。
今の僕はまさにそんな状態。
抱きしめられたままピクリとも動かないなんて、さすがの名波先輩も不思議に思ったのか、
「葵ちゃん?」
そう言って少しだけ腕を緩め、僕の顔を覗き込んできた。
こんなに格好良い人のどアップは心臓に悪い。尚更動けなくなる。
「あー…っと、俺の事知ってる?」
その質問にはなんとか頷いた。
すると、名波先輩は何故か安心したように溜息を吐きだした。
「ちなみに、俺も葵ちゃんの事は知ってる。…って当たり前か」
「………」
なんで当たり前なんだろう。
こんな有名な人に知られているなんて、当たり前どころか逆にありえない事なのに。
意味がわからずひたすら瞬きを繰り返していると、先輩はフッと笑って、
「やっぱり可愛い」
力いっぱい抱きしめてきた。
「…ッ…先輩、…苦しい…です」
圧迫感と動揺と恥ずかしさ。さすがに藻掻いて抵抗する。
でも、僕如きの抵抗では、百戦錬磨の先輩の腕から逃れるなんて到底出来るはずがない。
「葵ちゃん」
「………はい」
まともに呼びかけられてしまえば無視する事も出来ず、藻掻くのをやめて返事をした。
抵抗をやめたところで、先輩の腕の力が弱まる。
ホッとしたのも束の間、先輩の口から出た驚くべき言葉に、また石化した僕。
「まさかとは思うけど、もしかして自分が姫だって知らない?」
「……………」
姫?
え、何それ、美味しいの?
茫然としている様子から僕の胸の内がわかったのだろう、名波先輩はまたも苦笑した。
「校内で一番可愛い子に付けられる呼び名。だから葵ちゃんは葵姫」
「………」
「儚げで可愛くて守りたくなる」
「………」
「葵ちゃんが入学してから、ずっと気になってた」
「…あ…の…、」
「俺と付き合ってくれませんか?」
「………?!」
驚きすぎて言葉が出ない。
なにこの急展開。頭がついてこない。何がなんだかわからない。
だって名波先輩は、物凄くモテるし、格好良くて有名人で…。
そんな人が、話した事もない僕に付き合ってなんて言う?
それに、僕が姫だなんて絶対に何かの間違いだし。
………あ、そうか。
名波先輩は、少しでも気に入ればあっちにもこっちにも手を出してるって聞いた。
きっと、僕は毛色の変わった後輩だと、たまには違うタイプに手を出してみようって、そういう事なんだ…。
そうとわかった途端に、虚しさが込み上げてきた。
声をかければすぐに靡くような人間に見えるのか…。
簡単に声をかけて、飽きれば捨てる。付き合う相手をアクセサリーや暇つぶしとしか思っていないんだろう。
僕はそんなんじゃない。ちゃんと好きになった人としか付き合いたくない。
悔しくて悲しくて、涙が溢れてきた。