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名波先輩からは、優しい溜息が零れた。そして、
「葵ちゃんは、エンの事が好き?」
穏やかなままの先輩から放たれた、逃げられない問いかけ。
さすがに、茫然と固まった。
「…ど…して…」
瞬きすら出来ない程に目を見開いた僕を見た先輩は、一瞬、何かを堪えるようにギュッと目を閉じ、そして、次にその瞼を開いた時にはいつもの優しい笑みを浮かべていた。
「葵ちゃんの表情とか行動、そしてエンを見る瞳。昨日までハッキリとはわからなかったけど、さっきので確信した」
「………」
違います。
咄嗟に言いかけたその言葉を飲み込んだ。
陸の言葉を思い出したから。
僕の本心を告げる事が大事だ、と。それを思い出した。
ここで誤魔化して、そしてどうなる?
誰も先には進めない。
目先の感情だけに囚われて誤魔化し続ければ、きっと全てがダメになる。
…何よりも、先輩達を傷付ける…。
それまで教科書を固く握りしめていた手を緩め、深く息を吸い込んだ。
自分の感情だけでいっぱいいっぱいだった僕は、改めて先輩の顔を見て、そして、自分は本当に馬鹿だったとわかった。
僕を見つめる先輩の眼差しには、包み込んでくれるような暖かさがあったんだ。
本当の気持ちを告げても大丈夫だって、安心させてくれる眼差し。
「…先輩」
「うん」
「僕は、松浦先輩の事が、好きなんです」
「うん、わかった」
笑顔のまま頷いてくれた先輩に、また泣きそうになる。
歪みそうになる口元をギュッと噛みしめていたら、先輩が一言「最後に、一回だけ抱きしめてもいい?」なんて言うものだから、僕の涙腺は崩壊した。
ポロポロと雫が転がり落ちるままに、頷き返した瞬間、まるで波に攫われるように先輩の腕の中に抱きこまれた。
背に回された腕に、痛いくらいの力が込められる。
俯いている先輩の柔らかな髪が耳に触れ、温かな体温に包まれて、僕はひたすら涙を流した…。
どのくらいの間、そのままでいたのか…。
不意に先輩の腕が静かに離れた。間近で見上げた先輩の顔には、穏やかな表情が浮かんでいる。
こうやって見つめ合っていても、変な緊張感はない。それどころか、物凄く居心地の良い空気が、僕達の間に漂っていた。
「俺が諦めるんだから、二人が付き合わないと怒るよ」
「名波先輩…」
「頑張れ」
「……ッ…はい!」
大きく頷いた僕の頭を、先輩の大きな手がグシャリと撫でた。